愚慫空論

いまどきの「競争力」

村野瀬さんが「競争力」とは何かと問うておられるので、考えてみましょう。

まず考えなければならないのは基準です。競争というからには何らかの基準が必要です。殴り合いのケンカなら暴力という基準が必要ですが、ここでいう「競争力」の基準は暴力ではない。お金、貨幣を基準としての競争、その競争を競い合うパワーが「競争力」ということでしょう。

この「競争力」には2つの種類があります。その1を「拡張競争力」、その2を「競争競争力」と呼ぶことにします。

拡張競争力
拡張のための競争力ですが、では何を拡張するのか? 貨幣経済をです。この拡張はイノベーションによってもたらされます。
拡張競争力は、さらに2つに分類できます。その1は未開拓の分野への拡張。その2は、共同経済への侵食による拡張です。その1を「純粋拡張」、その2を「侵食拡張」と呼びましょう。

「純粋拡張」はテレビを考えてもらえばよいでしょう。テレビの登場で創出されたのは“新たな”娯楽です。既存の何かに置き換わる形で登場したわけではない。ラジオや映画に割かれる時間を奪ったということはありますが、共存できないわけではないし、現に共存しています。パソコン、インターネットという技術も「純粋拡張」と言っていいでしょう。

「侵食拡張」を考えるには、サービス業を考えればよいでしょう。たとえばクリーニング業です。もともと衣類を洗濯するという労働は家事労働で無償のものです。無償だから共同経済なのですが、クリーニング屋は、無償の労働を有料で引き受けることで成立しています。これは貨幣経済vs共同経済(無貨幣経済)という軸でみると、貨幣経済の共同経済への侵食になっていると見ることが出来るわけです。

競争競争力
こちらは貨幣経済内部での競争。村野瀬さんが問うているのはこの競争競争力の方でしょう。
競争競争力は、価格競争を考えてもらうのがいちばん良いです。テレビを生産するにしても、クリーニング業を営むにしても、良質の品質・サービスをより安価な価格で提供して、他業者との競争を勝ち抜いていく。この競争は市場原理に基づく競争だといってもいいでしょう。

また、拡張競争力を外向きのパワーだとするなら、競争競争力は内向きのパワーだと考えることが出来ます。

では、いまどきの「競争力」はどういった状態になっているのか?

拡張競争力 < 競争競争力

つまり、外向きのパワーよりも内向きのパワーの方が大きくなってしまって、経済が内側から崩壊しつつある。「格差」は、その崩壊の兆候というわけです。

いわゆる新自由主義を信奉する市場原理主義者は、競争競争力が拡張競争力を引き出すと主張します。が、これは明らかに誤りです。拡張競争力を引き出すがもっとも大きいのは貨幣を介さず経済活動が行なわれる共同経済なのです。

ここでもうひとつ用語の整理をしておきます。「力」という用語を「パワー(power)」と「フォース(force)」の2つに分けておくことにします。「競争力」はパワーですが、「拡張競争力を引き出す力」はフォースです。
(私はこれまでパワーを「権力」、フォースを「生命力」と呼んできました。)

「拡張競争力を引き出す力」がフォースであるということは、拡張競争力はパワーであると同時にフォースでもあるということです。というのは、人間の営みである経済が拡張していくということは、それだけ人々が生活しやすくなってゆくということであり、伸びやかに「生命力=フォース」が発揮できるということになるからです。

しかし拡張競争力は、フォースの源である共同経済を侵食してきた。そのことがフォースの低下を招き、ひいては拡張競争力を減退させ、競争競争力が世の中を覆うようになった。「格差」はそこから生じてきたのです。

競争競争力の源泉は“貨幣という権威”、すなわち「貨幣愛」です。現代の経済社会はこの「貨幣愛」を中心に回っている。だから拡張競争力を引き出すにも「貨幣愛」でということになる。貨幣経済の新たなフロンティアを拡張できる才能は高い報酬で、ということになる。ところがえてしてこの「拡張」は共同経済への侵食だったりする。それが「貧困ビジネス」といわれるものです。

企業が大きな内部留保を抱えつつ労働者に分配しないのは、競争競争力が主軸の社会になってしまっているから。内部留保はパワーであり、競争社会はパワーの奪い合いですから、大きなパワーを持っている者が有利なのは当たり前。これは、同じくパワーである軍事力の論理とまったく同じなのです。

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