愚慫空論

内心は「無」である

dr.stoneflyさんがまたもや「内心について」のエントリーをあげておられます。それを受けて、思うところをいくつか雑然と並べてみることにします。

『「語られる内心のベクトル」…と受け手の構え』

そのエントリーには、愚樵流図表の改良版が掲げられていますが、私はさらに改良せずそのまま拝借します。


これまでの話は、まず内心を抱える発話者がいることを出発点にして、発話者が内心を表現するときの志向性を考えてきました。つまり発話者が受け手を想定して為される表現が「私的」なのか「公的」なのか、といったような話でした。

ここで考えてみたいのは、〔発話者→→受け手〕という一方通行の想定ではなくて、受け手もまた発話者、つまり双方がメッセージのやりとりしてコミュニケーションを行う場合です。上のdr.stoneflyさんの図でいきますと、発話者のベクトルA or Bのメッセージを受け取った受け手は、今度は発話者となって、フィードバックA or B2をメッセージとして返す、という想定です。

このメッセージのやりとりには、4通りが考えられることになります。

1.ベクトルA→フィードバックA
2.ベクトルA→フィードバックB2
3.ベクトルB→フィードバックA
4.ベクトルB→フィードバックB2
(フィードバックAおよびB2は、それぞれベクトルAおよびBと同じ性質を持つものと考えます。)

このうち4つのうち、2.と3.は同じものだと考えてよいでしょう。つまり、発話者と受け手が入れ替われば2.と3.は同じことになるわけですが、発話者と受け手とが常に入れ替わりつつメッセージを発し合うのがコミュニケーションなのですから。2.と3.とは同じことだと考えて差し支えありません。

それでは1.のケースから見ていきます。コミュニケーションを為す双方が、相手を【private】な領域にいると捉え、「告白」を行い合うコミュニケーションです。このコミュニケーションは、私がこれまで「対話」あるいは「創発的コミュニケーション」としてきたものだと考えてよいでしょう。

参考:『創発的コミュニケーション』

また『贈与とハラスメント』では、下のような図を掲げましたが、

創発的コミュニケーション

この図が表わしているのも、やはり1.のケースです。

また『贈与とハラスメント』では、次のような図も掲げました。

ハラスメント

この図が表わしているのは、2.および3.のケースになります。コミュニケーションを為す片方が常に「告白」、片方が「正当化」。こうしたコミュニケーションを「ハラスメント」と呼んだのでした。

参考:『ハラスメント(1)』

それでは、4.のケースはどうなるのか。互いが互いに「正当化」しあうコミュニケーション、これを一般的に「討論」と呼びます。

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次に考えてみたいのが、「創発的コミュニケーション」「ハラスメント」の図に出てくる「学習」です。この学習とはいったいどういうことなのか? この問いに対する答えは、dr.stoneflyさんのエントリーでの、人生アウトさんのコメントにあります。

『「内心を語れ」…と敢えて言いたいのだが』より

Q.内心を語るとはなにか?

A.
ネットをやっていて、(特に若い人は)誰もが感じたことがあるでしょう。
「自分の気持ちなんか誰もわかってくれなかった。どんなに気持ちを語っても、勝手に括られて終わるだけだ」「ネットにはかろうじて、同じような仲間が集っている」

微分的に考えて、私達の気持ちというのはどこにあるのでしょう? 一秒前に考えた私と、一秒後の私が同じである保証はどこに?(なんか哲学ぽい)
言葉で闊達に語ることのできるブロガーは、しばしば他人の気分が理解できません。言うことがコロコロ変わる気分屋な他人が、まるでアホに見えます。
しかし、「言うことがコロコロ変わる」ことと「考えが長期間変わらない」ことの間には、性質的な違いはあっても優劣は存在しません。あなたの自我は、慣れない力仕事・慣れない長距離移動・慣れない食事・慣れない他人に曝された時、激しい分裂を経験します。考えがまとまらなくなる。それを避けるために、慣れ親しんだ殻で身を守ります。(ダウン症児を抱かないことで親は、身を守った)。派遣労働者やネカフェ難民は、日々この分裂の危機に曝されているため、長期的な自画像を保つことが困難です。
意識・内心というものは、食事・会話・運動が一定のメロディーに乗っている時にはじめて、「変化しつつも安定」した状態に保たれるのです。胡蝶の夢で言うなれば、蝶と私を行き来しつつある状態そのものが、「内心」。その変化、運動こそが自我の本質。(経済の本質が、金そのものでなく貨幣の流通過程にあるのと同じ)

(下線強調は愚樵)


“変化、運動こそが自我の本質”。私ならばここを「自我」ではなく「自己」としたいところですが、それはさておき、「学習」とは、「変化、運動」に他なりません。その「学習」が“「変化しつつも安定」した状態”で推移することが、双方のコミュニケーションのなかで実現される場合がケース1、つまり「創発的コミュニケーション」です。

同様に考えると、「学習」のないコミュニケーション、つまり「討論」は内心が変化しないで固定した状態で行われるコミュニケーションだとすることが出来ます。「正当化」とは内心が変化しないことを表わす言葉であり、また逆に「学習」によって内心が常に変化を続けるならば「正当化」をしようにも不可能でもあります。

さらに考えれば、「ハラスメント」は片方が内心固定、片方の内心が「変化、運動」するコミュニケーションの在り方だとすることができます。この場合、変化する方の内心は、不安定な変化しか行うことが出来ません。不安定な変化を強いられる方が、窮地に追い込まれていくことになるのです。

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さて、ここでまた新たに次のような図を提示してみます。

3P 告白と正当化

この図は実は、【personal】【private】【public】とした図の改訂版です。どこをどう改良したかと言いますと、まず、【personal】の赤円を赤と青の二重円としました。【private】の緑は赤に変更して、【personal】の内円から切れ目なく湧出するようなイメージにしました。【public】は色はそのままで、【personal】の外円から断絶しつつ湧出しています。

で、この図はいったい何を表わしているのか? まず二重円ですが、これは【personal】すなわち個人の内心の中の無意識な部分、意識的な部分を表わしていると考えてください。無意識な部分は赤い内円で「変化する内心」、意識的な部分は青い外円で「変化しない内心」に対応します。

赤い「変化する内心」は【private】領域に連続して繋がってゆきます。『「無垢なもの」は商品化される?』でお借りした内田樹の文章、あるいは私自身のエントリーでは『身体性=脳の拡張性』が、その連続性についての記述になっています。

またこの連続性は、別の言葉で言い表しますと、「空」ということにもなるかと思います。「空」と言いますと思い起こすのが<慈円のbr/>
「ひきよせてむすべは柴の庵にてとくればもとの野原なりけり」ですが、 赤い内円はつまりは「無」であり、【private】領域にある「有」と結びつくことで「自己=私」が生じます。自己たる内心が常に変化するのも、「有」から「無」へ向かっての動きがあるからで、私たちの意識(青い外円)が見ている私(=自我)とは、この動きを静的に捉えたものに他ならないというわけです。

そしてその青い外円ですが、これは自らを「有」だと思い込み、同じく「有」である他者と対峙することになります。ここでは「有」vs「有」ですから、必然的に断絶が生じることになる。この断絶の在りようが、私が以前「知的フレーム」と呼んだものになるかと思います。

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