愚慫空論

女性原理と差異共振

手抜きで誠に申し訳ないのですが、アキラさんの『光るナス』での応答がわれながらよいものになったと思ったので、紹介させてもらいます。

まずは『光るナス』のエントリー

  『空想(妄想)による満足、はたまた渇望 前編』
  
『空想(妄想)による満足、はたまた渇望 後編』

をご覧になっていただいて、つぎに後編のコメント欄をご覧になってください。

女性原理と差異共振についての核心部分だけ、ここに引用させてもらいますが

○まるにゃーさんへ

>。。。。でも、まだよくない!わからない!
と言い張ってしまう、んです。ね~(^^)

ふふふ。そうでしょうとも (^_^)
どこまでいってもわからない、と。

それにしても不思議ですね。スゴイですね。女性は。わからないのに「受け入れる」んだから。「受け入れる」ことのリスクは、女性にとってはオトコよりずっと大きなことのはずなのに。
(今時の若い子たちは、このリスクに無頓着だとも聞きますが...(-∩-;))

逆にオトコは、わかったから「受け入れた」と考えるんです。論理的でしょう?

でもでも、そうじゃないんですよね。「受け入れる」ことも「過程」なんだから。「過程」ということは、継続する、継続させるということなんだから。「女性的な好き」とは、この「継続」へのエネルギー。リスクを越えていくエネルギーなんですよね。
(だから逆に、「女性的な嫌い」はエネルギーの消失を意味します。)

わからないもの(絶対的な差異)を受け入れる(信じる)エネルギー。「差異共振」とは、このエネルギーが励起している状態だと思うのですよ、アキラさん。(^_^)

で、この「エネルギー励起」はほとんどイコール「生きている」ということなのではないか、と。一般的な傾向として女性の方が素直な「エネルギー励起」を起こすのは、生物学的に「女が基本、男は女の変形」だと言われることと関係がありそうな気がしています。

エントリーを最初から読んで頂かないと意味不明だと思います。

なお追記もありますので、よろしければ、そちらもどうぞ。例によって愚樵ワールド全開ですが(笑)
信じること2

女性原理的な「わからないのに受け入れる」姿勢は、上の直交座標計で第Ⅰ象限に当たります。

参考:『〔信じる-疑う〕の水平性と垂直性』(愚樵空論)

 Ⅰ:〈信じる〉私を《信じる》――「愛」という言葉で表わされる精神。

「身体性」については、 『身体性=脳の拡張性』(愚樵空論) を。


また男性原理的な「わかったから受け入れる」姿勢は、上図の第Ⅱ象限に当たります。

参考:『〔信じる-疑う〕の水平性と垂直性』(愚樵空論)

Ⅱ:〈疑う〉私を《信じる》 ――近代合理精神


「わからない」と「受け入れる」の間には断絶があるように感じられますが、ここを埋めるのは、「相手を捉える私の〔感覚〕を信じる」姿勢です。私の〔感覚〕は私の専有物であり他者と共有することは出来ません。「わからない(=共有できるものがない)」けれども、私の〔感覚〕を信じ、〔感覚〕を信じることによって相手との間に「創発的コミュニケーション」がなされ、私は相手を「私の身体」と為していきます。私が相手を「私の身体」と為すことができるのは、私と相手との間の絶対的な差異があるからです。断絶があるから、乗り越えようとするエネルギーが生まれるのです。

参考:『《物》の原理は専有、《情報》の原理は共有』(愚樵空論)

 【私】は【他者】を、【私】に備わった〔感覚〕を通じて捉える。
 【私】の〔感覚〕によって捉えられている【他者】の状態を《物》と呼ぶ。

 →《物》の原理は専有。  専有物である《物》を生み出す〔感覚〕は、差異性を志向する。


「わかった」から「受け入れる」姿勢は一見順当なようですが、実は屈折した態度です。「わかった」とは「疑う余地がない」ということであり、ということは、その前提に「疑う姿勢」があったということです。そして一旦「わかった」ことが言葉や動作などの《情報》として共有される(=契約)と、今度は途端に「疑う姿勢」が外面的には排除されることになります。しかし、もともとが「疑う姿勢」から生まれた「わかった」という結論です。同じ姿勢が継続されるのが順当というものでしょう。

「わかったから受け入れる」姿勢は、《情報》が共有された時点で態度を転換させる必要があり(男性原理的な「切断」)、態度の転換ができなければ外面的な態度と内面的な姿勢とに矛盾を来すことになります。

参考:『《物》の原理は専有、《情報》の原理は共有』(愚樵空論)

 【私】は《物》を〔意識〕によって捉え直す。
 〔意識〕によって捉えられた【他者】の状態を《情報》と呼ぶ。

 →《情報》の原理は共有である。
 共有物である《情報》を生み出す〔意識〕は、同一性を志向する。

コメント

こんにちは

いや、お恥ずかしい。
記事自体を紹介されるのは恥ずかしですが (^o^)、でもあの愚樵さんのコメントは非常に腑に落ちました。
愚樵さんが描いているイメージや実感に、少ししっかり触れられた気がしました。
やりとりの中で生まれてくるものって、いいですよね。
(^o^)

Re:こんにちは

記事自体を紹介されるのは恥ずかしですが (^o^)、

あ、それ、わかります(^w^)

やりとりの中で生まれてくるものって、いいですよね。

はい。そうですね。なにかを生む「やりとり」。私なんかは、それがすべてと言っていいと思うくらいです。

言葉を使おうが、身体を使おうが、どれもみんな「やりとり=コミュニケーション」で括れるのかもしれませんね。ただその「やりとり」にも創発的なのと懐疑的なのと、大きく分けると2種類あるのでしょうね。

そして創発を女性的・懐疑を男性的だとすると、創発と懐疑との交わりが創造をもたらす...、のではないでしょうか?

さなぎ

赤い服を着ている人を見て、青い服を着ている、とは思わないでしょう。
青い空を見上げて、曇っているとは、誰も思わない。
それは、「私」というレベルの意識が発生する以前の、純粋な脳のはたらきが作用しているからではないのですか。そういういわば「前意識」との通路があって、その通路を持っていなければ誰も生きられない。
統合失調症とは、そういう「通路」に支障をきたした病のことだと思います。つまり「私」というレベルだけで他者を見てしまう病。
われわれが「私」というレベルだけで他者を捕らえているという思い込みは、ひとつの制度性というか、共同幻想であり、そういう幻想が統合失調症などの精神の病を生み出している。
つまりですね、ほんとに「無心」に「無私」に他者にときめくことのできる人は、そういう「前意識」との通路が健全に働いている人であり、「私」が他者をとらえているとなんか思っていない、ということです。
そういう人こそ他者にときめいているのであって、そういうときめきを失った者たちが、「愛」という制度に浸って自分を満足させている。
「私」が他者をとらえている、とは、げんみつにはいえないのではないでしょうか。

え~っと、NHさなぎさんでよろしいのでしょうか?

「私」が他者をとらえている、とは、げんみつにはいえないのではないでしょうか。

問題は、この「私」が何かを指すのかということですよね。

さなぎさんの仰る「私」とは自我、私自身を私だと認定する私、「我思うゆえに我あり」という我のことだと思います。

だとするなら、「私」と他者を捉える感覚装置とは別物だということになりますから、「私」が他者を捉えているとはいえません。「私」は、「私」を内在する身体に備わった感覚装置を通じて他者を捉える、ということになりますね。

が、ワタクシ愚樵が【私】と呼んでいるものは、さなぎさんのいう「私」とは違う。大雑把に言うと、

【私】=「私」+感覚装置=「私」を内在する個体

です。ですから、

 【私】は【他者】を、【私】に備わった〔感覚〕を通じて捉える。

というわけです。

赤い服を着ている人を見て、青い服を着ている、とは思わないでしょう。
青い空を見上げて、曇っているとは、誰も思わない。

これは、同じヒトという生物種だから感覚装置が共通だろうということですよね。感覚装置が共通だから、得られる出力も共通だろうということでしょう。ここも厳密に考えれば、あくまで共通“だろう”としか言えないわけですが...。

だから「げんみつには」といったじゃないですか。
これは、言葉の問題であり、想像力の問題です。
「私の感覚装置」は、「私」を消去するかたちで他者を認識する。
そのとき「他者が存在する」という事実があるだけで「私」は存在しない。それは、げんみつには他者によって与えられた感覚装置であって、「私の感覚装置」ではない。感覚装置はあっても、「私」は存在しない。
かんたんに「私の感覚装置」といってしまえるだろうか。いってしまうこともできるし、いってしまうこともできない。
「孤立した個体」というレベルにおいては、「私」という概念は成り立たない。
そういう認識の裂け目の、「不可知性」の問題がある。
まあ、これ以上いってもしょうがないのだけれど、何か、きりきり胃が痛くなってしまうような問題があるじゃないですか。
ようするに、そんなふうにわかったような顔をしていい気になっているという態度が、僕にはわからない。
思考とは、「わからない」というレベルに分け入ってゆくことだと思う。
そんなふうにいい気になっているから、男は「わかる」というかたちで受け入れる、なんてステレオタイプな結論になってしまう。
他者にときめく、という心的現象において、男も女もないでしょう。ただ男は「わかる」という制度性を抱えているから、女ほどダイナミックに好きになることも嫌いになることもすっぱり忘れてしまうこともできない、というだけのことでしょう。
男だってやっぱり、「不可知性」をはらんだレベルで他者を認識している。

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