愚慫空論

〈私〉自身への「不安」

久々にエントリーをあげたくなりました。

アキラさんちのエントリー、『「信頼」と「自立」を促すもの 前編』
こちらであれやこれやとコメントさせていただいているうちに、コメントでは物足りなくなってしまったという次第。

自分のブログを持っていてよかった(笑)


で、自分のエントリーでなにがいいたくなったのか? 

アキラさんのエントリーの趣旨は、人間(特に子ども)を育てるに当たって、人の心の中にどうしても生じる「不安」と「依存」から抜け出して「信頼」と「自立」を促すようにすべき、というもの。
人間はどうしても「不安」に苛まれる。その「不安」を取り除こうとして何者かに「依存」する。

では、その「不安」はどこから生まれるのか?

*********************************


〈私〉は〈他者〉を認識します。
  (〈他者〉とは、〈私〉以外の全ての存在のことです)

では、〈他者〉を認識する〈私〉とはいったい何なのか?

この問いに、ある一定の答えを出したのがデカルトでした。
すなわち、“我思うゆえに我あり”。

この「答え」は西欧人の世界観から生み出された「答え」です。なので、もともと西欧とは違った世界観を持つ私たち日本人にぴったりフィットする「答え」ではないのですけれど、どういう訳か、現在の私たちはこの「答え」を正解だと勘違いしています。それで、自分たちの世界観をこの「答え」に合せるよう修正しようとしています。

私たちが苛まれる「不安」のもとはこの「修正」にある、と私は思っています。

デカルトの「答え」は、次のような事態を引き起こします。
つまり、〈私〉を「思う我」と「“思う我”と思う我」の2つに引き裂くのです。

簡単に図に表わしてみると、下のような感じ。
(図では、「思う我」を〈私〉、「“思う我”と思う我」を〈私自体〉と表記しました)
私自体
〈私〉は〈私〉以外の〈他者〉を【外部感覚】によって認識します。
〈私自体〉は、〈他者〉を認識している〈私〉を【内的感覚】によって認識します。

「不安」の生じる場所は、〈私自体〉と〈私〉をつなぐ【内的感覚】です。
なぜならば、【内的感覚】は「私の内面世界」で生じるものであり、他の誰にも認識不可能な世界だからです。
“私は私である”、詳しくいうと“〈私〉と〈私自体〉は同じである”ということは、〈私自体〉にしかわからない。〈私〉=〈私自体〉を証明してくれる他者は存在しません。
その「不安」から逃れるために人は「依存」することになるわけですが、では、どこへ「依存」するのか?

依存先はひとつしかありません。すなわち【外部感覚】です。
【外部感覚】を「依存」できるものに仕立て上げようとする。
つまり【外部感覚】に確実性を求める。

この“【外部感覚】の確実性”を客観性といいます。
すなわち、〈私〉が2つに引き裂かれ「不安」に苛まれる人間は、客観性に依存するようになる。

また、客観性を確立する人間の能力は理性ですから、「依存」は理性にも及ぶようになる。
ここで生じるのが「理性信仰」です。

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では、この「不安」「依存」から脱伽するにはどうすればいいのか?

この先は、アキラさんの『後編』を待ってからにしましょうか( ̄ー+ ̄)

コメント

こんばんは

TBありがとうございました。

いやいや、脱却するには「新しい人」をそのように育てましょう・・ということで。 (^o^)
その過程の中で「古い人」たちも育てられますよ・・みたいな。

わたし=他者

 わたしVS他者の二元論の視点から、わたし=他者の一元論の視点へという方向性もあるかな、と思うのですが。
 つまり、他者との【内的感覚】の交流・交感を広げていって、一元論的世界を実感していくというか。
 

Re: わたし=他者

>  わたしVS他者の二元論の視点から、わたし=他者の一元論の視点へという方向性もあるかな、と思うのですが。

はい、そう思います。次のエントリーはその方向性で書いてみようと思っているのですが。

少し先走って書いてみますと、その鍵になるのが「身体」です。〈私〉にとって私の「身体」は〈他者〉ですが、それは特別な〈他者〉なのです。

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