愚慫空論

贈与経済のもうひとつの始め方

ここでは贈与経済=「減価する貨幣を基軸とする経済」と考えることにします。

まず触れておくべきは“もうひとつ”というところでしょう。“もうひとつ”というからにはすでにひとつということです。減価する貨幣に関心がおありの方はすぐピンと来ると思いますが、それは地域通貨です。減価する通貨は地方自治体や地域の任意の団体が自主的に発行する地域通貨とセットで語られることが多いです。

では、“もうひとつ”とは何なのか? いえ、実はこちらの方もすでに方々で語られていまして、それは電子マネーです。減価する貨幣と電子マネーとが親和性が高いということも、減価する貨幣に関心のある方はすでにご存知のことだと思います。
実際に企業が発行している電子マネーには有効期限があったりして、簡易的ながら減価する貨幣として機能しているものもあります。

しかし、そういった電子マネーが贈与経済を実現させているかというと、そうはなっていない。有効期限があるということは、消費への意欲を高める結果にはなったとしても、それはいまだ等価交換の枠内のことであって、贈与というところにまで飛び出してはいません。

このことをなぜかと考えたときに思いついたのは、有効期限が長すぎるということと、もうひとつは「定価」というものの存在が贈与への障壁となっている、ということです。「定価」とは外部基準であり、お金を支払うものが自発的に定めるものではない。ところが贈与はあくまで自発的な行為ですから、「定価」という外部基準があって人々がそこに疑問を持たないところでは、自発的贈与はなかなか起きてこない。そのように考えているわけです。

(もうひとつ付け加えるならば、そうした減価する電子マネーは企業から贈与されていることも原因の一つだと考えられます。ただ、これは贈与とはいっても無条件ではなくて、企業のマーケティングの一方法と見なされている。だから電子マネー保持者はそれを「特権」として捉えている、ということです。『ベーシックインカムの難点』でも述べましたが、人々は「特権」を贈与することはしないものです。)

では、電子マネーから「定価」を撤廃させる方法はあるのか? その方法があるというのが、このエントリーの趣旨です。「定価」を撤廃させる方法、それは“「定価」を定める”です(笑)

そういうと、“なんだ、冗談だったのか”と思われるかもしれませんが、いえ、冗談ではありません。“定価を転配するには定価を定める”は確かに端折った言い方ではありますが、冗談ではない。そのことをこれから説明します。

まず、新聞を思い起こしてください。仮に定価3000円としておきましょう。1ヶ月3000円の定価を支払えば、毎日新聞が宅配されてくる。その紙面には、さまざまな情報がパッケージとして詰まっています。新聞の「定価」は、個々の記事、個々の情報に付けられている価格ではなくて、新聞という情報パッケージに付けられている価格です。これは一冊幾らの雑誌でも同じことです。

雑誌などでよくあることですが、私たちは雑誌の中の特定の情報(マンガ雑誌なら、贔屓の作家の贔屓の作品)を見るためだけに、仮に雑誌の定価を300円だとすると、その300円を支払ったりします。雑誌の側は読者のそうした行動を見越して、まだ実績のない新人の作家を登場させ、300円という「枠」を使って育成したりします。

こうした新聞・雑誌の構造を簡単に図示すると、(図1)
もうひとつの贈与経済1
という感じになります。読者は定価を発行者に支払い、発行者から情報発信者へと報酬が支払われる。この場合、情報 ひとつひとつに「定価」がついているわけではなくて、個々の情報の値段ははっきりしません。
(図には表わしませんでしたが、発行者には読者以外に広告主からも収入がはります。読者は不特定多数ですが広告主は特定される。なので、新聞・雑誌などの発行者は広告主の意向に左右され、情報を発信する発信者に圧力を加えるという事態が起こりえるわけです。)

ついでに単行本のように情報発信者がひとり(もしくは特定少数)の場合は(図2) もうひとつの贈与経済2
となります。この場合、情報の「定価」ははっきりしています。

これら2つのかたちは、旧来の紙媒体を介しての情報発信のかたちです。そしてそのかたちはそのままネットにも引き継がれています。
(ネットの場合は、発行者の力が紙媒体ほど強くないので、どちらかというと図2の場合が多いように見受けます。有料発信のメルマガや「ビデオニュース・ドットコム」など。図1のケースは新聞・雑誌の有料配信ですが、あまり振わないようです。)

ですが、インターネットは新しい技術です。新しい技術で旧来のモデル(思考)を模倣してもあまり意味はないでしょう。事実、現在力をもちつつあるのは次のようなモデルです。(図3)。
もうひとつの贈与経済4

この図3には具体的な企業名(Google)と入れてしまいましたが、もちろんこのモデルを担っているのはGoogleだけではありません。が、「Google」と入れると一番ピンと来やすいのではないかと思います。 このモデルは、読者からお金が入ることはありません。基本的に読者は無料で情報を入手できる。大変に結構なことです。「Google」はさまざまな広告主からお金を集めそれを情報発信者に分配しますが、このIT技術に基づく「分配」は、等価交換でも贈与でもない、単に分配としか呼称のしようがないものです。
(あくまで個人的な感想ですが、私はこの「分配」にはどことなく不気味さを感じます。それは、金融工学といわれるものに対して抱くのと同種の不気味さです。ここには人間味といったものが全くない。にもかかわらず、それが経済の中軸の位置を占めてしまう。経済は人間の人間的な営みではないのか、と思ってしまいます。)

話が少々脱線気味なので、元に戻りましょう。話は贈与経済についてでした。贈与経済というのは、等価交換よりもずっと先、人類が社会的な生物と誕生すると同時に存在していたものでしょうが、そうした古い仕組みがネットという新しい技術によって復活する。こんなモデルが考えられると思うのです。(図4)

もうひとつの贈与経済3
図4は、「Google」が行っていた「分配」を読者自らが行う、というものです。私は先に、“「定価」を撤廃するには「定価」を定めればよい”と言いましたが、これがその図になります。“「定価」を撤廃するには「定価」を定めればよい”は言い換えれば“まず「定価」を支払って、その「定価」を読者が自身の意志によって分配する”ということです。

「定価」が想定され、消費者がその「定価」を受容して交換を行うのは等価交換です。ですので、図4のモデルでは、取引の第1段階は等価交換になります。図1,図2の取引はここで終了でしたが(図3では取引そのものがない)、図4のモデルはここでは終わりません。「定価」を読者自身が分解するという作業が入ります。つまり等価交換であったものを分解してしまうのです。

この「分解」に際して重要な点があります。分解されたものが減価しない貨幣として振る舞うようにしてはならないということです。分解された定価が減価しなければ、分解後の分配もまた等価交換になってしまいます。減価がなければ、読者には分配しないという選択肢が残ることになりますが、ここが問題で、この選択肢がのこればどうしてもこれを選択する人間が多くなる。そうなると、結局行き着くところは図3の無料モデルになります。

ですから、分解後は減価するものとして扱わなければなりません。言い換えれば、読者は定価格の減価しない貨幣を支払って定価額の減価する貨幣を購入する。減価する貨幣では分配しないという選択肢を選ぶ圧力が減り、読者は積極的に分配しきろうとするでしょう。

そして、ここが最も重要なことですが、この分配に際して基準になるのは読者自身のみです。読者が良いと感じれば分配比率を高くすればいいし、反感を感じれば分配を0にしてもよい。定価といった外部基準に頼ることなく、あくまで自身が主体的に自身の資源の配分を行う。それが贈与です。

減価しない貨幣が基軸の経済体制では、自身が主体的に配分を行うということがなかなかできません。貨幣の性質自身が分配しない選択を後押しするようになってしまっています。ですから人々は、どうしても生活上どうしても必要な交換に際して、等価交換という虚構(よく考えてみると何が“等価”なのか、本当は判断がつくはずがない)に依存するようになる。そしてその虚構を操作するものが経済を支配し、人々は虚構によって疎外されていくことになるのです。

減価しない貨幣が基軸の経済体制の中で減価する貨幣による経済を作ろうと思えば、まず「特区」を作る必要があります。「特区」なしでいきなり減価する貨幣を流通させようとしても、その取り組みはなかなか上手くいかないでしょう。図4のモデルは「定価」がその「特区」になっています。読者は自らの選択で「特区」へ入っていくことができる。ここがこのモデルの大きな特長で、地域通貨のように特定の地域に居住していなければ「特区」へ立ち入る機会が提供されないといったことはない。基本的にはネットに繋がっていれば「特区」へアクセスすることができる。

しかも「特区」へのアクセスが自由なのは読者だけではありません。情報発信者も自由にアクセスできます。紙媒体時代の図1・2では、情報を発信しようとする者は発行者の管理下に入っていく必要がありました。ネット時代の図3 ・4ではその必要がありません(図3も現行では特定の発信者に限られていますが、原理的には誰でも発信は可能です)。ですから、図1の構図のもとで生じる“マスゴミ問題”も原理的には生じにくいと考えられます。

今現在、図4のモデルを実現させるためのツールは揃っているはずです。であるなら、次に必要なのはツールを使う意志と能力を持った者が出現すること。果たしてその「出現」はあるのか、それ以前にここで私が示した「意志」が共有されることになるのか、甚だ疑問ではあります。「意志」が共有されなければ「出現」もありませんが、「意志」共有のためにはまず「意志」表示がなくてはなりません。

コメント

トラックバックありがおつございます。

すごいです、減価する通貨は主軸になっていませんが私もだいだい同じこと考えてます。
私が同様の事を考えていた際の重要なキーワードとして、『情報』はコピー可能であるということと、『真にオリジナルの情報等は無い』ということ、であれば、情報の価値は誰が決め、どうやって価値を分配すべきなのか?という疑問からのスタートでした。
勉強会当日はその一つの結論である仕組の解説とデモをさせていただきますので、是非聞いてくだされば幸いです。

さかまたさん

読んでいただいて、ありがとうございます。

>勉強会当日はその一つの結論である仕組の解説とデモをさせていただきます

はい。楽しみにしております。そういえば、プレゼンの資料が完成したと呟いておられましたっけ。

減価する通貨であれベーシックインカムであれ、大切なことはビジネスモデルとして通用することではないかと思うんですね。ビジネスモデルとして通用するということは、そこには人々を巻き込んでいく力があるということで、これまた贈与なんですね。

勉強会当日は、さかまたさんはじめ幾人かがプレゼンされると聞いてますが、皆様の「贈与」に期待するところ大です。

>地域通貨
香川の観音寺で、寛永通宝を使うようになるそうですね。
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20100222dde041040002000c.html
「気分」「雰囲気」を味わうために貨幣流通が促されるというのは、売買が単なる等価交換に留まらず、「気分」も上乗せされる一種の贈与なのかも知れません。

一枚三十円ということで、小学生が親しみやすく面白そう、とも(笑)。

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