愚慫空論

庶民の見る夢は「悪夢」か

今回のエントリーは、前回の「結局、勝利したのは保守」へ頂いたコメントへの返答として、アップしました。同じコメント欄で返事をさせていただけばいいのだけど、それで済ましてしまうにはもったいないほどに示唆に富んだコメントをいただいたので、新たにエントリーを設けさせてもらうことにしました。 >あくつですさん
成田、石橋時代には夢があったのですよね。「いい世の中を作ろう」という。
かつさん
そこにかつてマルクス主義が「科学的社会主義」と自負しえた根拠があったのだと思います。(マルクスが「夢」を描いたという私の意見に対して)
>布引洋さん
『庶民を突き動かす夢』なんて其れこそ夢でしかありませんよ。

お三方のコメントの一部を挙げさせてもらいましたが、意見が割れて、あくつさん&かつさんVS布引さんの対決の構図になっています。
布引さんはさらに、
夢や理想や主義で動くのはインテリ知識層か生活にゆとりがある中産階級の人だけですよ
と指摘されていますが、たしかにそれは当たっていそうです。あくつさん、かつさんが賛同してくださったのは理想や主義に彩られた夢で、日々の糧に精一杯の庶民にはなかなか描けない夢なのかもしれません。

しかし、本当に庶民は夢を見ることはないのでしょうか? そんなことはないと思うのです。
昔の例を挙げれば、「満蒙は日本の生命線」という宣伝文句に踊らされ、新天地での新たな生活を夢見て、「オレは満州に骨を埋める覚悟だ」なんて言いながら満州開拓団に身を投じた人たち。歴史は繰り返すのでしょうか、最近の例では、「戦争は希望」といい、戦争や革命でも起きなければ現在の権力構造は変わらない、だから改憲を望み、自ら戦場に赴く覚悟もある、なんていう貧しい若者たち。
こうした者たちの行く末は哀れなものですが、けれど、この人たちだってこの人たちなりに「夢」は描いているわけです。「悪夢」ですけど。そんでもって、「悪夢」だって集まれば、現実のパワーとなりえる。そんな例は歴史にいくらでもある。
もっとも、こうした人たちの「夢」は、一皮向けば、金なんでしかないのは事実。満州へ行けば儲かるだろう。兵隊になればお国が雇ってくれるから収入は安定するだろう。
命よりも金。う~ん、やっぱり哀れ...。


この世の中、なにか間違ってるよな。生活にゆとりのあるインテリが「いい世の中」を夢見て、「いい世の中」になれば助かるはずの貧者が「悪夢」に苛まれる...。
でも、貧者の「悪夢」が貧しさ故の無知から来るとするなら、やっぱり「いい世の中」は必要なんでしょう。でもでも、なぜか庶民はインテリの臭いが嫌いなんですね。夢の中身なんか関係なしに、その臭いだけで拒絶反応を示してしまう。そのあたりがたぶん、社民党・共産党が、市民の欧州と違う庶民の国、日本で確固たる地位を築くことができない理由なんでしょう。逆に公明党が確固たる地位を築いている理由なんでしょう。

やっぱりこれもジレンマですね。庶民のジレンマとでも言えばいいでしょうか?そして庶民も市民も、よって集まるとやっぱり「いい人」のジレンマに陥ってしまう。いったいどこでボタンを掛け違ってしまうのでしょう? 私はそれが知りたい。



内田樹さんは、これから注意して見てみようと思います。かつさんのところへのコメントに私も布引さんと同じようなことを書きましたが、能天気であろうが何であろうが、私が知りたいことの、回答とまで行かなくても、ヒントだけでも頂けたら儲けものです。


>札幌運転所隣人さん
国政と会社を対比させるのは、甚だ強引
ではないと思います。というのは、会社も(近代以降の国家の)国政も、作動原理は貨幣だからです。国家の場合には暴力装置という側面が重要で、これは企業にはない要素ですが、近代以降は、少なくとも内政においては貨幣の作動原理の方が大きな役割を果たしています。ですから、国政と企業が同じような経営にいたってしまうというのも、ある意味当然ではあるのです。

山が動いたマドンナ選挙の時
そのころ私は山にばかり籠もっていて、下界の出来事にあまり関心はありませんでした。でも、マドンナ旋風にあまりいい感じは持ってなかったな~。マドンナ代表が土井たか子じゃねぇ(笑)。

コメント

なるほど

あくつさんが書いていた成田、石橋というのは旧社会党の委員長のことだったのですね。
私は最初、成田とは三里塚のことだと思っていたので、その次の石橋というのがなんのことだか、分かりませんでした。
歴史が大きく動くのは、良くも悪くも庶民が夢を持ったときだということは、そのとおりだと思います。

少しの異論

こんばんわ.スルーしようかと思いましたが,ちょっとだけすみません.
1.この記事の題目が変ですね.庶民は悪夢なんて見ないでしょう.ユートピアではないですか? 問題になっているのは,庶民が見させられる,抱かされる夢のことだと思います.庶民が見させて欲しいのはユートピアですが,夢を提示する方が実現不可能なことを知って提示したとすれば,これは一種の詐欺です.見させられた夢は幻想というべきです.夢を提示して欲しい,と庶民が願っても,その中身,内容を吟味しなければそれは害にしかならないでしょう.
2.『間違った理論というレッテルが貼られてしまったマルクス』とありましたが,ほんとにそういう事実があるのでしょうか.すべて正しい,とは言いませんが,経済学というよりは歴史・社会学での貢献は偉大だと思っています.(全然勉強してないのでこれは自信がありません.すみません).しかし,学術上,間違った理論,とされているのですか?政治的にですか?
3.『革新政党は夢を提示しなかった』,とのことですが,それこそ,『格差をなくす,世の中の不平等をなくす』,という“夢”を提示していたのではないでしょうか?恐らく愚樵さんはこういう“夢”はお嫌いなんだと思っています(偽善的だから).私も幻想だと思っていますが,こういう夢は大好きです(偽善的であっても).
4.内田樹(うちだ なんと読むのでしょう?)という人の記事を読んでみました.こんな記事に多くの関心が寄せられるなんて信じられませんが,この記事に関して『人はパンによって生きるにあらずですが、されどパンなくして生きることあたわず、です。』と書いておられますね.これには大賛成なのですが,『格差社会の是正』というのは『「もっと金を」』(という要求だ),という内田さんの主張を是認しておられますね.これはちょっと見過ごせないと思いました.結果的にはそうなるかもしれませんが,このような言い方は,『従軍慰安婦の謝罪要求というのも“もっと金を”に帰せられる』というぐらいの歪曲だと思います.(『従軍慰安婦』という印籠を使いました・・すみません)

一部表記を訂正しました

>papillon9999さん

1.について
私が使った悪夢という言葉と、一般的に使われる悪夢とでは意味にずれがあります。一般的には見ている最中が悪い夢を悪夢といいますが、私の悪夢は見終わった後が悪い夢という意味です。どちらも論理的には悪い夢、悪夢に変わりがないはずですが、表記としては「」つきで「悪夢」とすべきでしょう。本文を訂正させてもらいます。
で、ユートピアですが、これは「いい世の中」ですよね。庶民は自らがユートピアで暮らすことは夢見ますが、ユートピアを建設することを夢見ることはないと思います。だから、騙されるのでしょう。建設するなら中身は当然吟味しなければなりませんが、ただ住みたいだけですから約束される条件に注意を払うだけです。けれど、こうした約束にはウソが多い。なにもユートピアに限りません。

2.について
マルクス理論が間違っていたかどうか、私も詳しくは知りません。けれど、それでよいと思っています。問題は「レッテル」だからです。中身を吟味することなく張られてしまうのがレッテルでしょうから。ソ連崩壊は、そうしたレッテルの信憑性を増してしまいました。
政治的というのは、そうだと思います。

3.について
『格差をなくす,世の中の不平等をなくす』はユートピアを建設する“夢”ですよね。今は庶民も格差の問題を口にしますが、あれは“私はユートピアにいない”といっているだけに過ぎないように思います。

>恐らく愚樵さんはこういう“夢”はお嫌いなんだ
いえいえ、そんなことはありません。大好きです。ただ、平等なんてものは、追い求めれば追い求めるほどその正体が掴めなくなってしまい、袋小路に陥ってしまうものだと思っているのです。幻想ということですね。だから、明確な基準を設けず、こんなもんでいいだろうという、それこそユートピア建設の条件を吟味しない庶民的感性が重要と思っているのです。
ここのところのエントリーで私は庶民を腐すような文章を書いていますが、庶民が嫌いなわけではない。意識的な市民よりも好きですし、ユートピアは庶民的感性に基づかないと建設できないと思っています。けれど庶民はユートピア建設は夢見ない。庶民のジレンマと言った所以です。

4.について
>『格差社会の是正』というのは『「もっと金を」』(という要求だ),という内田さんの主張を是認
私はこの主張を“当たり過ぎている”つまり“過ぎたるは及ばざるが如し”と受け取ったつもりなんですが、こう言い換えればご理解いただけるでしょうか?

ひとつだけ

いろいろご回答ありがとうございます.一つだけ,説明させてください.2についてです.2の趣旨は,「マルクス理論が間違っていたかどうか」ではなく,「そういうレッテルがほんとに貼られているのだろうか」ということです.「そういう事実」というのはレッテル貼りのことなんです.なぜそんなことを気にするかといえば,印象操作(イメージ誘導?)を心配したからです.読んだ人は,「もうマルクスは終わっている」という印象を受けるのではないかと.これに似たことが,最後の「マドンナ代表が土井たか子じゃねぇ(笑)。」という部分にも感じたのです.マイナスイメージがそっと刷り込まれるような感じがです.
土井たか子の場合,今振り返ったら「土井たか子じゃねぇ」と言えますが,選挙当時はこれからすごいことをやってくれそうだ,という期待感に満ち溢れていたと思います.
いろいろ考えすぎて申し訳ありません.

夢を壊す年寄りの一言

その昔、私の娘が13歳ぐらいのころの話『人は何の為に生きているの?』と祖母に聞いた。その時私の老母は『食べる為じゃ』と孫娘に答える。
あまりの答えに其れを聴いた娘はショックの為にしばらく立ち直れなかったらしい。
なけなしの金品を日本軍に強制的に供出し、全財産は米軍の空襲で失い、敗戦でようやく平和になってからは最後に残った金も金融封鎖で日本政府に騙し取られる。全てを失って飢餓線上を彷徨えば平時では見えないものも見えてくる。
政府が必要とあらば国民に対して、踏んだり蹴ったり、極悪非道あらん限りの悪事を働く。
ほんの60年ほど前の日本政府の本当のの姿を目の前にすれば誰にでも真実が理解できる。

マドンナ選挙の実態

バブルに人々が浮かれ騒ぐドサクサに紛れて自民党が3%の消費税を導入すると日々の買い物で庶民の財布を直撃する。
直後にあった参院選挙で自民党は、今回と同程度に惨敗。消費税に一番反対していた共産党は選挙直前に起こった天安門事件の煽りを受け今回と同程度に惨敗する。社会党の大勝利、一人勝ち。
何やら出来の悪い、同じ映画のリメーク版を見せられている気分です。
丸山珠代より出来の悪い社会党女性候補が次々トップ当選する。
何故社会党に女性候補が多かったか言うと立候補する為には仕事を辞めなくてはならない。社会党には辞めても良いような半端モノ候補しか集まらなかった。
大阪では泡沫候補でしかなかった部落解放同盟書記長の谷畑孝が社会党としてトップ当選。現在は自民党衆院議員、社会党から自民党に直接鞍替えしたのはこの人物唯一人。

マイナスイメージがそっと...

>papillion9999さん

>「マイナスイメージがそっと...」
には、ギクッとさせられました。そのように指摘されれば、その通りとしか言いようがありません。
>「もうマルクスは終わっている」
私の持っているイメージは、そういうイメージがすでに一般認識になってしまっている、というものです。ですから厳密に言うと、それは私自身のイメージではありません。ただ、何の注釈もなくそう書き記すことは、そうしたマイナスイメージをさらに一般化する役割は果たしたかもしれません。

ふう、言葉は難しい...

もうひとつ、土井たか子さんについてですけど、本文中に書いたとおり、私にとっては「今振り返ったら」ではなく、その当時の印象そのままです。そしてたぶん、この印象は土井たか子本人へのイメージだけではなく、「マドンナ」などとイメージ操作を行っていたマスコミに対する反感から出たのだと思います。
それにしても、これもそのままの形では、言われるとおり、旧社会党へのマイナスイメージになっていますね...。

>布引さん
「夢を壊す年寄りの一言」は、ちょっと真意が汲み取れません。

娘さんとお祖母さんのやり取りは、失礼ながら、笑ってしまいました。私には何とも微笑ましい風景のように思えましたから。

お祖母さんの答えは真実を衝いているでしょう。それはとても大切なことで、この真実を誤魔化したり隠蔽したりすることは許されません。
けれども、話が夢ということなると事情は少し違うのではありますまいか。というのも、娘さんにとって、その真実を知ることが幸せかどうかとなると、かなり微妙だからです。
知らなければならない真実であることは確かです。ユートピアが築かれるにしても、この真実が忘れられてしまうならば、それは砂上楼閣でしかないでしょう。
ただ、直ちに知ることが幸せかというと、疑問です。娘さんが期待したであろう答えと返ってきた返事とのギャップは大きい。布引さんの娘さんはそのギャップを一人で乗り越える力を持っていたのでしょうけど、みながそうとは限らない。中にはそのギャップを埋めるのに周囲の助けが必要な場合もあります。今の社会は、そうした「助力」を自ら提供しようとする土壌がやせ細ってしまっているわけです。そうしたものは国に押し付けてしまっています。
庶民は、目先の利益につられて動いてしまうという側面を持つ反面、「助力」を自ら提供しようとする情も持ち合わせています。庶民が持つ情の部分に夢を提供することはできないか。それがまた、私の夢でもあるわけです。

ブログ主様
「国家の場合には暴力装置という側面が重要」、深い表現に感
じました。企業組織も遠からずです。その第一義的な存在目的
は利潤追求と儲け(富)の配分にある訳で、ほんとから言った
らこれらは社会正義とはトレードオフの関係ですので。
現代企業の多くはその経営理念にコンプライアンス遵守を挙げ
ているでしょう。そんななか、いま企業組織に階級闘争の理念
なりを持ち込むのも理に適っていません。しかしながら企業は
それこそ一夜にして顧客満足度の追求なり、従業員の幸福度な
りを掲げるようになった訳ではない。過去の諸般の理念(場合
によっては闘争)の積み重ねによるものです。
同じく、国家権力=絶対悪だとは思いませんが、側面として
意識することは重要に感じます。

次に本文及びコメント各箇所の「夢」についてですが、これを
企業理念に置き換えるのはこれこそ強引かもしれません。
しかし、よき理念はあらゆる立場、条件の従業員を巻き込むこ
とが出来得る。またそれは、末端の従業員の働きによってかた
ちになります。ひとつのループです。インテリ・庶民、強者・
弱者。それら存在は現実でしょうが、後者は必ずしも夢を与え
られるだけの側ではなく、また、後者の結果は「悪夢」だけと
は思えません。

マドンナ選挙について。
当時、時代背景といいましょうかいろいろ諸事情によったので
しょうが、マスコミの女性迎合志向も少々行き過ぎだったと思
います。肝心の女の人が踊らされちゃってた印象です。
結局、いま、何が残ったのか(勿論あるとは思うが)よくわか
りません。いずれにせよ、熱狂はあまりよろしくありません。

>後者は必ずしも夢を与えられるだけの

弱者である庶民が強者から与えられた夢はすべからく「悪夢」であったといっていいと思います。100%そうだと断定できる自信はありませんが。
だからといって、庶民が自ら夢見ないというわけではない。人間は夢見る存在なんですから。
けれど、庶民は自ら見る夢を発信することはない。たとえば思想などという形で体裁を整えて、広く世の中に宣伝するようなことはしない。庶民の夢は、あくまで自らのための夢です。

思うに、発信しないということろがキモなのでしょう。いくら弱者に寄り添ったつもりでも、強者は知らず知らずのうちに自らの夢を弱者に押し付けてしまう。それは「知」です。庶民は「情」から自らの夢を描きますが、いつも「知」に言い負かされてしまいます。ここに近代以降の社会の問題点があると思うのです。

飢餓を実体験している世代

今の子供たちは母親に食事を『食べなさい』と叱られている。
私の子供のころは親に食事を『食べさせないぞ』と叱られるのが普通。
この差は大きい。
内田樹なんていう御馬鹿が学者サマをやれるのも、この差を理解していない証拠。
「格差は気持ちの持ちよう」などの寝言は、北九州市で御握りが食いたいと言って餓死した男にとってはどの様に聞こえたろうか。?
昔話にこの世で一番怖いのは『フルヤノモリ』と言う話がありますが、古屋の漏りが怖いことをどれ程の人が知っているだろうか。?
「夢を壊す年寄りの一言」は飢餓を実体験した世代と、それ以外の世代間ギャップを書こうとして表現力不足で意味不明になっています。

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確かにそうだと思うのですが、政治家の方々のとる行動が心配で(笑)

オニオンさん: さて、「突然切り換わるわけではないので、新通貨に移行するまでに公債(民間資産)を日銀券に変えてしまえば問題ありません。」とのことですが、政治的にこの方策が可能なのでしょうか? あっしらさんの仰っていることもわかるのですが、誰かかがこの施策

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“愚樵”改め“愚慫”と名乗ることにしました。

「空論」は相変わらずです (^_^)

      

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