愚慫空論

〈動的概念〉を提唱します

〈一次意思〉 = 〈概念〉を生み出す意思
〈概念〉   = 脳死、所有、貨幣...etc
〈二次意志〉 = 〈概念〉によって生み出される意志

〈動的概念〉とは、〈概念〉を生み出す〈一次意思〉が消滅すると同時に消滅する〈概念〉です。
〈二次意志〉を生み出さない〈概念〉であるとも言えます。

〈動的概念〉の理解には、「動的平衡」が参考になります。

『動的平衡』(Wikipedia)
動的平衡(どうてきへいこう)とは物理学・化学等では、互いに逆向きの過程が同じ速度で進行することにより、系全体としては時間変化せず平衡に達している状態を言う。
系と外界とはやはり平衡状態にあるか、または完全に隔離されている(孤立系)かである。なお、ミクロに見ると常に変化しているがマクロに見ると変化しない状態である、という言い方もできる。これにより他の分野でも動的平衡という言葉が拡大解釈されて使われるが、意味は正確には異なる。これについては他の意味の項を参照。

他の意味
動的平衡という用語は分野によっては、物理用語でいう平衡ではなく「定常状態」というべき場合に使うこともある。定常状態とは系が平衡状態にない外界と接している場合にのみ起こり、流れがあるが時間変化が見られない、すなわち系への出・入の速度が等しい状況をいう。
例えば、経済において資本のフローが一定であれば安定した市場が成立する。また生物(人)の出生率と死亡率が同じ場合には個体数(人口)は変化しない。経済学や生態学・人口学ではこれらの状況をそれぞれ動的平衡と呼んでいる。生物学でもエネルギーや物質の出入に関して動的平衡ということがある。
「ミクロに見ると常に変化しているがマクロに見ると変化しない」という点では、これらを動的平衡のアナロジーとして理解できる。しかしこれらは物理的な意味での動的平衡ではなく、外界は平衡状態にない。資本の出入り、生物の生死や物質の出入は系外との流れとして直接観測できる。従ってこれらは定常状態と見るのが適切である。


生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)生物と無生物のあいだ
(講談社現代新書)

福岡 伸一
特に最近、一部の生物学者が「動的平衡」を「恒常性」と同様の意味で用いているようですが、〈動的概念〉は意味は、物理・化学の概念としての「動的平衡」よりも、アナロジーとして用いられている「動的平衡」=「恒常性」に近いものです。

『恒常性』(Wikipedia)
恒常性、ホメオスタシス(ホメオステイシスとも)は、生物のもつ重要な性質のひとつで、生体の内部や外部の環境因子の変化にかかわらず、生体の状態が一定に保たれるという性質、あるいはその状態を指す。生物が生物である要件のひとつであるほか、健康を定義する重要な要素でもある。生体恒常性とも言われる。

生物は「恒常性」を失うと死に至ります。「恒常性」を保持し生命活動を行っている身体と、「恒常性」を失って死んでしまった身体とでは、死の直後であれば物質的な蘇生は変わりません。〈動的概念〉は、「恒常性」を保持し生命活動を行っている身体に相当します。〈一次意思〉とは「恒常性」を保持する源泉となる「生命力」といったものに相当します。

従来の〈概念〉は、「恒常性」を失い死んでしまった身体も生きている身体と同様に扱うようなものです。〈一次意思〉を失い〈二次意志〉を機能させる〈概念〉――これを〈静的概念〉と呼ぶことにします――は、死体が動き出すゾンビのようなものであり、私たちが暮らす現代社会はゾンビに支配された社会、あるいはゾンビを操る呪術師に支配された社会と言えそうです。



〈動的概念〉を少し具体的に見てみます。

「貨幣〈概念〉」における〈動的概念〉は、「減価する貨幣」になります。それも、個人が通貨発行権を有して発行する「減価する貨幣」の形態が生命体がそれぞれ「恒常性」を保持する生物界の自然な形態に近く、最も〈動的概念〉に相応しい貨幣の形であると考えます。

現行の貨幣は〈静的概念〉に他なりません。

「所有〈概念〉」における〈動的概念〉は、適切なものが見当たりません。なので、便宜上、〈動的所有〉とでもしておきます。

〈一次意思〉の源泉はあくまで個人の内面的な意思ですが、現実世界においては〔意志=行動〕として現れなければなりません。〈動的所有〉とは、所有する〔意志=行動=能力〕が伴って確立される所有概念です。「所有〈概念〉」の〈一次意思〉は「利用への〔意志=行動=能力〕」ですから、これが欠けると所有権は消滅すると考えるのが〈動的所有〉です。

もっと具体的にみれば、耕作放棄された農地は所有者のいない土地と見なされます。また、人が住んでいない空き家も同様です。〈動的所有〉においては、登記する、あるいは国家に資産税を支払うといった行為で所有権が保証されることはありません。利用者のいない土地は国家の所有にもならず文字通り「放棄地」であり、「利用への〔意志=行動=能力〕」があれば誰でも所有者となることが出来ます。現在のように、対価を支払って能力なき有者から購入する必要はありません。



〈動的所有〉が機能する社会での国家の役割は、個人の利害の調整のみになります。国家が所有権(=財産権)を保証するといったことはありません。例えば利用価値の高い土地の所有が放棄されたとき、予想される獲得競争をルールあるものにするのが国家の役割になります。

また〈動的概念〉が機能する社会では、国家が個人の財産権(減価しない貨幣、利用能力なき所有)を保証することもありません。財産は、個々人の能力によって保持されます。国家の果たす役割は、個人の財産が暴力等の不当な手段によって搾取されないように秩序を維持することになります。従って、〈動的概念〉が機能する社会では、現在以上に個々人は各々の能力に従って自由な競争を繰り広げることが出来ます。現在と変わるのは、〈二次意志〉が機能できなくなる点です。すなわち、「減価しない貨幣」や「利用能力なき所有」といったゾンビを駆使する呪術能力は、個人の能力と見なされなくなる。個人の能力とはあくまで価値の高い労働を生み出す能力であって、〈二次意志〉を用いて他者を支配する能力は個人の能力とは見なされなくなります。

さらに〈動的概念〉が機能する社会では、現代社会が抱える難問も【自生的秩序】によって解決に向かいます。例をあげれば、

日本の食糧自給率の問題。耕作放棄農地の問題は、〈動的所有〉と〈減価する貨幣+個人通貨発行権〉が機能すればすぐに解決され、耕作放棄農地問題が解決されれば、食糧自給率の問題も解消の方向へ向かいます。

格差社会、貧困問題が問題になることもなくなります。これらの問題は国家権力がゾンビである財産権を保証し、ゾンビが動き回る自生的秩序が原因です。〈動的概念〉が機能する社会ではゾンビは退治されますから、高い価値を生む労働ができる個人と低い価値しか生まない労働しかできない個人との間で格差は生じるでしょうが、現在のように生存権を脅かされるほどの格差が生じることはありません。

国家機能の肥大化の問題も解決されます。国家の機能は、かつて「夜警国家」と呼ばれたもので十分になる。富の再配分、社会資本の充実といった役割も国家は担う必要がなくなります。電気、水道、ガス、通信網といったライフラインや、道路や学校、病院等の社会資本の建設もすべて「資本家」の投資によって為されます。ただし、ここでいう「資本家」は生産手段を独占する現在の資本主義社会での資本家ではありません。「資本家」の権利は〈動的所有権〉のみであって、生産手段はあくまで〈一次意思〉=「利用する〔意志、行動、能力〕」を持った者の支配下にあります。

〈動的概念〉が機能する社会における資本の在り方は、エントリーを改めて展開することにします。

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事へのトラックバックURL
http://gushou.blog51.fc2.com/tb.php/278-857d2509

非核三原則と核持ち込み密約

『核持ち込み 元次官が密約証言』 1960年の日米安全保障条約改定時に核兵器搭載艦船の寄港などを日本側が認めた密約について、87年7月に外務事務次官に就いた村田良平氏が、前任次官から文書で引き継ぎを受けていたことを明らかにした。 『最初から胡散臭い三...

死刑を望んで人を殺す人に・・生きて一生をかけて償わせる

死刑制度がちっとも犯罪防止の抑止力になっていないということを改めて感じます・・あ、一応お玉のところは過去何度も死刑廃止論を取り上げ...

シルビオ・ゲゼルを超える社会政策論の基礎提言⇒〈動的概念〉が機能する社会では、財産は、個々人の能力によって保持されます。 by 愚樵空論

愚樵空論 〈動的概念〉を提案します 2009-07-08 (一部、抜粋) ⇒ 生物は「恒常性」を失うと死に至ります。「恒常性」を保持し生命活動を行っている身体と、「恒常性」を失って死んでしまった身体とでは、死の直後であれば物質的な蘇生は変わりません。〈動...

愚樵氏の「動的概念」とは、即非概念である:又は、「量子論」的概念である

下の愚樵氏の哲学的経済論考は、直観において、実に納得できるものである。結局、「動的概念」の理解が根本である。 引用開始 『 〈動的...

近代民主主義とトランス・モダン民主主義:Media Pointへの脱近代主義=脱同一性的純粋回帰

近代民主主義批判は既述済みであるが、ウイグル問題が噴出しているので、再度述べたい。  問題は、それが、いわば、ポスト・モダンと同様の差異と同一性の連続性・相対性・混合性をもっていることではないか。即ち、先に述べたように、それは、本来...

 | HOME | 

 
プロフィール

愚慫

Author:愚慫
“愚樵”改め“愚慫”と名乗ることにしました。

「空論」は相変わらずです (^_^)

      

最近の記事+コメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

QRコード
QRコード