愚慫空論

近代的理性との訣別(4)

恥ずかしげもなく第4弾。

科学

第3弾の締めくくりは“「期待の合理化」が起こる別の例を示す”ということでした。そして、第4弾のサブタイトルは「科学」です。そう、“別の例”とは科学のことです。当エントリーは、科学を自律的理性と他律的理性の図式で語ってみたいと思います。

話をまずここから始めたいと思います。

天動説・概要

2世紀にクラウディオス・プトレマイオスによって体系化された。地動説に対義する学説である。地球が宇宙の中心にあるという地球中心説ともいうが、地球が動いているかどうかと、地球が宇宙の中心にあるかどうかは厳密には異なる概念であり、天動説は「Geocentric model (theory) (=地球を中心とした構造模型)」の訳語として不適切だとの指摘もある。なお中国語では「地心説」という。後述する、半球型の世界の中心に人間が住んでいるという世界観と天動説は厳密に区別される(しかし、日本語では、「天動説」という語が当てられたため、天上の天体が運動しているという世界観のすべてが天動説であると誤解されることが多い)。13世紀から17世紀頃までは、カトリック教会公認の世界観だった。

古代、多くの学者が宇宙の構造について考えを述べた。古代ギリシャでは、アリストテレスやエウドクソスは、宇宙の中心にある地球の周りを全天体が公転しているという説を唱えていたが、エクパントスは、地球が宇宙の中心で自転しているという説を唱え、ピロラオスは地球も太陽も宇宙の中心ではないが自転公転しているという説を唱え、アリスタルコスは、宇宙の中心にある太陽の周りを地球が公転しているという説を唱えていた。

それらの学説からより確からしいものを集め、体系化したのがプトレマイオスである。ヒッパルコスの説に改良を加えたものだと考えられているが、確証はない。地球が宇宙の中心にあるという説を唱えた学者はこれ以前にもいるし、惑星の位置計算を比較的に正確に行った者もそれ以前にいたが、最終的にすべてを体系化したプトレマイオスの名をとり、今なおこの形の天動説は、プトレマイオスの天動説とも呼ばれる。

天動説では、宇宙の中心には地球があり、太陽を含めすべての天体は約1日かけて地球の周りを公転する。しかし、太陽や惑星の速さは異なっており、これによって時期により見える惑星が異なると考えた。天球という硬い球があり、これが地球や太陽、惑星を含むすべての天体を包み込んでいる。恒星は天球に張り付いているか、天球にあいた細かい穴であり、天球の外の明かりが漏れて見えるものと考えた。惑星や恒星は、神が見えない力で押して動いている。あらゆる変化は地球と月の間だけで起き、これより遠方の天体は、定期的な運動を繰り返すだけで、永遠に変化は訪れないとした。

天動説は単なる天文学上の計算方法ではない。それには当時の哲学や思想が盛り込まれている。神が地球を宇宙の中心に据えたのは、それが人間の住む特別の天体だからである。地球は宇宙の中心であるとともに、すべての天体の主人でもある。すべての天体は地球のしもべであり、主人に従う形で運動する。中世ヨーロッパにおいては、当時アリストテレス哲学をその体系の枠組みとして受け入れていた中世キリスト教神学に合致するものとして、天動説が公式な宇宙観とみなされていた。14世紀に発表されたダンテの叙事詩『神曲』天国篇においても、地球のまわりを月・太陽・木星などの各遊星天が同心円状に取り巻き、さらにその上に恒星天、原動天および至高天が構想されていた。

更に天動説は、当時においては観測事実との整合性においても地動説より優位に立っていた。すなわち、もし地動説が本当であれば、恒星には年周視差が観測されるはずである。しかし、当時の技術ではそのようなものは見当たらなかった。

wikipedia 天動説 より 文中の下線強調は愚樵


天動説は、今日では非科学的な学説の代表選手としてあげられるものです。しかし、私は天動説を非科学とすることには若干異論があります。科学を「期待の合理化」であると考えるならば、実は天動説も立派に科学であるといえるのです。

では、それはどういう理路によるものか? 

“天動説は単なる天文学上の計算方法ではない。それには当時の哲学や思想が盛り込まれている。”

引用でも強調しましたが、ここが重要な部分です。この文章を「期待」という言葉を使って言い換えますと、次のようになります。 ”天動説は、当時の哲学や思想が求めていた「期待」に沿った天文学上の計算方法である。”

当時の「期待」とは、“地球が宇宙の中心である”という「期待」です。中世ヨーロッパを支配したカトリック教会の「期待」は、もっと具体的にイエス・キリストがこの世に生を受けた場所が宇宙の中心である”という「期待」。天動説は、この「期待」を具体的に体系づける学説、すなわち「期待を合理化」する学説であった、というわけです。

天動説に対抗する学説、地動説を唱えたのがコペルニクスだということはよく知られた事実ですが、しかし、コペルニクスは当時の「期待」に反することを怖れていた人物でもありました。

・・・
迫害を恐れた彼は、主著『天体の回転について』の出版を1543年に死期を迎えるまで許さなかった(彼自身は完成した書物を見る事無く逝ったと言われている)。

「天体の回転について」とローマ教皇庁

1616年、ガリレオ・ガリレイに対する裁判が始まる直前に、コペルニクスの著書「天体の回転について」は、ローマ教皇庁から閲覧一時停止の措置がとられた。これは、地球が動いているというその著書の内容が、聖書に反するとされたためである。ただし、禁書にはならず、純粋に数学的な仮定であるという注釈をつけ、数年後に再び閲覧が許可されるようになった。

wikipedia コペルニクス より 文中の下線強調は愚樵


要するに“「期待」を否定するものでありません”という条件付きで閲覧が認められた、ということです。当時の「期待」を真っ向から否定するのは、ガリレオの役回りということになります。

そのガリレオについては、こちらを取り上げてみます。

物理学

ピサの大聖堂で揺れるシャンデリア(一説には香炉の揺れ)を見て、振り子の等時性(同じ長さの場合、大きく揺れているときも、小さく揺れているときも、往復にかかる時間は同じ)を発見したといわれている。ただしこれは後世に伝わる逸話で、実際にどのような状況でこの法則を見つけたのかは不明である。この法則を用いて晩年、振り子時計を考案したが、実際には製作はしなかった。

ガリレオはまた、落体の法則を発見した。この法則は主に2つからなる。1つは、物体が自由落下するときの時間は、落下する物体の質量には依存しないということである。2つめは、物体が落下するときに落ちる距離は、落下時間の2乗に比例するというものである。この法則を証明するために、ピサの斜塔の頂上から大小2種類の球を同時に落とし、両者が同時に着地するのを見せた、とも言われている[1]。 この有名な故事はガリレオの弟子ヴィンチェンツォ・ヴィヴィアーニ(Viviani )の創作で、実際には行われていない、とされる。

実際にガリレオが行った実験は、斜めに置いたレールの上を、重さが異なり大きさが同じ球を転がす実験である。斜めに転がる物体であればゆっくりと落ちていくので、これで重さによって落下速度が変わらないことを実証したのである。この実験は、実際にもその様子を描いた絵画が残っている。

アリストテレスの自然哲学体系では、重いものほど早く落下することになっていたため、ここでもアリストテレス派の研究者と論争になった。ガリレオ自身は、たとえば、1個の物体を落下させたときと、2個の物体をひもでつないだものを落下させたときで、落下時間に差が生じるのか、というような反論を行っている。

wikipedia ガリレオ より 文中の下線強調は愚樵


ガリレオはカトリック教会の「期待」を否定しただけではなくて、アリストテレスの自然哲学の「期待」をも否定しました。“重たいものほど早く落下する”というのが、アリストテレスの「期待」です。

しかし、この「期待」はアリストテレスだけが持つものではありません。人なら誰しもが同様の期待をもつ。体積が同じである鉄の玉と木の玉を持ち比べれば、誰だって比重の大きな鉄の玉の方により大きな力を感じます。「大きな力」→「大きな速度」と「期待」するのは、人の持つ感覚装置の作りからすれば自然なことではあるのです。みんなが「期待」を共有したために“物体が自由落下するときの時間は、落下する物体の質量には依存しない”という「赤信号」は見落とされ、「期待の合理化」がおきた。そしてその「合理化」によって困る人はいなかった、つまり「赤信号」に恐怖を感じる人はいなかった。だから、アリストテレスの「期待」は長らく否定されることがなかったのです。

その事情は天動説でも同じで、カトリック教会の「期待」を「合理化」しても誰も困る者はいなかったのです。

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さて、話を冒頭に戻します。私は当エントリーの冒頭で、“科学は「期待の合理化」”だと言いました。そう言いながらその後示したのは、コペルニクスとガリレオがそれぞれカトリック教会とアリストテレスの「期待」を打ち破ったということでした。

コペルニクスとガリレオが「期待」を打ち破ることが出来たのは、この2人が示したのが「事実」であったからだ―― というのが一般的な科学観でしょう。それはその通りです。が、科学は誰もがご存知の通り、コペルニクスとガリレオで終わったわけではありません。その先もずっと進化を続け、今もその歩みは留まることを知りません。その、科学を進化させる要因が「期待」。なぜそうなるかというと、示された「事実」は完全ではなく未完成の「事実」だからです。未完成であるからそこ「期待」が生れ、「期待」が科学を進化させるのです。

コペルニクスとガリレオが示した「事実」は、ニュートンによってひとつの「期待」として体系づけられました。すなわち万有引力の法則です。

万有引力

万有引力(ばんゆういんりょく、universal gravitation)は、重力の一種で、質量を持つ物質・エネルギーなどが互いに引き合う引力である。

自然界に存在する基本的な力であり、アイザック・ニュートンがその普遍的法則を解明した。俗にニュートンが重力を発見したというのは間違い。電磁気力では引力と斥力があるのに対し、重力(万有引力)では引力しか存在しない。

重力と呼ぶ場合には、質量に加速度を与える力全般を意味する。重力には、地球自転の遠心力のような慣性の力や、一般相対論で予言される慣性系の引きずりによりる力も含まれるが、それらは万有引力ではない。

重力(または重力相互作用)の正体は、アルベルト・アインシュタインの一般相対性理論によって、質量を持つ物体が引き起こす時空の歪みであると説明された。これに対して、'万有引力'という用語は、ニュートンの定式化した重力の意味で用いられる傾向にある。ニュートンの万有引力の法則は、自然哲学の数学的諸原理(プリンキピア)においてニュートンが説明している。

ニュートン力学と重力

ニュートンは、太陽を公転する地球の運動や木星の衛星の運動を統一して説明することを試み、ケプラーの法則に、運動方程式を適用することで、万有引力の法則(逆2乗の法則)を発見した。これは、『2つの物体の間には、物体の質量に比例し、2物体間の距離の2乗に反比例する引力が作用する』という法則で、力そのものは、瞬時すなわち無限大の速度で伝わると考えた。式で表すと、万有引力の大きさFは、物体の質量をM,m、物体間の距離をrとして、・・・

wikipedia 万有引力 より 文中の下線強調は愚樵


万有引力は“自然界に存在する基本的な力であり、アイザック・ニュートンがその普遍的法則を解明した”。

この記述が正しいことを今日の私たちは知っていますが、同時にニュートンの解明が100%正しかったわけではないことも知っています。その100%でなかった部分がここ。

“力そのものは、瞬時すなわち無限大の速度で伝わると考えた。”

ここは後にアインシュタインによって、力の伝達速度も光の速度と同じであると訂正されました。ニュートンが想定した宇宙は「絶対空間・絶対時間」の均一な無限空間だったわけですけれども、この想定がニュートンの「期待」でしかなかったことは、アインシュタイン後の世界に生きている私たちにとっては既知の事実です。すなわち、ニュートンの「期待」を打ち破ったのがアインシュタインの相対性理論だったというわけです。

アインシュタインの相対性理論が発表される直前の物理学は、ニュートンの「期待」を実現させようと様々な仮説が唱えられていたようです。その代表が「エーテル」でしょうか。

カトリック教会の「期待」をコペルニクスとガリレオが打ち破ったのと同様に、ニュートンの「期待」はアインシュタインが打ち破った。カトリック教会の「期待を合理化」したのがプトレマイオスの天動説であったとするならば、19世紀後半の物理学の世界で探し求められたエーテルもまた「期待の合理化」だったと言ってよいはずです。そして、エーテルの探求は立派に科学的な行為です。迷信に基づいた非科学的な行為であったとの主張は誤りだとして退けられることでしょう。だとするならば、地動説も立派に科学的な学説であったといえるのではありますまいか?

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再び話を元に戻しましょう。

これまで見たとおり、“科学は「期待の合理化」である”とするならば、天動説も立派に科学ということができます。しかしその過程で同時に見えてきたのは、「期待の合理化」だけが科学ではないということでもあります。科学は「期待の合理化」と「期待の打破」の相互作用によって進歩するものだということです。その進歩はもちろん、現在も継続中でしょう。

そういえば最近、宇宙論の進歩について下記のようなニュースがありました。

謎の2粒子は正体同じ!?阪大教授が新宇宙理論

 ノーベル賞を受賞した南部陽一郎博士の理論からその存在が予測されたヒッグス粒子が、宇宙を満たす謎の暗黒物質(ダークマター)と同じものであるという新理論を、大阪大の細谷裕教授がまとめた。

 “二つの粒子”は、物理学の最重要テーマで、世界中で発見を競っている。暗黒物質は安定していて壊れないが、ヒッグスは現在の「標準理論」ではすぐに壊れるとされており、新理論はこれまでの定説を覆す。証明されれば宇宙は私たちの感覚を超えて5次元以上あることになり、宇宙観を大きく変える。

 ヒッグスは、質量の起源とされ、普段は姿を現さないが、他の粒子の動きを妨げることで、質量が生まれるとされる。一方、衛星の観測などから宇宙は、光を出さず安定した暗黒物質で満ちていると予想されている。細谷教授は、宇宙が時間と空間の4次元ではなく、5次元以上であると考え、様々な粒子が力を及ぼしあう理論を考えた。その結果「ヒッグスは崩壊せず、電荷を持たない安定した存在」となった。

 欧州にある世界最大の加速器(LHC)では最大の課題としてヒッグスの検出実験が行われる。ヒッグスが不安定なら、崩壊時に観測が可能だが、細谷理論のように安定だと観測できない。ただ、新たな実験手法で検証は可能という。

 一方、暗黒物質候補も09年末、「発見の可能性」が報告されたが、細谷理論と矛盾しないという。

 細谷教授は昨年8月に欧州の物理学誌に新理論を発表。秋に来日した南部博士にも説明した。南部博士は「今まで誰も気づかなかった見方で、十分あり得る」と評価したという。

2010年1月5日の読売新聞 より 文中の下線強調は愚樵


ダークマターだのヒッグス粒子だのといった内容は私にはさっぱりわかりません。が、下線を引いた南部博士の言葉は“科学は「期待の合理化」+「期待の打破」”だということが伺えます。すなわち、細谷教授の新理論は「期待の打破」となるかもしれない、ということです。“今まで誰も気づかなかった”というのは、“新しい「期待」”だということに他ならないわけですから。

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さて、かなり長々と続けてまいりましたが、未だに自律的理性・他律的理性の話には至りませんでした。続きは第5弾に回すことにしまして、第4弾はこれにて一旦切り上げることにします。

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