愚慫空論

近代的理性との訣別(2)

力の入ったエントリーの第2弾(笑)

マーケット・メカニズムの「風景」

端的に下の図がマーケットメカニズムだと言っていいでしょう。

マーケットメカニズム

需要曲線と供給曲線の交点(=均衡点)で価格が決定される。需要と供給が均衡する場をマーケット(市場・しじょう)と呼び、マーケットで決定された価格は合理的であるとされる。経済学の根本原理ですが、この論理は先に述べた他律的理性(=近代的理性)の典型的なものです。このエントリーでは、自律的理性からマーケットメカニズムを眺めてみたいと思います。

自律的理性から眺めるマーケットメカニズムに「風景」を描写する前に、まず“自律的理性から眺める”ということがどういったことなのか説明する必要がありそうですが、その説明は少し難しい。いえ、言葉にしてしまえば要するに“「私」の目線で眺める”ということなのですけれども、たぶんこの説明ではピンとこないと思います。ですので、具体的に「風景」を描写することで、自律的理性とは一体どういうことを言っているのか、把握していただけたらと思います。

キーワードは「期待」です。

では、まず供給曲線を眺めてみます。

供給

財(物品)やサービスを提供しようとする経済活動。
生産者側の「売りたい」という意欲。 価格と供給量の関係を図示したのが供給曲線で、一般に右上がりの曲線である。これは価格が上がるほど供給量が増大することによる。

wikipedia『需要と供給』より

価格が上がるほど供給量が増大するのは、価格が高いほど生産者の利益が大きいから。利益が大きいと「期待」されれば、それだけ供給しようという意欲が増す。利益が大きいと「期待」できるなら生産供給への「意欲」が増すというのは一般的には言えることですから、供給曲線が価格の上昇につれて右肩上がりに描かれるのは「合理的」といえます。

が、この視点は、あくまで他律的理性によるものです。自律的理性によるならば、「風景」は違ったものになります。自律的理性では「期待」を理性的に眺めることになる。多くの者は「期待」に突き動かされて「意欲」を増大させるかもしれませんが、それはあくまで他人のこと。他人に同調して「私」も意欲を増大させるかどうかは別問題です。「私」には「期待」をどのように扱うか、選択する自由があります。

仮に「私」が価格が上昇しても利益は同じでよいと考えているとするなら、価格が上昇すればむしろ供給への意欲は減退することになります。供給量を増やすとなると労働量を増やさなければならない。労働量を増やすと労働時間が長くなり、自由に過ごせる時間が減ることになる。可処分所得より可処分時間の方が優先して考える人間ならば、価格の上昇が生産意欲の減退に繋がるのもまた合理的。「私」には可処分所得を優先するのか可処分時間を優先するのか、選択する自由がある。そう考えるのが自律的理性というものです。

ですから、自律的理性から供給曲線を眺めた「風景」は、供給曲線はあくまで「期待」の一般的なありかたというだけのこと。一般と「私」とは別次元の話だということです。そう思ってみると、右肩上がりの供給曲線を合理的だとする捉え方は、「私」を埒外に置くことによって成立しているということわかります。「私」を埒外に置く一方で供給曲線を合理的だと判断する「私」の理性がある。この理性のありかたを他律的理性と呼んでも間違いではないでしょう。

同じことは需要曲線についても言えます。需要曲線も自律的理性から眺めれば、価格が低いほど購買意欲が増すという一般的な「期待」のありかたを示す線でしかありません。「私」から眺めれば需要曲線が価格につれて右肩下がりに描かれることが合理的であるとは限らない。

以上のように眺めていくと、需要曲線と供給曲線の均衡点で価格が決まるという話は、決して合理的なものとは言えないということがおわかり頂けると思います。自律的理性からみたマーケットメカニズムの「風景」は、せいぜいが下のようなもので、そこには価格が合理的に決定されるという「均衡点」なるようなものを見出すことは出来ないのです。

マーケットメカニズム2
(図が汚くてすみません。私の持っているペイントソフトでは、ぼやけた曲線をうまく描くことは出来ませんでした。)

コメント

マーケットメカニズムという古い理論

古典的な経済学の「風景」を、改めて否定されていますが、合理的な近代が人類にもたらせたのは、飢餓と飽食と環境破壊しかなかったことは、自明の理であります。
それをあえて自律的理性で説明されたことに、敬意を表します。でも愚樵仙人の年代がしのばれます。古い価値観の否定を新しい切り口でとは、まさに「古い皮袋に新しい酒を注ぐ」作業ですか。新春ですね・・・。

おくればせながら

新年のごあいさつを、あけましておめでとうございます。ごぶさたしておりました。

さ~て、市場原理が「健全」にもっとも「機能」するのは、実態経済から乖離した博打の証券市場でしょうか。めまぐるしく変化する需要と供給の均衡点は秒単位でいとも簡単にモニターで見ることができます。

でもですねぇ、ナマの経済で市場原理の合理性が貫徹されたりしたら、とっても大変なことになります。
変動価格になるわけですんで、プライスカードをこまめ取り替えるか、いっそ時価ということになってしまいます。そんなわけで、爆発的に生産力がアップできる現代で、合理主義が導いた結論っていうのは、”独占価格”というやつです。おかげさまで、同等の性能&機能なら数社の商品を比較しても価格にたいした違いはないし、どこのコンビニでも同一価格なので意志決定が迅速にできたりします。

価格の決定権は独占資本のもとでは主観的にも客観的にも生産する側にあるわけで、貧乏人は我慢するか、在庫一掃の投げ売りを狙うか、低金利のローンを紹介してもらうかしかないです。トホホ・・・

毎度鋭いコメントをしておられる「反帝反スタ」のお方は真っ白か、ライン入りかちょっと気になるところではあります。

それはさておき、今年もよろしくお願いします。m(_ _)m

岩下さん、薩長さん

今年もよろしくお願いします。

***********

岩下さん

>マーケットメカニズムという古い理論

う~ん、確かに古いのですけど、いまだそれに置き換わる理論が出現していないところからみると、現役の理論でもあるんですよね。

>まさに「古い皮袋に新しい酒を注ぐ」作業

もうしわけありません。新しい革袋はこれから出していくつもりなんですが...。

ま、もっとも、「新しい革袋の新しい酒」が美味いかどうかは保障できません。おそらく、私以外、誰一人として飲めないシロモノになることでしょう(笑)

*********

薩長さん

>ナマの経済で市場原理の合理性が貫徹されたりしたら、とっても大変なことになります。

そうなんですよね。ナマの経済に存在するのは市場(じじょう)ではなく、市場(いちば)。市場(じじょう)市場(いちば)は、漢字の綴りが同じというだけあって振る舞いはよく似てますけど、似て非なるものなんですね。

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