愚慫空論

Re:共産党差別

最初、当エントリーのタイトルを『共産党は日本庶民の敵』としようかと思ったのですけどね。

挑発的な表現はワタクシ愚樵の好むところなのでしばしば用いて反感を買うのですが、それにしても“庶民の敵”は挑発的に過ぎるかと思いましたので、今回は穏健な表現をとることにしました。で、村野瀬さんのエントリー『共産党差別』への、私からの勝手な解答という体裁でエントリーをあげることにします。


その村野瀬さんのエントリーですが、こんな具合にはじまっています。
最近、散発的、でも継続的にこういうブログ記事が出ています。これは、共産党の主張や求める政策が国民の支持を受けているとか受けていないとかそういうことを超えた、「共産党差別」とでもいうべきものだと思い当たりました。そして、その差別をささえているのは日本社会全体ではないかとも...。

「こういうブログ記事」とは、要するに「共産党が不公平な扱いを受けている」ということを告発する内容のもので、実際に日本の社会の中にはそうした現象はまちがいなく存在すると私も思います。 私は私自身の信条から共産党を支持する立場ではない、むしろ積極的に反共産党ですが、もちろん、だからといって共産党や党員、支持者を不公平に扱うことに同意するものではありません。共産党を不公平に取り扱うのは主に日本の社会構造の中核にいる人々、特に国家組織に所属している人々でしょうが、こうした人々の不公平な取り扱いを「差別」と表現することには、私は違和感は感じないし、そうした差別を撤廃すべきという主張には大いに同調するものです。

そしてまた、そうした「差別」に積極的に関わるわけではないけれども、暗黙のうちに支持を与えているかのごとき雰囲気が日本の社会全体にあるという主張についても、私は同意します。しかしながら、その暗黙の支持をも「差別」だとすることについては同意できない。できないどころか、そこを「差別」だ受け取ってしまう感性に大いに問題があると思うわけで、ここには差別感情と敵対感情の混乱があると私は見るのです。

確かに差別感情と敵対感情とは、よく似ていて区別がつきにくいものではあります。いずれも相手を排除しようとする「負の感情」であることは同じであり、好ましい感情とは言えないことは間違いない。しかし、好ましからざる感情だから、そうした感情を抱く者が間違えているかというと、そう直ちに結論づけることも出来ない。ここが難しいところであり、差別感情と敵対感情とを厳密に区別しなければならない理由でもあります。

差別感情は、謂われなき「負の感情」です。性差による区別、肌の色による区別、生まれや出身地による区別、これらの区別は、区別をする理由は厳として存在していますが、この区別があるからといって、相互に不利益をもたらすとは限らない。世の中に男女が存在することは紛れもない現実ですが、その現実が男女相互に不利益をもたらしているとは到底言えない。にもかかわらず、女である、あるいは男であるといった区別を理由に排除の「負の感情」を抱くことは、それは謂われなき差別である、としか言いようがない。同様に、肌の色が違うからといってそのことが相互不利益の理由にはならないし、生まれや出身地でも同じです。これらの区別が相互にとって不利益をもたらすという確定的な証拠は何もありません。

敵対感情は差別感情と同じ相手を排除しようとする「負の感情」ですが、差別感情と異なるのは、ここには区別された相互間に、互いの存在が不利益となる理由が存在することです。つまり、謂われなき「負の感情」ではない。例えば、共産党ということですから、資本家と労働者という階級(=区別)で考えますと、こうした区別は社会に間違いなく存在して、互いの存在は互いにとって不利益であるということも言うことができる。ですから階級闘争といった、互いの存在を排除しようとする「負の感情」は正当化されうるわけで、階級闘争を支持する「負の感情」を差別とはいわない。もし、共産党支持者に向かって“階級闘争はいわれなき差別である、資本家も労働者も同じ人間だ”など主張しようものなら、間違いなく反論を喰らって、階級闘争の正当な理由を列挙してくれることになるでしょう。

以上の差別感情と敵対感情の区別を踏まえた上で、考えなければならないのは、共産党が受けている不公平な扱いは、果たして差別感情に基づくものなのか、あるいは敵対感情に基づくものなのか、ということです。

まず、社会構造の中核、特に国家組織に属する人々の感情ですが、基礎は敵対感情にあるといってもよいかと思います。現在ではいささか古い構図だと言わざるを得ませんが、かつては資本主義vs共産主義という対立構図は間違いなく存在していた。古くなったとはいえ、その残滓はかなり色濃く残っている。ですので、共産主義への敵対感情は、少なくともかつては「謂われなきもの」ではなかったのですね。

しかし、この敵対感情はあくまで個々人の信条に基づくもので、その信条を国家を統治する法の運用にまで適用してよいと話にはなりません。当然のことです。日本国には憲法という法体系の大枠があって、そこには

すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。(14条)

と規定されているのですから、個々人が個々人の信条を抱くことはこれまた憲法によって保証されてはいますけれども(19条)、それを法の運用に適用することは「謂われなきこと」だと言わざるをえません。よって基礎は敵対感情にあるとはいえども、法を遵守すべき立場にある人々においては、謂われなき差別であると見なされても仕方がないわけです。

さて、問題は次です。法を遵守すべき立場の者たちの共産党への不公平な扱いは差別と言わざるを得ないにしても、それを暗黙のうちに支持した日本社会全体の行動(無行動)を支えたのは、差別感情であったのか、それとも敵対感情であったのか、という問題。ここが問題の核心部分です。

私の結論からいえば、それは敵対感情です。共産党支持者は、農村にあった『むら』の【自生的秩序】の敵対者として多くの者には認識される一方で、当の共産党支持者にはその自覚はなく、『むら』の【自生的秩序】は非科学的で後進的で啓蒙されるべきものだと捉えていた。農村部に存在した格差――この格差は、農村部についていえば、現在よりも過去の方が圧倒時に大きかった――に着目してマルクス史観を当てはめ、資本家と労働者という構図を『むら』にも当てはめようとした。ところが『むら』の【自生的秩序】は、経済格差とあまり関係しないところを根拠にした共同性――おそらくは自然信仰――をもとに組み立てられていましたから、マルクス史観が想定した資本家vs労働者という対立構図を『むら』に当てはめようとする行為そのものが、共産主義者にとっては善意から出た行動であったでしょうが、『むら』の共同性に信頼を置いている者からすれば敵対行為としか捉えることが出来なかった。共産党支持者たちは、自らの善意ゆえに、周囲の者を後進的で啓蒙すべき存在だと見なして行動し、そしてみずからの敵対的行為に無自覚だった。さらにこの無自覚ゆえに、本来なら敵対感情として捉えなければならないところを、謂われなき差別感情としか捉えることが出来なかった――村野瀬さんのエントリーで表明された「共産党差別」は、この「無自覚」を下敷きにしたものだと私には思えるのです。

私が反共産党であり、共産党に好意的な感情を抱けない理由はこの「無自覚」です。そして、これは現在の自民党――日本の社会を壊滅的な状態に追い込んだ張本人であるにもかかわらず、そのことに「無自覚」で、“責任力”などと言い放つ厚顔無恥な者たち――に抱くのと同様の感触であって、かつて自分たちは秩序の敵対者であったにもかかわらず、そのことに未だ気付かず、自らの正当性を主張する厚顔無恥、なのです。
(同様の感触でも、程度においては圧倒的に自民党の方が酷いという感触を持っています。それは、自民党は『むら』の【自生的秩序】を実際に破壊したのに対し、共産党は敵対はしていても実際の破壊までは出来なかったからです。)

ですので、私は共産党支持者が、自民党と民主党とを引き比べて同じだと指摘し非難する文章を読むたびに奇異な感じがしてなりません。確かに、見る視点によっては自民党も民主党も同じに見えることは間違いありませんが、そうした言は自らの立場に無自覚であるがゆえに言えるものであって、自分の立ち位置に意識的であるなら、非難のありかたはもっと違ったものになるでしょう。しかし、ここでもやはり、共産党支持者は「無自覚」なのです。

私が思うに、共産党はおそらく日本で初めての都市政党です。自民党はいうまでもなく農村的共同性を支持基盤とした政党でした。また、それゆえにこそ、自民党は農村的共同性、すなわち『むら』の【自生的秩序】を壊滅的に破壊することが出来た。そして、民主党はというと、小沢一郎的部分は相変わらず農村的かもしれませんが、大きな体制としては都市政党です。少なくともこれまで民主党を支えてきたのは都市の浮動票であったはずです。共産党が、自民党よりも民主党を警戒しているようにみえるのは、民主党が共産党と同じ都市政党であるからでしょう。相手が農村政党なら対立軸を明確に出来ますが、同じ都市政党となると対立軸はぼやけ、政党の存在意義が薄れてしまう。「無自覚」な共産党支持者は、そこのところにも「無自覚」であるような気がしてなりません。

コメント

あたしも勝手に整理してみる

共産党の支持者はいい人が多いよ。この点ではあたしの印象は某宗教与党とかぶる。だから、無自覚、という点ではそうなんだろうね。少なくとも、積極「民主党」を(政党として)支持する方々よりは、自らが属する集団の教義なり、理念なり、行動様式なりの「瑕疵」に対して無自覚。

実際「ダムを造るな」ということで土木建築業界が斜陽になる。そうすれば「それだけの雇用が減る」ということなんだけど、じゃあそこのところをどうするか?

「ダムの飯場でしのいでいた方々の雇用について」

ということに共産党は答えられない。共産党は、

「それはこういう構造を作り出した社会のせいだ」

と言う。そのことについては、わたしもまったくそう思う。わたしたちの運営する社会が悪い。

が、「共産党」は、その「社会に向けての憎悪」を自らの革命の口実に利用しようとしている。本来、雇用を守られるべきあたしらを脇へ置いて。そうして「社会が悪いと思う」共産党「支持者」に「革命のための闘争に参加せよ」と迫ってくる。そこいらの下心と扇動体質(これもあたしの偏見かも)が人に嫌われる理由なんだろうなと、わたしは考えている。

逆に言えば「民主党」支持者は自らの「悪」に自覚的だ、ということなんだけど。共産党と某宗教与党よりは、と限定した上で。

「悪いとこもあるけど、じゃあほかにどうすんだ?」

あたしが「勝手に整理」すれば、これ↑が民主党支持者。そしてこれは、露悪的に言えば「確信犯」。で、それがメジャー(与党)になったら革命無罪の「居直り」になるってのは「自民党」が見せてくれたよね。「痛みを伴うカイカク」→「人生いろいろ、会社もいろいろ」とか言って。


あたしが共産党を支持する理由は、たとえば「泡瀬干潟」のような問題のとき、その間違いを政党として指摘してくれるのが共産党だけだからというのがある。すでにたくさんの金が動いていて、人が働いていて、そんなとき権力は「それを止めるのならその金を返せ。そこで働く人々の雇用をどうにかしろ」と迫ってくる。そういった権力に対して、政治家個人ではどうしようもないものを、政党として議会で反駁していくことができるから。共産党は。

それと、沖縄全土に反動の嵐が吹き荒れたとき、民衆の側に立ってくれたのが、共産党の瀬長カメジローだった、というのがある。

そして、護憲、だよね。

わたしの政治への要求もいろいろ、政党もいろいろ、

だからあたしはその時々のあたしの要求に合致した政党を選ぶ。

比例区は共産党。

で、民主党の支持者は、今までの与党支持者と違って居直ったりはしないんだよね。自らの「悪」に対して。なら、今回は民主党支持者のみなさんの話に乗るよ。どうせそうするほかはないんだし。

お願いだから、現在地方にいらっしゃる民主党議員(与党議員)や一部の知事みたいに、居直ったりしないでね。

あたしらにとっては死活問題なんだこれが。


差別用語としての『共産党』

今のメディアでは『差別は悪である』との名目で様々な言葉狩りが行われ、『めくら蛇に怖じず』など元々の日本語の多くが使えない(強性的な自主規制)由々しき状態で、これに怒った作家の筒井康隆が断筆宣言までする騒ぎも起きている。
総選挙直前のこの時期に、今回、村野瀬さんや愚樵さんは本当に良い所に着目しています。

そして実は、現在の日本においての最大、最強そして最期の差別用語は、『共産党』と言う言葉なのです。
この事実は、一般党員は良く知っていて円滑な社会生活を送るために他人から政党支持を聞かれる場面に遭遇しても自身が共産党員で有る事を明かさないばかりでなく、共産党支持で有るとも断言しないで『革新政党支持』であるとか『自民党反対』とか、言葉を曖昧にする場合が多い。
これは党員ばかりでなく、共産党支持者も同じです。
余程親しい信用がおける相手でないと、自分の『共産党支持』の態度を明らかにしない。

日本社会の現状は愚樵さんの分析で間違い無いが、何故その様な事態に成っているかの原因は、愚樵さんの分析は残念ながら歴史認識が間違っています。
現在の日本共産党は確かに典型的な都市型の政党ですが昔からではありません。
90年近い歴史が有るが、戦前は治安維持法などで非合法下であったので党員や支持者は知識層など極限られていて、一般の多くの国民にとっては『共産党』の存在自体が知られていなかった。
知らないものに対しては差別したくても、差別のしようがないのです。
戦後合法化された後の共産党の最大の支持層(支持基盤)は愚樵さん指摘の都市の労働者層だけではなく、地方の多くの農民層の存在が大きかったのです。
当時は今のように日本国は都市に人口は集中していなくて多くは農村に住んでいた。
都市の労働組合の組織化と、農村の寄生地主に対する小作争議によって急速に日本共産党は支持を伸ばし、1949年の第24回総選挙(吉田内閣)では今の共産党の党員の何十分の一の少ない党員で35名の当選者が生まれている。
当時は『共産党アレルギー』や『共産党差別』何かは存在していなくて、今とは正反対に、『志村建世のブログ』の当時の日記によると『共産党ブーム』とでも呼ぶべきものが存在し、『当時は昭和天皇よりも共産党の方が人気があった』のです。

ところが事態は一変する。
労働運動はGHQの方針転換で2・1ゼネストは軍事力で弾圧し、三鷹、松川、下山等の謀略事件が勃発し、政府やマスコミは直ちに共産党の破壊工作と大宣伝する。
多数の共産党員を逮捕、国労10万人の首切り等が続き、多くの党員に死刑の判決が下さている。
続く第25回総選挙(吉田内閣)では共産党は35議席から当選ゼロになるという壊滅的な打撃を受ける。
ところが、これ等は全て、当局によるでっち上げの証拠に因る冤罪で有る事が20年近く経った後に発覚して、日本共産党員の死刑囚も全員が無罪となるも、
しかし,とき既に遅し、其の頃には『何となく恐ろしい共産党』のイメージは国民の間に広く深く浸透してしまっていた後だったのです。
レッドパージは労働運動にも及びGHQに逆らう闘争的な幹部達は追放されて骨抜きにされ、今の決して戦わない『連合』の流がつくられいます。

GHQの行った農村部の対策は労働運動よりも、もっと巧妙で賢かった。
日本の全耕地面積の7割を占める不在地主から土地を取り上げて実際に耕作する農民(小作農)に農地を引き渡す『農地解放』を断行して、それまで日本共産党の重要な支持基盤であった小作農を自営農に転換する。
(小作農とは正反対に、何処の国でも自営農家は最も保守的な市民層である)
この農地解放が、それまで小作農を支持基盤としていた共産党支持層を消滅させて、保守的な政治(自民党)に対する地方(農民層)の支持を生み、其の後の今に続く自民党一党支配の基盤(原動力)である事は論を待たないであろう。
因みに、同じ様に米軍の軍事占領下でも議会制民主主義が日本より遅れていたフィリッピンでは農地解放の大事さを言われながら未だに未達成で、未だに寄生的な大地主が政治の実権と富の大部分を握っていて貧しい小作農は日本にジャパ行きさんとして出稼ぎにきている。

この様に、今の日本には『共産党差別』は厳然と存在しているのは事実である事はたしかです。
しかし、今の『共産党差別』は偶然に創られたものではなく、意識的に権力機構によって創作されたのものです。

共産党支持者じゃないけれど

<自生的秩序>は時に残酷です。
それは多数者の共有感覚であるがゆえに、それを共有できない者を集団からはじき出します。出すだけならともかく、積極的な弾圧の装置となることもままあるのです。

だから共産党が<自生的秩序>の敵対者であるという事実そのものは別に問題にするにはあたらないでしょう。
社会にはそういうものがあってもよいし、あるべきだと私は思います。

しかしながら共産党が被差別者の政党であるかと言えばそうではありません。
彼らは<一般の自生的秩序>の敵対者ではありますが、<秩序の破壊者>ではなくて、<共産党の秩序>に従うだけの、<秩序>側の組織だからです。

<共産党の秩序>に従って彼らは外界を<ランク付け>します。ランクから漏れた存在は否定されます。彼らの格付けを受け入れない者は攻撃されます。
しかし当たり前のことですが、これは<一般社会>が被差別者に対して行っていることと何ら変わりません。ものさしが変わっただけです。

既存の<自生的秩序>の中でちゃんとした位置を持っている人は共産党を忌避します。既存の社会をひっくり返されては困るからです。
しかし社会に居場所がない人々が誰でも共産党の仲間になれるわけではありません。<共産党の秩序>に反する存在は否定されます。部落解放同盟と共産党の確執を見ればそれは明らかでしょう。

共産党が<自分たちの秩序>にしがみついている間は、彼らは永遠に<政権に対するアンチテーゼ>でしかありえません。民主党が政権を取ろうかというこの時期に彼らの存在がかすむのは仕方のないことでしょう。

最後に有名なコピペを・・・

・共産党は、用量・用法を守ってお使いください。
 【効能】 経団連肥大からくる諸症状の緩和に
 【用量】 衆院40議席、参院20議席 までとしてください
 【用法】 政権へのご使用はおやめください
 【注意】 まれに革命を起こすことがあります。公安にご相談ください

長文失礼しました。

(左から)共産党支持者じゃないけれど

KYDさんとは、立ち位置が違うのでなかなか一致点をみいだすことは難しいとおもうことが多いのですが、最近の投稿を拝見すると、結構うなずいている自分があったりします。

今回のコメントは、うぅ!というほどごもっともですな。とりわけ「共産党が<自分たちの秩序>にしがみついている間は、彼らは永遠に<政権に対するアンチテーゼ>でしかありえません。」あたりの結語は核心をついているとおもいます。

そうしたうえで、スターリン主義(日本「共産党」のこと)批判をしてきた端くれとして、下の方でその筋では私など及びもつかない岩なんとかさんのお名前があったりして躊躇もありますが、あえて指摘させていただけば、

【用法】政権へのご使用はおやめください と、いわずとも政権には好んでつかないのが日本「共産党」
【注意】まれに革命が起きそうになったら公安と相談して粉砕するのが日本「共産党」でありまする。

彼らは<一般の自生的秩序>と対立しつつも、<自分たちの秩序>を融合させる道を選んだのです。

私が見聞きするたびに、むっとするのは”たしかな野党”というフレーズです。国民がこころより変革を望んでいるときに、”たしかな野党”でど~すんの、権力奪取で与党にならねばな~んにもできないのがブルジョア民主主義、やる気も、覇気も感じられない、言い訳のようなフレーズでは人心は掴めません。

愚樵さんへ。

 1 階級闘争と人間の平等の関係ー階級政党、国民政党を巡って、日本共産党の立場ー

 ・「労働者階級の党であると同時に、日本国民の党」とは?

 〈問い〉 日本共産党は、党の性格を「労働者階級の党」であると同時に「日本国民の党」であるといっていますが、その意味は? この国民には小泉首相や奥田経団連会長も入るのですか?(京都・一読者)

 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-05-17/20060517faq12_01_0.html

 ・「労働者階級の党」「国民の党」とは?

〈問い〉 日本共産党規約に党の性格を“「労働者階級の党」であると同時に「日本国民の党」である”と書いていますが、どういう意味ですか。

 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-09-02/2004-09-02faq.html

 ・“階級闘争”の考えは古いか?

 〈問い〉 第二回中央委員会総会の不破哲三議長の発言に、どんな問題でも階級闘争の立場でとりくむことが大事と書かれていました。階級闘争という言葉は最近あまり使われなくなったと感じていました。古い考えではないのでしょうか?(東京、一読者)

 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-10-21/2004-10-21faq.html


 

ごんさんへ。

  1 公共事業減らすと中小業者の受注が減る?

 〈問い〉 ムダな公共事業をなくすという日本共産党の主張はもっともだが、そうすると中小業者の受注や雇用が減るのではという人がいます。どうなのですか。  (福井・一読者)

http://www.jcp.or.jp/faq_box/001/2000828_faq_koukyoujigyou.html

 ・生活・福祉型の公共事業とは?

 〈問い〉 日本共産党は、公共事業は大型開発中心でなく、生活・福祉型中心にと主張しています。生活・福祉型の公共事業とは、どういうものですか。(埼玉・一読者)

http://www.jcp.or.jp/faq_box/002/200803_koukyou_jigyou.html

  ・生活密着型公共事業の雇用効果は?

 〈問い〉 公共事業はゼネコン型より生活密着型の方が雇用効果が大きいということですが、その根拠について教えてください。(三重・一読者)

http://www.jcp.or.jp/faq_box/002/200330seikatu_mityakugata_.html

 ・「公契約」問題とは?

 〈問い〉 職場で「公契約問題」とか「公契約賃金」というのを耳にしました。何が問題になっているのですか。(東京・一読者)

 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik/2002-09-29/12_1201faq.html

東西南北さんへ

>こうした大型の公共事業が増えるにつれ、中小企業の受注も雇用も減っているのが現実です。

そうですね。

コンビニや郊外型の大型店舗が地域の小売り商店主の仕事を食いつぶしたのと同じ。雇用を削ってるのは「共産党」ではなくて、この経営一極集中制。自由という名の弱者淘汰。

でも、あたしらがその問題を言うときに対峙する(対峙させられる)のは「国」ではなくて、コンビニや大型店舗の(各地域の)事業主と、そこではたらく人々、つまりはわたしらの愛すべき隣人、ということになる。

本気で「革命」をする気でもなけりゃあ、そういう方々(公共工事やらコンビニやら)を全員敵に回して立ち回るなんてえことはできません。個人じゃあ無理。太刀打ちできない。その点では地域の首長たちも同様。むしろ地域経営の代表としての色合いの濃い日本の知事や市町村長が、こういう分野(公共工事にしろコンビニにしろ)を切れるわけがない。

すでに存在する大票田を失うわけだからね。

だから、その意味で共産党の知事の存在は大きかった。

「地域の雇用を確保するための公共工事なんていらない」

という知事なり市長なりがいて、実際、その通りに運営されていて、住民たちがそれでもわりと幸せにやっている、そういう地域が残っていれば、それをモデルにできる。

共産党は沖縄なり京都なり東京なり北海道なりで知事としても、確かな野党としても、実績をあげてきたわけだから(実績をあげてきたんだよね)、そういうことをもっとみんなに示していくべきじゃないかな?

今はそういうこともできなくて(政策をアピールする点では)ジリ貧だ、というのなら、借金を抱えて破産してしまった村なり、大企業の工場閉鎖によって失業者が爆発的に増えてしまった都市なりに、その組織力、政策立案能力、現在の共産党の持つ全勢力を傾けて乗り込んでいったらどうなんだ。

そうして、「自由経済」に見捨てられた地域から、日本全国に、全世界に向けて「日本共産党」のやり方をアピールしてみればいいじゃないか。

「共産党」の名だたる精鋭のみなさんが、沖縄の議会に大挙して押し寄せてきて、民主主義の政党として沖縄の経済を後押ししてくれるんなら、俺は、歓迎するぜ。


薩摩長州さんじゃないけれど

『KYDさんとは、立ち位置が違うのでなかなか一致点をみいだすことは難しいとおもうことが多いのですが、最近の投稿を拝見すると、結構うなずいている自分があったりします。
今回のコメントは、うぅ!というほどごもっともですな。 』
と、此処までは (左の)薩摩長州さんと全く一緒の見解です。

唯此処からが大きく違う。
『共産党が<自分たちの秩序>にしがみついている間は、彼らは永遠に<政権に対するアンチテーゼ>でしかありえません。』
これは愚樵さんKYDさんも薩摩長州さんも、何かの勘違いですよ。
『秩序』にしがみつく姿勢とは一言で表現すると、『保守』の一番典型的な特徴です。
保守とは、今までの社会の良き伝統や権威を『守り』『保つ』事を最大の価値観とする政治姿勢で根本的な(大きな)変革は嫌うが、社会を健全に保つ為の漸進的な(小さな)改革を進めようとします。

それでは今の日本共産党は如何か。?
今の日本社会の『最も良き伝統と権威』とは何でしょうか。?
これはもう皆さん。政治では、間違いなく世界に誇れる『平和憲法』であり戦争放棄の『9条』以外に考えられない。
世界の主要国で第二次世界大戦以後64年、一人の兵士も殺さず一人の兵士も殺されていないのは世界中で日本唯一国しかない。
経済で『良き伝統』とは、日本の世界に誇る製造業を支えていた高度な技能の伝承に不可欠な『終身雇用制』でしょう。
これは日本の今までの貧弱な社会保証制度を補う日本的なセーフティネットでもあった。
終身雇用を守ろうとして非正規雇用に最期まで反対したのは、唯一共産党だけです。
民主党も社民党も残念ながら非正規労働の拡大の法案に賛成している。
また共産党は消費税でも即時廃止ではなく5%から3%に戻す事を主張する。
これ等の主張や掲げる政策は『資本主義のルールを守れ』に要約され、革命政党だと考えていたら大間違い。

この共産党の態度は『良き権威と伝統の守護者』である『健全保守』そのものですよ。
其れは『部落解放同盟と共産党の確執を見ればそれは明らか』です。
『被差別者以外は差別者』と言う凄まじいスローガンの下、健全な社会秩序を破壊する部落解放同盟に対して政党としては唯一反対して戦ったのも共産党唯一党だけ。
このことは関西地方の一般市民にも良く認識されていて兵庫県等の保守的な田舎の町で共産党首長が何人も誕生する原因になっています。
橋下現象=赤木君現象=不適材不適所現象(2008年02月07日 | 部落解放同盟
http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/8e47f847f4ad4bb3182505c75c9f5267

『日本共産党は「健全保守」である』、との私の主張が間違っていない証拠に、
今毎日新聞が始めている政党マニフェストではなく、候補者個人の掲げる政策と有権者の要求との相性を測るボートマッチ『えらぼーと』なるネットアンケートを試して下さい。
一目瞭然。数字で簡単に明らかになる。
共産党に投票したくない共産党支持でない保守的な市民でも、それ以外の常識的な市民でも、過半数以上が『共産党』の掲げる政策とご自分の主張とが一番一致するはずです。

同意です

>『資本主義のルールを守れ』に要約され、革命政党だと考えていたら大間違い。

この共産党の態度は『良き権威と伝統の守護者』である『健全保守』そのものですよ。

まったく仰せのとおり、認識に一ミリのずれもありません。

がっつり資本主義社会の枠組みのなかにあって「左」からそれをささえる”左大臣”だとおもっております。
それを私らはスターリニズムとよびます。

<保守>

>日本共産党は『健全保守』である

最近少し調子が悪いとはいえ、世界で最も豊かな国家の一つである日本の社会を『革命する』という政党が支持を得られるでしょうか? まともな知能のある政治家なら<保守的>に自分を見せようとするのは当然でしょう。

しかし共産党の言う<保守>とは、彼らによって理想化された<伝統的平和国家日本国>の姿を<保守>しようというもので、現実の世界のありようを認めて前進しようという本来の意味での<保守>ではありません。

もちろん共産党にだって組織を維持する事情もあるし、生活だってある。無謬でいろなどと言えるわけもないでしょう。
しかしせめて自分たちがまるで<弱者代表>みたいな顔をして<正義>の席に着くのだけは勘弁してほしい、政治家なら政治家らしくちゃんと<権力>を目指し<未来>を示せ、と思う次第です。

保守について

ながらく放置で申し訳ありませんでした。

こちらコメント欄での議論への返答は新たなエントリーを見ていただくとして、エントリーで触れなかった部分について、少し。まず、保守の解釈について。

私の解釈では、〈生活世界〉重視、これこそが保守です。その意味では、共産党は過去から現在に至るまで、徹底して革新、つまり〈システム〉重視。

現在の共産党が二段階革命論などと言いつつ、『資本主義のルールを守れ』に要約される現実政党になっていますが、現実政党=保守とはいえないと思います。むしろ、現在の日本においては、保守の立ち位置は表面的には革新となるでしょう。なぜなら〈システム〉が全域化して〈生活世界〉が空洞化してしまった現在において、〈生活世界〉を重視する保守の立場に立つとなれば現在の〈システム〉の在り方に異議を唱えるしかなく、現在の〈システム〉の在り方に異議を唱えるならば、それは革新と見なされるだろうから、です。

面影さん

『日本共産党は「健全保守」である』、との私の主張が間違っていない証拠に
今毎日新聞が始めている政党マニフェストではなく、候補者個人の掲げる政策と有権者の要求との相性を測るボートマッチ『えらぼーと』なるネットアンケートを試して下さい。

アンケートは試してはいませんが、私はおそらく共産党の主張と一致することはないと思います。けれど、多くの「市民」と一致することは、間違いないでしょう。

この理由は、私は今、「市民」とカッコ付きで表記しましたけれども、これも〈システム〉の全域化〈生活世界〉空洞化で解答できると考えます。すなわち、〈生活世界〉空洞化して個人がバラバラになった世界においては、個人は直接、国家といった〈システム〉と対峙することが求められる。〈システム〉と直接対峙する個人が〈システム〉に求めるのは、一方では右翼的な、国家に伝統的価値観(←本来は〈生活世界〉のもの)を求め、個人のアイデンティティ的なところから国家に寄り添う在り方、もう一方は、国家に対して、直接「セーフティーネット」などの保障を求める在り方。その在り方が共産党の主張と一致するであろうことに、違和感は感じません。

私がもし、この二者択一のうちどれかを選ばなければならないとしたら、選ぶのは間違いなく後者ですが、しかし、この2つしか選択肢がないとは思えない。私に言わせれば、いずれの選択も「亡国」の選択です。前者の方向性で進めばその先はファシズムですが、後者とていずれ同じ道を辿ります。後者はコストが掛かりすぎる。後者の在り方を進めれば、いずれ国家財政は破綻して、その後始末のために国民を統制する方向で治安統制しなければならなくなる。制度疲弊を起こした資本主義の限界です。

本来ならば、というより、20年前までなら、資本主義は限界を迎えているのですから、ここは共産党の出番となるはずなのですが、資本主義が限界を迎える前に共産主義が限界を迎えたのですから話になりません。その鍵もやはり〈生活世界〉。共産主義は、資本主義とは違い、〈生活世界〉を〈システム〉に取り込めず、〈システム〉は崩壊した。(ただし、キューバでは〈生活世界〉と〈システム〉とがうまくバランスしているらしい)。〈システム〉が崩壊したロシアで、庶民の生活をギリギリのところで支えたのは〈生活世界〉だったらしいです。

翻って、〈生活世界〉が空洞化してしまった日本では、〈システム〉が崩壊したらどうなるでしょう? 先の派遣村は〈システム〉の綻びから生まれた現象ですが、〈生活世界〉が充実した昔なら、あの現象はあり得なかったはず。たいていの人間は、転がり込めるところをどこかひとつくらいは持っていたはずなのに、現在はそれがない人間が多過ぎます。多くの人間は、〈システム〉のセーフティーネットに頼らずとも、それぞれの〈生活世界〉のなかで自前のセーフティーネットを持っていたのです。

宮台真司の議論などを追っかけていますと、現在、欧州あたりで主に問題とされているのは、いかに社会を充実させるか、すなわち、いかに〈生活世界〉を分厚くするか、それがアチラの「社会主義」なんだそうです。私は、フランス大好きな村野瀬さんがそのあたりを押さえていないのが不思議で、なぜ今時、『ルールある資本主義』などと欧州からみれば周回遅れの主張をしている日本共産党を支持するのか、よくわからないのです。

誤解。

 日本共産党は資本主義を守れ、なとど主張していませんし、政策上も、そのようなものは出していません。日本共産党が主張し、政策として出しているのは「ルールある経済社会」へ接近する方策です。資本主義については「ルールなき資本主義を正す。資本主義の限界」といって批判し、「ルールある経済社会」を主張しています。

 社会主義革命か、民主主義革命か、という解決済みの問題を蒸し返しても周回遅れでしょう。

 国民合意を積極的に形成する主体として努力しながら、民主主義と人間の自由を擁護し、実現する社会を目指し、今、運動しているのが日本共産党です。民主主義革命路線ですね。

 なお、「生活保守」というものがボランティアを指すのでれば、それは国家レベルとしては社会保障、教育の完全無償化になります。子供にしても両親が経済負担をするという閉じた保守の世界から、国家社会全体で子供を育てるという歴史の潮目に立っているのが今回の政権交代の一番の眼目です。

 民主党の子育て手当てには、所得制限がありません。どんな子供にでも一律に手当てするわけです。これは完全な革命といってもいい程の転換です。高校無償化にも踏み出した。ここにも所得制限がない。

 今、時代は、生活保守なる閉じた世界から、個人の尊厳を国家社会レベルで保障していくという「ルールある経済社会」へ向けて、資本主義社会の内部からの変革が始まっている情勢なのです。

 この時に、日本共産党が民主党を「左」からしっかりと支え、さらに「左」へと舵を切った政権にするために草の根で署名運動、請願運動、選挙運動に取り組んでいるわけです。

 薩摩長州さんのいう「左」というのは、よくわかりませんが、少なくとも薩摩長州さんがどんな政策を実現する必要があるのかを語らなければ話にならないでしょう。

 

ルールある経済社会

愚樵さん。
〈生活世界〉重視か、〈システム〉重視かは二者択一を迫られる対立軸になりません。
これを言葉を変えれば『卵か先か鶏が先か』程度の話で、コインの裏表みたいな一体不可分の関係です。
完全分離出来る等と考えるのは、『頭(脳)さえ生きていれば『体』は死んでいても生きていける』、と考えているらしい唯脳論と同じ、現実を完全無視した観念論で、何時もの悪い癖の言葉遊びの類いですよ。

>『それは革新と見なされるだろうから、です。』<

一般的な意味で使われている保守革新の定義なら 全く其のとおりですが、『別の物差し(古き良き伝統と権威を守るか守らないか)なら、健全保守という見方も出来ますよ』と言うのが私の主張です。
『えらぼーと』は今月の17日から本格運用するそうです。

>『アンケートは試してはいませんが、私はおそらく共産党の主張と一致することはないと思います。』<

愚樵さん、『食わず嫌い』は感心しません。『物は試し』騙されたと思って一度試してください。
昔の学生時代に民青に酷い目に遭った事を未だに怨んで『スターリニズムの共産党』と言っている(左にいきすぎた)薩摩長州さんも、『食料は全部外国に依存して日本は東京以外は不必要』と考えているらしい(右にいきすぎた)KYDさんも、
其の部分だけは間違いなく一致しないが、多分其の他の考え方では、自分と掲げる政策が一致する政党が困った事に日本共産党で有るかも知れませんよ。

>『けれど、多くの「市民」と一致することは、間違いないでしょう。』<

このことは殆んど間違いなく言える事で、政党名を隠して政策だけを提示すれば日本共産党が一番一般的な庶民層の要求に近い政策を出している。
ところが一般庶民には『共産党アレルギー』が有るのでアレルゲンに対しては抗体反応(拒否反応)が症状として出て来るのです。
そして一般的な庶民層とは『自分の家族や生活を守る』事を、全てに優先する最大の価値観とする健全保守層とも一致しているのです。



東西南北さん。

>『日本共産党が主張し、政策として出しているのは「ルールある経済社会」・・・』<

仰られている「ルールある経済社会」とは、私の使っている『資本主義のルールを守れ』と言葉(表現)は多少違いますが意味するところは同じでは有りませんか。?

逝きし世の面影さんへ。

 面影さんの主張は、全部ではないですが、主要なところは知っていますので、面影さんが使用した「資本主義のルールを守れ」という言葉の意味は、わかっているつもりです。

 すなわち、封建社会から資本主義社会へ移行するにあたって、民主主義と人権運動が盛り上がった。その結果、封建主義社会は崩壊し、資本主義社会が成立した。この歴史の文脈で、民主主義と人権を一層、進めていくことが「資本主義のルール」といっていると思っています。

 ただ、東西が言う資本主義のルールとは搾取のルールという意味ですから、資本主義のルールを守れ、といえば、搾取のルールを守れ、ということになりますし、「ルールある資本主義」と言えば、資本主義にルールなどない。したがって、対策として民主主義と人権の運動が必要なのだろう、と感じるわけです。

 

 

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