愚慫空論

“右”か“左”か

前回、『「情」が分離された時代』というエントリーを書いた。これは、瀬戸智子さんがうまく表現してくれたようにベートーヴェンを縦糸「知・情・意」を横糸に組み立てたものだが、私はこれを単なる「お話」として書いたわけではない。「情」が分離され「知」が暴走する時代とは、21世紀になっても私たちが超克できずにいる「近代」のことを象徴したつもり...、であった。

「近代」という時代の内側において、近代を超克すべく右と左に分かれて飽くなき論戦が繰り広げられているが、


>いわゆる左翼になるのか右翼になるのかは、内的価値観のバランスの微妙なゆらぎ(こだわり)によるもの
>右も左も「近代政治思想」であることに変わりはなく、自由競争的資本主義や貧富格差を嫌うことについても左右にそれほどの違いはなく、その解消ないし緩和手段が違うだけの話

晴耕雨読『左翼・右翼は思想政治運動をやっている人たちの「自己認識」と考えたほうがいいかもしれませんね』より引用)

との指摘の如く、所詮は「時代の内側」の中だけの議論に過ぎない。そうしたなかで、何がどのように揺らげば右になり、あるいは左になるのか、その点を少し考えてみたいと思う。


>ゲーテがベートーベンにすら眉をひそめたとすれば、ワグナーなどを聞いたらいったいどんな顔をしたことでしょうね

というのは、前回のエントリーにいただいたかつさんのコメントであるが、実は、ワーグナーがこのことを考える上でのヒントになる。

ワーグナーはベートーヴェンの弟子ともいえる存在である。二人の生きていた期間に重複はないので実際に師弟関係があったわけではないのだが、ワーグナーは、ベートーヴェンの作品を徹底的に研究することで彼の創作活動の基礎を築いた。ワーグナーはベートーヴェンに私淑したわけだ。
しかしながらワーグナーは、私淑とはいえ、不逞の弟子であった。ワーグナーは特にベートーヴェン後期の作品の研究に力を入れたらしいのだが、後期の作品こそベートーヴェンが、自ら分離してしまった「情」と「知・意」を融合させるべく心血を注いだ作品であった。だがワーグナーは、ベートーヴェンが「知・情・意」を統合すべく開発した音楽技法を、むしろ「情」の分離を更に進める方向で用いた。

もともと「情」というものは、かつさんが内田樹の言葉として指摘しているように、身体性が根本にある。「知の暴走」に慣らされてしまっている私たちは、「情」も頭脳の作用の一種であると考えてしまうが(それは間違いないのだが)、これも音楽の例でいうと、「知・情・意」が分離される以前の音楽は、踊りのための舞曲であり、行軍のための行進曲であり、またあるいはエロス(身体性を伴った性愛)を讃える歌曲であった(教会音楽は例外)。ところがベートーヴェンが一旦「情」を分離して音楽を何か観念的なものに仕立ててしまうと、ベートーヴェンの再融合の試みとは裏腹に、音楽はますます「情」を分離する方向へ歩んでいく。その流れを決定付けたのがシューマンであり(シューマンはその決定付けを音楽でではなく評論において行った、という点が重要である。当時のシューマンは音楽家としてよりも評論家として知られていたらしい)、その頂点に位置するのがワーグナーなのである。
ワーグナーが行ったのは、「情」の拠り所を身体性から知性へと置き換えたことであった。
暴走して巨大化し、虚構となった「知」を拠り所に「情」がさらに肥大していく。それがワーグナーの壮大な物語と音楽の本質である。

もし、ゲーテがワーグナーの音楽を耳にしたとしたら、「とうとうここまで来てしまったか...」とでも呟き、耳を塞いでしまっただろう。虚構の上に立って肥大化した「情」は、暴走する「知」にも増して恐ろしい。かのヒトラーがワーグナーの音楽を熱烈に愛好したのは有名な話だが、これもただ単にヒトラー個人の嗜好であったというだけのことではあるまい。民族の優越性という虚構、皇紀2600年といった虚構の神話に寄り添った「情」がいかなる結果を導き出したか、わざわざ指摘するまでもない。



「情」分離「知」暴走の「近代」を生きる私たちが、“左”に属することになるのか“右”に属することになるのか、その分かれ目は身体性を持った等身大の「情」を保持できているか否かにかかっているように思う。暴走する「知」が社会のシステムとなってしまっている「近代」では、等身大の「情」を保持することはなかなかに難しい。辛うじて保持できている者はその保持を維持せんがために“左”となり、不幸にも保持できていない者たちは“右”になる。“左”は「知」暴走社会に立ち向かうのに「知」の暴走を持って為そうとし、“右”は「知」の虚構の上で肥大化した「情」を持って為そうとするが、いずれの方法も「知」暴走社会に対しての有効な対抗策にはなっていない。


>“左”は理論尊重で“右”は行動尊重という傾向もあります。“左”は抽象的なもっともらしいことを言って人々を惹き付けようとし、“右”はそのような言動を胡散臭く感じる

再び晴耕雨読さんからの引用だが、“左”が抽象的でもっともらしいことを言うのは「知」の暴走の所為であり、「情」を基礎におく“右”からはその暴走性がよく見て取れ、「情」が蔑ろにされるように感じられる。だが“右”の「情」も立脚するのも「知」によって作り上げられた虚構の上でしかなく、“左”からはその虚構性が良く分かり、その「知」の危うさに危機感を持つ。互いに相手の暴走性・虚構性を非難するわけであるが、これらの批判が互いに届かないのは、それぞれが拠り所にする「知」と「情」がそもそも、互いに批判しようのないものだからである。

「知」と「情」が分離され、互いに非難しあうのは非常に不幸なことだ。「近代」を超克するには、「知」と「情」の融合が必要だ。

コメント

知の暴走

私にはこの記事の議論そのものが「知の暴走」のように感じられます(笑)
冗談はさておき,この記事で思い出すのが西部邁氏の,『(ソ連と米国の)冷戦そのものが,左翼の内ゲバだ』,という面白い議論です.私の想像ですが,(というのは西部氏の本を読んだことはないし,想像で書くのは申し訳ないのですが),西部氏は絶対王政を渇望していて,彼にとっては資本主義も社会主義も絶対王政を倒した敵なんですね.その敵に共通した点は,法治主義,すなわち『理性』なんです.それに対して絶対王政の大きな問題点は,その正当性(正統性?)です.なぜ,この王家が統治する資格があるか,という点.これを理性で決めることは普通は不可能です.だから,神話があるのですが,そこで彼は神話を受け入れるために『反理性』を持ってくるのだと思います.つまり『情』で受け入れよ,と.
完全なる想像,であることを念を押しておきます.もし違っていたらお詫びしますが,その時は削除なり,私の恥さらしのためにさらしておかれても構いません.
ところで,「近代化の問題」といった時,どのような問題を想定しておられるのでしょうか?早雲さんにもお聞きしたいところですが.いつの時代にも問題は存在したと思うのですが.

鋭いご指摘です!

>私にはこの記事の議論そのものが「知の暴走」のように感じられます

そうなんです。まったくその通りなんです。冗談でもなんでもなく、ご指摘のとおり、この記事そのものが「知の暴走」なんです。言葉で表現しようとすると「知の暴走」になってしまうのです。
これはジレンマです。私が一時、失語症に陥ってブログ更新を出来なくなってしまった理由が、実はこのジレンマでした。自分の感じていることを言葉にすればするほど、何か別のものになっていってしまうというジレンマ。これに足元を取られてしまって、しばらく前へ進むことが出来なくなってしまっていました。

papillon9999さんのご指摘に感謝です。こういったことは自分自身で指摘することもできるのですが、それだとなぜか救われない。何がどう救われないのか、今の私にはまだうまく言い表すことが出来ないのですが、他者にに指摘してもらってこそ、救われる。もちろん、救われるのは私です。

>西部邁氏の,『(ソ連と米国の)冷戦そのものが,左翼の内ゲバだ』,という面白い議論です
私も実は、まだ西部氏の主張を直接確認したことはありません。ですが、私もpapillon9999さんの想像の通りだろうと思います。
想像の通りであると仮定して話を続けますが、私の考えと西部氏の考えに違いがあるとするならば、私は「情」には適正な「大きさ」があると考えている点です。国家でも歴史でも伝統でも何でもいいのですが、そうした人間がもつ身体性を超えた「大きさ」の「情」は、私の考えではワーグナー的「情」、つまり肥大化した「情」です。「近代化の問題」というのは、近代以前はそうした肥大化した「情」が宗教の専売特許であったのが、宗教が衰退することによって「知の暴走」が普遍的になってしまったところにある、ということなのだろうと思っています。

丁寧なご回答ありがとうございます.「知の暴走」とはちょっと不適切ですね.「知の快走」に訂正させてください.
「人間の身の丈に合った」とは,たとえば今までの環境では,台風はせいぜい風速50メートルだったのに,環境が壊れていくと(つまり暴走すると),風速200メートルの台風がざらに発生するだろう,というのに似た恐怖なんでしょうかね.そういう意味はよくわかるつもりです.

愚樵さん、こんにちは。
何度かコメントをしようとPCの前で唸っていたのですが、結局断念してしまいました。ここにコメントを書いていたのですが長くなったので拙ブログでエントリーしてTBさせて頂きました。
今後とも宜しくお願いします。

話の腰を折るようで申し訳ないですか

私にとって今の社会は「知の暴走」では無く、『知の衰退』又は『知の劣化』に感じられる。
国家の最高指導者が救いようの無い知能程度。変わるべき次の候補も同程度。
此れが知の劣化、衰退以外の何ものでしょうか。
痴呆状態の自公連合の暴走に真正面から立ちはだかる日本共産党。ところが肝心の共産党が頼りない。30年近く前から破竹の党勢拡大が止まり今や停滞が常態化。負けても責任を取らない幹部は安倍晋三一人ではない。
現代社会に対してコミュニズムが社会科学の最高峰を自負し常に対案を用意していたが、今の確かな野党は対案とは言いがたい。

「知の暴走」は「知の劣化」ゆえ

>私にとって今の社会は「知の暴走」では無く、『知の衰退』又は『知の劣化』に感じられる。

そのご感想は間違っていないと思います。私の回答は新しいエントリーをご覧下さい。そちらにもぜひ、コメント賜りますよう。

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