愚慫空論

権力

本日の選挙結果。どうやら民主党への政権交代は間違いない様子ですね。自公政権の悪政の終焉、まずはメデタシ、です。

さて、政権交代となりますと、政治権力の中心が自公から民主へ移るということですが、ここで考えてみたいのは、その「権力」についてです。わが日本は国民主権の民主主義国家で、選挙は主権者である国民が権力を行使する機会です。今回、民主党への政権交代がなったという選挙結果は、国民が主権者たることを自覚するのに十分な成果ではありますが、しかし、だからといって国民が政治権力の主体ということにはならない。政治権力はあくまで国家という〈システム〉の中枢にあるのです。
「権力」を考える手がかりは、「権力」という言葉そのものにあります。すなわち「権力」とは「権」という字と「力」という字とで成り立っている。

「力」は文字通り「ちから」でしょう。他を従わしめる“働き”を「力」という。暴力がその典型でしょうが、他者を従わしめる“働き”は、人間がその個性として持ち合わせていることもありますし、人間が営む社会の慣習が「力」となっていることも大きい。また現在では貨幣が大きな力を持っていることは言うまでもありません。

では、「権」とはどういった意味なのか。「権」それ自体にも「他を支配する力」という意味があって、それはまさしく「権力」の意味ですが、面白いと思うのは、「権」には“ゴン”と発音したときには「かりそめ」といったような意味があることです。「権現(ごんげん)」とか「権化(ごんげ)」というのがそう。他にも、昔の朝廷の官職で、現在でいう「補佐」の意味で「権」が使われていたりする。例えば、権大納言(ごん・だいなごん)というと、大納言補佐ですね。この名残は今でも神社に務める神職の官職に残っていたりします(禰宜(ねぎ)の下が権禰宜(ごん・ねぎ))。

「かりそめ」とは、いうならば〈虚〉です。「権」を“ケン”と読むときでも、「権謀術数(けんぼうじゅつすう)」は、「人を欺くためのはかりごと」といった意味ですが、〈虚〉の雰囲気がある。そう考えれば「権力」にも、「かりそめの力」ではないにせよ、どこか虚ろなものという意味合いがあると考えても不思議ではないように思われます。現在の私たちには、「権力」といえば〈実〉のある「力」という受け止めをなされることが多いでしょうが、昔の人たちにとってはそうではなかったのかもしれません。

しかし、このことも〈システム〉〈生活世界〉の対立図式で考えてみれば説明出来そうです。昔の人たち、特に日本人にとっては〈生活世界〉こそが〈実〉であり、〈システム〉は〈虚〉であると捉えられていても不思議ではありません。江戸時代あたり、将軍や殿様といった「権威」は庶民にも届いていてそれなりの「力」も発揮したのでしょうが、『むら』の【自生的秩序】を中心に生きていた人たちにとっては、武士という暴力&官僚組織が運営していた〈システム〉は、やはり〈虚〉であったでしょう。ところが現在の私たちは〈生活世界〉が空洞化し〈システム〉が全域化した世界で暮らしていますから、〈虚〉であったはずの「権力」が〈実〉のように感じられてしまう。

今回の選挙では、国民が自公政権に“NO!”を突きつけ、民主党に政権を与えるという審判を下しました。このことは重要なことで、国民の投票行動が政権交代というわかりやすい結果と結びついたことによって国民に「国民主権」の実感をもたらしたでしょう。しかし、「国民主権」は国民に権力の主体があることを意味しません。権力はあくまで〈システム〉の中枢にあるのであって、国民は、国家という〈システム〉の土台であり主体であっても中枢ではありません。私がひとつ懸念するのは、今回の分かりやすい結果からくる「実感」が、「権力」をより〈実〉なものであると勘違いさせはしないかということです。

少し立ち止まって考えてみれば分かりますが、年に一度あるかないかの選挙、それもたった1票か2票を投じるという行動だけで、世の中が大きく変わってしまうということ自体が〈実〉であるはずがないのです。確かに数多くの国民が意思を示すというのは大きな出来事ではありますが、普段の生活から比べればほんの些細な労力でしかない。〈実〉生活のなかで暮らしている人なら誰でもわかるでしょうが、〈実〉はわずかな労力でなんとかなってしまうようなスカスカのものではありません。それは〈虚〉でしかないのです。

ところが、現在の〈システム〉が全域化した世界では、ほんの些細な労力で示される行動の結果が〈実〉に大きな影響を及ぼす。大きな影響を及ぼすから〈実〉だと考えてしまう。「権力」は〈実〉だと「実感」してしまう。しかし、どれほど大きな影響を及ぼうそうとも、〈虚〉は〈虚〉でしかありません。

私はなにも〈虚〉は不要だと言いたいのではありません。〈実〉と同じく〈虚〉も大切です。〈システム〉という〈虚〉なくして充実した〈生活世界〉=〈実〉は成り立ち得ません。ですが、主はあくまで〈実〉であって、〈虚〉は〈実〉を支えるためのもの。〈実〉と〈虚〉とを取り違えてしまいがちの現代は、〈実〉が主で〈虚〉が従であることも忘れがちになってしまっているような気がします。

コメント

相変わらず面白い視点だと思います。
権力が虚なのは力の発生元を考えれば、間違いはないと思います。

暴力と違って実質的な力は直接にはないですしね…。
間接的に権力がある事で暴力を操れたり、財力を操れたりするので実質的な力の様にも思えますけど。

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