愚慫空論

労働者の〈道徳〉

今回のエントリーは前回から引き続きで、労働者の〈道徳〉とはなにか? ということでした。

労働者の〈道徳〉とは――前エントリーからの用語を使えば――〈虚〉を〈実〉に変換すること、と定義できます。

“〈虚〉から〈実〉への変換”とは、別の表現で言い表せば“無から有を作り出す”、あるいはもっと簡単に言うと“生産する”です。これらの言葉で言い表される行為は労働者の道徳である以前に義務であり、また労働者にしかできないことでもあります。それらをまとめてここでは〈道徳〉と表現しているわけです。

(労働者が“無から有を作り出す”と考えるのは労働価値説で、ここでは労働価値説に拠っています。“無から有を作り出す”のは労働者ではなく自然であるという考え方もあって、重農主義のケネーなどがそういった考え方に立っています。私が考えるところでは、これら2つの考え方は基本的に同じです。違いは「無」と「有」の線引きの違いだけです。)

〈虚〉と〈実〉についてもう少し具体的なイメージを説明しましょう。たとえば、ある建物を建築する計画があるとします。この建築計画そのものは、いうまでもなく〈虚〉です。知的労働者は建物の設計図を作成しますが、これも設計図の段階ではまだ〈実〉とはいえません。完全に〈実〉になるのは、計画・設計に従って建物が完成したときです。

建物を建てるという一連の行程の中では、建築計画をプロデュースする資本家も設計図を引く知的労働者も実際に建物を施工する肉体労働者も〈虚〉→〈実〉という方向に携わっているという意味では同じ労働者です。ただ役割が分担されているだけです。しかし、実際の社会においては資本家、知的労働者、肉体労働者の間には「階級」が存在するようにも思えます。この階級は必ずしも労働者の〈道徳〉を阻害するものではないのですが、階級がそれぞれの役割分担の範囲を超えて各々の労働者の〈意欲〉を阻害するようになったとき、階級は「階級」として機能するようになります。

労働者の〈虚実〉変換には3つの要素が必要です。それは自然(資源)、時間、そして労働者自身の〈意欲〉です(資本や生産手段、労働者の肉体は資源に含めて考えます)。これら3要素のうち労働者の内側にあるもの、つまり〈道徳〉となりうるものは〈意欲〉だけです。建物を建設するという〈虚実〉変換において、資本家、知的労働者、肉体労働者の3階級がその〈意欲〉を共有して互いの〈意欲〉を阻害しすることなく互いにに向上しあうような状態、この状態が労働者の〈道徳〉としては最高の「状態」です。が、ある「階級」が〈意欲〉を独占するような状態に陥ると、他の「階級」は「疎外」されることになります。「疎外」とは〈意欲〉をわがものとできず他から強制される状態であり、〈意欲〉を強制される労働者とは奴隷に他なりません。

(各階級が〈意欲〉を阻害し合わないように導くこと――これがドラッカーが言うところの「マネジメント」でしょう。)

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ここでもうひとつ寄り道をして、共産主義について考えてみます。

共産主義とはどういった状態なのか、端的に表わすのが“能力に応じて働き、必要に応じて受け取る”という言葉です。この状態は労働者の連帯によって生み出される――これが共産主義の「革命思想」でしょう。

私は共産主義が想定するこの「状態」を支持します。一方で、この「状態」に至る過程を想定する「革命思想」は支持しない。なぜか? それは、資本家もまた労働者であり革命によって排除する必要などないからです。

労働者の〈道徳〉から考えてみましょう。労働者は〈虚〉を〈実〉に変換します。労働者が〈道徳〉にそって労働することで築き上げられるもの――小は労働者自身の日々の暮らし、大は小を支える社会です。つまり労働者は自身の日々の暮らしを支えると同時に社会をも築き上げている。労働者は“(社会を築くために)能力に応じて働き、(社会から)必要に応じて受け取る”ために労働する。それがもっとも高い意味での労働者の〈意欲〉です。

社会とはつまり、「〈実〉のストック」です。ただここで留意しておかなければならないのは、この〈実〉は“移ろいゆくもの”であるということ。言い換えれば〈実〉は〈虚〉に還ろうとする性質をもっているということ。時間とともに摩耗・腐敗してゆき、貯金することなど不可能、ましてや金利を取ることなど言語同断です。労働者の労働あるいは〈道徳〉とは、減耗して〈虚〉に還っていく〈実〉を〈実〉のまま留め置きつつより大きくすること、ということができます。

資本家が支配する企業は、いうなれば小さな社会です。企業という「〈実〉のストック」が労働者の労働によって大きくなれば、資本家はより大きく搾取することが出来るようになります。これは確かにそうです。が、企業も社会の一部です。このことを知らない資本家はいませんから、資本家も間違いなく労働者です。また、資本家がそれ以外の「階級」の者たちから搾取した資産も、ただ溜め込んで置くだけでは意味がない。そのことは資本家ほどよく知っていますから、その資産は投資に回される。投資された資産をもとに労働者は〈虚実〉変換を行ない、さらに社会を大きくする。〈意欲〉の共有さえ行なわれていれば、このような資本循環の過程は疎外をもたらすものでもなんでもなく、労働者の〈道徳〉に沿ったものだといえます。
(ただしそれは、その資本が〈実〉であるときに限っての話です。その資本に〈虚〉が混じるとどうなるかは、次回の話とします。)

念のためにいっておきますが、私は資本家がその他の階級の労働者を疎外してきた事実がない、と言っているわけではありません。その事実は確かにあったし、現に今でもあります。しかし、その事実は資本家が必ずその他の労働者を疎外するという法則を導くわけではない。モラルの高く企業の社会的責任をよく弁えている資本家ならば、疎外を行なわないこともありえるし、そのような資本家も世の中には少なからず存在することもまた事実です。

共産主義への革命思想は資本家を労働者の枠から閉め出し、資本の増殖運動は労働者を疎外するとして資本家と労働者が階級闘争すべきだと説きました。また、そうした思想に基づく国家も実際に建設されました。共産主義の前段階としての社会主義国家です。階級闘争の結果出来上がった社会主義国家で起きた現象は、これまたある階級による他の階級の疎外でした。疎外を行なった階級は知的労働者、端的にいえば共産党という官僚組織です。

社会主義は計画経済です。知的労働者が設計図を描き、その設計図に従って肉体労働者が社会を建設していく。史上初の社会主義国家ソ連では、ソ連という国家建設の意義が誰の目にもはっきりと映っていたとき、この計画は素晴らしい勢いで実現されていきました。〈意欲〉が共有されていたからです。が、すぐに〈意欲〉は共有されなくなり計画は肉体労働者たちを「疎外」していくものに堕ちていきました。

一部の階級の者が他の階級の者たちを奴隷として扱い搾取していく体制を〈帝国〉と呼びます。奴隷とは疎外され〈意欲〉を強制される労働者ですから、ソ連はまぎれもなく〈帝国〉でした。実際、ソ連にはノーメンクラトゥーラという貴族も存在していたといわれます。そうした貴族階級が存在するようになってしまったことは社会主義国家ソ連の失敗の象徴のようにいわれますが、それは違います。ソ連には初めから階級が存在していた。誤魔化して存在していないことにしただけのことです。ある階級が〈帝国〉を支配するようになれば、そこが貴族化するのは歴史の必然です。

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労働者の〈道徳〉と「階級」の間には、以上見てきたように、直接の関係はありません。「階級闘争」は、労働者の〈意欲〉を共有するためではなく、どの階級が他の階級を疎外するか、要するに支配権争いでしかありません。社会が大きく複雑になれば階級が発生するのは当然のことで、階級間で争うことは〈道徳〉に反することです。〈道徳〉に沿うのは、どのような階級に属するものであれ〈虚実〉変換の一翼を担う労働者として社会を大きくしていこうとする〈意欲〉を共有することです。

日本は一時、社会主義の理想にもっとも近い国だといわれた時期がありました。その時期に日本を特徴付けるのが「労使協調」です。この言葉表わすのは、「労(働者)」と「使(用者)」という階級があることを認めた上で、互いに〈意欲〉を共有(協調)しよう、ということです。また日本型社会主義には「官(僚)」という上位階級が存在しており、現在ではこの階級の貴族化が批判の的になっていますが、国民全体の社会建設の方向性がほぼ共有されていた時期では、「官」は社会の設計者としての役割を十分に果たしていました。この頃の日本は〈帝国〉ではなく、〈人民共和国〉であったということができます。

(〈日本人民共和国〉が可能だったのは、東西冷戦の構造化でアメリカ〈帝国〉の抑止力に“ただ乗り”することができたからでしょう。)

ここで少し「護憲」について触れておきましょう。9条を世界に輸出していくには、その相手国に「輸出品」を受け入れる下地を作ることが重要です。その「下地」が〈人民共和国〉ですが、今まで見てきた通り、〈人民共和国〉は「階級闘争」で建設できるものではありません。「階級闘争」は〈帝国〉を作るだけあり、〈帝国〉は9条を受け入れません。9条を受け入れる〈人民共和国〉とは、労働者の〈道徳〉に沿って建設された社会のことを指します。
(〈帝国〉が必ずしも国家ではないのと同様に、〈人民共和国〉も国家であるとは限りません)。

現在、世界を覆い尽くしつつあるグローバル化した資本主義経済システムは〈帝国〉になってしまっています。資本主義それ自体は〈人民共和国〉にもなり得る制度ですが、現行の〈中央銀行システム〉が創造する〈虚金〉が駆動する資本主義経済システムは、どうしても〈帝国〉になってしまいます。それも、労働者の〈道徳〉を限界まで利用する〈システム〉です(それができるのは、前エントリーでも言ったとおり、〈システム〉が〈道徳〉的だからです)。

次回は、〈システム〉が〈道徳〉的であるにもかかわらず〈帝国〉となる理由について見てみます。その理由は、前回の最後で指摘した“2番目”の理由でもあります。

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