愚慫空論

自律性の罠

文明の「血液」―貨幣から見た世界史
貨幣経済の肝要は、貨幣が希少財だという点にあります。

人間は希少財を欲する。これは誰に強制されるわけではなく、自発性に依ると言っていいでしょう。

貨幣経済は、希少財である貨幣への自発的欲求によって開始される。
そこで自生的に生まれてきたのが市場原理だと言うことができるでしょう。
ハイエクがいうところの「自生的秩序」です。

自発性から自生的に秩序が生まれ、自律性が生じていくことになる。
市場原理主義とは、この自律性に従うべきだとする考えです。

ところで、資本主義は単なる貨幣経済ではありません。
貨幣が増殖する仕組みを内蔵した貨幣経済です。

貨幣に対する自発的欲求を利用して、貨幣を創造することで人間の自発性を引き出す。
自発性を引き出すという点において、資本主義は社会主義よりもずっと優れていた。
社会主義の出発点は理念の理解による人工的秩序の元での自律性でしかなかったから、自発性を発揮させた資本主義には適わなかった。

が、この資本主義も限界に来ています。貨幣が希少財ではなくなったからです。
貨幣を増殖させる資本主義経済が、貨幣を希少財から過剰財へと変化させた。
にもかかわらず、人々はいまだ貨幣を希少財だと理解している。

それゆえ貨幣が希少財であったころに自生的に生じた秩序はいまだに有効だと信じられており、自律性が発揮されています。
ですが、その自律性が自発性を疎外するという事態が広がっている。

つまり、資本主義が限界に達した現在は、「自律性の罠」とでも呼ぶべき自縄自縛・自家中毒状態に陥ってしまっているわけです。


では、この自縄自縛状態から脱するにはどうすればよいか?

鍵は自発性です。自発性が資本主義を発展させてきたなら、資本主義の限界を乗り越えていくのもまた自発性でしかない。しかし、現在主張されている主たる方法論は、いずれも自律性を重視するものばかり。

すなわち、経済右派は未だ自発性を失った自律性に拘泥しており(極端な例が市場原理主義)、左派は人工的秩序による自律性に依拠しようとする。いずれの方法も自発性を疎外するものでしかなく、資本主義の限界を乗り越えていくことができるものではありません。

考えられる方法は2つ。

1は、貨幣を希少財へと戻すこと。
  具体的には兌換紙幣を復活させる、金銀本位制に戻ることです。

2は、貨幣を余剰財と捉えるところからの自発性に依ること。
  余剰財としての貨幣とは、減価する貨幣のことです。

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