愚慫空論

「〈システム〉へ隷属」とは、どういうことか?

長らく更新が途絶えてしまいましたが、前置き無しにいきます。

昨日の池田信夫ブログで、「〈システム〉への隷属」を端的に表現する記述を見つけました。

『経済学は役に立つ』(池田信夫ブログ)

前略・・・たいていの(経済)現象は事後的には説明できる。困るのは、いつバブルが崩壊するのかを事前に予測する理論がないことだが、経済のようにきわめて複雑な非線形システムのふるまいを予測するのは、自然科学でも無理だ。たとえば東海地震がどれぐらいの規模になるかは予測できても、いつ起こるかは予測できない。


この文章のどこが「〈システム〉への隷属」を表現しているのか? それは自然現象と経済現象を同列に置いたところにあります。

私たち人間は、その存在そのものが自然現象です。ですから、自然という〈システム〉から遁れることはできません。自然科学がどれほど〈自然システム〉の仕組みを解き明かそうとも、科学技術が発達して〈自然システム〉を都合良く利用できるようになったとしても、私たちが自身が自然現象であることを止めるわけにはいかない。どこまで行っても私たちは、〈自然システム〉の枠内に留まるしか選択肢はないわけです。

しかし、〈自然システム〉の枠内に留まるしかない状態を〈自然システム〉への隷属とは普通言いません。「隷属」という限りは、他に選択肢があることが前提です。他に選択肢があることに気が付かず、あるいは気が付いていながら敢えて自ら積極的にひとつの〈システム〉の維持に力をつくすこと――これが「〈システム〉への隷属」の意味です。



文明社会に生きる私たち現代人は、大きく3つの〈システム〉に属していると考えられます。ひとつは今述べた〈自然システム〉。あとの2つは人工的な〈システム〉で、〔国家〕と〔経済〕がそれに当たります。
(家族親族や地域共同体のような小さな規範集団も〈システム〉に含めればもっと多くの〈システム〉に属していることになりますが、そうしたローカルな集団は〈システム〉に含まないことにします。) 〈自然システム〉には、上では隷属とはいわないとはいいましたけれども、結果としては私たちは隷属するしかありません。では、〔国家〕と〔経済〕の2つの〈人工システム〉はどうか? これら2つの〈システム〉に対しても、私たちは隷属する以外に選択肢はないのか? そんなバカなことがあるはずがありません。〈人工システム〉は、どちらも人間が作り出したものです。もし〈自然システム〉に神という名の造物主がいたとするなら、〈人工システム〉の造物主は私たち人間自身に他なりません。神が自分の意図するままに〈自然システム〉を作り上げたとするなら、人間だって〈人工システム〉を作り替えることが出来るはずです。人間は神のように万能というわけではありませんから、思うがままに作り替えることは出来ないにせよ、それでも実際に試行錯誤しつつ〈システム〉幾度となく改変してきました。人類の歴史とは、〈システム〉変遷史だということもできるでしょう。

〈人工システム〉のうち、まず〔国家〕という〈システム〉です。現代の国家にはいろいろと役割がありますが、ここでは単純化して、〔国家〕とは暴力を用いて人民を統治するための仕組みであるとしておきます。この仕組みを機能させているのが(近代国家では)明文化された法律。つまり法治国家であるということです。

私たちは〔国家〕の在り方については、さまざまな形態があることを知っています。例えば日本と呼ばれる地域において、西暦で19世紀末から20世紀半ばにかけて存在していた〔国家〕形態。これは大日本帝国だとか明治政府だとか呼ばれる主権在君の〔国家〕形態ですが、この形態も〔国家〕としての1つの形態であったことには間違いありません。

この大日本敵国という〔国家〕は第二次大戦の敗北で崩壊するわけですが、その崩壊に瀕した局面で唱えられていたのが「国体護持」という言葉でした。「国体護持」を唱えた人たちは、とはつまり大日本帝国という〔国家〕形態が崩壊すれば日本と呼ばれる地域に暮らす日本人という集団は生き残ることが出来ないと考えてそう唱えたのですが、その「考え」こそが「〈システム〉への隷属」に他なりません。

確かに、どのような形態であれ暴力をコントロールする〈国家〉という〈システム〉がなければ、人々は平穏に暮らしていくことは出来ません。しかし、だからといって、現に今ある〈国家〉形態が唯一無二のものではありません。別の〔国家〕形態はあり得るし、現に、大日本帝国と戦後の日本は、同じ日本という地域に成立し同じ日本人が所属する〔国家〕ではあるけれども、これら2つは違った〔国家〕形態、つまり異なった〈システム〉です。

一昨年のサブプライム崩壊、昨年のリーマンショックに続く金融危機=経済危機の様相は、敗戦の気配が濃くなった大日本帝国という〈システム〉崩壊直前の局面とよく似ているような気がします。〈システム〉への隷属ゆえに、当時の日本は莫大な国富と多くの人命を崩壊しようとする〈システム〉の維持、すなわち戦争継続につぎ込んだわけですが、その様子は、崩壊しつつある経済〈システム〉を維持するために、各国が膨大な額の国費を投入する様に似ています。国費を投入するほどに〔国家〕を支える国民が貧窮していくという点でも同じです。

〔経済〕という〈システム〉を〔国家〕にならって単純化しておきますと、〔経済〕とは、人間が生存していくために必要な財やサービスを分配していくための仕組みのことです。この仕組みを機能させているのが貨幣です。つまり貨幣経済ということですが、それも単なる貨幣経済ではなくて、貨幣自身が増殖することが〈システム〉の仕組みの中に組み込まれてしまっている〔経済〕形態。この形態の〔経済〕を指し示す言葉が「資本主義」というものですが、それがいまや崩壊の危機に瀕しているのではないか、といことです。

もっとも、“資本主義が崩壊の危機に瀕している”などというと、池田氏をはじめとする「頭の良い」人たちからは笑われることでしょう。そもそも資本主義とは、当初から崩壊を(池田氏の表現だと「再起動」)を内包した〈システム〉であり、国家の大きな役割のひとつが、その崩壊の被害を最小限度に食い止めること(「再起動」を円滑に行うこと)であり、今回の金融危機=経済危機も、資本主義が当初から内包している崩壊の規模の大きなものに過ぎない――。

しかし私は、こうした考え方もまた〈システム〉への隷属思考だと考えています。なぜそういうことになるのか、ここは次回、資本主義と並ぶ現代社会の2大〈システム〉、民主主義(立憲主義)もまた崩壊を内包していること、その内包の在り方が資本主義のそれとは大きく異なることを示しながら、話をしてみたいと思います。

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