終戦の日ではなくて
本日8月15日は終戦の日だ。“タエガタキヲタエ、シノビガタキヲシノビ...”という、あの玉音放送が62年前に流された、今日はそういう日だ。
私が多少ものを考えるようになってからいつも思うのだけれど、「終戦の日」というのは欺瞞だ。どう考えても「敗戦の日」である。昭和20年8月15日は日本国民に戦争は負けたと知らせた日であって、本当ならポツダム宣言受諾の詔勅がでた8月14日か、降伏文書に調印した9月2日が敗戦の日に相応しい。8月15日を戦争終結の記念日とするにしても、やはり終戦に日は客観的事実に反する。終戦とは勝っても負けても終戦であるが、大日本帝国は戦争に負けて無条件降伏をした。どう考えても今日は「敗戦の日」であろう。
しかし、本当のことを言うと、私には「敗戦の日」という名称も気に入らない。「敗戦の日」を「終戦の日」と呼び換えるのは「国家の論理」だが、これを「敗戦の日」としても、やはり「国家の論理」に基づく呼び名であることには変わりないから。
ではどういう名称にしたらよいのか、と考えてみる。しかし、これが思い浮かばない。「敗戦の日」のその後も、今日までずっと「国家の論理」は生き続け、私達はそのなかにどっぷりと浸かりこんでしまっているのがおそらく思い浮かばない原因なのだろうと思うが...。
「国家の論理」は未だ生き続けている。国家は必要悪でしかないが、それにしてもやはり必要ではある。だから生き続けているのだが、先の敗戦は、「国家の論理」を否定する論理も生み出された。それが憲法9条である。
考えてみれば、これは当然のことだろう。戦勝国アメリカは、負けたといえでも日本を恐れ、その恐怖ゆえか原爆を2発も投下し、日本が2度と戦争が出来ないよう弱体化させようと考えた。そして押し付けたのが9条の条文だ。国家にとって9条は論理の否定でしかなく、それを戦勝国が敗戦国に押し付けたのは、戦勝国の論理としては当然であろう。だが、9条は国家の論理の否定というだけに留まらなかった。日本国の国民は9条を広く受け入れ、「国民の論理」としたからである。
少し前に、とある大臣の“しょうがない”発言というのがあって、騒動になった。私は、あの“しょうがない”発言は、誤りではなかったと思っている。「国家の論理」の側に立てば、あれはあれで一つのスジは通っている。あの原爆投下で終戦が早まったのは事実だろう。敗戦が明らかであったにもかかわらず、まだ戦争を続行しようとする日本の国家の意思は原爆の使用で天皇が直接の危機に曝されことで挫かれ、そのことによりアメリカは軍の損失を少なくすることが出来た。
「国家の論理」に立てば、兵士は国の財産でしかない。原爆投下は、ただ兵力としてカウントされるだけのアメリカ合衆国の国の財産の減少を抑えるのに役に立った。日本国の側から見ても、国の財産である国民の被害を少なくすることが出来た。あるいはソ連に北海道を取られなくて済んだとか、見つけようと思えば原爆投下のメリットを見つけられなくはないだろう。しかし、そんなものは「国家の論理」からの味方でしかない。「国民の論理」に立てば、見方は180度違う。
“しょうがない”騒動で大臣が辞任に追い込まれたという事実は、日本国民の中に未だ「国民の論理」が生き続けている証だと私は受け取った。そして、喜ばしく力強いことだと感じた。あの騒動は感情的なものとする見方もあろう。しかし、あのときに広がった感情こそ「国民の論理」に基づくものであったわけだ。
戦後ずっと、「国家の論理」は何とかして「国民の論理」の力を削ごうとしてきた。また一方で、一部政党の論理のして「国民の論理」を利用する動きもあった。戦争を実体験した世代の人達が徐々に少なくなり、国家の、「国民の論理」への攻勢も強まり、いよいよ9条も危なくなってくるのかと思いきや、国民の中にはいまだ「国民の論理」が力強く息づいていた。
先の参院選で民主党は大勝した。その影で護憲勢力は減少してしまった。そうした情勢を憂う人も多いかと思う。だが、私は心配は要らないと思う。護憲勢力というが、所詮は国民の論理を自分達の論理として利用しようとしているだけのこと。むしろ護憲勢力という見方そのものが知らず知らずのうちに「国家の論理」に寄り添ったものなってしまっている。
確かに「国家の論理」は無視することはできない。未だ生き残り、より強力にさえなりつつある。「国家の論理」を消滅させることは難しい。また、その必要も無い。私達が示さなければならないのは、「国民の論理」は「国家の論理」の上に立つという、民主主義の当然の論理であろう。
追記:よく考えて見ると、前段での私の論理には誤りがあるようだ。「国民の論理」からすれば、「終戦の日」でよい。勝った負けたは「国家の論理」でそれを誤魔化すのも「国家の論理」だが、そんな論理とは関係なく「国民の論理」で見るなら、戦争は終わった、だから「終戦の日」でいいわけだ。
しかし、これは実に面白いことだ。「国家の論理」が誤魔化して出した名称と「国民の論理」がまっとうに出した名称が一致する。「国家の論理」と「国民の論理」が相反することが、このことからもよくわかる。
コメント
8月15日は盂蘭盆会
9条は天啓である
>9条は国家の論理の否定というだけに留まらなかった。日本国の国民は9条を広く受け入れ、「国民の論理」としたからである。
マルクスは国家とは軍隊等の暴力装置のことであると看破し、毛沢東は鉄砲から政権(国家)が生まれると言った。国家から色々な飾りを全て取り払っていけば最後に軍隊だけが残る。
人類の歴史上、国家無き軍隊は有っても、軍隊無き国家は無かった。
9条は神の領域に対する人類の挑戦とも言える偉業で、9条は天啓である。
宗教を遥かに越える奇跡の存在。
愚樵空論2006・7・10「9条が突きつける矛盾」記事のなかの書き込み、平和は生け贄を要求する!のです。
其れこそが9条なのです。
>平和は生け贄を要求する!
う~ん、でも、こうした考えはいやですね。「知の暴走」を感じてしまいます。
>原爆投下は日本軍向けではなく、対ソ連軍向けの恫喝行為
それこそ、国家の論理でしょう。“しょうがない”発言の主はアメリカの核の傘の下にいるという事実に感性まで埋没して、そうした発言をしたのでしょう。
>マルクスは国家とは軍隊等の暴力装置のことであると看破し
毛沢東がそういうのは理解できる気がしますが、マルクスほどの者がその程度の理解しかなかったかというのには疑問を感じます。資本をあれほどまでに理解したマルクスなら、国家、というより近代国家をもっと深いところで理解したか、もしくは誤解したはずだと思います。
近代以前の国家であれば国(=政権)とは暴力装置ということができたでしょうが、近代国家は暴力という要素だけではなりたちません。近代国家が成立したするのに貨幣経済は不可欠な要素です。マルクスはそのことを理解していたはず。
私は9条には先進性があると見ています(その点では2006・7・10の時点より考えは変化しています)。近代国家という枠組みを溶解させる可能性です。
国家=暴力装置
>近代国家は暴力という要素だけではなりたちません
近代においてもポルポト政権は貨幣経済を否定し暴力という要素だけで成り立っていました。ポルポトほど酷くなくても近似の政権はアジアアフリカ中南米には幾らでも見聞できます。
マルクスは国家の表面を覆っている色々な飾りや偽装を1つ1つ剥ぎ取って、全ての修飾物の無い無垢の国家の正体を明らかにした。
国家の正体とは、警察や裁判所、監獄、軍隊等の暴力装置に他ならない。
社会が発展した将来の未来社会では国家(暴力装置)は必ず消滅する。
国家は消滅し国家に変わって、自覚した市民たちによって平和で自由、平等なコミュニティーが作られる。
このようなコミュニティー思想のことをコミュニズム(共産主義)とマルクスは名付けています。
>歴史を科学的に研究した結果
その通りだと思います。それについては異議はありません。がしかし、それでも私の問いの有効性はまだ終わっていないと思っています。マルクスは国家の中にそれだけしか見なかったのか? という問いです。
ポルポトをはじめアジアやアフリカ等の国々を、同一時期に存在しているからと言って、近代国家として括ってしまうのはどうかと思います。あれらはどう見ても前近代的国家です。かの国々を動かしている経済は、現在はグローバリズムが急速に浸透して近代化されていっていますが、ポルポトの例で言えば、貨幣経済ではなかったはず。一部では浸透していても、国民経済の大部分はGNPやGDPといった概念では捉えられない自給自足的あるいは物々交換的な経済であったはずです。
9条の先見性
カラハリ砂漠やニューギニア高地、アマゾン源流の少数の裸族以外では自給自足的あるいは物々交換的な経済はもう残っていません。
>マルクスは国家の中にそれだけしか見なかったのか?
コミュニズムの究極的目標は国家の消滅です。『諸悪の根源は国家である』此れは間違い有りません。
無政府主義者は国家を無くせば簡単(自動的)に理想のコミュニティー社会が出来上がると考え、其れに対してマルクスは経済的、社会的進歩、成熟が無ければ理想社会は実現せず其れまでの過渡期は国家を人民(市民)が掌握することが重要と考えた。
国家権力を掌中に収めたコミュニストが今まで知らなかった国家の魔力に魅了されて、『国家の論理』を振り廻して結局破綻したのは歴史の皮肉です。
ソビエト崩壊の教訓から『国家の論理』を弱めようと中国当局が考えているなら現在の開放改革は成功するでしょう。
>9条には先進性があると見ています・・・・・・・・・・・・近代国家という枠組みを溶解させる可能性です。
指摘は全く正しい。完全に同意します。
だから国家中枢にいる自民党幹部や保守、財界が憲法9条を目の敵にするのです。国家の論理を守るのために9条を生贄に捧げたがっています。
終戦記念日は4月28日
サンフランシスコ講和条約を1951年9月8日日本側全権大使が署名、よく1952年4月28日に発効した。
一度始めた戦争はそう簡単には終わらない。
9月2日のミズリー号での署名は、日本軍降伏文書への署名に過ぎない。
8月14日はポツダム宣言受諾を連合国に通告した記念日。
8月15日は日本軍の統帥権を持つ大元帥裕仁天皇が降伏を内外に発表した記念日
9月2日は日本軍降伏記念日。
戦争が正式に終わるためには講和条約を戦争当事国同士で結ぶことが絶対条件。
それなら終戦記念日は4月28日
外国の例では半世紀前に終わっている朝鮮戦争は当時者が停戦協定しか結んでいない為、法的には戦争中といえる不安定な状態。米朝二国間協議による平和条約(講和条約)の締結が待たれる。
戦争は始めるのは簡単だが終わらせるためには途轍もない時間と労力を必要とする。
イデオロギーの逆転装置
東京裁判の被告として戦争責任を問われることもなく、退位によって戦争責任を認めることもせず、戦後憲法に天皇制が組み込まれたことで国体は護持され、一時的に身をかがめることはしたが昭和天皇は敗北することはなかった。
佐藤卓己,八月十五日の神話-タカマサのきまぐれ時評
http://tactac.blog.drecom.jp/archive/229
昭和天皇にとってのprivateな終戦の日をもって国民の記念日とするということは、靖国神社と同様のイデオロギーの逆転装置でありましょう。
一言だけ
Re:イデオロギーの逆転装置
イデオロギーの逆転装置!
なるほど、そういう捉え方ががあったわけですね。参考になります。
日本は天皇という一個人の【private】な日を【pubulic】なものにするのに何の抵抗もない、というよりそれが一種の「知」のあり方になっている国ですからそうした逆転現象を見出すのは、なかなか難しい。たいていの人はスキップしてしまうところです。
ところでリンク先のブログですが、興味深いことがとてもたくさん書かれているようです。時間もあることですし、じっくりと訪問させてもらいます。
初めまして
近代国家を溶解させること?そんなに国家を破壊したがるのでしょうか?9条信者さんたちは?
>国家権力を掌中にしたコミュニスト達が
それ以前よりコミュニズムは破綻したイデオロギーなのに往生際が悪いですね。現在の中国はどうです?超右翼的とも言える愛国教育を行っていますが何か?コミュニストは愛国者ではない、とでも言いたげですが、そう思っているなら正気を疑います。
ついでに言えば、確かに9条的(侵略戦争を否定する)条文を自国憲法に織り込む国は多いですが、自衛の戦力を否定する国はありません。9条信者は本当に憲法を知っているのか疑問です。
ましてや、些細なケンカでナイフを持ち出して相手を滅多刺しにする信者が現れるに至っては(爆笑)。
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8月15日の靖国参拝は仏教の盆の行事で国家神道的には春秋の大例祭がメイン。
欧米契約社会では軍艦ミズリー号で降伏文書に調印した9月2日でしょう。
一般の家庭でも親父が家の中で何かの決定を宣言しても、其の日が契約日ではないなら其れほど重要な日付ではない。書類に残った契約日が最重要日です。
核攻撃は日本の敗戦とは無関係。8月9日の閣議で100発程度の核爆弾の保有を予想していたが、ソ連に仲介してもらう考えに変わりはなかった。
降伏決定はソ連軍参戦が動機。ロマノフ王朝の最後を知っていればアメリカ軍には降伏しても良いがソ連赤軍だけには降伏したくない。
ルーズベルトはソ連軍参戦が日本軍降伏の切り札と知っていた。
ソ連軍には参戦して欲しいが後で大きな顔をして欲しくない。原爆投下は日本軍向けではなく、対ソ連軍向けの恫喝行為。