愚慫空論

負債としての貨幣

もう一度、用語の定義をあげておきます。

〈実金〉――これは私たち労働者が普通に“お金”と認識している貨幣のことです。労働者は労働力を商品として売り、その対価として賃金を受け取ります。この賃金が〈実金〉。つまり〈実金〉とは労働の成果、マルクスの言い方でいえば「過去の労働」です。

〈虚金〉――偽金の意味ではありません。ホンモノだが〈実金〉ではない貨幣。これを〈虚金〉と呼ぶことにします。

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前エントリーであげたこの定義では、〈実金〉は「過去の労働」だが、〈虚金〉については単に“〈実金〉ではない”としただけでした。“ホンモノ”という意味は“〈権威〉がある”ということであり、素朴な労働者の貨幣観では〈実金〉=ホンモノになりますが、実はホンモノの中には〈虚金〉もある。「負債としての貨幣」とは〈虚金〉を端的に表わすものです。

そうはいっても少しわかりにくいかもしれません。「負債」と言われても、私たちはどうしても〈実金〉を借り受けたものを想像してしまうからです。が、これは銀行の本当の機能を知れば理解できるでしょう。

私たちは銀行に貨幣を預けます。この貨幣はもちろん〈実金〉です。銀行は預金者から預かった貨幣を企業や個人に融資します。私たちの“普通の”理解では、銀行に預け入れた貨幣は〈実金〉だから、銀行から貸し出された貨幣も〈実金〉にはずだ、というもの。が、それは違うのです。銀行から貸し出される貨幣には〈実金〉も混じっているがその大部分は〈虚金〉なのです。

もう少し具体的に説明しましょう。たとえば、銀行Aに100万円の預金が預けられているとします。この100万円は〈実金〉です。企業Bが銀行Aに100万円の融資を求め、Aが応じたとします。“普通の”理解では、預金者から100万円預かって100万円貸し付けたのなら、Aの金庫は空のはずです。ところが実態はそうではない。AからBに貸し出される貨幣のうち〈実金〉は10万円だけ。90万円は〈虚金〉です。ですからAの金庫にはまだ90万円の〈実金〉が残っています。では、90万円はどうしたのか? 銀行Aが作ったのです。銀行にはそれが認められているのです。この〈虚金〉を作ることを「信用創造」といいます。

(実際の信用創造の仕組みはもっと複雑で、発券銀行である中央銀行と複数の市中銀行のネットワークの中で貨幣が創造されます。)

(信用創造の仕組みは17世紀のイギリスで始まった「金匠手形(goldsmith's note)」が始まりだといわれています。金匠手形と信用創造については、動画『Money As Debt』が解りやすいので、ぜひご覧ください。 テキスト版もあります)

なぜこの〈虚金〉造りを「信用創造」というのか? その理由はこうです。銀行Aが企業Bに融資を行なうには、銀行Aの企業Bへの「信用」が必要です。その「信用」があると判断した銀行Aは企業Bと契約を交わし、貨幣を創造した上で融資した。だから「信用創造」なのです。
企業Bへの「信用」によって創造された貨幣は、言い換えれば企業Bの銀行Aへの負債として生み出された貨幣でもあります。ですから、上で述べたように〈虚金〉とは「負債としての貨幣」なのです。

このようにして創造された〈虚金〉は、中央銀行発行の紙幣として企業Bに融資されます。ですから〈権威〉あるホンモノの貨幣です。企業Bはそのホンモノの〈虚金〉を他の企業Bで働く労働者や他の企業への支払いに充てることができる。他の企業や労働者もホンモノですから信用して受け取ります。こうして〈虚金〉は経済のなかに流通していくことになります。

さて、ここで思い出してもらいたいのが前エントリーで取り上げた「国債の日銀引き受け」です。私は国家が発行する国債を日銀が引き受けて新たに貨幣を発行される貨幣は〈虚金〉だといいました(国債は国家の負債ですから、ここでもやはり「負債による貨幣」です)。そして〈虚金〉の発行は〈道徳〉に反するので貨幣の〈権威〉を傷つけることになり、ひいては〈システム〉を崩壊させることにもなりかねない。ところが銀行による〈虚金〉の発行では、貨幣の〈権威〉にはまったく傷がつかないように見えます。資本主義は信用創造を行なう〈中央銀行システム〉のもとで大いに発展を遂げてきた事実があるからです。これはどういうことなのでしょうか?

〈中央銀行システム〉による〈虚金〉発行がこれまでのところ上手くいっていた理由は2つあります。ひとつは〈虚金〉の発行と貨幣の〈権威〉が切り離されていることです。ホンモノの貨幣の発行は中央銀行、〈虚金〉の発行は民間の市中銀行と役割分担がなされています。そして〈中央銀行システム〉下では、貨幣システムの〈権威〉の動揺は民間の金融機関の危機として捉えられる。貨幣を権威づけている中央銀行・国家は、民間のシステムの救済という形で活躍する体裁になる。ですから〈権威〉の行動は〈道徳〉に反するような形には映りにくい。

そして2つ目の理由ですが、こちらの方がその理由としてはより大きなものがあります。それは簡単に言ってしまえば、労働者が自主的・積極的に〈システム〉を支えてきたということ。〈権威〉と〈虚金〉発行とが分離されて〈道徳〉が批判すべき焦点がわかりにくく欺されていた、というだけではなくて、〈システム〉の在り方が〈道徳〉的だったということです。

次は、この2番目の理由を詳しく述べるために少し寄り道をして、労働者の〈道徳〉について考えてみることにします。

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