愚慫空論

〔信じる-疑う〕の水平性と垂直性

「我思う、ゆえに我あり」

デカルトの有名な言葉で、私たちはこの言葉を違和感なく受け取りますが、この言葉には〔信じる-疑う〕ことの二重性――水平性と垂直性が端的に示されています。

「我思う」は思惟する我、〈疑う〉私です。そこに後半の「我あり」で、「〈疑う〉私を疑うことが出来ない」の意となりますが、これは言い換えれば「〈疑う〉私を(私は)《信じる》」となります。
(〔信じる-疑う〕ことの二重性は同時に「私」の二重性をも示します。)

前の〈信じる〉〈疑う〉を〔信じる-疑う〕ことの水平性、後ろの《信じる》《疑う》を〔信じる-疑う〕ことの垂直性と捉えると、下のように図示することができます。そして、「我思う、ゆえに我あり」とは、直交座標系になぞらえた図の第二象限だとすることができます。

信じる疑う

Ⅰ:〈信じる〉私を《信じる》――「愛」という言葉で表わされる精神。

Ⅱ:〈疑う〉私を《信じる》 ――近代合理精神

Ⅲ:〈疑う〉私を《疑う》  ――ニヒリズム

Ⅳ:〈信じる〉私を《疑う》 ――「憎悪」の精神状態。

近代という時代は、Ⅱの領域が肥大した時代であると同時に、Ⅱから転化したⅣも大きく拡大した時代でもあります。Ⅱの「〈疑う〉私を《信じる》においては、信じるに足るのは「私」――私の理性、私がアイデンティティを確立する集団、など――のみとなりがちで、そこへ陥ると〈信じる〉あなたを《疑う》、すなわちⅣの領域が拡大する。合理的精神の限界です。

他方、Ⅰの領域において、〈信じる〉私を《信じる》態度は、〈信じる〉あなたを《信じる》ことへと容易に結びついていきます。Ⅱの領域のように、他者である「あなた」を信じるのに、「あなた」を「私」の同一性によって支配する必要がない。絶対的他者である「あなた」――「私」の感覚装置によって捉えられ〈信じられる〉「あなた」――は、絶対的他者のままで《信じられる》。これが差異共振だと考えられます。

コメント

引力

問、直線なんて世の中に存在しないよね?

答、ものの輪郭線ってそうじゃないかな。

問、じゃあ平面は?

答、影。

問、点っていうのはないでしょ?

答、ブラックホールみたいなものかな、

今、ここで、それを確認するための媒体と感覚器が存在し得ないから不可知なだけで、でも、それがないと、ここにあるはずのすべてが存在し得ない。輪郭線や、影すらも。だからある。その意味でそれらは形而上学的なとこから強烈な引力を放っているともいえるね。

問、ゼロってあるの?

答、う~ん、それは数学の先生に聞いてみて、、
  、、、いや、国語の先生の方か(笑)

あると言えばあるし、ないと言えばない

それがあると君と僕は一生ひとつになれないし

それがなければ君と僕は死ぬまでひとつのままだ

君はどっちがいい?


僕としては、いそいで答えを探さない方がいいと思うけどね、

それよりも、この夢のような世界を、楽しもうじゃないか、

一度きりの、限りない世界

おもしろい

>『「愛」という言葉で表わされる精神』
>『近代合理主義』
>『ニヒリズム』
>『「憎悪」の精神状態』

ってのは愚樵オリジナルですか? おもしろいなぁ。

この図をみながら、x軸を「感性」、y軸が「理性」かな、と思ってしまいました。(と、また無理を言ってみる。)普通に右方向、上方向が+、で逆がーですが、+ーが優劣ではなく、プラス方向に向っている、マイナス方向を向いている、みたいな読み方。
個人的には2と3を行ったり来たり。ときどき1と4。グルグル回っている。
常に1でありたいが、なかなか難しそうだな。

肉体への軽蔑

近現代は、肉体を軽蔑する時代と言えます。いや、もっと前からその兆候はあったけれど。
たとえば睡眠。睡眠を「無駄な時間」「死に近いもの」として一段低く見るビジネス思考は、あるでしょう。睡眠は、人間の創造性において高貴とさえ言える重要な働きをするものであるのに。


心身二元論。人間を精神と肉体に分けて考えること。
確かに、この<精神>こそが私です。私の能力であり、意思であり、生そのものです。
では肉体はお荷物なのか? 精神に付随するものなのか、と言えば違う。
肉体は<他者>です。肉体は、他者ばかりの人間の群れの中に置かれ、いつも他者に合わせて動いている。精神にとっては他者そのものと言っていい。

これはつまり、<私=精神+肉体>ということは、<私=私+他者>であるということです。
私は、私以上の数の人間を抱え込むことによって、私である。私の中に他者があり、私の肉体がより多くの他者のために動いている時、はじめて<私>は充実している。


まとめ。
肉体への軽蔑=他者への軽蔑

肉体への軽蔑=他者への軽蔑

そこに妙に頷けるものを感じました、人生アウトさん。
それから、DrのX軸は感性軸というのも面白いです。
ただ、わたし的には、第一(+)・第三(-)象限では内的感性であるのが、第二(-)・第4(+)象限では外的感性へと転換するような気もします。
さらに、感性軸・理性軸に加えて直感軸(z軸)があるとよいかな。

肉体(他者)は感性によって捉えられ、それは直感によって信頼・信仰へと昇華される…のかな。

Re: 肉体への軽蔑=他者への軽蔑

> そこに妙に頷けるものを感じました、人生アウトさん。

私も同意です。

> それから、DrのX軸は感性軸というのも面白いです。

ええ、そしてY軸は感情軸だな、と。dr.stoneflyさんとは違いますが。

海舌さんは、X軸を一次意思、Y軸を二次意志と対応させてくださっていますが、自分の感性を信じる信じないは、理性よりも感情だと思うのですね。

> ただ、わたし的には、第一(+)・第三(-)象限では内的感性であるのが、第二(-)・第4(+)象限では外的感性へと転換するような気もします。

1と3,2と4には何か共通性を感じますよね。私は、1と3は身体知(≒暗黙知)、2と4は頭脳知ということになるのかな、と思っています。理性の軸は、2と4を貫く軸ということになります。

> さらに、感性軸・理性軸に加えて直感軸(z軸)があるとよいかな。

naokoさんのいう直感軸は、身体知の軸、1と3を貫く軸になるような気がします。

理性軽蔑

日本ではよく
『現場も知らないくせに!』
という罵声が浴びせかけられます。

おもしろいのは、このとき『現場』が何を指しているのか、という定義について論争になることは滅多にないことです。
両者が善意に基づいて議論しており、かつ意見対立がある場合、お互いの考えている『現場』が同じであることは滅多にありません。前提が違うからこそ結論が違うのです。にも関わらず『現場とは何か』は自明なのです!

『事件は会議室で起こっているんじゃない、現場で起こっているんだ!』と叫ぶ映画がありましたね。
ここで<現場ってどこだ>などと思う観客は居ません。映画を見る観客は神の視点を与えられているのですから、主人公が正しいことは自明だからです。

しかし<会議室の幹部>たちは彼を認めません。なぜなら彼らが持っている情報は不完全だからです。本来ならば<現場>からそれを正す情報が与えられるべきですが、実際に<上層部>に与えられるのは『なんで<現場>に血が流れるんだ!』というような、情念は分かるけれど情報としては無価値なワードでしかありません。

これでは<上層部>が<現場>の意に沿う決定を行う可能性はゼロでしょう。
しかし現実に、末端の人間は言うのです。
『あいつらは<現場>を知らない』
と。

『身体知』とか『愛』とか『感性』とかいうキーワードも、多用されすぎると何かそのような、『俺の・俺の・俺の話を聞け~』的な、体育会系の黙って従えチックな、押しつけがましさを感じてしまうのです。

『だって俺もお前も人間じゃん? だったらお前も俺と同じように感じるし思うはずじゃん? 俺の言うこと何か間違ってる? ねえ間違ってる?』

かつてナンシー関は『日本人はヤンキーとファンシーでできている』と喝破しましたが、『現場』や『肉体』を『理性』よりも上位のものとするのもこの『ヤンキーとファンシー』の価値観の成せるわざなのかもしれませんね。

スキヤキ

>『日本人はヤンキーとファンシーでできている』

おもすれ~、さすがだね。
「ヤンキー」「ファンシー」という怪しげなカタカナ語の使用法が絶妙だよ。
偉大なるナンシー関さん。

語源から考えると、

「アメリカ」ぶりっこ(古い?!)とは違う「似非アメリカ」ぶりっこで、なんでもかんでも甘いスポンジにくるみたがる

ってとこだよね(笑

だからそこからこんなふうに強引な論理展開をされると、「なんだかな~」とか言うんでないかい。

>『俺の・俺の・俺の話を聞け~』的な、体育会系の黙って従えチックな、押しつけがましさを感じてしまうのです。

そもそもそれは「口下手で優柔不断でなかなかNOと言えない」というイシハラシンタロー的ヤンキー主観のじゃぱにーず像とかけ離れているのだが、どんな「俺的日本人観」なんだろね。この方は体育会系に恨みでもあるのかしら(笑

ついでにこれは現在wiki先生から、

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ニューアムステルダムが港湾都市としてやや都市化していたのに対し、コネチカットの入植地は農業(酪農など)が主要産業だったことや、当時のオランダとイギリスの間の国際関係も下地にあると考えられる(日本人をスキヤキ野郎や寿司太郎と呼ぶのに近い)。

19世紀後半、日本人は勤勉さと近代化への努力を称えて「東洋のヤンキー」と呼ばれていた

======================

「近代化への努力」か。

まさに(いろんな問題あるけど気にせず)「上を向いて歩こうよ♪」(いけいけどんどんどんとゆけ)の精神。

ナンシー関さんの日本人評と並べて見ると面白いね(笑

Re: 理性軽蔑

KYDさん

> 『身体知』とか『愛』とか『感性』とかいうキーワードも、多用されすぎると何かそのような、『俺の・俺の・俺の話を聞け~』的な、体育会系の黙って従えチックな、押しつけがましさを感じてしまうのです。

ご自分のこの文章を理性的だとお考えですか?

> 『だって俺もお前も人間じゃん? だったらお前も俺と同じように感じるし思うはずじゃん? 俺の言うこと何か間違ってる? ねえ間違ってる?』

わはははは。面白いです、とっても。そう、私はそのようなスタンスで語っています。で? それの何がいけないのと言うのでしょう? 確かに理性的ではないでしょう。が、しかし、理性的でないことがすなわち理性蔑視なのですか? 

KYDさん。あなたの指摘はある部分正しいと私も認めます。それは、私の議論が理性的ではないということ。しかし、理性的でない=理性蔑視という論理には同意できません。むしろ私には、その論理の中に、KYDさんの理性的でない感情が混じっているように感じられます。

KYDさんの中には、理性を上位に置くべしという感情的な思い入れがあるのではないのですか? 〈疑う〉KYDさんを《信じる》、Ⅱの状態ですね。それとも、〈信じる〉愚樵を《疑う》、Ⅳに居るのでしょうか?

これ、おもしろいですね

私も遊ばせてください。

ここまでのところ、少し言葉を変えたり、追加して、私流に勝手にアレンジし直しちゃっていいですか。(笑)

まず、第1象限はロマンチシズム、2と4を貫く軸は理性の軸、1と3を貫く軸を感性の軸とすると私的には(笑)気持ちいいです。

そして、X軸とY軸の交点は事物の真理、あるいは、宇宙のビッグバン、あるいは、精神の究極の内面、あるいは、空、であるような気がします。

感性の軸は従って、X軸とY軸の交点から遠ざかると真理からかけ離れていきますが、第1象限へ向かっては夢想、第3象限へ向かっては妄想の度合いが増し、それぞれ、世界平和、世界終焉を盲目的に信奉する傾向が高まるかもしれません。

次に、理性の軸でも、やはり、X軸とY軸の交点から遠ざかると真理からかけ離れていきますが、ここでは第2象限へ向かっては個への没入が起こりやすく、個人主義が顕著となり、第4象限へ向かっては個の喪失が起き、翻って集団への盲目的な忠誠、崇拝に変化し、全体主義の傾向を増すと言えるような気がします。

別のキーワードは、第2象限に向かって、自己顕示→他者蔑視・排除、第4象限に向かって、自己嫌悪→他者妄信、というイメージが湧いてきます。

どうでしょうか。ぶち壊しになっちゃいましたかね。(笑)

muchomejorさん

ぶち壊しになったなんて、そんなことはありません。

楽しみつつコメントを付けて頂いて、ありがとうございます。

このエントリーは続きを考えていまして、今、時間がないので書けませんけれども、近々アップするつもりでいます。そちらにもまたコメントくださいね。

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