愚慫空論

残り滓でしかない今の自民党、新しい枠組みを示せない護憲政党

マガジン9条の森達也氏のコラムから
 最初に断っておくと、僕は民主党にまったく期待してません。政権交代して民主党政権ができたとしても、いまの政治の枠組み自体が変わらない限りほとんど何も変わらないでしょう。
 正直、民主党っていまだによくわからないんです。その正体も、なにがやりたいのかも。よく言われることだけど、憲法や安全保障の問題にしても左右の両端が全部そろっている。護憲派には民主党が政権をとったら「改憲」へ一気に突き進むんじゃないかという危機感があるかもしれないけれど、それもわかりませんよね。そういうわからない政党に、あまり権力を与えたなくないって気持ちもあるんだけれど……。
 結局、民主党の中枢にいるのは元自民党の人たちで、その意味では自民党のコピーでしかない。周辺には面白い人もいると思うけれど、それは自民党も同じ。それに結局周辺だから、どうしても発言力は弱くなる。
このような意見は、「護憲派」と呼ばれる人たちの典型的な考えだと思います。

「政権交代しても、なにも変わらない」
「民主党はよくわからない」
「民主党は自民党のコピー」

これらの言葉は半分は当たっているけど、半分は間違えていると私は思います。物事の半分しか表わしていないということですね。で、もし、半分を全部と思っているなら、何もわかっていないのと同じ。いや、何も分かっていないのよりも質が悪いかもしれない。


まず、「民主党は自民党のコピー」というところから見てみましょう。これが半分当たっているというのは、ここでいわれている自民党は、かつての自民党です。改憲、護憲という視点で見ても、かつての自民党は両方の勢力が存在した。でも今の自民党は、ほぼ改憲一色です。

民主党には改憲勢力も護憲派もいます。かつての自民党と同じです。ですので、「民主党は自民党のコピー」というのは、間違えていないけど足りない。「民主党はかつての自民党のコピー」と言わなければならない。

「民主党はよくわからない」というもの、それはそのままかつての自民党に当てはまります。民主党をよくわからない政党だというのなら、かつての自民党だって同じです。ハッキリしていたのは政権与党だということだけ。民主党が政権を取れば、かつての自民党と同じよくわからない政権与党になるだけのこと。

そして「政権交代しても何も変わらない」...。

私から見れば、この言葉は世間一般と護憲派との乖離を示す言葉です。護憲派はこの乖離に自覚的でないんですね。

確かに、いずれもよくわからない政党同士で政権交代が行われても、「よくわからない」という部分では何も変わらない。この「よくわからない」のは主に改憲・護憲の視点からいうのでしょうが、確かにこの視点からは何も変わらないとはいえるでしょう。

しかし、世間一般が政権に求めているのは「よくわからない」が「よくわかる」ではないのですね。政権交代が長らく行われなかったことは日本社会にどういった弊害をもたらしたかというと、それは官僚組織が中立性を失ってしまったということ。日本はもとから官僚主導の国ではありましたが、その官僚たちが好き勝手に振る舞っている。官僚たちの全部をそうだとは言いませんが、官僚組織は今や国全体の利益のためには働いていないように国民からは見える。政権交代に求められているのは、官僚組織の立て直しなんです。

民主党は自民党を出て行った人たちが中心になっている。民主党だけではないですよね。国民新党もそうだし、新党大地もある。小沢一郎、鳩山由紀夫、菅直人、亀井静香や鈴木宗男、それから平沼赳夫など、こういった人たちは決して清廉な政治家ではなかったし、今でもないでしょう。私たちが「政治家」という言葉を発するときに同時に連想されるダーティな部分もたっぷり併せ持った人たち。でも、「それだけ」ではなかったんですね。

今の自民党が、かつての自民党の残り滓でしかないことは、もはや明かです。今の自民党を牛耳っているのは「それだけ」の者たち。残り滓が輝いて見えた時期もあったし、現在はその残滓でなんとか体裁を維持しているけど、その輝きがメッキでしかなかったことは小泉純一郎が自ら明らかにした。自民党を離れた「それだけ」ではない人たちが中心になる政党が「かつての自民党のコピー」になるのは、当然といえば当然なんです。

そして「かつての」という意味では、護憲政党も全く同じ。「いまの政治の枠組み自体が変わらない限りほとんど何も変わらないでしょう」はその通りだけれども、これは裏を返せば護憲政党が政治の枠組みを変えるにたる新たな枠組みを提示できなかったということ。マルクスが唱えた共産主義が本当によいものだったなら、何度も死んだりはしません。現在は資本主義の限界が見えつつある時代ですが、けれども資本主義は生まれてから現在まで一度たりとも死んだことはない。良くも悪くも優れた制度だということ。何度も死んでしまうような思想とは比べものになりません。

護憲政党の決定的な欠点だと私が感じるのは、自分たちは世間一般より進歩したところにいるという思いこみでしょう。そう思い込んで進歩の歩みを止め、「かつての」まま。

私は護憲派です。9条は先進的な思想であると思っています。しかし、9条は先進的なだけであって、まだ未完なんです。もっと進歩させなければならない。けれども護憲政党は9条を先進的だというだけで、9条を進歩させることを怠ってきたのではないのか。歩みを止めた思想は、体裁がいかに先進的であっても、内実は保守と同じ。保守的になるから分裂する。進歩の最中にある思想は、多様な様相を見せながら自然とひとつの方向へ収斂していくもの。科学がまさにそうだし、経済学もそうです(ただし経済学は根本的なことで誤っていると思っています)。

私はかつてのまま護憲政党には9条を担い進歩させていく力はないと思っています。

コメント

政権交代の意味

挨拶割愛します。


政権交代の意味を精査しているのでしょうか?

議会議席の優劣が政権交代という認識は正しいのでしょうか?

私からすれば、間違ってますね。
 その最大の理由が、立法府に立法能力がないからです。立法府政治家が立法能力がないから、官僚による政治掌握に対抗しきれない。三権分立という憲法上の建前を内閣法制局という立派すぎる行政機関が全権掌握しているわけですから、政権は行政に集中し、内閣法制局がその親玉というべきでしょう。
 従って、議院内閣制「官僚内閣制」の日本では政権交代は官僚人事の入れ替えでしかない、
と言えるでしょう。政権交代という言葉の意味から履き違えているということです。

 同時にそもそも政権交代はすでに経験しているはずですが、その経緯を無視した議論はやはり納得しかねます。細川・羽田両氏の非自民党系統政権は、世俗的な政権交代の実現例ですから

>日本では政権交代はない
とは間違いと断定できるでしょう。

第一、政権交代がそんなに健全な政治モデルでしょうか?中長期的な政治政策が実行される場合、政権交代によって効果がブレたり、効果がマイナスになるケースも多いでしょう。つまり、政権交代しない方が中長期的に政治効果が期待できる部分もあります。特に外交・教育部門はそれこそ政権交代による政治のブレが格差・差別を助成するのですから、安易に政権交代を神聖視するべきではないでしょう。

 政権内部の自浄作用・世代交代による漸次的な政治変革も政権交代と言えることは精査しているのでしょうか?
 議員定年制を採用とは、世代交代というシステムを活用し、流動性を高める意図も過分にあったと言えるのですが・・・

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