愚慫空論

子どもは贈与

ここのところ贈与(と等価交換)について考えています。考えるだけ考えて、まだ上手くまとめきれずにいるのですが、そんなところへレヴィ=ストロースが死んだという報せが入ってきました。

レヴィ=ストロースといえば構造主義です。もちろん私ごときには構造主義について語ることができる何ものもないわけですが、レヴィ=ストロースが示した「親族の基本構造」「女の交換」といったところから構造主義という考え方が出発したというところくらいは、初歩的な知識として一応知ってはいます。

「女の交換」とは、つまりは女の贈与です。適齢期の男が別の親族から女を譲り受ける。その夫婦に娘が生まれると、今度はその娘を別の男に譲り渡すことになる。「交換」といっても相手も時期も違うわけで、ふつう「交換」と行ったときにイメージされる同時性は「女の交換」にはありません。

この「女の交換」は、近親相姦の禁止というタブーを守るためというのがレヴィ=ストロースの説明です。ですが、実は私は、以前からその説明にはどこか釈然としないものを感じていました。近親相姦の禁止のタブーは人類普遍的な原則であることは間違いないでしょう。そこに異を挟むつもりは毛頭ない。ただ、そういった「禁止」だけ、つまり消極的な理由だけで女性を贈与するというのがどうも感覚的にしっくりと来ない。

贈与とは、つまるところ It's my pleasure です。それはわが喜び。積極的なんです。人間は、自らの大切な者に与える喜びを獲得するために労苦を厭わない。それは、原始社会であろうが現代社会であろうが変わらないように思えます。では、女の贈与に何の喜びがあるというのか。父親が娘を他の男に譲るのが、原始社会では It's my pleasure だったというのでしょうか。ここがどうにもピンとこないのですね。

ところが最近、贈与についていろいろと考えている中でふと思いつきました。贈与(It's my pleasure)なのは、男同士の「女の交換」なのではなくて、子どもなのではないか。女が子を産み、その子を男へ贈与する。「女の交換(=女の贈与)」は、女から子どもを贈与してもらうための、贈与のための贈与なのではないのか。

男は子を生むことはできません。子は産めないが、子孫を残すことへの願望はもしかしたら女性以上かもしれない。男は、子孫を残すためには、女性に子どもを産んでもらうしかない。女性が子どもを産むことを「男への贈与」と捉えるのはオカシイと感じる向きを多いかと思いますが、大切なパートナーの子を産むことが女性にとって It's my pleasure であるというのであれば(そうだと信じますが)、それは贈与の要件のひとつを満たしていると言えるのではないでしょうか。

贈与のもうひとつの要件については、これを所有権の移転と考えれば、子どもの誕生は贈与の要件を満たしません。ですが、贈与を受ける側の状態が無から有へと変化すると考えれば、子の誕生も贈与の要件を満たすと考えることができるでしょう。

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