愚慫空論

日本の「勤勉」は個人戦

「分かち合い」の経済学 (岩波新書)
神野直彦著『「分かち合い」の経済学』を読み始めましたが、最初のところで引っかかってしまいました。

スウェーデン社会を訪れると、栄西が中国の杭州に降り立ったときのように、母なる国を徜徉している境地に浸る。スウェーデンを旅すると、豊かな自然に抱かれ、心優しき人間の絆のぬくもりに包まれ、心安らかに生きることのできた幼き頃の日本社会に出会うことができるからである。スウェーデン人もヨーロッパの日本人といわれることを誇りにしている。


豊かな自然というが、日本とスウェーデンとで自然の在り様は大きく違います。日本は東アジアのモンスーン地帯、スウェーデンはずっと緯度の高い北欧です。自然の在り様が違えば人の在り様も違う。スウェーデン社会が“心優しき人間の絆”に溢れ“心安らかに生きることができる”というのはそうなのでしょうが、それは昔の日本社会の在り様ではない。昔の日本社会は人間同士の結びつきが強い“生命力溢れる”社会だったと私は思っています。しかし、それは必ずしも“心優しき”あるいは“心安らか”ではなかった。ここのところは少し過去を美化してしまっているのではないかと思います。

では、昔の日本社会はどんな社会だったのか? そこはやはり「勤勉革命」と大きく関係しています。

勤勉革命では家族労働が基本になっていきます。それは日本の傾斜地地形では家族労働が適しているからです。しかし、あらゆる種類の労働を家族で行なったわけではない。効率的な労働を行なうために、たとえば田植えといった作業は集落の共同作業で行なった。効率追及であった共同作業が、現在では「結い」という地域共同体の“心優しき絆”であるかのように思われていますが、これは実は「過去の美化」でしかない。このことは私自身の体験からも言えることです。

和歌山で暮らしていたときの話ですが、私たち夫婦も米作りをしようと思ったことがあります。休耕田はあちらこちらにあるので、田んぼはすぐに見つかった。問題は農業機械だった。水田は田植え前の田起こしと田植え、刈り入れに大変な労力を要します。ですので、それぞれに耕耘機、田植機、コンバインといった機械を使用する。私たちは安易に、田んぼが借りられるのなら機械も借りられるだろうと思っていた。ところがそうはいかなかった。機械は自分たちで購入する。それが「基本」だったんです。

この「基本」は労働の基本は家族労働だというところから来ています。「結い」はあくまで効率追及のための手段でしかなかった。だから、農業機械が発明されるや急速に普及が進み、共同作業が機械作業に置き換わっていった。こんな話も聞いたことがあります。“機械のおかげで嫌いな奴と一緒に仕事をしなくてもよくなった。”これが日本人のホンネであり、決して“心優しい”とはいえないものです。

日本人はよく「空気を読む」といわれますが、私が思うに、この慣習は必ずしも好ましくない人間関係を維持するためのテクニックです。共同体の構成員たちが本当に仲良く心優しいのなら「空気を読む」などといった必要はなかったはずです。でも、その必要があった。だからそのための技術がうまれたのでしょう。

これでは昔の日本社会は抑圧的でとても“生命力溢れる”とはいえないと思われるかもしれません。実際、昔の日本の地域共同体に暗く湿ったイメージを抱いている人も多いことでしょう。

日本の共同体の不思議なところは、労働は個人戦あるいは家族戦なのに、その成果は労働ほどに個人・家族の所有物という感覚が強くないところです。もちろん労働はまず家族のためですから、収穫物はまず家族のための使われる。が、その余剰を譲与することを厭わない。厭わないどころか、譲与のために余分な労働すら行なう。自分たちが生きていくのに必要以上の労働を行なって、その余剰物が共同体内を流通する。そこが「生命力」の源泉になっているのです。

というのも、労働は伝統的日本人にとっては「成功体験」だからです。余分な労働を行なって共同体に寄与する者は周囲から高い評価を得た。「働き者」という評価です。日本人はこの「成功体験」を得るために労働する。それは、一神教信者が“神に祈りを捧げる”のと同様の行為でもある。よく神に祈る者が「信心者」との評価をえるように、よく働く者は「働き者」という評価を得る。そして祈りが神と対峙する「個人戦」であるのと同様に、日本人の労働は自然と対峙する「個人戦」というわけです。

日本の会社共同体が繁栄してきた理由、そしてダメになった理由も「個人戦」「成功体験」「生命力」から見ることができるでしょう。多くの方がご存知でしょうが、会社共同体の中は決して“仲良く”“心優しく”ではありません。それは基本が「個人戦」だからです。その基本の上に「空気を読む」技術で効率的な労働を行なう。また余剰労働は評価され「成功体験」に結びつくから構成員の「生命力」が上昇し、それがさらなる労働意欲に繋がった。終身雇用制は日本人の「生命力」を引き出すのに適したシステムでした。

ところが成果主義という貨幣による評価が導入されることで“「生命力」の引き出し”がうまく出来なくなった。余分な労働は物理的次元の「成功」でしかなくなり、精神的次元の「成功体験」ではなくなってしまった。だから「生命力(force)」を引き出せなくなった、という悪循環です。

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