愚慫空論

「だれのものでもないもの」は胡散臭い

久しぶりに『404 Blog Not Found』を覗いてみたら、面白いことが書いてありました。

『梅田望夫と中川淳一郎の共通点 - 書評 - ウェブはバカと暇人のもの』(404 Blog Not Found)
だから、分かってないんだよ、二人とも。

この二人がわかっていなこと。それは「だれのものでもないもの」。

パブリック、と言い換えてもいい。
だれがわかっていないかはどうでもいいですが、「それ」が何かは重要です。『404 Blog Not Found』では「それ」をウェブだと指摘していますが、もちろん、それだけではありません。政治とか経済とかも同じ。地球環境。それから言葉だって、「だれのものでもないもの」です。しかし、これらは同時に「だれのものでもあるもの」。それが【public】です。

が、この「だれのものでもないもの」はどこか胡散臭い。


先に「だれのものでもないもの」でありかつ「だれのものでもあるもの」で、しかもそれが胡散臭くないものを考えてましょう。まず思い浮かぶのが「入会地(いりあいち)」です。
入会権(いりあいけん)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A5%E4%BC%9A%E5%9C%B0

入会権(いりあいけん)とは、村落共同体等(入会集団)が、一定の主として山林原野において土地を総有し、伐木・採草・キノコ狩りのなどの共同利用を行う慣習的な物権であり、民法が定める用益物権である。入会権が設定された土地のことを入会地(いりあいち)という。

法的な議論はさておき、村落共同体等――ほとんどの場合、メンバーはみな顔見知りです――が、限られた場所を共同で所有(総有)して、共同で利用する「入会地」には胡散臭さは漂ってきません。外部にいる人間には若干の胡散臭さが感じられるかもしれませんが、共同体メンバーが入会地に胡散臭さを感じることはまずないと言っていいでしょう。その理由は、総有しているメンバーが限定されていて、しかも顔見知りというところにあるのだと思う。メンバーそれぞれが「だれのものでもないもの」でありかつ「だれのものでもあるもの」の全体像を明確にイメージできれば、胡散臭い香りは漂ってはきません。

地球 このことは、地球環境にも当てはまります。地球環境は現在のところ、「入会地」の最大規模のものです。人類全体はもとより全生物がそのメンバーで、このメンバー全員はなかなかイメージし難いですが、地球という惑星の限定されたイメージは、明確なものとして多くの人々が共有しています。そのことが地球環境に胡散臭さを感じなくさせています。
(画像は月周回衛星「かぐや(SELENE)」が撮影した地球)

では、これはどうでしょう?
「脳死状態からの臓器提供は個人に対するものではなく、社会に対するものである。提供された臓器は、社会から最もふさわしい相手に手渡されることになる。言い変えると、身体から離れた臓器は、もはや本人や家族に帰属するものではなく、社会に帰属するものである。この捉え方が、皮膚や骨などの組織から細胞、遺伝子へと拡がり、本人の生と死にかかわらず、身体から離れたものは社会に帰属するという原則が一般化して初めて、臓器、組織、細胞、遺伝子が医療用素材として活用されるようになる。とくに産業を介して広く国民に利用されるようになるためには、ヒトの生命材料を適正な形で産業へと手渡す仕組みが必要であるが、社会が提供を受け、社会が医療材料として、必要とする人々や企業に渡すという原則の確立がまず必要であろう。・・・・・・このような社会構造を構築するためのビッグバンとして、脳死・臓器移植を位置づけたいと考えている」(「感染 炎症 免疫」二十九巻四号)

もう、どうしようもなく胡散臭いですね。そう思いませんか?

この胡散臭さ、これはもしかしたらわかる人とわからない人とがいるのかもしれません。上の文章は移植学会学会理事長というおエライ人がお書きになったものを『晴耕雨読』の早雲さん『A案は「国定道徳」である』のコメント欄へ転載してくださったものですが、このおエライさんはおそらくはお医者さんですから、アタマはいい人のはずなんです。けど、この胡散臭さに気が付いていない。気が付いていたらこんな文章が書けるはずがない。
ネットが本当にすごいのは、本当は「だれのものでもない」はずなのに「だれかのもの」だったものごとばかりのこの世界で、本当に「だれのものでもない」を実現したことだ。道路ですら政府という「だれか」がいるのに、ネットにそれに相当する者は、誰もいない。なのに「おれのもの」にしようとする試みはことごとく排除されてきた。そうしようとした試みは何度もあったし今も行われている。Windows 95のデフォルトのネットワークプロトコルはTCP/IPではなかったし、中国は今もなお「少なくとも自国のネットは自分のもの」にしようと懸命の努力をしている。

にも関わらず、少なくとも今のところは、ネットはだれのものでもない。

『梅田望夫と中川淳一郎の共通点 - 書評 - ウェブはバカと暇人のもの』(404 Blog Not Found)
こちらを読んでみれば、おエライさんの文章がいかに胡散臭いかがわかりますよね。おエライさんは、個人から摘出された臓器を社会のものだとすることで、本当は「だれのものでもない」はずなのに「だれかのもの」にようと企んでいる。いや、そうではない。本当は「私のもの」あるいは「私とあなたのもの」なのに、「だれのものでもない」ことにして身も知らぬ「だれかのもの」にしようとしているんです。しかも合法的に。これを胡散臭いと言わずして、なんと言えばいいでしょう?



もしかしたら、今の私たちに一番欠けているのはこの「胡散臭さ」への嗅覚なのかもしれません。いえ、欠けているというより錯乱しているといった方が良いかもしれない。ある方面には敏感だけど、ある方面では鈍感。その錯乱が私たちの社会をますます胡散臭いものにしているようです。

たとえば、ネットです。『404 Blog Not Found』が言うとおり、ネットは凄い。その凄さの中身はバカな私にはわからないけど、凄いのはわかります。ネットは凄いけど、それでもやっぱり胡散臭いことは打ち消しようがありません。

社会の中のアタマはイイが胡散臭い連中は、このネットの胡散臭さを宣伝してネットを「だれかのもの」にしようします。この宣伝に多く引っかかるのが、悲しいかな“良心的”市民だったりする。ネットの胡散臭さには敏感なんだけど、胡散臭い連中の胡散臭さには鈍感なんですね。また、だれのものでもないもの」を「だれかのもの」にする胡散臭さには気がつく人でも、「わたしとあなたのもの」を「だれのものでもないもの」にする胡散臭さには感づかなかったりする。

これは言葉でも同じことです。“救える命を救いたい”と、この言葉が「わたしのもの」あるいは「あなたのもの」であるうちはいいんです。けれどもその言葉が「だれのものでもないもの」になった途端に胡散臭さを撒き散らすことになることには気が付かない。この言葉は、“愛国心”でも“アイラブユー”でも同じです。「わたしのもの」「あなたのもの」であるうちはいい。「あなたとわたしのもの」でない“アイラブユー”なんて、胡散臭くてしかたがないでしょう? でも、一部の人は“誠意をもって”それらの言葉を「だれのものでもないもの」にしようとする。

私が不思議なのは、「だれのものでもない」“愛国心”という言葉の胡散臭さには気がつく人が、“救える命を救いたい”が「だれのものでもない」ことになる胡散臭さには気が付かないことです。お互い気が付かずに、相手のことを不誠意だとかバカだとかレッテルの貼り合いをしている。私から見ると、そんなのは違うんです。胡散臭さへの嗅覚が錯乱しているだけです。



錯乱した胡散臭さへの嗅覚のなかでも、現在最も害が大きいのは貨幣=おカネに対するものかもしれません。

誰にでもいい、“おカネはだれのもの?”と問うてみてください。「だれのものでもないもの」と正しく答えることができる人はまずいないでしょう。

“あなたのおカネはだれのものですか?” でも、いい。おそらく相手は“わたしのもの”と答えるでしょう。でも、それは不正解。なぜ不正解なのか知りたければ、警察官の前でお札を燃やすなり、硬貨をハンマーで叩きつぶしてみればわかります。警察官はあなたを摘発するでしょう。“このカネはオレが稼いだものだからオレのものだ”主張してもダメです。貨幣損壊を為すものは、立派な刑事犯です。

もし本当におカネが「わたしのもの」ならば警官が摘発することはない。それは私の自由であり、それが今の社会の決まりです。けれど、それが摘発されるということは「わたしのもの」ではない、と社会が定めていることになる。にもかかわらず、私たちはおカネを「わたしのもの」だと思い込んでいますし、世の中もそのように宣伝している。ほとんどの人はそのことを不思議に思わない。「わたしが所持しているおカネ」が「わたしのもの」であるということに胡散臭さを感じる人は、まずいないと言っていいでしょう。

おカネに対する胡散臭さの無自覚は、「わたしが所持しているおカネ」に関しては、今も昔もさして変わらないかもしれません。けれども、昔の人は貨幣一般への胡散臭さの嗅覚は持ち合わせていたはずです。私の記憶の中にも、大人たちがおカネをどこかしら汚いものだと感じ、子どもがむやみに触れるものを禁じていた記憶があります。けれども、現在はどうでしょう? おカネに胡散臭さを感じ取る人がどれほどいるか? 心許ない限りです。

コメント

相互リンクお願い

突然のコメント失礼致します。
失礼ながら、相互リンクしていただきたくて、コメントさせていただきました。
http://sirube-note.com/police/

もしよろしければ、こちらのページから相互リンク登録していただけましたら幸いです。
http://sirube-note.com/police/link/register/
今後ともよろしくお願い致します。
fdOgkqcR

公共性という意味では、突き詰めると公共性のない存在や所有物は現在の世界に存在しないかと…。
そもそも共有認識のない所に所有なしですからね。

お金の個人所有と言う感覚を否定すると、土地とかあらゆる物に広げてしまえると思いますよ。

土地が網羅されててある程度年月が経ってる今だから、土地の所有について認識が共有されてますけど、
未発見地域とか未開の土地とか、一定期間しか居ない土地とか、そう言う物が当たり前だった時には、
「正義」と「正義」のお互いの所有を守る戦いなんかも普通に起こっていたでしょうしね。

現在は土地の所有は国連が最終保障者で、一般の保障者が国、そして最終的に個人です。

お金も国が保障者で個人が最終所持者と言う意味では同じかと。

まぁ、そこを知った上で、「個人の所有物」と言うのと知らずに「個人の所有物」と言うのでは全く違うとは思いますけど。

我田引水の典型

提供された臓器は、社会的な物として扱うのは当然。
そうでなければ、提供者が所有権を保持することになり、提供者の了承が必要となり、最適なレシピアントを公平に選べなくなったり、レシピアントがドナー家族に謝礼を要求される事態も予想される。
それこそ、大問題である。

ただ、反対したいがための妄想論を展開しても、説得力はない。我田引水の単なる言葉遊びのレベル。

愚樵さんが、科学を否定したいのは知っている。
しかし、そうであるなら、インターネットでブログなんか出来ないのでは?移動は全て徒歩か最低でも自転車程度ですべきでは?
科学の成果を享受しておいて、科学を否定するなんて、それこそ矛盾の極地ですよ。そこに、まずけじめを付けるべきではないですか?

で、「だれのものでもないもの」は胡散臭い?
では、公園のブランコは胡散臭いのか?
全く、稚拙にもほどがある。

かのマルクス氏がブルジョア社会の不条理にはじめてメスをいれたのが、ライン新聞(だったよな)編集長時代物議をかもした「木材窃盗取締法に関する討論」、つまり、入会権だったわけですわぁ。

まいどのオーム返しで恐縮ですが、資本主義はこうした旧社会のコミュニティーを解体、バラバラに分断し、商品としてあらためて貨幣で接着しなおすわけです。そのスピードは欲動ツインカムターボの急加速で地球的規模で私的所有権が設定されたことはいまさら言うに及びません。

さて、本記事が早雲さまのコメントを受けて書き起こされたことは、文中にも書かれているとおりなのでありますが、その早雲さまがあげられたコメントをよ~く噛みしめる必要があろうかとおもうものであります。
いうまでもなく移植医療は提供を待つ患者さま、臓器を提供するドナーさま、そしてドクターと3者がなければ成り立ちません。この三者を個別にあるいは、それぞれを向かい合わせて論じてみたところで、「やれドナーの方しかむいてない猛省せよ。不当な感情&思考だぁ!」なぞとあたまのネジが吹き飛んだような稚拙な言葉しか吐けないことになるのですね。

それでは、この3者のうちはじめにありき者は誰かと言えば、お医者さんにちがいありません。臓器移植の術式がなければ、患者様の切なる願いもはなっから生じようもなく、ドナーさまもありようがありません。資本主義のルーティーンパターン作られる需要というやつです。移植医療のヘゲモニーはお医者さんが握っているという事実をあらためて確認する上でも早雲さまのコメントにおもわず膝をたたいたものであります。

冒頭に枕で述べたように、資本主義はありとあらゆるものを商品にかえ、売りとばします。3度の飯から、教育、介護、最近のビックルものでは、”温暖化ガス排出権”なんていうのも登場です。そして、いよいよ、我が「神の国」ニポーンでも「臓器、組織、細胞、遺伝子が医療用素材として活用されるようになる。とくに産業を介して広く国民に利用されるようになるためには、ヒトの生命材料を適正な形で産業へと手渡す仕組みが必要である」へむけて突破口が切り開かれたとおもうとやれやれです。

とはいえ、移植を心待ちにしている、それより他に選択肢のない患者さまが助かるのであれば、臓器が社会に公公然と「流通」しようとそれは患者さまにとっては福音にちがいない、という見解もあろうかとおもいます。
しかしですな、おエライ先生の仰せの社会とはブルジョア社会に他ならず、ブルジョア社会はいうまでもなくシホーン主義であります。日々産業革命の連続で、つねに成長分野を開拓せねば死んでしまう社会です。

であるならば、いまは患者さまとドナーさま、そして高額な医療費、それらの圧倒的おおくの部分が善意によってなりたっているものが、資本主義的原理である”銭”となるにそう時間はかからないようにおもわれます。
結局は、移植医療が両足でしっかりと立ち上がったとき、広く移植を心待ちにしていた患者さんに確固たる選択肢が与えられても、一部のお金持ちしか移植医療の恩恵にあずかることはできないでしょう。

マスコミもさしたる関心をしめさなくなったそんなときにあって、いまのように広汎な善意の募金があつまるかも心配だし、おエライ先生のいうような従来の社会構造そのものをビッグにバ~ンと吹き飛ばしたところで産業としての臓器の安定的供給という要請のもとに、ドナーさまの海よりも深い悲しみと葛藤に配慮したデリケートな対応が保証されるのかもなんともいえないところであります。

今回は愚樵さまと問題意識が合致したようで、ただ、”医学界のスターリン”という規定は誤りで”資本主義的医学界のパイオニア”というのが正しいかと。なんてこだわるオレもへそまがりだなぁ。
久しぶりの投稿につき、長文ご容赦m(_ _)m。

ななしさん

そもそも共有認識のない所に所有なしですからね。

これ、不十分だと思います。共有認識のないところに所有の概念はありえませんが、それだけでは不足です。権力があって所有権は確立される。

共有認識だけなら「ナワバリ」でもいいんです。

http://gushou.blog51.fc2.com/blog-entry-168.html

*******

Looperさん

ははは、Looperさんにはそのように映るでしょうねぇ。

ま、でも、俗に「盗人にも三分の理」と申します。頭から否定しては、その「三分の理」すら理解できないのではないかと(笑)

愚樵さんが、科学を否定したいのは知っている。

その愚樵なる人物、私は知りませんが。私が知っている愚樵は、科学を信仰対象にしてしまうことを批判している愚樵です。

*******

薩摩長州さん

ただ、”医学界のスターリン”という規定は誤りで”資本主義的医学界のパイオニア”というのが正しいかと。

これは私の偏見だと認めつつも言い訳しておきますと、次エントリーで示した〈世界〉を〈システム〉で全域化するという視点から見ますと、資本家も、資本家に反対した共産主義の革命家も、私には同じに見えるんです。もちろんマルクスもです。こちらのパイオニアの方も当然〈システム〉推進派ですね。

〈システム〉推進派の代表選手と言われて、真っ先に思い浮かぶのはやっぱりスターリンかな(笑)

トピズレですみませんが、愚樵さんのコメントにある「権力」という言葉に反応して。

権力の象徴はやはり、カネ、ということになるでしょうか。

近年、権威が廃れた背景にはカネがあるともいえますね。

このことは、教師、医師、聖職者、などなど、昔彼らが所持する権威ゆえに払われた尊敬が、現在ではカネに変わり、カネさえ払えば何でも有りとなってしまった、すなわち「カネ万能」の世の中になってしまったことによく現れていると思います。

このような変化が起きたのは、実際は「近年」どころの話ではなく、イギリスの産業革命に伴い「近代」が始まって以来のことであると、どこかで読みましたが、なるほどと思っていました。資本主義が推進してきたものに他ならないということですね。この点で、薩摩長州さんの話と符合します。
私は資本主義における「資本を集積して大きな事業を行なう」ということに合理性を見出しますが、カネというもののあり方は見直しが必要であり、現在の世の中で最優先でやるべきことであるように思います。

エントリーの趣旨に沿った言い方をすれば、

「カネ」と「自由」と「民主主義」は本当に胡散臭い、

です。

すいません。名無しは私です。お久しぶりです。

児童ポルノ法の改正議案に絡んで村野瀬氏の所から久々に流れ着いてついつい書き込んでしまっただけですけど。
(そもそも政治畑は自分にとって不都合がなければ関る気がないので)

>これ、不十分だと思います。共有認識のないところに所有の概念はありえませんが、それだけでは不足です。権力があって所有権は確立される。

短くしようと削った部分に合った話ではありますけど、
国が最終保障者、と言うのはまさにこれで、個人の間の合意で所有が共有されても、
社会的に(つまり「所有権」として)は国や国連が認めなければ所有できないのが実情です。
それをして「最終保障者」と言っています。

ちなみに権力・権威(権力も多くの場合はそれを人が権力として認める故に存在します。これもそれに権威がある・正当性がある・権力があるという認識共有が前提)の統一化が、
昔よりは広く大きく行われていますが、それでもかなり認識に差があり、
それ故に言い争いも耐えないなと言う感じですけどね。
(国連に対して国同士で領土について主張を対立させたりとか、
 国連に喧嘩売る方もいますしね。悪意のある言い方をすれば、
 それぞれの国のエゴをぶつける為の集会なのでそりゃ当たり前ですが。)

所有すると言う事については「ナワバリ」が本来の姿で、
「所有権」と言う形は膨張した社会を円滑に回す為の「システム(社会性の物)」ですから、
穴とか不足はあって当然なんですけどね。
(要は社会が小さい頃には個人の合意を主軸にしていて問題なかったのが、
 見知らぬ他人との関る割合が増大した事で、見知らぬ他人との間で前提的合意が必要になったから)

muchomejorさん、猫さん

新しいエントリーである『〈一次意志〉〈概念〉〈二次意志〉』は、お二人への返答を考えているうちに出来上がったものです。

「権力」とは、〈一次意志〉〈概念〉〈二次意志〉の用語を使って言いますと、

〈一次意志〉から生み出された〈概念〉を保持し、〈二次意志〉を担保する力

と表現できるでしょうか。

私が共有認識だけでは足らないといったのは、共有認識とは〈一次意志〉→〈概念〉認識の共有であり、この共有があるからこそ権威が成り立ち得るわけですけれども、〈所有概念〉や〈貨幣概念〉が機能し得るのはそれだけでは不足で、そこには暴力の裏付けが不可欠。この「暴力の裏付け」こそが、権力であると考えているわけです。

一次概念等の話、読ませて頂きました。
所有の概念は動物から持ってる事なので、一次意志を認識する人は少なそうですね。
既に「本能」の領域になってると言うか…。


暴力の種類に限定を掛けなければ権力はすべからく暴力的にしかならないのは確かですね。

私はそれをして「弱者(抑圧される側)には何時だって法や権力・システムは理不尽だ」と言ってますけど。

武力的暴力だけでなく、単純な数が暴力になる場合もあれば、
数から出た生活の不便(即ち周囲が村八分にしてくる事で生活が成り立たなくなる)などもありますからね。

ただ、理想はそう言った暴力がない事ですが、実際には人が2人いれば衝突が起こり、衝突を解決する為の最終手段が、
何らかの形で「理不尽」にしかなりえないとすると、
その暴力は「認識レベル」で納得された物であれなんであれ、
「必要」なのが悲しい現実ですけどね。
(権力の暴力の大半は支持者か騙されてその正当性を認める人間が居ない限り容易に瓦解します。
 権力の暴力の一番大きな要は「数の暴力」ですからね。
 認識レベルで納得されているとは「その権力」「その基準」は従うべき物だと言う認識を、
 抑圧される側も持っていると言う事。)

人の物を盗んではいけない、って言うのは所有概念を有する人なら大抵持っていますが、
そもそも、その所有の正当性は「常識=偏見・習慣」に依存しているだけで、
実際に正当性を保障しているものは何もないですからね。

それでも私は自分の所有=不可侵を求める領域はいくらでもありますけど。
でも、生活立ち行かなくなって盗みをする人は馬鹿だなぁとは思いますけど、
(そのまま政治やシステムの不具合を民衆訴えるのではなく、警察を単独で敵に回しても勝てないでしょうと)
正当性の意味では悪質さ(障害など)がなければ同情しますね…。

薩摩長州へ

>提供するドナーさま、そしてドクターと3者がなければ成り立ちません。この三者を個別にあるいは、それぞれを向かい合わせて論じてみたところで、「やれドナーの方しかむいてない猛省せよ。不当な感情&思考だぁ!」なぞとあたまのネジが吹き飛んだような稚拙な言葉しか吐けないことになるのですね。

なるほど、薩摩長州は、「治療するな、死なせろ」という主張をするわけだ。
やはり、お前は人格などない物体である。

権力の走狗 プロ奴隷のくわくわ88へ

「お前は人格などない物体である。」我々を「ウジ虫」とよび、白色テロで虐殺、傷つけてきたカクマルと全く同じファシスト的感性だな。人の人格を認めず、人を人とも思わないのはブルジョアジー権力者とそれに与する者たちの腐りきった感性にほかならない。

お前がそれほどまでに患者のことを思い、対抗的言論に口を極めて罵るのなら、当然「臓器提供意志表示カード」はすべての臓器に○をつけてもっていような。明日朝一番で鉄柱でもいい、コンクリートの壁でもよい、そのネジの吹き飛んだ頭を心置きなく思いっきりうちつけてドナーになれ!全国で移植を唯一の希望に苦闘しているレシピエントのために主体的かつ実践的に結果をだしてみろ!

主体を彼岸においやり、無責任な一般論をならべたて人を罵倒することでエレクトする変態野郎に私は語る言葉はこれ以上もっていない。此奴に何か言いたい人がいたら、またまたしらばっくれてURLをふせているが、http://wakuwaku44.blog123.fc2.com/ここが此奴のブログだここへ行って一言でも二言でも言ってやってくれ。ビビリンさんはコメントもトラックバックも承認制にしているので、でるかでないかはわからないが。

同じ推進派でもLooperさんと全然違う。私は彼の発言は一言一句なめるように読ませていただいている。それゆえに臓器移植の善し悪しに明確な判断を出せないでいる。私は彼の隠れファンだが、今は与することも、対峙することもできない。

愚樵殿、年に一、二回はゾーエを解き放つことを許してくだされ。それが生の人格を備えた”人”というものでござる。

>お前がそれほどまでに患者のことを思い、対抗的言論に口を極めて罵るのなら、当然「臓器提供意志表示カード」はすべての臓器に○をつけてもっていような。明日朝一番で鉄柱でもいい、コンクリートの壁でもよい、そのネジの吹き飛んだ頭を心置きなく思いっきりうちつけてドナーになれ!全国で移植を唯一の希望に苦闘しているレシピエントのために主体的かつ実践的に結果をだしてみろ!

所詮、私に逆らう馬鹿はこの程度のレベルである。
私のブログは、基本的にはコメントもトラックバックも承認するけど、「東西南北」「薩摩長州」という、言論の自由を認めては言論の自由を冒涜することになるブロガーの言論行為を阻止するために、やむを得ない措置として行っている。
健全な社会になり、こいつらの言論が永久に禁止される世の中になれば、承認制というめんどくさいものをせずともいいのだが。

相手にする価値もない

早雲殿ほどのお方がまじめに相手にする価値のかけらもないことを知られるがよろしかろう。私はLooper氏とのサシの討論を最後まで拝見したい。くわくわは邪魔なだけだ。

Yahoo掲示板より
犯人を「死刑にしてくれ」言う発言。
投稿者:mac_donarudo 2002/ 6/ 6 15:39 メッセージ: 1
最近、事件の被害者の親族が「犯人を死刑にして欲しい」と言う様な発言をしているのをニュースで見ることがあります。
気持ちは解りますが、なんか「違う」と思います。
「罪を憎んで人を憎まず」と言う意識はなくなったのでしょうか?
みなさんの意見をお聞かせください。


私だったら
投稿者:aika_love_o 2002/ 8/25 15:15 メッセージ: 2408
これは 1 に対する返信です
自分の娘が殺されたら、死刑になってもいいから相手に復讐をしに行くでしょう。(またはそうしたいと思うでしょう)

「罪を憎んで人を憎まず」・・・
確かにそうなんでしょうが、きっとそんなこと考えられない程の精神状態になってしまうと思います。

「犯人を死刑にして欲しい」・・・
あなたのような常識のある方々を敵に回してでも、同じ発言をしてしまうでしょう。

皆さん難しい討論をされているに茶々を入れてすみません。

>みなさんの意見をお聞かせください。

これが私個人の意見です。


なるほど
投稿者:sakana_wa_umai 2002/ 8/26 3:54 メッセージ: 2409
これは 2408 に対する返信です
ごもっともですね。しかし、当たり前の事言われても「あっ、またか」と言う感じであくびがでます。いいですか、被害者の復讐心と、加害者の処遇の問題は分けて考える必要があります。そりゃそうですよ、被害者の気持ちで全てが決まるのなら裁判なんてパロディーと同じです。


なにを頓珍漢なことを
投稿者:wakuwaku_44 2002/ 8/26 5:32 メッセージ: 2410
これは 2409 に対する返信です
「死刑にしてくれ」は被害者の気持ち。
加害者の処遇は検察官が、冷静に、法に基づいて求め、裁判官が法と良心に基づき、中立の立場で決定する。
被害者が死刑を求めることと実際に加害者をどう処遇するかは、あなたに言われなくても、もともと別だ。
トピ主は被害者の「死刑を希望する発言」まで抑制しようというバカな言論表現・思想信条だから糾弾され、排斥されているのだ。
何がここで起きているのかを認識し、良識ある投稿する義務があるんじゃないのかね。
ったく、なんで言論の自由を理解しない人が多いんだ。


憲法21条
投稿者:sakana_wa_umai 2002/ 8/26 12:37 メッセージ: 2423
これは 2410 に対する返信です
ほう、なるほど。ところであなた、表現の自由に限らず、いわゆる精神的自由権の本質、理解されてます?トピ主さんは公人ですか?おそらく単なる私人だと思います。
 いいですか、wakuwaku44さん、憲法で保障されている人権(表現の自由21条も含めて)の名宛人は国及び公共団体ですよ。つまり、私人VS公人という図式の元で表現の自由は保障されるのです(原則)。私人間には、憲法を直接適用しないのが判例、通説です。
 よって、「なんで言論の自由を理解しない人が多いんだ」なる発言は、国会に向かって叫んでください。
 憲法議論やりますか、受けてたちますよ。


あんた、勉強してないのミエミエ。
投稿者:wakuwaku_44 2002/ 8/26 15:14 メッセージ: 2427
これは 2423 に対する返信です
憲法が表現の自由を認めてるのは「幸福を追求するため」であって、真理を求める国民の権利を保障するためなのさ。
従って、明らかに嘘・間違い・見識のない言論は禁止はしてないが、認めているわけでもない。
それに「自由と責任」の本質は憲法ではなくて「私人対私人」にあることもわかってないみたいだし。民法の大原則は「私的自治」であり、これは互いの誠実さを大前提とするものさ。
この二つから、表現の自由は「一般常識」においては、嘘・間違い・不見識・不誠実なのは禁止され、無知・無能には言論の自由などないのさ。
はい、終了。


まぁ、あんたみたいに
投稿者:wakuwaku_44 2002/ 8/26 15:24 メッセージ: 2428
これは 2423 に対する返信です
あなたみたいに、書物だけの憲法論を振り回すほど、私は非常識じゃないですから。
あなたは学者かな?もし、学者か法曹の人なら潔く辞職してくれません?
あなたみたいな人が第一線で動くと、世の中勘違い野郎の自己中ばっかになって、真面目に生きてる人が迷惑しますし。
まぁ、私が絶対権力を持ってたら、あなたは裁判なしで死刑にしてあげますよ。
貴重な地球の限りある資源は無駄にできないし。私は地球を愛し、人類を愛してますから。裁判してる間にも資源は失われますよね。
害を及ぼすヤツはいらん!(激怒)


蒙昧丸出し
投稿者:sakana_wa_umai 2002/ 8/26 15:44 メッセージ: 2429
これは 2427 に対する返信です
>「自由と責任」の本質は憲法ではなく「私人対私人」にある、、、
 いゃ、久しぶりに笑いすぎて腹筋が痛いです。
 あなた公法と私法の区別すら解かっていないみたいですね。あなた憲法の淵源、民法の淵源解かったうえで投稿しているの?あまりいいかげんな発言してると藪蛇出す事になるよ。


あんた、まじで
投稿者:wakuwaku_44 2002/ 8/26 23:57 メッセージ: 2438
これは 2429 に対する返信です
学者か法曹関係なら即刻辞職してくれ。法科の学生なら退学してくれ。司法試験か学者を目指してるなら中止してくれ。
『憲法は嘘・間違い・不見識・不誠実な、無責任な言論も認めてます』なんて純真無垢な人に普及されたら、身勝手・自己中・無責任がはびこってしまう。
『自由とは責任を負うから認められる』。からこそ、自由とは、命まで賭けて獲得したはずなんだけどね。
あんたの思想信条、「俺たち、こんな安いもののために命を捨てたのか?」って嘆く人、いっぱいいるんだろうなぁ。


蒙昧君へ
投稿者:sakana_wa_umai 2002/ 8/27 1:55 メッセージ: 2439
これは 2438 に対する返信です
 おい、パープリン、貴重な時間を割いて、君に講義してあげるよ。
>学者か法曹関係なら即刻辞職してくれ、、
大きなお世話。あなたは地球の地軸でもなんでもない。あなたみたいな下品の人がいればいるほど、私は法を学びます。
>憲法は嘘・間違い・不見識・不誠実な、無責任な言論も認めてます
おい、パープリン、歪めるな。ただの一言もそんなこといってないぞ。おまえはレトリックの上手い奴だな。
おまえ確か表現の自由は、個人が幸福を追求するための原理って言ってたよな。
おい、パープリン、私法(eg 民法、商法、手形法など)の何処に表現の自由を直接明記した条文があるんだ。無知なるものはおまえだから困るんだよ。くだらないマンガ本読んでないで、もう少し活字の本を読むように。


無知蒙昧へ
投稿者:sakana_wa_umai 2002/ 8/27 3:23 メッセージ: 2440
これは 2438 に対する返信です
おい、パープリン、恫喝もほどほどにしとけよ。


あんた、マジでやめてくれよ。
投稿者:wakuwaku_44 2002/ 8/27 3:48 メッセージ: 2441
これは 2439 に対する返信です
民法の原則を出した意味もわからずに「公法と私法は…」なんて言ってもらいたくないね!
私法の「私的自治の原則」って、なんで存在するのか説明してみな。言っておくが「契約自由の原則」で説明すんなよ。私の発言を正しく理解してるなら、そんなバカはやんないけどな。

あと、言論の自由を冒涜しておいて「下品」なんて言う資格があると思ってるの?
君、相当身勝手or自己中だよ。ここのトピ主がどんなに無責任な言論やってるかわかってるの?なんであんなにやられてるか、ちゃんと認識できてる?
それを弁護することが何を意味するかわかってる?


とどめ
投稿者:wakuwaku_44 2002/ 8/27 11:19 メッセージ: 2443
これは 2439 に対する返信です
あとね、表現に限らず、憲法の認めるあらゆる「自由」「権利」っていうのは、人が最大限の幸福を享受することができるために保障されるんだよ。わかるかな?
従って人を不幸にする自由や権利は存在しない。
権利の行使も、その行為が「権利」に対して不信を与えるならば制限されないといけない。
理由はわかるよな?
「権利」そのものの信用が欠如すれば、たとえそれが正当なものであっても実効性を失い、権利がないのと同じ状態となり、かえって幸福追求の目的を達成できなくなるからだよ!


権利の性質、とどめにならない
投稿者:haru_msb 2002/ 8/27 18:48 メッセージ: 2453
これは 2443 に対する返信です
>従って人を不幸にする自由や権利は存在しない。
--

法学に置いて、一般では、
完璧に誤解されやすい事の一つ。
これは「権利」と関係ない。

なぜか分かるかな?
簡単な事なんだけれども。

権利というものの本質は、
あくまでも「自己決定」の中にある。
例えば「自殺の決意」は、
この自己決定権の現れ、
従って自殺は刑事上「不可罰」だ。
これが権利問題だ。

人間を不幸にする権利はない?
あるんだ。
「社会のために有益であれば」
個人を不幸にすることも出来る。
代表的なものは、
名誉毀損と報道の自由の関係だ。
土地収容と土地所有でも良い。

この権利の性質は、
社会の利益と個人の利益が、
必ず衝突することを意味している。
社会の利益が擬制にされれば、
必ず誰かが不幸になる。
しかし個人の利益を制限すれば、
必ず誰が不幸になる。
だから、わざわざ、
公共の福祉規定をおいて、
この二つの利益を調整しようとする。

ここに「人を不幸にする」
「人を幸福にする」などと言った
そんな判断はない。
あるのは、あくまで、
社会と個人の利益の調整=法であり、
徹底的な個人の尊重=権利であり、
社会との調整=福祉があるだけなんだよ


半分正解。
投稿者:wakuwaku_44 2002/ 8/27 23:43 メッセージ: 2458
これは 2453 に対する返信です
そもそも「権利」「自由」がなにゆえに存在するのか、を考えてみたまえ。
「利益を得る」とはどういうことなのか、考えてみたまえ。

公共の福祉は君のいう通り。しかし、なぜ権利利益を制限するのか、「幸福追求」をキーワードにして考えてみたまえ。

そうすれば、私人間では「責任をとらない言論は認められない」し、憲法が認める自由の範囲から逸脱しているのかがわかるはずだ。


全部間違い
投稿者:haru_msb 2002/ 8/28 2:47 メッセージ: 2463
これは 2458 に対する返信です
>そもそも「権利」「自由」がなにゆえに存在するのか、を考えてみたまえ。
「利益を得る」とはどういうことなのか、考えてみたまえ。
公共の福祉は君のいう通り。しかし、なぜ権利利益を制限するのか、「幸福追求」をキーワードにして考えてみたまえ。
そうすれば、私人間では「責任をとらない言論は認められない」し、憲法が認める自由の範囲から逸脱しているのかがわかるはずだ。
--
憲法史を浚うのは面倒だから、
やめるとして。

「憲法が認める言論の自由」は、
「あくまで国家制限に対する」権利、
ってのが、どうしても
理解しにくいのは大変分かる。
今まで日教組教育を受けたら、
勘違いしたまま飲み込んでしまう。

だけどね、ちょっとで良いから、
判例や解釈を読んでみてよ、
「絶対に私人間の適用はないから」。
無論、民法の不法行為を形成する場合、
709条で損害賠償が来る。
しかしこれは、
「民事上の」「不法行為」を、
行ったことによるものであって、
間違っても「権利侵害」を
原因とするものじゃないんだ。
こういう考え方を間接適用説という。

ここに大きな間違いがあり、
変に流布された所なんだよ。


違う
投稿者:wakuwaku_44 2002/ 8/28 12:00 メッセージ: 2471
これは 2463 に対する返信です
憲法は公法ではあるが、すべての法律の上位法である。
民法の不法行為はあくまでも「民法上」のものではあるが、憲法上での正当な権利を侵害されない限り、不法行為そのものが成立しない。
つまり、民法でいう法益は、憲法でいう権利そのものではないが、これが矛盾することなどありえないのだ。
そしてこの2つの利益のキーワードには「幸福」というものがある。
幸福を求めない権利や自由には存在理由がなく、幸福を求めない法益は存在する意味がないのだ。


re:違う:憲法は公法
投稿者:haru_msb 2002/ 8/28 14:22 メッセージ: 2476
これは 2471 に対する返信です
>憲法は公法ではあるが、すべての法律の上位法である。
民法の不法行為はあくまでも「民法上」のものではあるが、憲法上での正当な権利を侵害されない限り、不法行為そのものが成立しない。
--
そんな事言ってないじゃない。
憲法上の権利と、
民法上の権利は「全然別物」だって。
関連づけて話す方がおかしいの。
だから「間接適用説」なんじゃないか。
わかりにくいのは理解するけどさ。

>つまり、民法でいう法益は、憲法でいう権利そのものではないが、これが矛盾することなどありえないのだ。
--
民法に法益という言葉
これを使う人はあんまりいないな。
法益は刑法でしょ?。
民法に守るものは何にもないから。
指導原則や一般条項は法益ではないよ。

ところで、
民法と憲法が矛盾することはない。
そりゃそうだ。これに反する規定は、
違憲立法審査権の対象となるからね。

でもね、
「憲法上での権利を侵害されない限り、
 不法行為そのものが成立しない」
これは間違い。というか、
権利そのものの性質が違うから、
関連づけたらダメなんだ。
理由は、そうだな。
 「損害賠償請求権(民法)
  言論の自由の権利(憲法)」
この二つ、
誰に対して主張しているのか。
これをちょっくら考えてみてよ。


少し勉強したまえ。
投稿者:wakuwaku_44 2002/ 8/28 17:03 メッセージ: 2480
これは 2476 に対する返信です
私は何と言った?
きちんと日本語はできるのかね?正しい日本語ができるなら、私の発言が正解であることは明らかである。
法を学ぶ前に日本語を勉強したまえ。きちんと読解できるまで、発言を禁ずる。


少し勉強
投稿者:haru_msb 2002/ 8/28 23:14 メッセージ: 2493
これは 2480 に対する返信です
「発言を禁ずる」
うん、いいね。
だんだんmacさんに近くなってきた。
エキセントリックなのは、
私は大好き(笑)。

なるほど、ここから、
言論の自由には責任を伴うという、
そういう発言が出てくる訳か。

でもねぇ。僕はまだ、
有効な反論をもらってないよ。

私の言葉を禁ずるのに、
最も有効な言葉はただ一つなんだけど。

「憲法における権利を
 直接に保護する判例」

ここは法であるので
これだけで良い。
これさえ指摘してくれれば、
「完璧に黙る」


客観的には有効な反論である。
投稿者:wakuwaku_44 2002/ 8/29 2:05 メッセージ: 2496
これは 2493 に対する返信です
君の日本語力を棚に上げて妄言を吐くな。

第一、日本の裁判を知ってる者ならば、君が要求する判例など存在しないことは明白である。
というか、裁判になりえない。

頓珍漢な言論は止めたまえ。
そして、君に良心があるのなら、学者か法曹関係なら辞職、学生なら退学、司法試験を目指す者なら中止をせよ。


お、知ってたか
投稿者:haru_msb 2002/ 8/29 16:05 メッセージ: 2507
これは 2496 に対する返信です
>第一、日本の裁判を知ってる者ならば、君が要求する判例など存在しないことは明白である。
というか、裁判になりえない。
--
よしよし、その通り、無いんだ。
(実は二つだけ例外があるんだが、
 そこまで突っ込むのは、
 専門的すぎるから止めとこう。
 そんな判例が出てくることも
 期待していなかったし)
ところで知ってたのか、
私のロジックに乗ってくれたのか、
それはさておき(笑)。

ここまできてくれれば後は簡単だ。
「日本の現行制度上」
そのような判例がないのなら、
「国家権力による」
「私人間が直接的な」
「権利の保護は無いね?」

wakuwakuさんは、
権利の存在には、その権利を
私人間相互も保護しなければならない、
このように言っている。

これは
権利思想を発展し進めたものだ。
本来対国家概念である権利概念を
私人間にも守らせよう、
「国家だけで無く、
 社会にも権利思想を広めよう」
こういう立場のはずだ。

しかし何度も言っているように、
「日本の現行制度上は間違い」なんだ。
日本には私人間に、
「憲法上の」権利を守らせる、
権力的なものは存在しない。
(だから私人間で
 憲法上の権利を争う訴訟も無い)
同時に、
「私人には憲法を守る義務すら無い」
これが最も通説的な解釈だ。
根拠は99条による。

これが日本の裁判制度上、
憲法の権利の保護を目的とした、
私人を名宛人とする、
訴訟を起こせない、
最大の原因なんだよ。
(例外があると言うのは、
 文言上、直接に私人を制限する、
 規定が3~4あるためによる)

>そして、君に良心があるのなら、学者か法曹関係なら辞職、学生なら退学、司法試験を目指す者なら中止をせよ。
--
僕が上記のなんであるか、
あるいは上記のなんですらないか、
それはさておき、
wakuwakuさんは、
僕が上記であるしても、
それを止めさせることはできないよね?
これは「権力」の問題なんだ。
実際、wakuwakuさんに、
やめさせる権力はなんにも無い。

また同時に、
民事法、刑事法、その他の法規、
どれによっても、
原罪は止めさせられない。
これが「法治」だ。
つまり「義務には立法がいる証拠」だ。

「止めさせることができるのは、
 国家権力による行政権か、
 立法による警告か、
 裁判権だけが止めさせられる」
そして、もしそのような
「僕を上記から止めさせる
 決定があった場合」
僕は国家、対行政、対司法で、
違憲裁判を起こすかも知れない。

「だから憲法の権利は
 絶対に国家権力の
 反対概念としてから離れない」

私人間に権利の保護を
要求すると言うのが、
かなり日本の制度において、
また権利思想において、
「珍しい」ってのは分かるかな、
これで。


ということで
投稿者:wakuwaku_44 2002/ 8/29 18:02 メッセージ: 2510
これは 2507 に対する返信です
お前が謝罪し、無条件降伏するまでは相手にしない。
お前の自由を認める行為になるからね。
お前は自由が認められないんだから、何をされても文句は言うなよ。
以上。


re:ということで
投稿者:haru_msb 2002/ 8/29 19:26 メッセージ: 2511
これは 2510 に対する返信です
>お前が謝罪し、無条件降伏するまでは相手にしない。
お前の自由を認める行為になるからね。
お前は自由が認められないんだから、何をされても文句は言うなよ。
以上。
--
これには反論できないな(笑)。
今回は論理もなにもなく、
ただ「黙れ」ときたか。

これはさすがに面白くないなぁ。

でもねぇ、wakuwakuさん。
自分の見解に合わなかったり、
自分の倫理観に合わなかったり
自分の理想に合わなかったり、
こんな事は、
言論の上では当たり前なんだよ。
もう少しタフでもいいとおもうよ。

政治家や権力者に対して、
どうして権利概念が発生したと思う?
為政者や権力者は、
自分の意に沿わない人間に、
非常に簡単に、
「黙れ」と言うからなんだ。
しかしwakuwakuさんは、
権力者じゃない。
権力者ではないから、
僕に強制できない。
僕に強制できないから、
イライラとする。

しかしその、権力者の
「黙れ」という言葉に対して、
「いーや黙らんよ」というのが、
言論の自由の本質なんだ。
しかしwakuwakuさんは、
私に強制できない。
したがって
私は「権利を持ち出す必要がない」

権利を持ち出さずとも、
「黙らない」わけなんだ(笑)。
私人間では、
権利は殆ど関係ないってのは、
こういうことなのさ。



以上でくわくわ88は論破され逃亡する。

う~~~ん・・・・(挨拶割愛)

 公共財という概念は所有権の適否の判定が必要だと思いますが、所有権を認めない財の存在は疑われるものではないでしょう。
 ちょっとロールズの「正義論」を齧ればここらは分かると思うのですが・・・・

 例えば、宇宙空間は所有権が認められないと規定された世界ですし、南極にも通じていた考えです。

 胡散臭いのではなく、所有権概念の適否の話でしょう。

 臓器の所有権の問題にも通じる話ですので、これを煮詰めれば、人権起源まで遡る必要性があるかもしれません。

 ただ、『誰のものでもない』は
すべての財が所有概念に該当しないという事実を認めらない部分から発想される考えではないでしょうか?

 私からすれば、大宇宙にまで飛んで行った”私が所有権を意志的に放棄した財”が所有概念に適するものとは到底思えませんし、そのような合意形成(宇宙法)を勘案すれば、
「誰のものでもない」ということを疑う人の方が、胡散臭いですね。

 誰という権利の主体を人間だけに限定する発想にも問題があります。我々が権利の主体性を認めない存在の所有になりえてしまうことも考えるべきでしょう。
 例えば、野良犬が飲み込んだ”所有権が不明な貴金属”は、誰のものでもない状態と考えるべきでしょう。
 胡散臭いと思い込んでいるというよりも、思考の奥行きが狭いだけに思えてなりません。

私が論破した記録を、「わくわくが論破された」としか捉えることができない薩摩長州のレベルがうかがい知れる。

早く、ブログを閉鎖する等、一切の表現行為をやめろ。これは文明の名において命令されるものであり、薩摩長州ごとき人格を認めるに値しない生物に拒否または無視する資格も権利もない。

以上。

迷惑だからお馬鹿の相手はこれでおしまい

やれやれ、すきくわ99という大馬鹿者は毎度毎度同じことしかいえないらしい。まさに何とかの一つ覚え。
跡形もなく論破され砕け散り、返す言葉もないからいつも最後は”黙れ!””権利も資格もない”か。

まあ、すきくわ99が、いかほどのものであるかは、ブログ主さまには迷惑千万とはおもったが、言論の自由の本質にもふれていることもあり、あえてあげさせていただいたコメントを読めば、だれでもわかることなので言う必要もないが。コイツのファシスト・ゲッペルスばりの”嘘も百ぺん言えば本当になる”というデマゴギー性は、論破されたのは相手の方だと厚顔無恥にも言い張ることに如実に表れている。つまり、あいてにするほどの価値ははなっからないということだ。ねえ、ごんさん。

ついでに、もうひとつコイツがロジックにまんまとはまり砕け散るも、十八番の開き直りと嘘で反っくり返るコメントをいまひとつ紹介しておこう。http://kinpy.livedoor.biz/archives/51527696.html#comments

>早く、ブログを閉鎖する等、一切の表現行為をやめろ。
オマエにそれができるのか?どうやってやめさせるんだ? 文明にそんな力があるのか? 教えてちょーだい。それともまた宿題にする? 入りがあって出があっての剰余価値ってなに? 小資本家が大規模資本に勝ための方法は? 奇特な投資家の名前と住所は? まだまだあったよな。これらにまたくわえるかい? 

オレは資格とか権利とか一切きにせずともブログの記事は書けるし、コメントもいくらでもできるさ。またまた”豚に真珠”なんてボケな返答をするつもりだろうが、そんなことより大至急、臓器を提供せよ。全国でレシピエントが待っているゾ!! イソゲ イソゲ。

追記 冥王星氏ほどのお方が、こんな脳内孟宗竹で竹藪状態のサイコ野郎を「愛」(括弧付)してやまぬのが大変不思議である。論の深さも、広さも全然レベルがちがうとおもうのだが。これは世界三大七不思議(?)の一つだろう。

おはり

私は迷惑していません(笑)

迷惑しているのは、当ブログにお越し頂くコメンテーターや読者の方でしょうね。私はまったく迷惑していません。笑っているだけです。わはは。

ブログ管理人としては、笑っていないで読者の迷惑を考えて適切に対処すべきなのでしょうが...、それもまた「強欲」かと思いまして。

憐れだな、薩摩長州。
文章が支離滅裂になってるところをみると、もはや私には何も言い返せない状態になっているんだろうね、これは。
人格がない生物である薩摩長州には仕方がないことか。

諦めなされ

薩摩長州どの

冥王星氏とわくわく氏は昔からのおともだち。

同じ穴の何とかです。(笑)

冥王星氏が応援に駆け付けたと見れば
何の不思議も無い。

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