愚慫空論

官僚主権・国会主権・国民主権

まず、タイトルで示した言葉の定義から始めましょう。

「官僚主権」「国会主権」「国民主権」の3つの言葉のうち、正式な言葉(≒辞書に意味が載っている)のは「国民主権」だけです。「官僚主権」は最近よく目にする言葉ですけれども、辞書にもWikipedia にも出てきません。しかし、政治に多少なりとも関心のある人なら、厳密に定義するのは難しくても、「官僚主権」の意味はだいだい理解できるだろうと思います。

「国会主権」は私の造語です。

「官僚主権」「国会主権」「国民主権」の意味を考えるにはまず「主権」の意味から入らなければなりませんが、この「主権」という言葉も、だいたいの意味は理解できても、厳密に定義するのは難しい言葉です。Wikipediaによりますと、「主権」には3つの基本的意義、すなわち

1.対外主権(最高独立性)
2.対内主権(統治権)
3.最高決定力(最高決定権)

があると解説されていますが、「官僚主権」というところの「主権」は、主に3.の意味でしょう。日本が法治国家であることは言うまでもありませんが、国会で定められた法律や予算を、大きな裁量権を持つことによって実質的な運用は官僚が握ることになる。つまり実質的には最高決定力を官僚たちが握る。「官僚主権」とは、こうした状態を指す言葉だと言ってよいかと思います。



そう考えていくと、「国会主権」とは、国民から選出され国民の代表である国会議員によって構成される国会が形式的に実質的にも最高決定権を握っている状態をさすのだと理解できるでしょう。

形式的なところだけをいうと、

第41条 国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。

と憲法でも定められており、また憲法は「国民主権」の考え方を基盤にしていますから、形式的には「国会主権」=「国民主権」と考えてもよい。

現在、自公から民主への政権交代を争点に衆議院選挙が行われていますけれども、この政権交代の意味合いは、「官僚主権」から「国会主権」へ、と表現することができるでしょう。ごく簡単に言ってしまえば、「官僚主権」は長すぎたの自民党政権の弊害です。自民党は日本国民に支持されてきた正当な(あるいは形式的な)支配者でしたが、その支配が長すぎたために、官僚との癒着が生じた。官僚組織は優秀であり大きな情報収集能力と法規の裁量権を握っていますから、上手く使いこなせればよいが、癒着してしまうと母屋を乗っ取られるようなことになる。母屋を乗っ取られた状態が「官僚主権」です。

政権交代が成って民主党政権が成立し、政官の癒着が絶たれることになると、「官僚主権」は絶たれ「国会主権」(=形式的「国民主権」)に「リセット」されることになります。政権交代の意義はこの「リセット」にあるわけで、現在の日本に必要なのがまずとにかく「リセット」であることは明らかでしょう。

ただ問題はそこから先です。「国会主権」はあくまで形式的な「国民主権」でしかないのです。確かに選挙という民主主義的な制度によって「リセット」は行われることができる。が、下手をすると、国民には「リセット」をする権利だけしか与えられないということにもなりかねません。「リセット」をするだけの「国民主権」が果たして実質的な「国民主権」だと言えるのかというと、私は言えないだろうと考えます。

二大政党制という政治形態は、「リセット」という観点でみると、優れた形態だということはできます。しかし逆に二大政党制は、「リセット」にその特長が特化されすぎていて、国民に与えられる実質的な権利は「リセット」だけ、ということにもなりかねない危険が大きい政治形態でもある。これが果たして全般的に優れた政治形態かというと、疑問です。私ならば及第点を付けることはできません。

二大政党制がダメなら、比例代表制か? 一般的な議論ならばそういった方向へ進むのでしょうが、私が考えるのはそういったものとは違います。二大政党制か少数党の乱立か、小選挙区制か比例代表制かといった議論は、あくまで「国会主権」の枠内での議論でしかない。確かにその議論は、形式的には「国民主権」の考え方を踏まえたものになっているけれども、あくまで形式的で、実質的な「国民主権」とはどういったことなのか、そちらの方向には全く視線が向いていないように感じるのです。

形式的「国民主権」の議論に終始してしまう――おそらくは、このことが近代的な民主主義の限界なのです。近代民主主義を推進する原動力になってきた「市民」とは、実質的「国民主権」――各々の国において、風土と伝統のなかで培われてきた〈生活世界〉、日本においては『むら』の【自生的秩序】――を形式的「国民主権」(=「国会主権」)に引き寄せようとした人々のことです。形式的「国民主権」は「リセット」には有効ですから、「市民革命」という「リセット」においては大きな役割を果たした。しかしその後、近代民主主義が成立して「リセット」が終了すると、多くの人々は再び実質的「国民主権」の中へ埋没していった――これがおそらくは「庶民」でしょう。、「庶民」は、基本的には形式的「国民主権」には関心はもちませんが、近代民主主義が成立したために、体裁としては「市民」という形を与えれることになった――こうした「庶民」を指していう言葉が「大衆」なのでしょう。
大衆の反逆 (大衆の反逆
(ちくま学芸文庫)
オルテガ・イ ガセット

コメント

実質的な「国民主権」

『そちらの方向には全く視線が向いていないように感じる・・・』

まあ恐らく、この度想定される「リセット」というのは、専ら経済活動上の巨大な装置としての「官僚主権」のリストラ(「主権」の「リストラ」と言うのも、なんかちょっと変ですが)として捉えられがちだからでしょうか。

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