愚慫空論

『ハラスメントは連鎖する』(1)

ハラスメントについては以前も取り上げましたが、改めて。

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ハラスメントは連鎖する 「しつけ」「教育」という呪縛 (光文社新書)
ハラスメントとは何か? 〈魂〉の呪縛です。

では〈魂〉とは?

人間が生まれたときから持っている本来的な運動状態のこと。(P.92)


赤ん坊がどのように世界を捉えているかについての研究は、近年、急速に進展している。その結果、人間が白紙の状態で生まれてくる、というかつての信念は完全に否定された。赤ん坊は、独特の高度な世界の解釈システムを持って生まれてきて、それを成長に従って部分的に崩しては組み直す、という形でより複雑なシステムを構築していくと考えられるようになっている。(P.31)


呪縛されることなく育まれた〈魂〉は

 子供は、本来あるがままの豊かな人格をもって生まれてくる。親が子供をあるがままに受け止め、愛することができるのなら、この本来の自分に適合する形で人格が形成され、メッセージに対する深い識別能力を育てることができる。


〈魂〉が呪縛されるとどうなるか?

 ところが、親が子どもの「ためを思い」、野心を持たせ、競争に勝てる、社会に従順な人間に育てたいと考えると、本来の自分を捨てさせることになる。そのかわりに見せかけだけの「正常」な行為を産出する装置が組み込まれ、それが「自分」を構成するようになる。こうして本来の自分は「自分のなかの他人」となってしまう。


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創発的コミュニケーション 人間が生まれながらにもつ〈魂〉、つまり「独特の高度な世界の解釈システム」によってなされるのはコミュニケーションです。コミュニケーションはメッセージをやりとりすることによって成立しますが、このメッセージの意味性はコンテクスト(文脈)に依存します。そしてコンテキストは「学習」の過程で生じます。

ハラスメント 一方だけが学習の努力を続ける非対称が継続すると、Aはやがて疲労困憊し、茫然自失の状態に陥ります。こうなったときにBは、Aに対して自分にだけ都合の良いメッセージを送り込む。「あんたは私の言うことだけ聞いていればいいんだよ」 この攻撃によってAは呪縛をうけることになります。

この呪縛が成立する上で最も重要な条件は、AがBとの関係から離脱できないと思い込んでいることです。こうした「場」の典型が家庭、それも親子関係で「ハラスメント」は生じやすい。

ハラスメントは自分自身の感覚を裏切るように子供を仕向けていきます。親は子供に対して

「これをすると、おまえを罰する」
「これをしないと、お前を罰する」

というメッセージと

「これは罰ではないのだよ」
「わたしがお前を罰するような意地悪な人間だと思っているんじゃないだろうね」
「これをお前に許さないのは、お前を愛するからこそだ」

という2つの矛盾したメッセージを送ります。親の庇護なしに生きられない子供は、こうした親の欺瞞に荷担して自分自身を欺し、自分の感覚を信用しなくなります。親の欺瞞に曝される子供に唯一可能な合理的対応は、世界を解釈するためのシステムを、自ら破壊して混乱に陥ることだけです。

そうすると、世界が不条理に満ちているように思え、いつも不安を感じなければならなくなるが、その代償として親の欺瞞的なストーリーを守ることができる。そうして子どもは親の「愛」を買い取ることができる。もちろんこの「愛」は、まがい物にすぎない。


人生を正しく生きるためには、他者のものであれ自分のものであれ、メッセージの種類分けを正確に行なう能力が不可欠であるが、ハラスメント情況はその発揮を徹底的に阻害する。(P.29)


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ハラスメントがさらに厄介なのは、コミュニケーションがハラスメントの要素なしには成立しない、ということです。

 コミュニケーションというものはそもそも、自己満足では成立しない。
 典型的な例として、言語を考えてみればよい。自分の気持ちを百パーセント正しく表現できる音声の独自の組み合わせを開発したとしたら、それは他人には通じない。他人に通じさせるためには、自分にとっては外部にある言語の運用能力を身に付けなければならない。このとき、どうしても自分の魂にとっては外的であるものを、自分自身として組み込む、という過程が必要になる。


人間は外界のメッセージを解釈する高い能力を持つがゆえに社会を構成しているのであるが、この社会を作り出す能力は、本来の自分ならざるものを自分の中に取り込み、自分自身の一部だと思い込む能力として、他人によって悪用されうる。これは常に、自分自身の感覚を否定し、外的なメッセージの方が正しい、と思い込むことに結びつきうる。これがハラスメントの糸口を与える。それゆえ、コミュニケーションはハラスメントの可能性を常にはらんでいる。

コメント

反省

あ゛あ゛ぁ~~~・・・やられました。(*_*)

心がイタイです。

あぁ~・・・もっと強い大人になりたいです。

子どもの心を守りきれるように・・・

Re:反省

・すぺーすのいどさん

ハラスメントって恐いですね...。

子どもの心を守りきれるように・・・

“守りきる”は無理じゃないかな? 子どもの心は子どものものだから。最終的にはその子自身が守るしかない。

自分で自分の心を守る。これが「自立」です。子ども自立を信じる心が子どもの自立心を育む。親は“守りきる”自立心の成長に、せいぜい「手を貸す」くらいのことしかできない、と思います。

Re2:反省

愚樵さん

私にとってはショッキングなエントリだったので思わず変なコメントしちゃいました。
すいません。m(__)m

私も子どもに対するパワハラを知らなかった訳じゃない、むしろよく知っていて、でも気付かないふりしたり、誤魔化したりして、その事から目を背けたい、というか、あまりに重いこの課題から逃げたいという気持ちを、ズバっと指摘されたような気がしました。

「守りきりたい」についての愚樵さんのフォローはそのとおりです。
私も同じような考えなのですが、コメント書いた時は不遜にもすべてから守りたいと思っちゃたんですよね。

私も当然数十年前は子どもだったわけですが、大人になった今となっては「子どものエネルギッシュさには到底かなわない」とつくづく感じてます。僕ら大人が子どもにしてあげられることは、せいぜいかたぐるまや抱っこで一時的に足りない背丈を補完して、いつもより少し遠くまで見せてあげられる程度のことなんだろうなぁ。

子どもが成長してどんどん遠くを見れるようになっても、子ども達がそれぞれの年齢や個性にあった希望を持てるような景色を演出するのは、大人の責任かもしれないですね。

親でもないのに

・すぺーすのいどさん

私自身には子どもがいなくて、親でもないのにエラソーにいって申し訳ありません。

「守りきりたい」と思わず書いてしまった気持ちは、親じゃないけど、よくわかります。わかるつもりです。

それと、TBは意見しました。読みたいと思いますが、難しいかも。私はまだしも、妻の方が...

Re:親でもないのに

愚樵さん

エラそうもなにも、子どもは個人の所有物ではないですから、ご自身に居るかどうかとは関係ないですよ。

TBは愚樵さんにお勧めの意味で送った訳じゃないです。このエントリを見た他の人が興味がありそうかな?と思って自分の過去のエントリをTBしてみました。

もし、ご都合が悪ければ削除して頂いても結構です。
(^^♪

Re: Re:親でもないのに

・すぺーすのいどさん

「親でもない」というのは子育て「体験がない」、ということで。「体験」はモノではありませんけど、個人に属するでしょうから。

> もし、ご都合が悪ければ削除して頂いても結構です。

妻はここは見ないので大丈夫(^_^;

見ないところで言っておきますと、私としてはやっぱり「体験」してみたいのです。血の繋がりなんて二の次。“家族は造るもの”ではなくて“出来上がるもの”だと思ってますから。犬や猫でさえ家族になれるのですし。

まあ、でも、なかなか“造るもの”という観念の束縛から自由になるのは難しいようです。他人から「子どもはまだ?」なんて訊かれるとと嫌がるくせに(もう訊かれなくなりましたが(ToT))、じゃあ、造るなんて関係なく里子をもらおうというと、それは嫌なのです。どうして“造ることが出来なかった”と思ってしまうから。

そこを指摘するとケンカになりますし、なかなか難しいところです(苦笑)

難問

愚樵さん

夫婦が子どもを産むってことは、身体的なこと、精神的なこと、社会的なこと等が複雑に絡み合ってくることだと思うので難しいですよね。
ましてや希望がかなわない状況は辛いだろうなぁと思います。

毒多さんじゃないですが、愚樵さんって仙人めいたイメージがあるので、あらゆる呪縛から自由なのかな?とか勝手に想像してました。(^^ゞ
でも、そんなわけ無いですよね。

現在、我が家には二人の子どもが居ますが、夫婦間では「あと一人か二人は育てても良いよねぇ」という見解は一致しています。
しかし妻は「でも大変だから産みたくな~い!」、私は我が家の収入源の妻に負担を掛けたくないし辞めてほしくな~い、という矛盾した意見も持っています。

そこで声を揃えて「じゃあ里子をもらおうか!」と同調したのは良いのですが・・・確かに現実的には難しいですよね。

何が難しいって、やっぱり導入時のシチュエーションが難しいと思います。
『誕生!』に代わる何か象徴的なイベントが必要で、これが上手くいかないと後々にひびきそうな気がします。

妻は「あんまり小さいと手が掛かるからオムツが取れたくらいの子がいいよね?」とか言うんですけど、
私は「えーっ!出来るだけ生まれたての赤ちゃんが良いんじゃない?家族になるんだし~」と希望にズレも・・・^_^;
基本的には里親を必要としてる子を、選別しないで受け入れようという点は合意してるんですけどね。

でも兄弟となる子どもとか、地域の子どもたちとか、じいちゃん、ばあちゃんとかの関係もあるし・・・

そういったわけで、なんだかんだ踏ん切りもつかず、未だに里親講習とかに参加するわけでもなく現在に至っています。

最後に、愚樵さんには「体験」して欲しいなぁ、そして思索してほしいなぁ、なんて考えています。
もちろん、私の自分勝手な希望ですので、気にしないでください。m(__)m

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