愚慫空論

それもまた「強欲」なのではないだろうか?

臓器移植法の改正A案が、昨日衆議院の本会議で可決されました。

臓器移植A案「脳死は死」「家族承諾で」「何歳でも」

臓器移植法の改正A案は06年、脳死になった人からの臓器提供を増やすことを目指す自民党の中山太郎衆院議員らが提出した。最大の特徴は、脳死を人の死とすることだ。そうすることで、脳死になった時に臓器を提供しようと考えていたかどうかがはっきりしない人からも、家族の承諾で提供できるようにする。

 現行法では、本人があらかじめ提供の意思を書面に示していなければ、脳死になったとしても、家族も医療機関も、提供の手続きを進められない。つまり、人が脳死になっても、必ずしも死んだことにならないと整理している。本人の意思が書面という確かな形で残されているかどうかがポイントだ。

 現在の制度は、脳死をめぐる様々な立場の人たちが議論を重ねて一致点を見いだし、97年に制定された。それだけ高いハードルを設けてある。A案は、提供を拒む権利を認めるものの、死を巡る基本的な立ち位置を変える。

 これまで脳死での臓器提供は年に10件前後だった。本人の意思を確かめる手立てとして用意された意思表示カードが思うように普及せず、臓器提供が大きく増えなかったとされている。昨年の内閣府世論調査では「脳死になったら臓器提供する」と記した人は約4%だった。

 A案が参院でも支持を集めて成立すれば、カードがなくても臓器提供できるようになるので、提供件数が増えると、移植にかかわる医師らはみている。ただ、衆院で「脳死を死とすることに社会的合意がない」といった反対意見が相次いだように、参院でも厳しい議論が予想される。

asahi.com より


この法案に違和感を覚える人は多いと思います。私もその中のひとりです。この法案の背景にあるのは「強欲」だと感じるからです。

このことは引用した新聞記事からも読み取れます。

臓器移植法の改正A案は06年、脳死になった人からの臓器提供を増やすことを目指す自民党の中山太郎衆院議員らが提出した。

「臓器提供を増やす」とは、いったいどういうことでしょう? 臓器提供を増やすことは、例えば自動車の生産を増やすと言ったこととは根本的に異なります。臓器提供の背景には「人の死」があるわけです。単純に“増やす”とはいかないものが、ここにはあります。

悲しいことに人は死にます。その死に方もさまざまで、大往生といわれる死に方もあれば、 不運な死もある。日々大量に発生するさまざまな死の形の中に臓器提供ができる形の死があることは確かです。それが脳死といわれる死のかたちです。

脳死が本当に人の死なのかどうかという議論は非常に重大な問題で、臓器移植の問題の根幹に関わる部分です。今回の法案の採決には、この根幹部分への審議が足りないという批判もあります。私も同感ですが、しかし、いくら審議をしたところで結論が出る問題でもなかろうという気もする。いえ、そもそも国会で審議し結論を出すべき問題ではないよう思います。脳死の問題は科学的な問題であると同時に社会的合意の問題であり、なおかつひとり一人の意思の問題でもある。この問題は国の意志決定という枠組みの中には収まらない問題、つまり国家という組織、あるいは社会という集団が何らかの「目的意識」への合意を得る、といった問題ではないはずなのです。

しかし、このA案には「目的意識」が色濃く反映されています。

本人の意思を確かめる手立てとして用意された意思表示カードが思うように普及せず、臓器提供が大きく増えなかったとされている。昨年の内閣府世論調査では「脳死になったら臓器提供する」と記した人は約4%だった。

A案が参院でも支持を集めて成立すれば、カードがなくても臓器提供できるようになるので、提供件数が増えると、移植にかかわる医師らはみている。・・・


この記述にあるのは、明確な「目的意識」です。“意思表示カードが思うように普及せず”。“思うように”とはいったい誰が思ったのでしょう? 普及しなかったのは、臓器移植の意思表示カードが国民に知られていなかったからではないでしょう。国民は意思表示カードの存在は知っていたけれども、約4%しか意思表示をしなかった。この数字こそが「国民の意思」です。しかし、この法案の背後に隠れている「目的意識」は、その「国民の意思」を認めません。“思うように普及せず”としか捉えない。そして“カードがなくても臓器提供できるようになるので、提供件数が増える”。これこそが「目的」であり、 私は国民の意思を認めないこの「目的」は「強欲」なのだと感じています。



話は少し変わります。先日の日曜日にNHKスペシャル『マネー資本主義 第3回 年金マネーの“熱狂”はなぜ起きたのか』が放映されていました。この番組で描き出されていたのは、私たちの老後の蓄えである年金基金の「強欲」でした。

主に取り上げられていたのは、世界最大の公的年金基金とされるカルパース(米カリフォルニア州職員退職年金基金)。番組にはカルパースから給付を受け取る会員の姿もありました。その姿は、年金を受け取って悠々と暮らしている老人の姿でした。

壮年期には一生懸命働くが、老後は何不自由なく暮らしたい。この希望を「強欲」だと感じる人は少ないでしょう。カルパースを初めとする年金基金の「目的」は、基金加入者の希望を実現することであり、その目的は正当なものだと言えます。しかし、その目的は結果として「強欲」なものでした。年金基金は「目的」を満たすため高い利回りを求めた。そこにあらわらたのがヘッジファンドです。ヘッジファンドは、金融工学という技術を駆使して年金基金の「目的」を満たしていった。その結果がどうなったかは、もうご存知でしょう。

・・・
・・・

難病に冒されたわが子を何とか救いたいという両親の希望は、「強欲」ではありません。ひとり一人の“生きたい”“生かしたい”という切ない願いを「強欲」だなどと断じると大きな非難を浴びることになるでしょう。しかし、その願いをかなえる技術が生み出され、願いが組織的な「目的」に変化してしまったとき、その「目的」は「強欲」となってしまうのでないか。私にはそのように思えて仕方がありません。

金融工学の技術を駆使したヘッジファンドと、ヘッジファンドを利用した者たちに欠けていたのは、「弱き者への想像力」です。金融工学は、カネを持つ者をより豊かに金も持たないも者をより貧しくした。そして「弱き者」といえば、脳死の人ほど「弱き者」もいないのかもしれません。身体はまだ生きているにもかかわらず、意思表示を行う脳が機能しなくなることで生きていることを表現することが出来なくなった者。臓器移植とは、その「弱き者」からすべてを取り上げてしまうことなのではないでしょうか?

臓器移植と脳死が、たとえ一部の人たちの切ない希望をかなえるものであるとしても、「弱き者への想像力」が欠けているのなら、私はその「目的」は「強欲」と化してしまっていると言わざるを得ないように思います。

コメント

ご主張の主旨がよくわかりません

>私は国民の意思を認めないこの「目的」は「強欲」なのだと感じています。

「強欲」ですか?
「強欲」か「切なる願い」か、その区別がなぜそんなにすっぱりと断定できてしまうのですか?
ちょっとよく分かりませんし、私と同様の感想をもつ人も多いと思います。

例えば、「金持ち患者が発展途上国の臓器を買いあさる」というのであるのならば、それは多くの人が「強欲」と看做すでしょう。

とはいえ、いくら憎っくき自民党が発案したものであるとはいえ、臓器移植法案を進めることは、「金持ち患者の臓器買いあさり」を阻めるというメリットがあります。

そのようなことを吟味せずにただ「裏があるだろう」などと考えていては、ダメだと思いますよ。

目的意識が希望を「強欲」に変える

十文字さんようこそ

その願いをかなえる技術が生み出され、願いが組織的な「目的」に変化してしまったとき、その「目的」は「強欲」となってしまうのでないか。


臓器移植と脳死が、たとえ一部の人たちの切ない希望をかなえるものであるとしても、「弱き者への想像力」が欠けているのなら、私はその「目的」は「強欲」と化してしまっていると言わざるを得ないように思います。

本文に書いたとおりです。

ただ「裏があるだろう」などと考えていては、ダメだと思いますよ。

それは十文字さんの読解です。そのように読まれることを否定はしませんが、あなたの読解を私に押しつけてはイケマセン。

話がよくみえないが

そもそもこの話は、「どちらかの死」を前提にしている話なので、賛成も反対も、投票直前まで悩んでいても不思議ではない話だからね。

>難病に冒されたわが子を何とか救いたいという両親の希望は、「強欲」ではありません。ひとり一人の“生きたい”“生かしたい”という切ない願いを「強欲」だなどと断じると大きな非難を浴びることになるでしょう。しかし、その願いをかなえる技術が生み出され、願いが組織的な「目的」に変化してしまったとき、その「目的」は「強欲」となってしまうのでないか。私にはそのように思えて仕方がありません。

脳死した方も患者も、その周囲にいるご家族も医療関係者も、われわれが想像する以上に苦しんでいるかと思います。
臓器移植で成功した患者やその家族も、ドナーの十字架を背負って生きていくことになります。腕のいい医者ほど、やったことが正当であっても、やはりその重さを背負って生きていくことになる。
さすがにこれは身も蓋もないと思いますね・・・。


それと、この際だから申しておくけど、最近の投稿の傾向、なんか反権力に傾きすぎてやしないかい?
自分の見解と反対側の正当性を見出そうという姿勢が、だんだん薄れていると感じてならないんだが。

ぬちどぅたから

愚樵さん、おひさです。

すくなくとも僕自信は脳死になっても臓器提供はしたくないと明確に思っています。だから、自分の意思に反して移植をされるのであれば、いい気はしません。

骨髄など生体より移植出きるものは問題が少ないと思いますが、脳死者からの臓器移植はどうかな?と個人的には思ってもいます。

命は宝です。大切にしなくてはいけないです。
でも、やって良いことと悪いことはあります。
脳死者からの臓器移植は微妙なんじゃないか?と私は思っています。

以前、知り合いの知り合いのお子さんが難病を煩い、米国へ移植を受けに行く資金のカンパを頼まれた時も、少し考えました。

正しいとか間違ってるとかよく解んないけど、私自身は消化不良状態です。

結論は出ない

わくわくさん

賛成も反対も、投票直前まで悩んでいても不思議ではない話だからね。

お玉さんのところでも、そんなことを指摘しておられましたね。これも本文中に書きましたが、私はこの問題は結論がでないと思っているし、また出すものでもないだろうと思っている。結論が出ないことを前提に、何らかの結論を出さねばならないという、コンガラガッタ話だと思うのですね。

腕のいい医者ほど、やったことが正当であっても、やはりその重さを背負って生きていくことになる。

それが命に関わることを生業とする者の宿命ではないのですか? 医者も、裁判官も、政治家も、それから軍人も同じだと思う。すなわちエリート。「エリートは加害者」なんですよ。

コンガラガッタ話ですけれど、私は臓器移植を推進しようとする者が、殺人を犯してしまうことも覚悟でやるというのなら、認めても良いと思うのです。そんな覚悟も出来ないで一方で我が身の保身を図りながら、一方で人の生き死にを左右しようとするなんて、思い上がっているとしか思えないのですね。

それと、この際だから申しておくけど、最近の投稿の傾向、なんか反権力に傾きすぎてやしないかい?

いまさら何を言っているんですか? 私はもともと反権力ですよ。でなければ何を好んで樵になど身を投じるものですか(笑)

また、身も蓋もないようなことを突き詰めていこうとすれば、反権力になっていくのも当然の流れでしょうね。権力とは、とどのつまり「フタをすること」でしょう? 本当は身も蓋もないはずのことにフタをして、それを他人に強制するから権力なのでしょう。 身も蓋もないことを一身に我が身に背負うとのなら、それは権力ではありませんからね。

消化不良は同じです

すぺーすのいどさん

以前、知り合いの知り合いのお子さんが難病を煩い、米国へ移植を受けに行く資金のカンパを頼まれた時も、少し考えました。

考えますよね、これは。私は以前、出かけた先で募金活動に出くわしたことがありまして、そのときは幾ばくかのカンパをしたことがあると思います。今でもたぶん、同じ状況になったらカンパすると思います。こういったのは、理念とか理屈とかじゃなくて、「出会い」なんだと思うのですね。そのときたまたま出会ったから、理由はそれだけで十分のような気がします。

ですが一方で、

やって良いことと悪いことはあります。
脳死者からの臓器移植は微妙なんじゃないか?


私は臓器移植はやってはいけないことだと思っています。身体を脳とそれ以外に区分けして考える二元論には、私はどうにも納得がいきかねるのですね。苦痛を感じるのも、また喜びを感じるのも脳だけではないはずなんです。例えば水ひとつとっても、何の抵抗感もなく染み渡っていく感じの水もあれば、飲むのに努力しなきゃならないような水もあります。染み渡るような水に出会ったときには、水が通っていく喉なんかは喜んでいると感じます。現代はみんなアタマデッカチになってしまっていて、そうした身体感覚を喪失してしまっているような気がします。だから脳とそれ以外とを区分けできてしまうのでしょうね。

自分で意思表示のできない幼児の親が、わが子の動いている心臓を、臓器移植のためとはいえ止められるだろうか。自分にはできそうにない。
逆に自分の子が臓器移植で助かる見込みがある場合、臓器提供を求めるだろうとおもう。しかしその場合、脳死状態の子を見守る家族のところへ赴いて懇願するくらいの覚悟は必要なんだと思がこれまた、脳死なんだから早く臓器提供してくださいなんて言えそうにない。

「人殺し」ですか?

愚樵さんや、ここの一部コメンターに掛かれば、どうやら私は、「強欲」で、自分の子どもすら殺す「人殺し」となるようですね。あなた方にとっては、「提供したい」と思う人は想定外の変人なのですかね?
もっとも、そうした本人や親の希望すら、制度的にシャットアウトして、助かる命をも切り捨てようとする方を「人殺し」だの「強欲」だのと非難するつもりもありませんけどね。

ですから、当然私は臓器提供意志カードをいつも財布にしのばせています。家族もその意志を知っています。でも、いくらその意志があっても、実際には活用されない事例がほとんどであることも知っています。仮に活用されなかったら、化けて出たい気分ですが、お化けも霊も存在しませんから、残念ながらそれも不可能です。

同様に、自分の子どもが脳死となり、どんな最新の治療法でもその回復の可能性が全く無い事が確実だと確認・納得できたなら、心臓がパルス信号で無理矢理にでも動く内に、臓器提供を希望しますし、その希望が叶えられなければ大変残念に思うでしょう。そういう意味では、移植法の改正を心より望んでいた一人でもあります。ちなみに妻も同意見です。

あと、「脳死判定」の確実性の問題と、「脳死」が人の死かどうかの議論は、まずは分けるべきだと思います。

>苦痛を感じるのも、また喜びを感じるのも脳だけではないはずなんです。

そう思いたいというのは分らんではありませんが、脳(脳幹を含む)だけです。なお、脳が特段偉いわけではなく、人体において、そういう役割分担を果たしているという事でしょう。

ちなみにみなさんは、Aさんの脳の全てをBさんに移植したら、その人の見かけはもちろんBさんですが、その人をAさんとすべきだと思いますか?Bさんとすべきだと思いますか?
これは、その人がその人たる根拠は何なのか?という問いにもなるでしょうね。ちなみに、私はAさんとすべきだと思います。

Looperさん
私もLooperさんの言うコメンターに該当するのかな。

愚樵さんは「弱き者への想像力」が欠けているのなら、という条件付きで「目的」は「強欲」と化してしまっていると言わざるを得ないように思います、と書かれています。Looperさんには「想像力」があると思いますから、「強欲」ではないということになると思います。

また愚樵さんは二元論が納得できないから、臓器移植はやってはいけないことだと思っています、とも書かれています。思想、信条の表明ですから、私は他人がとやかく言うことではないと考えます。

私個人は臓器提供の意志を持っていますが、意思表示のできない子の思想、信条はわかりかねます。どちらを選択しても、親の価値観を子に押し付けることにになるわけで悩ましい限りです。

脳移植のくだり、
移植された人に、あなたは誰か?と尋ねたら「Aです」と答えるでしょうね。でも体はBですから、Aの体のままでのAさんとは違った(Bさんの体の影響を受けた)成長(脳も含め)を続けるでしょう。
自分が知る範囲では、脳はわかっていないことが多すぎる。だから脳死に関しても様々な意見が出されるのでしょう。完璧に解明されたら今回の問題も解決に近づくのだろうと思います。

※愚樵さんの言葉を勝手に解釈した部分、的外れであれば謝罪します。



挑発的だこと(笑)

Looperさん

nobuさんが大方私の考えを代弁していただいているようなので、多くは付け加えませんが。

あ、先にnobuさんのお答しておきます。

※愚樵さんの言葉を勝手に解釈した部分、的外れであれば謝罪します。


そんなことは謝罪する必要のないとこだと思います。nobuさんやLooperさんが私の文章をどのように解釈しようとそれは自由ですし、私に謝罪すべき問題ではないでしょう。もしnobuさんがnobuさんの解釈を私に押しつけるようなことがあれば不快に感じますけれども、そうでない限り、私の文章を読んでいただいて何か思うところがあったのなら、それは喜びであっても不快であるということはありません。

愚樵さんや、ここの一部コメンターに掛かれば、どうやら私は、「強欲」で、自分の子どもすら殺す「人殺し」となるようですね。あなた方にとっては、「提供したい」と思う人は想定外の変人なのですかね?

ですから、この問題はAでなければBといったような二項対立の問題ではなかろうと思うのですね。確かに脳死を人の死と認めない立場からすれば、自分の意志でみずからの臓器を提供するならともかく、明確の意志表現が出来ないと考えられている子どもの臓器を提供することは殺人になるでしょう。けれども、現代の医療技術をもってしても死にゆくことが不可避であるとの判断があって、たとえ一部であっても、たとえ他人の体内の中であっても、臓器提供によってわが子が生かされると考えるなら、それは殺人ではなく生かすための医療行為ですね。ここは生とは何か死とは何か、はたまた生命とは何かという、明瞭に解答することが不可能な問題が横たわっているわけで、そこへ踏み込めば各々の死生観と言うことにならざるを得ない。それはAでなければBといった論理が適用できる問題ではないでしょう。

私が「強欲」といったのは、次のエントリーでも取り上げましたけれども、各々の個人の希望や欲求は是としても、それらを組織化していったときに生まれるシステマティックな作用のことです。臓器移植のことでいえば、移植で救われる命があって、一方で助からない命がある。そこを技術で結びつけようというのは、私自身の死生観からは受け付けられないけれども、あってもよいと思うのです。否定するつもりは全くない。上のコメントにも書きましたが、もしそういった個々の場面に「出会った」なら、私は賛成の意思表示をするつもりです。しかし、そこを〈システム〉にしてしまうことには抵抗を感じるのですね。

もうすこし具体的にいますと、もし仮に私がみずからの死生観に反して自分の臓器提供を認めることがあるとするなら、それは提供を望む者と移植技術を提供する医師とが〈システム〉によって免責されることを望まずに、みずからの責任において、つまり移植は殺人であると諒解しつつ希望する場合です。「オレはオマエを殺してでも生きたい」と、そう面と向かって告げられたならあるいは提供に同意するかもしれない。ここでも重要なのは「論理」ではなくて「共感」なんだと、結局これもまた私の死生観になるわけですが(笑)。

ちなみにみなさんは、Aさんの脳の全てをBさんに移植したら、その人の見かけはもちろんBさんですが、

ここに私もお答しておきます。知識が不十分ですので自分の解答に明確な自信はありませんが、とりあえずはBです。根拠は免疫系です。

個人を識別する根拠をその人の意志や感情、感覚に置けば、Aということになるでしょう。しかし免疫系は、そこよりももっと深いところで自己と非自己を識別しているのではないでしょうか? 

苦痛を感じるのも、また喜びを感じるのも脳だけではないはずなんです。

この表現、苦痛、喜びを普通に解釈すればLooperさんの指摘の通りでしょうが、苦痛を免疫の拒絶反応、喜びを免疫系が受容することだとする解釈も可能かと思うのですが。

>コンガラガッタ話ですけれど、私は臓器移植を推進しようとする者が、殺人を犯してしまうことも覚悟でやるというのなら、認めても良いと思うのです。そんな覚悟も出来ないで一方で我が身の保身を図りながら、一方で人の生き死にを左右しようとするなんて、思い上がっているとしか思えないのですね。


このセリフは私は激怒しましたよ。
目の前に生きるか死ぬかの瀬戸際にある患者に、直接手を触れ、生きるために必要な行為を行っているのに、死を目の当たりにすることを避けられない。
臓器移植なんて、移植する側は確実に死ぬ、そんなことは医師たる者はわかっている。でも、移植をしないと命に関わる人もいる。矛盾した双方を目の当たりにして苦悩している医師に対して、『殺人を犯してしまうことも覚悟でやるというのなら、認めても良いと思うのです。』って、よくもまぁ、人の心を踏みにじることを平気で言い、そして「加害者」などと言えるもんだと。

>>それと、この際だから申しておくけど、最近の投稿の傾向、なんか反権力に傾きすぎてやしないかい?
>いまさら何を言っているんですか? 私はもともと反権力ですよ。でなければ何を好んで樵になど身を投じるものですか(笑)

私は「傾きすぎてやしないか?」と言っているのです。
あなたの言葉を医師に言ったら、A案に反対の医師でも、おそらく怒るでしょうね。「人の気も知らないで、勝手なこと言うな!」とね。

>また、身も蓋もないようなことを突き詰めていこうとすれば、反権力になっていくのも当然の流れでしょうね。権力とは、とどのつまり「フタをすること」でしょう?
>本当は身も蓋もないはずのことにフタをして、それを他人に強制するから権力なのでしょう。
>身も蓋もないことを一身に我が身に背負うとのなら、それは権力ではありませんからね。

そうやって、自分が何に対して「身も蓋もないことを言っている」と言われたのか、理解しようとすらしない姿勢が、私に叱られる理由だと早く気付いてください。
私のコメントを削除したりUPしなかったり、「逝きし世の面影」なる馬鹿の特徴は、以下のことで説明しきれるといっても過言ではない。

『「弱き者への想像力」が欠けているのなら、私はその「目的」は「強欲」と化してしまっていると言わざるを得ないように思います。』って、移植を受けた人がこれを聞いたら、どういう気になると思いますか?
あなたは、権力者や利権を握る人たちに警告を発し、批判精神を発揮しているつもりなのかもしれない。移植を受けた患者へは批判も非難もするつもりはないのかもしれない。
しかし、こんなことを目にしたら、あなたには意外であるかもしれないが、最も傷つくのは、臓器移植を受けた患者とそのご家族だという想像力はないのか?

だから、反権力に「傾きすぎて」いることを批判したのです。
開き直るな!

>そうやって、自分が何に対して「身も蓋もないことを言っている」と言われたのか、理解しようとすらしない姿勢が、私に叱られる理由だと早く気付いてください。

そのセリフ、そのままお返しします。いえ、私はあなたのように自分を無条件に上位において叱ったりはしませんが。何様のつもりだか(笑)

そもそも医者なんてものは、自分のミスで患者を死に至らしめることがあるわけです。自分が加害者であると言うことを意識するということは、医師も神ならぬ身である以上、「万が一」を覚悟するということでしょう。「万が一」の場合、いえ、状況によっては「千に一」「百に一」「十に一」「二に一」になるかもしれませんが、それを覚悟するということでしょう。医師にかかる患者=弱者はみなその覚悟が必要なわけです。強者である医師にもその覚悟は要るだろう、と。これを「弱き者への想像力」という。単純な話です。

>『「弱き者への想像力」が欠けているのなら、私はその「目的」は「強欲」と化してしまっていると言わざるを得ないように思います。』って、移植を受けた人がこれを聞いたら、どういう気になると思いますか?

臓器移植は、控えめに見ても他人から命を分け与えてもらうことです。それも他人の死によって自分の命を長らえることが出来た。この程度の自問が出来なくてどうするのですか? 私は、自分が臓器移植を拒否したいと思っているのは、他にも色々理由はありますけれども、その自問を自分に課しているからです。そりゃ、自分がいざその場面になってしまったら、臓器移植拒否の意志は曲げるかもしれない。それはわかりません。もしそうなったとしたら、自分が「強欲」だったというだけの話です。

私の文章の「行間」を良く呼んでくれれば理解できると思いますが、私は「強欲」を絶対悪として非難しているわけではありません。それはときには切ない希望である。しかし、発端がいくら切なくても、システマチックになれば「強欲」と言わざるを得なくなる状態になる、との考えを表現している。

他人を頭ごなしに叱るなら、文意を十分に汲み取る能力を身につけてからにしてくださいな。

>そもそも医者なんてものは、自分のミスで患者を死に至らしめることがあるわけです。自分が加害者であると言うことを意識するということは、医師も神ならぬ身である以上、「万が一」を覚悟するということでしょう。
>医師にかかる患者=弱者はみなその覚悟が必要なわけです。強者である医師にもその覚悟は要るだろう、と。これを「弱き者への想像力」という。単純な話です。

やはり、君は何もわかってない。
特に臓器移植なんてリスクが高すぎるものなど、自分の名誉や保身を考えるならば、絶対に手を出さない。内科や整形外科といったリスクが低いものでも、開業医ならば「やり方次第では儲かる」んだからね。
こうした分野に携わる医師が、あなたが言うような覚悟や「弱い者への想像力」なしにやれるようなものかどうか、それこそ「想像力」を働かせてください。

>そりゃ、自分がいざその場面になってしまったら、臓器移植拒否の意志は曲げるかもしれない。それはわかりません。

と言っている人が、

>臓器移植は、控えめに見ても他人から命を分け与えてもらうことです。それも他人の死によって自分の命を長らえることが出来た。この程度の自問が出来なくてどうするのですか?

などと、よく言えるもんですよね。
ある意味感心しましたよ。実際に直面している患者やご家族の気持ちもわからずに。

>私は、自分が臓器移植を拒否したいと思っているのは、他にも色々理由はありますけれども、その自問を自分に課しているからです。もしそうなったとしたら、自分が「強欲」だったというだけの話です。

この文章、エクスキューズになるどころか、「なんて傲慢な人なんだ」っていうだけの文章であることを気づいていますか?
実際に臓器移植をする・される人やそのご家族が読んだら、ものすごく傷つく文章だということ、わかっています?

>私の文章の「行間」を良く呼んでくれれば理解できると思いますが、私は「強欲」を絶対悪として非難しているわけではありません。それはときには切ない希望である。しかし、発端がいくら切なくても、システマチックになれば「強欲」と言わざるを得なくなる状態になる、との考えを表現している。
>他人を頭ごなしに叱るなら、文意を十分に汲み取る能力を身につけてからにしてくださいな。

患者やご家族に追い討ちをかけるような文章を並べておいて、何が「行間」ですか。何が「絶対悪として非難しているわけではありません」ですか。
臓器移植に関わる人たち全員に対して、この上ない無礼侮辱な発言をしているあなたが、頭ごなしに叱られずに済むと思う方が間違っている。

ましてや「文章を十分にくみ取る能力をつけてから」などと、私を見下す資格も権利もないことぐらい自覚してください。あなたの思考と感情は、人間として最悪ですよ。

>そのセリフ、そのままお返しします。いえ、私はあなたのように自分を無条件に上位において叱ったりはしませんが。何様のつもりだか(笑)

従って、このセリフは、完全に不正かつ不当です。
あなたは、猛省する義務があります。人間なら。

[太字]ここまで酷い文章、初めてみた。[/太字]

やはり、命は宝ですね。

愚樵さん、こんばんは。
丁寧なレスありがとうございます。

>現代はみんなアタマデッカチになってしまっていて、そうした身体感覚を喪失してしまっているような気がします。

そうそう、そうですよね。なんか解ります、解ります。
アタマとカラダが分裂しているっていう感じ、ですね。


コメントの順序と内容からすると、私もLooperさんのおっしゃる「一部」のコメンターに入るのかしらん?

言い訳するわけでもないけど、私は今現在において臓器提供を希望する人や待っている人や受けて生きておられる方や受けたけれども残念ながら亡くなってしまった方に、何の悪意も感じていません。

ただ臓器移植という方法には、「私」は何か引っかかるものがある。
私の感じ方で表現すると、遺伝子組み換え食物に対する引っかかり方と似てるのかなぁ?違うかも・・・(^^ゞ

まぁ私ごときには難しい事は説明できそうもないけど、私は少なくともLooperさんの様に臓器提供を希望する意志をカード等で明示されている方や暗黙にでも希望している方を「強欲」とも「人殺し」ともまったく感じていないことは確かですので、そこの所は是非誤解の無いようにお願いいたします。

田舎保守のぼやき。

愚樵さんはじめまして。
 東西さんやお玉さんの所でアホコメントばかり書いている(汗、田舎保守のくろねこと申します。

 Looperさんとは「水と油」ですが、今回の件はLooperさんに同意。
 自分は難しい事は分からないが「生きる」意思がある人間は、生きるべきだと思う。例え、移植と言うリスクの高い手段を使っても。

 あえて違う部分を無理やり探すとすれば、最後の問い。

 >ちなみにみなさんは、Aさんの脳の全てをBさんに移植したら、その人の見かけはもちろんBさんですが、その人をAさんとすべきだと思いますか?Bさんとすべきだと思いますか?
これは、その人がその人たる根拠は何なのか?という問いにもなるでしょうね。ちなみに、私はAさんとすべきだと思います。

 自分は「Aさん」でもあり、かつ「Bさん」でもあると思います。

 Looperさんとは、「黄色のカード」を持っている、意外な共通点があるなぁ~と思ったりもしました。ちょいと新鮮でした。
 変人のたわごとでした。
適当にスルーしてくださいませ。

わくわくさん

ここまで酷い文章、初めてみた。

私はよく見かけますが(笑)。あなたは自分自身の文章の醜さを自覚した方がいいですよ。

ま、醜いモノもそれはそれ。清浄と汚濁が生命です。どうぞこれからも醜い文章を連ねてください(笑)

再度、すぺーすのいどさん

コメントの順序と内容からすると、私もLooperさんのおっしゃる「一部」のコメンターに入るのかしらん?

どうなんでしょうね。Looperさんのコメントは、見る者に“何か”を突きつけるものがありますよね。そうした意味で挑発的(笑)

あ、けれど、挑発的なのは私も同じですね。切ない願いも「強欲」と呼んでいるんだから。ここを自覚しておかないとわくわくさんを笑えなくなる(苦笑)

言い訳するわけでもないけど、私は今現在において臓器提供を希望する人や待っている人や受けて生きておられる方や受けたけれども残念ながら亡くなってしまった方に、何の悪意も感じていません。

そこは私も同感です。問題は個々人の意思ではなくて、

ただ臓器移植という方法には、「私」は何か引っかかるものがある。

「方法」だと私も感じます。話は大きく変わりますが、たとえば戦争を無くすために核兵器を配備せよといった「方法」もあるわけです。“戦争を無くそう”という意思があるからといって“核兵器を配備せよ”という「方法」がよい、とはならないですよね。“戦争を無くそう”という意思は善意でしょうが、その善意が核兵器配備という方法全体の善意を担保することはないんですよね。これはたぶん、いかなる「方法」=〈システム〉でも同じではないかな、と思うのです。

適当にスルー...はしません

くろねこさん、ようこそ。
申し訳ありませんが、絡ませていただきます。

「生きる」意思がある人間は、生きるべきだと思う。

ここのところ、新たなエントリーを立てさせてもらおうと思います。タイトルは『カルネアデスの船板』がいいかな。よろしければそちらにもコメントください。

自分は「Aさん」でもあり、かつ「Bさん」でもあると思います。

そうですね。その答えが正解なのでしょう。となるならば、Bさんの臓器を提供してもらったAさんは、AさんでもありBさんでもあるということになるわけですよね。

けれども、現行および改正の臓器移植法は、そのあたりはどうなんでしょうか? AさんはやはりAさんとなっているはずですし、またそうでなければ法的な権利関係あたりの整合性がとれないということにもなると考えます。しかしまたそう考えるとこれもまた大きな問題がでてくるわけで、人が先なのか法が先なのかという、これまた未解決な問題とも関わってきそうです。

いずれにせよ、臓器移植の問題は、早々簡単に決着がつく問題ではなさそうです。

挑発的?

> ここに私もお答しておきます。知識が不十分ですので自分の解答に明確な自信はありませんが、とりあえずはBです。根拠は免疫系です。

なるほど・・・私はピンクのドナーカードも持っているのですが、とすると白血病で私から骨髄移植された方は、私になっちゃう事になりますね。こんな変人がもう一人増えるなんて・・・そりゃ社会の迷惑なので困ります。

冗談はさておき、愚樵さんが私の文章を挑発的に感じるのは、あなた自身の文章の責任だと思いますよ。実際私は自分の立ち位置を説明しただけです。わくわくさんも(私も)を激怒させたような、当事者にとってはあまりにも理不尽な決めつけを平気で書いている。そのあなたの文章があなた自身に突き刺さっているのでしょう。それを私の文章が指し示すからあなたには挑発的に感じるのです。実際、私の文章の意図はそれですから。

>臓器移植は、控えめに見ても他人から命を分け与えてもらうことです。それも他人の死によって自分の命を長らえることが出来た。この程度の自問が出来なくてどうするのですか?

そうした決めつけが、もう想像力が足りないのです。
私は、自分の死後=脳死後に、自分の臓器を使って欲しいが、自分の命を分け与えたなんてこれっぽっちも思いません。自分にもかけがえのない物だったが、もはや自分には必要なくなった、使えなくなったのだから、本当にそれを必要とする方、大切に使ってくれる方に心から譲りたい、使って欲しいと思っているだけです。やはり、私のような者は愚樵さんには想定外のように思いますね。同様に、あなたの想定外の人が沢山いること、そして、あなたの文章がその人達に大変失礼な文章である可能性を指摘しておきます。

>わくわくさん、
>こうした分野に携わる医師が、あなたが言うような覚悟や「弱い者への想像力」なしにやれるようなものかどうか、それこそ「想像力」を働かせてください。

ここ、私も同意です。

>くろねこさん、

そうですか、あなたも黄色いカードをお持ちでしたか。でしたらきっとピンクのもお持ちなのでしょうね。

想像力不足はお互い様では?

わくわくさんもそうですが、Looperさんも、一度抱いた印象を修正するのが苦手なようですね。いえ、そういう私が得意というわけではないですが。

臓器移植は、控えめに見ても他人から命を分け与えてもらうことです。それも他人の死によって自分の命を長らえることが出来た。この程度の自問が出来なくてどうするのですか?

そうした決めつけが、もう想像力が足りないのです。

Looperさんは、食事の前に「いただきます」と感謝の気持ちを捧げたりすることはないのですか? 私は日々の食事だって「命を分け与えてもらっている」と思っています。これは「決めつけ」でしょうか? 

いえ、「決めつけ」だといえば決めつけでしょう。「食事ができるのはオレがカネを稼いだからだ」という答えがないわけではないですからね。けれども私は、そうした答えをする人間には、“いただきますと言えなくてどうする?”と決めつけて、なんの良心の呵責も感じることはないでしょう。

臓器を他人から提供してもらうことを「他人から命を分け与えてもらう」というのは、食事の前に「いただきます」と感謝の気持ちを捧げることの延長線上であることはご理解いただけるだろうと思います。

やはり、私のような者は愚樵さんには想定外のように思いますね。同様に、あなたの想定外の人が沢山いること、そして、あなたの文章がその人達に大変失礼な文章である可能性を指摘しておきます。

これこそ「決めつけ」でしょう。私にあらゆるケースを想定して文章を書く能力などもとよりないことは認めますが、別にLooperさんのような考え方の人を非難したつもりは毛頭ありません。「強欲」という表現が挑発的だったことは、すぺーすのいどさんへの返答で認めた通りですが、挑発=非難ではありません

>>こうした分野に携わる医師が、あなたが言うような覚悟や「弱い者への想像力」なしにやれるようなものかどうか、それこそ「想像力」を働かせてください。

ここ、私も同意です。

Looperさんも同意されているようなのでお答しておきましょう。

なるほど、始めるときにはそうでしょうとも。なにか新しい分野を切り拓いていくとき、多くは「善意」から始まったことを私は疑いません。次のエントリーですが、私は「靖国」だって善意から始まったのだと考えています。

しかし、当エントリーの主題はそんなところにあるのではありません。善意で始まったものであれ、システマチックになれば「強欲」と化すのだと言っている。人間誰しも最初の志は高いものです。医者に限らず、政治家だって同じでしょう。警察官だって検察官だって、裁判官だって同じです。

しかし私たちが目の当たりにしている現実はどうでしょう? 「強欲」という表現が相応しいとは思いませんか? それともわくわくさんやLooperさんは、彼らは最初から「強欲」だったと「決めつける」のですか?

なぜシステマチックになると「強欲」と化すのか? それはどうしても内部の責任を免責しようとする力学が働くからでしょう。最善を尽くして医療に当たったが仕方がなかった。当時の最先端の技術で捜査したが仕方がなかった。「弱き者」がつねに強いられるのは、弱き私人として強固な組織の専門的な論理に立ち向かわなければならないという現実です。それがあるから組織を動かす「強きエリート=公人」には常に加害者であるという自覚が欲しいと言っている。つまり「弱き私人」に己も私人として対峙して欲しいと言っている。

コンガラガッタ話ですけれど、私は臓器移植を推進しようとする者が、殺人を犯してしまうことも覚悟でやるというのなら、認めても良いと思うのです。

もし仮に私がみずからの死生観に反して自分の臓器提供を認めることがあるとするなら、それは提供を望む者と移植技術を提供する医師とが〈システム〉によって免責されることを望まずに、みずからの責任において、つまり移植は殺人であると諒解しつつ希望する場合です。「オレはオマエを殺してでも生きたい」と、そう面と向かって告げられたならあるいは提供に同意するかもしれない。ここでも重要なのは「論理」ではなくて「共感」なんだと、結局これもまた私の死生観になるわけですが(笑)

この2つの文章をもう一度読んでください。

要するに「命がけのリスクは「ともだおれ」だけが背負える」ということです。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20080624/163456/ などを参考にどうぞ。)

愚樵様は本当に医療の現場で働く者をご存知なのでしょうか?
加害者の自覚を持てとおっしゃりますが
そんなこと門外漢の貴方様に言われなくても現場の人間は常に苦悩していますよ

医者が強者って何時の話ですか?これだけ訴訟されながら人を助けたいと思ってる
人達に貴方様は面と向かって同じことが言えますか?

常に苦悩?

それは無いでしょう。

いかにも医者の側に立っての発言をしているが
あなたがどこまでわかると言うのか


相手の発言を封じるために使ったのは一目瞭然ですな。(笑)

>Looperさん
 こんばんは。自分は「ピンクカード」までは持っていません。まあ田舎人間がアホ言っていると笑ってくださいませ。呼び出し受けてまではゴメンです。

 でも、「ピンクカード」まで持っている所には、敬意を表します。

>愚樵さん
 自分の命は、自分だけの命ではないような気もします。上手く言葉に出来ませんが、生きる事は強欲なのでしょうか?

 適当なぼやきなので、気にしないでくださいませ。

さーどさん

あなたは医療関係者なんですか?

公開のブログですしコメント欄も解放してありますけれどもね。ご自分の意見にそれなりの説得力を持たせたいのなら、言いっぱなしではなくて、少しはご自分の立場に言及されてからの方が良いと思いますよ。

それをしないから、吉岡さんのように捉えられてしまう。

医者が強者って何時の話ですか?これだけ訴訟されながら人を助けたいと思ってる人達に貴方様は面と向かって同じことが言えますか?

これも「決めつけ」ですね。「決めつけ」をしておいて、二者択一を迫る。稚拙な戦術ですね。

私は医者であっても私人であって欲しいと言っています。当然そのように医者に期待を込めて接します。ですからそのようなことは言いません。

出会った医者にいきなり、あなたは強者ですね? などと言葉を浴びせかけたとして、それでその医者は私人として対応してくれると思いますか? いくらなんでも医者にそこまで寛容であれとは言いませんよ。

こんなことは、医療に限らず、人と人とが交わる現場を知っていればわかること。あなたは本当に現場を知っているのですか?

医者が訴訟されるのは、医者もそれから患者も、どちらも公人として振る舞おうとするからです。そして、公人として振る舞うのが容易なのは明らかに医者の方です。

では軽く(笑)

くろねこさん

自分の命は、自分だけの命ではないような気もします。

捨身飼虎ですか? そこまでいけば、スゴイですね。

上手く言葉に出来ませんが、生きる事は強欲なのでしょうか?

程度によるのでは、と思います。不老不死を願うのは、やぱり「強欲」という気がします。

吉岡さん

常に苦悩はあると思いますよ。

患者が苦悩するのは患者となったときだけですが、医者は常に患者と接するわけですから、苦悩は常につきまとう。

私は以前、医者の高給を批判したことがあるのですけれども、今は考えが変わりまして、常に苦悩がつきまとう者にはそれに見合った報酬はあってしかるべきだと考えています。

しかし本来、金銭的な報酬と苦悩とは、別問題なんですよね。苦悩の引き替えになるのは尊敬でしょう。今はこの「尊敬」がうまく機能していないことが問題なんです。

患者は医者という理由だけで、医者を私人としても尊敬する。医者は私人としての尊敬を受けることで、苦悩を引き受けることができる。昔はそういった「循環」があったと思うのです。

けれども今は、その「循環」の歯車が狂っている。患者は私人としての医者を尊敬することが少なくなった。なぜそうなったのか、よく考えてみる必要があると思います。

>私はよく見かけますが(笑)。あなたは自分自身の文章の醜さを自覚した方がいいですよ。

私の文章で、あなたに「醜い」と思考されるようなものは、ひとつもありません。ないものを自覚できるはずがありません。
すなわち、私の文章を「醜い」と思考することが不正かつ不当なのです。従って、あなたが今抱いている感情は、私が要求するような感情に是正することが、人類としての責務であることをわきまるように。

>ま、醜いモノもそれはそれ。清浄と汚濁が生命です。どうぞこれからも醜い文章を連ねてください(笑)

笑っている場合じゃないだろ?

やっぱ、君は何で叱られているのか、まったく自覚してないわ。

>なぜシステマチックになると「強欲」と化すのか? それはどうしても内部の責任を免責しようとする力学が働くからでしょう。最善を尽くして医療に当たったが仕方がなかった。当時の最先端の技術で捜査したが仕方がなかった。「弱き者」がつねに強いられるのは、弱き私人として強固な組織の専門的な論理に立ち向かわなければならないという現実です。それがあるから組織を動かす「強きエリート=公人」には常に加害者であるという自覚が欲しいと言っている。つまり「弱き私人」に己も私人として対峙して欲しいと言っている。

はっきり言おう。
『弱き私人に己も私人として対峙している人』に対して、追い討ちをかけているだけである。
つまり、私にしてみれば、『愚樵さん、あなたが他の誰よりも、最も強欲で傲慢だ。』ということである。
そのことを言われている自覚がないなら、もう言わない。しかし、君のような人に臓器移植を語る資格などない。

>しかし私たちが目の当たりにしている現実はどうでしょう? 「強欲」という表現が相応しいとは思いませんか? それともわくわくさんやLooperさんは、彼らは最初から「強欲」だったと「決めつける」のですか?

「強欲」という表現が相応しいかどうかは、私にはわからないし、考える気も起きない。ましてや「決めつける」つもりは毛頭ない。
しかしながら、この件に関して最も「強欲」なのは、愚樵さんだということ。これは確実に言える。

生を繋ぐために

> 臓器を他人から提供してもらうことを「他人から命を分け与えてもらう」というのは、

やはり、望んで提供する人がいるなど想像も出来ないのでしょうね。

>それも他人の死によって自分の命を長らえることが出来た。

それって、「死んでくれてありがとう」って感謝しなさいって事と同じですよ。臓器移植を待つ人が、他人の死を望んでいるかのような書きようには、はっきり言って反吐がでます。10年以上も粘り強く移植法の改正を求めて運動してきた人達の気持ちをこれっぽっちもわかっちゃいない。

で、提供しようという側は、そんな下劣な感謝なんか期待しちゃいない。逆ですよ。自分の生を活かして欲しいからこそ、提供したいと望むのです。

移植があろうがなかろうが、自分が死ぬときは死にます。それは避けられない。
で、これまでなら自分の死には何の発展もなかった。ただ体が焼かれて灰になって終わり。
ところが、それが他人の生に繋がっていける可能性が生まれた。
子供が産まれ、生が繋がっていくことが喜びであるように、ただ灰になるはずだった自分の体の一部が、他人の体の一部となりその生を繋いで行くことができる。これは、私にとっては望外の喜びです。家族の死についても同じです。どこかで家族の体の一部が、誰かの生を繋いでいる。どこかの誰かが、それを活かしてくれている。家族を失った悲しみは消えないが、その生がどこかで誰かと繋がっている事は希望なのです。そして、家族からの移植を受け取った人には、「譲ってあげた」なんて恩着せがましく思う事なんてありえない。「生を引き継いでくれてありがとう。精一杯あなたの人生を豊かに生きてください。」という感謝と応援の気持ちしか湧かないでしょう。

例え、自分が移植を受ける立場になったとしても、基本的にそれは同じです。「死んでくれてありがとう」なんて思うはずがない。その人の生を受け継いだんだという意識を持ち、自分の生をドナーの生と一緒に大切に生きていこうと思うでしょう。そして、自分の生が尽きるときは、それを他人の生に繋いで行きたいと思うでしょう。

自分や家族の生と他の生を活かし、繋いでいく希望の手段として臓器移植を捉えている人たちがいるのです。それを「他人の死によって自分の命を長らえることが出来た」とは・・・それが、どれだけ下劣で失礼なことなのか、ご理解頂きたく思います。

決めつけの文章にはウンザリ

Looperさん、あなたにもわくわくさんと同じニオイがしますね。

>> 臓器を他人から提供してもらうことを「他人から命を分け与えてもらう」というのは、

やはり、望んで提供する人がいるなど想像も出来ないのでしょうね。

なぜそのように決めつけることが出来るのか、私にはさっぱり理解できません

確かに私は臓器移植に反対の立場ですよ。脳死を人の死だとは考えられないから。けれど、その私の立場を他人に強要するつもりは一切ない。

私はLooperさんへのコメントでこのように書いています

けれども、現代の医療技術をもってしても死にゆくことが不可避であるとの判断があって、たとえ一部であっても、たとえ他人の体内の中であっても、臓器提供によってわが子が生かされると考えるなら、それは殺人ではなく生かすための医療行為ですね。ここは生とは何か死とは何か、はたまた生命とは何かという、明瞭に解答することが不可能な問題が横たわっているわけで、そこへ踏み込めば各々の死生観と言うことにならざるを得ない。

これまでなら自分の死には何の発展もなかった。ただ体が焼かれて灰になって終わり。


それはLooperさんの死生観でしょ? それを悪いだなんて、一言も言っていませんよ? 私にはそれとは別の死生観があるだけ。それがいけないことですか?

私には私の死生観がある以上、私が書く文章は私の死生観に沿ったものになる。Looperさんもわくわくさんもそうですが、それをあなたがたの死生観でもって批判されても、私に響くことはない。より自分の観念に凝り固まっていくだけ。互いに「決めつけ」をしていく不毛な議論にしかならないのですよ。

10年以上も粘り強く移植法の改正を求めて運動してきた人達の気持ちをこれっぽっちもわかっちゃいない。

これっぽっちもわかっていない人間が、

私は以前、出かけた先で募金活動に出くわしたことがありまして、そのときは幾ばくかのカンパをしたことがあると思います。今でもたぶん、同じ状況になったらカンパすると思います。

なんてことをするものですかね? このカンパはもちろん、臓器移植の資金へのカンパです。私が自分の死生観が変わらない以上、移植法の改正を願う人たちの願いには違和感を覚える。が、そのことと、わが子を生かそうとする親の願いや、それに同調する人たちの願いを一刀両断に切り捨てることとは違う。私のカンパが喜んで臓器を提供する人との「良き出会い」に少しでも貢献できたのなら、それはそれで喜びです。

が、繰り返していいますが、「良き出会い」が期待できるからといって、そのことと私自身の死生観とは別問題。

>それはLooperさんの死生観でしょ? それを悪いだなんて、一言も言っていませんよ? 私にはそれとは別の死生観があるだけ。それがいけないことですか?

簡単なことです。
本当にあなたの死生観を表明しただけなら、私も、恐らくわくわくさんも、あのようなコメントを書かなかったでしょう。

そうではなく、「強欲」だの「殺人」だの、臓器移植に関わる人達に対し、許せる一線を越えた不当な非難を浴びせた。本当にあなたの死生観を示すだけなら、そんな必要は全く無かったはずです。

他者への配慮も愛の欠片もなく、他者を槍で突きさす文章を書くから、突き返されるのです。

Looperさんが批判しているのは、

Looperさんが作り上げた「愚樵」です。その「愚樵」は私ではありません。

他人を突き刺すことをしたと言われれば、それはそうだと答えましょう。では、自分の価値観に基づいて他人を批判することは悪ですか?

それにです。私は「殺人」だなどと一言持っていません(ある判断基準を元にすれば殺人になるが、別の判断基準もありえると言いました)。その言葉を持ち出したのはLooperさんです。「強欲」も断定したのではなくて、そのように考えられないかと再考を促しただけ。本文をよく読んでください。あくまで「私は強欲だと考える」と述べてはいますが、「それは強欲だからやめろ」とは一言もいっていません。A案に反対だとも明言していない。

文章をざっと読めば、私がA案に反対なのは明かです。しかし、それ以前に、

いえ、そもそも国会で審議し結論を出すべき問題ではないよう思います。脳死の問題は科学的な問題であると同時に社会的合意の問題であり、なおかつひとり一人の意思の問題でもある。この問題は国の意志決定という枠組みの中には収まらない問題、つまり国家という組織、あるいは社会という集団が何らかの「目的意識」への合意を得る、といった問題ではないはずなのです。

と述べて、A案のみならず、その他の案にも積極的に賛成できないことも示している。

私に言わせれば、Looperさんは、私の文章の表面的な読解から読み取れる「A案反対」と「強欲」の単純なイメージを繋げあわせ、それが「愚樵」の見解だと読み取っただけ。しかし、そんな「愚樵」は私ではない。私が言いたいのはそんなことではありません。

私の意見に対し、異なった見解を持ってきて「決めつけ」られても、私はそれは違うと「決めつけ」る以外に方法を知りません。一方、自分は愚樵の文章をこのように読んだが、おかしいのではないのか? と問いかけられれば、私には他にもいろいろと対応の仕方がある。

議論がえてして不毛なものになるのは、相手の対応を限定したものにしようとして議論の応酬をするからです。わたしがLooperさんに「わくわくさんと同じにおいがする」といったのは、そのことを指して言っています。どうせ議論をするなら、相手から多様な対応を引き出してみたいと思いませんか? それともLooperさんにとって、議論とはあくまで「勝ち負け」ですか?

Looper さん

愚樵さんの、『願いが組織的な「目的」に変化してしまったとき、その「目的」は「強欲」となってしまうのでないか。』ここがこの記事の主題のように受け取れます。
子供の臓器移植を国内でできるようにする目的のために、個々の死生観を熟慮することなく、国家という組織がシステムを構築しようとしている(少なくとも法律上は脳死は人の死であると明言しているといえる)のが今回の件であり、そのシステマチックなやり方に違和感を覚えることからくる記事であると私は受け取りました。

なので、移植を待つ人や、提供する準備のある人など、個々のケースについて「強欲」だとか「殺人」だとか言われて無いように思いますが。

私も(人の生死にかかわることなのに)A案(脳死は死である)にすんなり決まったことに、ちょっと危機感というか不安な気持ちになりました。「目的」さえあれば憲法もこんな感じですんなり改正されるのではないかと。

基本的な点は、まったくLooperさんと同じなので、補足する形になりますが、愚樵さん、あなたはまだわかってない。
誰も、愚樵さんがご自身の価値観に基づいて発言することそのものを批判してはいません。もちろん、私もです。
また、愚樵さんが脳死患者、移植患者、それらのご家族、そして、それに関わる医療機関の方々に対してどう思おうが、今回のA案に賛成か反対か、脳死や臓器移植についてどう考えるのか、そのことを問題視するつもりも毛頭ありません。

あなたの段階は、私のこのコメントに集約されていると言っていい。『実際に臓器移植をする・される人やそのご家族が読んだら、ものすごく傷つく文章だということ、わかっています?』

愚樵さんの発言は、愚樵さんがどう思おうとも、臓器移植を受ける側、それを実際に行う医師看護師にしてみれば、愚樵さんに「強欲」と断定され、「それは強欲だからやめろ」と言われているようなものです。
『「弱き者への想像力」が欠けているのなら、私はその「目的」は「強欲」と化してしまっていると言わざるを得ないように思います。』とまで言っている人が、このこと、つまり「弱き者に対する想像力」を働かせることがまったくできていないのです。

さらに、私が以前指摘したように、「そもそも弱き者への想像力が欠けている人」であれば、わざわざリスクの高すぎる、そして、臓器を提供した側が確実に死にいたるようなことなど、手出しすることなどありえません。
つまり、『臓器移植と脳死が、たとえ一部の人たちの切ない希望をかなえるものであるとしても、「弱き者への想像力」が欠けているのなら、私はその「目的」は「強欲」と化してしまっていると言わざるを得ないように思います。』というのは、臓器移植に関わる医師看護師に対する、無礼千万なコメントなんです。それを自覚しつつ、こうした不特定多数が閲覧できる場で発言したのか?ということですよ。

私なら、たとえ愚樵さんと意見が完全一致していたとしても、このような場で発言などできません。誰が見ているかわからない、私の発言で「本当の弱者が、余計に苦しむ」かもわからない、そんなことはできません。
あなたが、もし、本当に弱者への想像力を提起したいのであれば、『愚樵さん、あなたが他の誰よりも、最も強欲で傲慢だ。』と言われたことをかみしめて反省してもらいたい。

私は、私自身の死生観に基づいて話しているわけでもなければ、私の死生観を開陳しているわけでもない。(もっとも、私の死生観は私自身がまだ消化できていないし確立されていないので、基づくも開陳もないのだが。)
あなたは、議論以前の段階で批判されていることを、もっと自覚されたい。

強欲、自由を制す

おひさしぶりです。

で、いきなり本題。あたしは、

「死んだら灰にしてもらって土に還りたい(かなうなら親しい人に弔ってもらって)」

なんて願いがあるから、
たとえば愚樵さんや、わくわくさんみたいな方に、
それはくだらぬ「欲」だ。(愚樵さんは「くだらぬ」とは言わないだろうけど)なんて言われると困るな。
くだらないかどうかは別として、「欲」だというならそうだと思うからね。
でもやっぱり「地球のこやしになるのが一番」なんて勿体付けて、
(実際には何の足しにもならないかもと思いつつ)ドナーになるのは拒否るかも。今も、ドナーカード持っていないし。

本音を言えばそうなんだけど。

で、逆の立場を考えてみたときに思い悩む。
たとえば自身の子どものために、
どうしても「体を提供してくれる方の死生観」というかその善意が必要だ、という場合、
そんな立場に置かれたら、おそらく、今、自分で考えていること、この「欲」や「わがまま」を呪うだろうな、と思う。
そして、やっぱり子どもの命を救うための手だてとして、最も可能性が高い方法
(それが臓器移植ならそれ)を選ぶのだろう。

これは「わがまま」で都合のいい考えだよね。

でもやっぱり、ここにいるこの人が死んでしまったということ、
そしてその死をどのように受け入れるか、というのは、
そのことだけは、生前の本人と、
その死を悲しみとともに受け入れねばならない者の意志に任せて欲しい、
「わがまま」でも、こちら「死の受け入れ方の自由」を優先するんだ。

だから、

「強欲」と言われても「人の死」を議会で決めることは反対。議会で決めるなんて、そんな必要ないじゃん

と思うから。それで、矛盾するようだけど、

「強欲」と言われても「人の死」を議会で決めることに賛成。そうするほかないんだよ

という人となら、話しをしてもいい。けれど、

決して「強欲」ではない、だから議会で決めるんだ。

という人とは、この話しをしたくない。

欲しいからくれ、ならわかるけど、
それが当たり前だろ、と言われるといやだ。

「わがまま」なごんさん(笑)

お久しぶりです。

たとえば自身の子どものために、
どうしても「体を提供してくれる方の死生観」というかその善意が必要だ、という場合、


困ったときに助けて欲しいと思うのは人情です。困った人をみて助けてあげたいと思うのも、これまた人情。その話と死生観とは本来別の話なのですけれども、臓器移植の話は別にしては論じられない。だから難しいんですね。

私は幸か不幸は子どもがいないから実際に悩むことはないのだけれども、もし、子どもがいて、そうした状況に陥ったらと考えると、やっぱり穏やかではいられない。親類には子どもがいたりしますし、もし、そのうちの誰かが困ったことになって、その親や親戚の者たちがみんな「誰か見知らぬ人の善意」を期待するような状況に陥ったときに、それを「強欲」だと言い放つことなどとても出来そうにないとも思う。

なぜ、できないか? その「言い放ち」もまた「強欲」だから。詭弁を弄するのは得意だから(笑)、もしかしたら彼らの希望が「強欲」であるということを論証できなるかもしれない。「強欲」な者たちを論破できるかもしれないけど、彼らは絶対感情的には納得しないでしょう。そんなことくらいはバカな私にだってわかります。

でもね、だからこそ、そうした不幸に陥っていない幸運な私たちは、自分の感情を治め、不幸な人の感情を一生懸命想像しながら、でも一方で突き放しながら、一生懸命考え続けなければならないと思うのですよ。

生きていればいろいろあって、ときには「わがまま」にならなきゃならないときもある。その「わがまま」が許されるかどうはこ別問題だけれども、「わがまま」にならなきゃならないときに「わがままになること」は許しても良いと思う。でも、それだかこそ、「わがまま」にならないでよいときに「わがままになること」は許されないとも思う。それが「強欲」なんだと思う。

思い上がり

nobuさん、

>愚樵さんの、『願いが組織的な「目的」に変化してしまったとき、その「目的」は「強欲」となってしまうのでないか。』ここがこの記事の主題のように受け取れます。

私は、主題がどうのという話をしていません。
わくわくさんも言っていますが、問題は、記事やコメントで何を言ったかです。

> 金融工学の技術を駆使したヘッジファンドと、ヘッジファンドを利用した者たちに欠けていたのは、「弱き者への想像力」です。金融工学は、カネを持つ者をより豊かに金も持たないも者をより貧しくした。そして「弱き者」といえば、脳死の人ほど「弱き者」もいないのかもしれません。身体はまだ生きているにもかかわらず、意思表示を行う脳が機能しなくなることで生きていることを表現することが出来なくなった者。臓器移植とは、その「弱き者」からすべてを取り上げてしまうことなのではないでしょうか?
> 臓器移植と脳死が、たとえ一部の人たちの切ない希望をかなえるものであるとしても、「弱き者への想像力」が欠けているのなら、私はその「目的」は「強欲」と化してしまっていると言わざるを得ないように思います。

ここは、どう読もうと、
移植推進者をヘッジファンド推進者に例え、臓器移植は「「弱き者」からすべてを取り上げてしまう」事であり、「弱気者への想像力」を欠いた目的のためであり、「強欲」と化していると言わざるを得ない。
という意味です。
つまり、臓器移植の推進者は、「弱気者への想像力を欠き、強欲である」としか読めません。

> 私は臓器移植を推進しようとする者が、殺人を犯してしまうことも覚悟でやるというのなら、認めても良いと思うのです。そんな覚悟も出来ないで一方で我が身の保身を図りながら、一方で人の生き死にを左右しようとするなんて、思い上がっているとしか思えないのですね。

ここでも、臓器移植を推進する者は、「我が身の保身を図りながら、一方で人の生き死にを左右しようとするなんて、思い上がっている」と書いている。

こうした発言を問題視しているのです。
私は、そうした関係者の心を深く傷つける発言を平気で出来る方こそ、「思い上がっている」と思いますね。

ごんさん

ごんさんも、わかってない。
別にごんさんの、その「感情」を批判したり非難する気など、誰も持っていないんだよ。これは愚樵さんにも当てはまる。

ただね、強欲かどうかなんて、そもそも問題にすべきじゃないんだよ。日本語として適切な言葉が「強欲」ならば、それでもいいと思う。

私は、臓器移植に関して愚樵さんが、『この場で「強欲」だと表記したこと』を批判しているわけ。
それは、臓器移植を受ける側、臓器移植に携わる医療機関の関係者等が愚樵さんの文章を読んだときに思うことは、愚樵がどう言い訳しようとも、「彼らへの非難」にしかならないから。

要するに『傷口に塩を塗るな』ということ。
いつも言っていることだけどね、ブログは不特定多数が閲覧できるわけで、そのことを考えて発言しろよ、っていうことなんだよ。だから、非難や批判ってのは、慎重でなければならない。
知識や情報を持っていない人が軽々しく他人を批判するような言動をして、もし潔白で無罪だったとしたら、どう責任をとるつもりなの?ってことを考えてもらいたいもの。
こういうのが続いて放任されてしまったら、まさにネット規制法が出現することになる。それを避けたいなら、最低限でも、私が言ったことぐらいは順守しないとね。

Looperさん

ここは、どう読もうと(以下略)
これは「目的」がシステム化した後に何が起こるかという例としてあがっていることでしょう。現実に、臓器移植(意志表示のできない子供の臓器提供を推進する目的)のために反論も多い、「脳死は死」と定義したA案があっさり議会で通ってしまいました。後に、意思表示のできない子から命を奪うことがやりやすくなる事態(弱者から命を奪う事)が起こることは間違いない。その「目的」のために国家権力を手に入れたのですから。(まだ参院があるけど)

そこまで危惧していない自分にも、すでに臓器移植推進者の「強欲」化は進んでいるのかもしれないと思わせるようなLooperさんコメントですよ。臓器移植は「目的」が「強欲」化することがありえるのではないかという問いかけですら、臓器移植を待ち望む人が傷つくから控えるべきとの反論がですから。臓器移植を待ち望む人を傷つけない批判の方法がありますか?臓器移植に批判的な物言いはタブーですか?

目的?

nobuさん、
>意思表示のできない子から命を奪うことがやりやすくなる事態(弱者から命を奪う事)が起こることは間違いない。

私は全くそうは思いませんが、その根拠は?
逆に、これまで制度が整っていないために失われてしまった多くの子供の命が、これでやっと救えるようになることは間違いないでしょう。

>その「目的」のために国家権力を手に入れたのですから。
改正案は、「弱者から命を奪う事」が目的だと主張されるのですね?そりゃひどい決め付けですね。
自分の死生観と合わないからと、そうしたドナー希望者や移植を待つ人や、目の前の命を救いたいと願う医療関係者が願う法改正が「弱者から命を奪う事」が「目的」だと公言してしまえるあなた方の感性は、私には到底理解できません。

>すでに臓器移植推進者の「強欲」化は進んでいるのかもしれないと思わせるようなLooperさんコメントですよ。

では、私のどこが強欲なのか、示してくださいね。
今のように制度的に禁止せず、希望すれば提供出来るようにして欲しい、と願う事の何が「強欲」なのか?どうかお示しください。

そして、どんなに家族や本人が希望しても、臓器提供が出来ないよう制度的にシャットアウトし、助かる可能性がある子供たちの命が日々失われていく情況を放置している現状が問題ないと考えるのか?をお聞かせください。

この数日、本文とコメントを何度も読み直しました。
愚樵さん。
「行間」を含めた文章全体では、あなたは臓器移植を切実に待っている人たちへの共感を確かに持っている。
残念ながら、その共感を帳消しにしてしまう表現があるという点で、わたしはLooperさんとわくわくさんに同意します。

記事とコメントを読んだ結果、わたしの選択として、臓器提供の意思表示を行いました。いろんな場面で、意思表示を行うことは、我々がシステムの強欲の犠牲にならないためには重要なことだと考えるからです。
意思表示を「しなければならない」というのは、またそれもシステムのひとつの現われなのですが、わたし個人が必要だと考えたことはやるべきだということです。
イランの人たちのように。

わたしも意思表示するよ

わくわくさんは「表現の自由」が「表明の自由」であることを理解していない。実際、わくわくさんの「仰りよう」を「順守」すれば、たとえば、自分の子の生体を傷つけることに痛みを感じる、その親の気持ちをオオヤケにしてはいけないということになる。

そのことでわくわくさんは、人と人、お互いの「欲」がぶつかりあっているからこそ、かろうじて成立する関係を否定している。

< そしてそれは、この制度がお互いの「感情(それは痛みを伴う)」を通してしか築き得ない関係(骨が折れることだがうつくしい繋がり)を、それ抜きで済まそうとしているということを示している >

制度に賛成する側が、その制度の正当性を述べるために、本来なら提供してもらう側が感じるべき(たとえそれが無理だとしても、第三者であるみんなが慮るべき)「痛み」を、「感じさせてはいけない」と言う。

まるで生きる可能性こそが最善だというふうな響きを持って。

あたしは、ここでのやりとりを見てるうちに、やっぱり、

この制度(=臓器移植A案「脳死は死」「家族承諾で」「何歳でも」)は危険だ。

と思うようになった。

だからあたしはA案に対して消極「反対」から積極「反対」に鞍替えする。この制度は危ない。あたしは「強欲」とは形容しないけど。この制度はダメだ。

ごんさんに同じく

私は迷っていた。
何とか理解しようとしていた。

しかし、
変わる。
変えるんだ!

>だからあたしはA案に対して消極「反対」から積極「反対」に鞍替えする。この制度は危ない。あたしは「強欲」とは形容しないけど。この制度はダメだ。

私は敢えて「強欲」といわせてもらう。

これからは積極的に参戦させてもらうから名指ししてくれ。

ごんさん、君はちっとも理解できていない。

>実際、わくわくさんの「仰りよう」を「順守」すれば、たとえば、自分の子の生体を傷つけることに痛みを感じる、その親の気持ちをオオヤケにしてはいけないということになる。

絶対にならない。
A案であっても、提供側の家族が同意しなければならず、無理やり臓器移植が行われるというわけではない。
もちろん、提供する側の「本音」はあるだろうが、少なくとも提供する側が「提供される側は強欲だ」と思考する状態で臓器移植に同意することは、通常では考えることは不可能である。
このことは、提供する側と提供される側の相互尊重と歩み寄りへの期待は困難ではないことを意味する。従って、提供される側の「心情的な負担」が一時的に発生したとしても、それを乗り越える希望がある。
よって、『自分の子の生体を傷つけることに痛みを感じる、その親の気持ちをオオヤケにしてはいけないということになる。』というのは、私の言葉を順守すれば発生することはないと断言できる。

話はそれるが、心情的に「公」という表現をしたくないのであろうが、他人に意思表示をするのに、他人が理解しにくい表現方法をとるのは適切ではない。
これからは、「オオヤケ」なる表記ではなく、共通言語である「公」と表記されたし。

>そのことでわくわくさんは、人と人、お互いの「欲」がぶつかりあっているからこそ、かろうじて成立する関係を否定している。
>そしてそれは、この制度がお互いの「感情(それは痛みを伴う)」を通してしか築き得ない関係(骨が折れることだがうつくしい繋がり)を、それ抜きで済まそうとしているということを示している

それが完全に誤りである。
臓器提供を拒む側は、臓器提供を希望する側を「強欲」だと思考しているならば、それは成立しなくもないが、臓器提供を拒む側は、目の前のわが子に対する感情で拒んでいるのであって、何も臓器提供を希望する側が「強欲」か「謙虚」かで拒んでいるわけではない以上、『お互いの「欲」がぶつかりあっているからこそ、かろうじて成立する関係』は成立していない。従って、私の言葉や知識に対する評価としては、あなたの思考と感情は不適切である。

>制度に賛成する側が、その制度の正当性を述べるために、本来なら提供してもらう側が感じるべき(たとえそれが無理だとしても、第三者であるみんなが慮るべき)「痛み」を、「感じさせてはいけない」と言う。
>まるで生きる可能性こそが最善だというふうな響きを持って。

1.「本来なら提供してもらう側が感じるべき『痛み』」とは何か?
2.その「痛み」を感じるべき理由が正当なものでるという根拠は何か?
3.果たして、提供してもらう側は、その「痛み」を感じていないのか?

この3つにきちんと返答できないのであれば、その発言は撤回する責任があります。
そして、その返答については、「質問がえし」は厳禁です。あなたのその発言が妥当性を持ちうるものかどうかを証明するために要求しているのですから、私に言われたことは全部守ってください。

>あたしは、ここでのやりとりを見てるうちに、
>やっぱり、この制度(=臓器移植A案「脳死は死」「家族承諾で」「何歳でも」)は危険だ。
>と思うようになった。
>だからあたしはA案に対して消極「反対」から積極「反対」に鞍替えする。この制度は危ない。あたしは「強欲」とは形容しないけど。この制度はダメだ。

あなたがどう思おうとも、それはあなたの勝手だが、ここでのやりとりがA案に対する感情の変化の原因となったのであれば、申し訳ないが、あなたは臓器移植について思考する資格はありません。
A案に賛成か反対か、という以前の問題について述べているのであって、私がA案に対する意思表示はおろか、A案そのものに関係する発言を一切しておりません。
仮に、もし私やLooperさんが、「いや、本当はA案には反対なんだがね。」っていう人であったら、どうするつもりだったんですか?
「自由」には「責任」が伴います。だからこそ、私は愚樵さんに対して、「表現の自由を行使した責任をとるつもりはあるの?」というコメントをしているのです。従って私は「表現の自由」について、適切な理解をしていると断言できます。
ゆえに、ごんさん、あなたは「わくわく44は、『表現の自由』を理解していない」と思考することは不当かつ不正です。『わくわくさんは「表現の自由」が「表明の自由」であることを理解していない。』というのは、単なる誹謗中傷でしかないことが明白なので、直ちに発言を撤回するように。これはあなたの義務です。

痛みを感じているのなら、

わくわくさん、質問にお答えします

Q1.「本来なら提供してもらう側が感じるべき『痛み』」とは何か?

A1.たとえば、自分の子の生体にメスを入れる痛み

Q2.その「痛み」を感じるべき理由が正当なものでるという根拠は何か?

A2.根拠なんてありません。でも、たとえば、臓器移植によって我が子を助けたいと思い願うなら、今、死にゆく子の生体にメスを入れる親の「痛み」を認知すべきだろう、というだけのことです。

Q3.果たして、提供してもらう側は、その「痛み」を感じていないのか?

A3.質問の主意をはかりかねますが、わたしは上記2点の理由から「痛み」を感じるべきだと言っているだけで、「提供してもらう側が痛みを感じていない」ということを思ってはいない。だから、この点誤解があったのなら、わたしの表現がいけなかったのだろう。

「すべての提供してもらう側が痛みを感じている」という前提で話しをすることにしましょう。そうしたからといって、先の私のコメントがおかしなことになることはないと考えるので。

だから、Q3の答えは「(施術者も国会議員も含めて)提供してもらう側は『痛み』を感じている」です。

個人的には、わくわくさんに、

その痛みを感じている相手に、
(さらに痛みを感じさせてはいけないという理由で)
そのこと「たとえば生体にメスを入れる痛み」を表明することによって、
その痛みを感じさせてはいけないという、
その云いの正当性は何なのかと聞きたい。

さらにそれは、

ごはんを食べるときに、
「この命に感謝して食べるんですよ」
と子に言って聞かせる親に、
「ことさらに子を傷つけるようなことを言うな」
「食肉業者を傷つけるな」
ということといったい何が違うのか、と。

そして、

この生体にメスを入れることを、あなた(もしくは、あなたの子)が、
心からそれを欲しているんですよね。という確認をしたい、
そうであって欲しい、そうでないといやだ、

とする思考法のどこがいけないのか、と。お聞きしたい。

だけど、わくわくさんの言いつけを守って質問返しは控える、よ。

Q4.「いや、本当はA案には反対なんだがね。」っていう人であったら、どうするつもりだったんですか?

A4.そうでしょ、と思う。(でも、不真面目な質問だな。いつもの調子で茶化そうかと思ったけど、この話題ではやめとくよ)

>これはあなたの義務です。

了解、撤回します。

「共感派」としての答え

dr.stoneflyさんのところに記したコメントを、こちらにも転記しておきます。
http://dr-stonefly.at.webry.info/200906/article_9.html

>だからといって、靖国と臓器移植を同じ性質とするのは、わたしは共感派のはしくれとして同意できません。

構造が同じなら、同じ性質です。私が自分を共感派だというのは、双方に共感するからです。もっとも、片方にだけ共感するのを共感派だと(私は)言いません。

臓器を提供するとの意志を持つ人を善だと共感する。同じく、靖国に身を捧げようという意志を持つ人を善だと共感する。どちらも「自分で選びとった信じるに足るフィクション」の中では善なんです。

思い出してください。論理派の共感派に対する批判がどういったものだったか? それは「フィクション(水伝)を信じる者が善であるからと入って、フィクションが真だとは限らない」といったものだったはず。もっというと、ニセのフィクションを信じる者はバカだ、と。

それに対して共感派は(私は)、大切なのはフィクションの真偽よりもそのフィクションを通じて善を為そうとする意志だ」といったような趣旨で反論した。

その趣旨からいえば、臓器提供者も靖国信者も善なんです。

此度の問題は、そこから先の問題です。

「私が善であることを基盤に他者にフィクションを強要することも善か?」という問題です。私はそこに対して、それは「強欲」だと言ったのです。

「靖国」を祀った国家神道という〈システム〉は、「靖国に身を捧げるという善」を基準であると規定して、他者にその善を「強要」しようとした。この「強要」は暴力的な形もあれば、教育勅語といった形式を取ったりもしたが、それを「強要≒感情の錬金術」ということに異論はないと思います。

此度の臓器移植法A案は、「臓器を提供するという善」を基準として規定した。それが〈システム〉として駆動するとどういったことが起こるのかというと、〈システム〉によるフィクションの「強要」が起こるだろう、ということです。この〈システム〉の働きが「強欲」なんです。

>>その「痛み」を感じるべき理由が正当なものでるという根拠は何か?
>根拠なんてありません。

この発言、非常に重大ですよ。「提供してもらう側が感じるべき『痛み』などない」と言っているのと同じだということを理解しています?
もちろん、ごんさんが個人的に「提供してもらう側も、提供する側の痛みを感じて欲しい」と願うことまでは否定しません。でも、それはあくまでも願いであって、他人に強制するものではない。つまり「~~べき」という言葉を使ってはいけない、ということです。

>>果たして、提供してもらう側は、その「痛み」を感じていないのか?
>質問の主意をはかりかねますが、わたしは上記2点の理由から「痛み」を感じるべきだと言っているだけで、「提供してもらう側が痛みを感じていない」ということを思ってはいない。だから、この点誤解があったのなら、わたしの表現がいけなかったのだろう。
>「すべての提供してもらう側が痛みを感じている」という前提で話しをすることにしましょう。そうしたからといって、先の私のコメントがおかしなことになることはないと考えるので。

まだわかってない、というか、わかろうとしていない。
表現が不適切で誤解を招いたという話でもなければ、ごんさんの発言内容が適切かどうかの問題でもない。

ごんさんに言われずとも自覚している人が、ごんさんの文章を目の当たりにしたら、単に苦しみが増すだけだということがわからないのか?
単に苦しみが増すだけならば、まだいい。ごんさんは、発言の対象としている相手は、「ただでさえ、『自分の生のために、他人に死をもたらした』という、『本当にこれで良かったのかどうか』というほどの、いつ押し潰されても不思議ではないほどの十字架を、生涯背負う人」ということをわかっているのか?
そういう人に、さらなる十字架を背負えと言うことは、「押し潰されてくれ」と言っているに等しいってことがわかっているのか?
しかも、ごんさん自身、「移植される側が、移植する側の痛みを感じる義務を有するという、正当な根拠が必ずしもあるわけではない」と明言している(あなたがどう思おうとも、ごんさんの発言はそれを意味する。従って、「言っていない」という反論は不正かつ不当である。)にも関わらず、だ。

私に反発するのもいいが、誰に対して最も辛辣な発言なのか、少しは考えてから発言してくれ。

>ごはんを食べるときに、「この命に感謝して食べるんですよ」と子に言って聞かせる親に、「ことさらに子を傷つけるようなことを言うな」「食肉業者を傷つけるな」ということといったい何が違うのか、と。

これ、完全にイチャモンでしかないが、まともに応えてあげよう。
『相手が人間かどうか。』
以上。

>この生体にメスを入れることを、あなた(もしくは、あなたの子)が、心からそれを欲しているんですよね。という確認をしたい、そうであって欲しい、そうでないといやだ、とする思考法のどこがいけないのか、と。お聞きしたい。

誰が「いけない」と言った?

>だけど、わくわくさんの言いつけを守って質問返しは控える、よ。

これ、私を激怒させるに十分なコメントだという自覚はある?

>>「いや、本当はA案には反対なんだがね。」っていう人であったら、どうするつもりだったんですか?
>そうでしょ、と思う。(でも、不真面目な質問だな。いつもの調子で茶化そうかと思ったけど、この話題ではやめとくよ)

だから、君はまだわかってないと断言されるのだよ。
不真面目な質問?君は、何で叱られているのか、あれだけ説明しても理解できないの?それとも、「わくわく44と対等になりたい」ということから抵抗しているの?
何が「そうでしょ、と思う」だよ。それ自体がふざけた返答だよ。自分が何を問題にされているのかを理解しようともしないくせに。

私に言わせれば、ごんさん、あなたは、移植される患者やご家族だけでなく、移植する側のご家族に対しても、この上なく傲慢無礼な発言をしているよ!それをいい加減に理解しろ!

現在のシステム

システムが動き出すと強欲になると、なんとも現状認識を外したことをおっしゃってますが、現在すでにシステムは起動している。そして、そのシステムが、子ども達を移植医療から法律という国家権力でシャットアウトしているのが現状。あなたの論理に従うなら、自分たちの死生観と合わないからとシステムでシャットアウトしている現状こそが「強欲」という事になるのではないですか?
なお、私は決してそんな非難をするつもりはありませんけどね。

で、そのシャットアウトしているシステムを、希望者にはドアを開けて欲しいと患者や医療関係者などは望んでいるだけ。希望しない人にまで強要することなど誰も望んじゃいないし、そうなる根拠もない。A案でさえ、家族が移植を望まなければ脳死判定自体が行なわれないのだから、「脳死判定基準」を満たすことはありえず、結果提供条件を満たすことなどあり得ない。

で、このシャットアウトされたドアを希望者は通れるようにして欲しいと願うことのどこが、靖国と同じ論理なんですかね?

私見ですが、ひとつの意見です

愚樵さん、みなさん、はじめまして。

こちらのブログにおける、豊富な題目、新鮮な切り口、深い考察、そして、自由過ぎる(笑)議論をいつも楽しませてもらっています。

いままでは読み専門で、いつか議論に加わりたいと思ってはいましたが、今エントリーでコメントすることになるとは思っていませんでした。突然の心変わりですが、私見を披露させていただきます。(遅筆なもので、議論が大分進んでしまい、流れに沿わないコメントかもしれませんが。)

まずは、臓器移植に関する私の立場を表明しておきます。但し、提供者が普通に生きていても移植可能な臓器の場合は除く、ということに一応しておきます。
(1) 自分は臓器移植を受けたくないし、臓器提供も原則的にはしたくない
(2) 臓器提供をしたい人がそうする自由は許容せざるを得ず、しかしながら、これは私自身の自由を損なわない範囲で可能な最大限の譲歩であると考えている(消極的同意とでも言いましょうか)
(3) 臓器移植を望む人は移植を受ける自由があるとの認識は、条件付きで、すなわち、提供者がまさに提供の意思を明示した場合のみ、これを許容せざるを得ないと思っているが、これについても積極的同意ではない。提供者の明確な意思表示なくして臓器移植を可能にするということは、私自身の権利の侵害になると考える 

こんなところです。(1)の理由は簡単で、「自然でない」からです。(2)および(3)で範囲決め/条件付けが必要であるとする理由は、例えばA案として法改正が行なわれれば、世の中の「一部」(全部ではないです。しつこいぐらい明示しておきます)に存在する悪意に対して身構えなければならないことが一つ増えることになると思っているからです。敢えて論理の飛躍を無視して結論じみたことを言えば、社会の崩壊を加速させるまた一つの要因であると思っています。

話が少し逸れますが、昨今進行中の新自由主義的金融経済の破綻過程を通して、合法であれば不道徳でも構わないとする人たち(彼らこそを「強欲」なものたちと呼ぶに相応しいと思っています)が世の中に決して少なからずいることがわかります。

臓器移植の話に戻して、今回の改正案のように本人の意思表示を必要としないシステムでは、このような「強欲」なものたちにシステムそのものが必ず悪用されると思っています。それを分かっていながら、法というものでお墨付きを与えてそのようなシステムを作ろうという流れに苛立ちを感じます。
また、法改正によって、臓器移植を受ける権利・自由というものが「ある一部で」不当に幅を利かせることになるであろうと予想しますが、私はそういう状態を嫌悪します。
以上のような思考に基づく結果として、現状において臓器を提供する自由を「当然」と言われることさえ疑問視するものにとって、法改正によって臓器提供を拒否する権利までもが蔑ろにされることに大きな危惧の念を抱かずにいられません。

如何でしょうか。ご批判お待ちしております。

まず始めに前回の不躾なコメントについてお詫びいたします
またそれにもかかわらず真摯なコメントを頂いた愚樵様にお礼申し上げます

私は医者ではありませんが医療の現場で働いています
そしてA案支持です

勿論移植に対して拒否される権利も尊重いたします

ただA案の脳死が人の死というのが一人歩きしている気もいたします
皆様はとっくに知ってるといわれる気もしますが
脳死と言っても移植に移行できる法的脳死と診療方針のための医学的脳死があり
現場ではまず医学的な脳死判定(法的脳死判定とは内容が少し異なります)が行われます
ここで医学的脳死と判定されると本人の意思と家族の意思が確認され治療を継続して行うか
法的脳死判定に移行するか確認されます
そして法的脳死判定に移行した場合ですが判定は2度行われます
もし一度目で脳死であるとされた場合でも2度目の判定を家族が拒否すれば法的脳死とはならずに
治療が継続されます

以上が私の知ってるA案での脳死判定です、もしかしたら間違いがあるかもしれませんが
指摘していただけると幸いです

あと拒否する権利ですが臓器移植ネットワークのサイトで拒否を意思登録されることをお薦め致します
それと臓器移植意思カードでも移植拒否できますどちらかがあれば家族が移植同意しても(無いとは思いますが)
移植は行われませんので確実に拒否できます
ただイレギュラーなことが起こった場合のためにまだ何らかの意思表示の制度があることが望ましいかもしれません



さーどさん、初めまして

日本臓器移植ネットワークとは?

>(社)日本臓器移植ネットワークは、死後に臓器を提供してもよいという人(ドナー)やその家族の意思を生かし、臓器を提供してもらいたいという人(レシピエント)に最善の方法で臓器が贈られるように橋渡しをする日本で唯一の組織です。全国を3つの支部に分け、専任の移植 コーディネーターが24時間対応で待機しています。(本部・3支部制は、平成14年7月1日より施行)


というところを開いてみました。
しかし、完璧に拒否を貫きたい場合には推進団体での拒否登録ではなく、他にはないのでしょうかねえ~。

ま、自分で探せといわれそうなのでお答えいただけなくても仕方が無いですが、もし中間的な組織でもご存知でしたらと思って。

よろしくお願いいたします。

わくわくさん、

Q1.「ただでさえ、『自分の生のために、他人に死をもたらした』という、『本当にこれで良かったのかどうか』というほどの、いつ押し潰されても不思議ではないほどの十字架を、生涯背負う人」ということをわかっているのか?

< 重要な問いだね。核心だと思う。でも、わくわくさんがその程度でおたおたしてるとは正直思っていなかった >

A.わかってるに決まってるでしょ。いちいち聞かないでよ。だってこれは、こういう話しをする、その場に際しての大前提じゃないか。

< もしかして、愚樵さんの仰る「強欲」に拒絶反応を示している方はそれを理由にしておいでなのかな。だとすれば、あたしは「共感派」失格だな。

思い悩む人間に十字架を背負わせるべき(=妥当)ではない、

なんて、この場でこんな考えが前提として存在してるなんて思ってもみなかったからね。(これは、嘘っぽいけど本当の話し。信じてもらえなくてもいいけどね。信じてもらえないだろうし)

「臓器移植に賛成の方全員が、まず十字架を背負う覚悟で話している」
(事実はそうでなくても、私にはほかを推し量ることはできないし、みながそう思ってくれることが私の望みだから、それを前提としようと、そう決めて私はこの話題に臨んでいる。今も)

なぜか?提供する家族だけが背負わねばならない十字架なんて有り得ない。そう思うから。 >



(人非人と言われようと)あたしは、提供「される」側に「も」その十字架を背負わせるよ。

もちろん、(愚樵さんがその場に際して、その人に、面と向かってそう言うことはできない、と仰るように、そのことについては、私にも)憚りはある。

でも、その十字架を背負うことなく、いくらでもその十字架の重さを、痛みを、責任を、それを背負う、背負っていく覚悟なしに、人の生体を要求するなんて、それは都合良すぎる。

「わがまま」が過ぎる。そう思う。

あたしが最初のコメントで言ったのはこういうこと。

>今、自分で考えていること、この「欲」や「わがまま」を呪うだろうな、と思う。



その十字架を我が子に背負わせる、

その選択を、「親」であるわたしは、やはりするだろうな、

私の「わがまま」というのは、そういうこと。だよ。



あたしはこの場で誰を批判してもいない。ただ「生まれさせられる」という言葉があることを前提にものを言っているだけ。それが、不遜である(もしかしたら生命に対する、そして、自らの親や子に対する冒涜であるかもしれない)ということも十分承知の上で。


>>「ただでさえ、『自分の生のために、他人に死をもたらした』という、『本当にこれで良かったのかどうか』というほどの、いつ押し潰されても不思議ではないほどの十字架を、生涯背負う人」ということをわかっているのか?
>重要な問いだね。核心だと思う。でも、わくわくさんがその程度でおたおたしてるとは正直思っていなかった

「重要な問い」で「核心」なのに「その程度」って、日本語がおかしくないか?
また、当たり前のことを当たり前に認識していることは「おたおたしてる」とは言わないが。

>わかってるに決まってるでしょ。いちいち聞かないでよ。だってこれは、こういう話しをする、その場に際しての大前提じゃないか。

では、ただでさえ押し潰されそうな重圧・十字架を背負って生きていかざるをえない人に対して、なんで、さらに重石を乗せるような言動をするわけ?君は、臓器移植を受けた人は、押し潰されても構わないとでも思っているのか?

>思い悩む人間に十字架を背負わせるべき(=妥当)ではない、なんて、この場でこんな考えが前提として存在してるなんて思ってもみなかったからね。
>でも、その十字架を背負うことなく、いくらでもその十字架の重さを、痛みを、責任を、それを背負う、背負っていく覚悟なしに、人の生体を要求するなんて、それは都合良すぎる。
>「わがまま」が過ぎる。そう思う。
>あたしが最初のコメントで言ったのはこういうこと。

だ~か~ら~、君は人の話を聞く気がないのか?
「十字架を背負わせるべきではない」なんて誰も言っていないだろうが!!
「ただでさえ、十字架を背負っている」と「さらに十字架を背負わせる」という日本語がわからんのか?!

>あたしはこの場で誰を批判してもいない。

当たり前だ。人が話したことを理解する気もない君が、他人を批判や非難する資格も権利なんかあるわけがなかろう。
『わたしも意思表示するよ』なんてタイトルのコメントがあったが、君は意思表示をする前に、他人の言葉を正しく理解する能力を身につけろ。「表現の自由」は「嘘をつく自由」ではない!

わくわくさん、

わかりにくかったね。

>(人非人と言われようと)あたしは、提供「される」側に「も」その十字架を背負わせるよ。

これは「わがまま」なあたしがこの制度を考える上での絶対条件。これがあたしの意思表示だよ。

さあ、いくらでも議論しましょう。

ごんさん、まだわからない??

>(人非人と言われようと)あたしは、提供「される」側に「も」その十字架を背負わせるよ。

だ~~~~~~、か~~~~~~、ら~~~~~~~、

『ただでさえ押し潰されそうな重圧・十字架を背負って生きていかざるをえない人に対して、なんで、さらに重石を乗せるような言動をするわけ?君は、臓器移植を受けた人は、押し潰されても構わないとでも思っているのか?』

この文章を読んで「提供される側にも、十字架を背負わせる」って言うのは、「さらに十字架を背負わせる(追加する)」ってことになるの、わかってるのか?
そういうことを何度も何度も言っているのに、理解する気もないのか?!

>さあ、いくらでも議論しましょう。

今の君に、他人と議論する権利も資格もない!!
人の話を真摯に理解できるようになってから、他人と議論したいという思考と感情を抱け!!(激怒)

muchomejorさん

はじめまして。ようこそ。

自由過ぎる(笑)議論をいつも楽しませてもらっています。

混沌を楽しんでいただければ幸いです(笑)

私はmuchomejorさんの意見におおかた賛成ですが、この部分だけ。

法改正によって臓器提供を拒否する権利までもが蔑ろにされること

これはA案提出者の意図でも、またA案に賛成する人の意図でもないと考えます。ご指摘のように強欲(←括弧なし)な人が制度を悪用することは考えられますが、そうした強欲さは、Looperさんやさーどさんが指摘されていますが、〈システム〉のなかの人間が制御するように働くことになるでしょうし、私はその誠実さに疑いを持っているわけではないのです。

またより強欲な人は、〈システム〉がどうであれ、〈システム〉とは別のところで違法な悪事を繰り広げます。たとえ臓器移植に同意できなくても、その旨申告することで〈システム〉を応援して違法な悪事を少しでも阻止できるなら、それはそれで十分意義のあることだとも思います。

けれど私は、それでもA案には賛成できなくて、その根拠が誠実さがもたらす「強欲」、誠実であればあるほど無自覚に深くなる「強欲」があるからだと見ているからなのです。

思考のプロセスが「わからない」

Q.押し潰されても構わないとでも思っているのか?

はい。

これはその程度のことだと思う。
人の生体にメスを入れるんだから。
激しく痛むでしょう。心が。
(これは確認されてると思うけど)その痛みをやわらげるために、この制度があるわけじゃないんだよね。

十字架を背負ってる(背負うと決めた)人に、あなたは十字架を背負ってるんだよねと言うことが、なんで、いけないことなものか。
十字架の重さを皆で分かち合おうというのなら、その重さを皆で認知しないといけないはず。
国会でこの制度を決めたということは、この十字架を皆で背負うことに決めたということ。

皆で人の生体にメスを入れることを承認したということ。

そして、そのことを理解し承認していない子どもたちに「も」その十字架を背負わせるということ。

「強欲」と言われた程度で押しつぶされそうに思うのなら、臓器移植なんて最初から考えない方がいいんじゃないか。

さーどさん

こちらこそ、前のコメントでは不躾なところがありました。再度お越し頂いたことに感謝いたします。

拒否する権利ですが臓器移植ネットワークのサイトで拒否を意思登録されることをお薦め致します

はい、もし、A案が成立するようなことになれば、そうさせていただきます。

また医学的脳死判定と法的脳死判定の差異についてですが、muchomejorさんのコメントでも示しましたとおり、またさーどさんへの以前のコメントでも申し上げましたとおり、そうした「差異」のなかで発揮される医療関係者の誠実さを頭から疑おうというわけではありません。患者という立場になれば、私とて誠実さに期待するしかないのですし。

重ねて申しますが、私が懸念し「強欲」と表現するのは、善意がデフォルトと見なされるようになってしまうことによって、起こる現象です。善意がデフォルトになってしまうと、医療を提供する側にも「特段の」誠実さを発揮する必要がなくなっていくのではないか、という懸念です。

現在、臓器移植は社会的には評価の定まっていないことですので、そこへ取り組もうとする人には「特段の」誠実さが必要でしょう。そのことについては私も多少なりとも想像力を巡らせることは出来ます。常に「特段の」誠実さを発揮せよ、というのは酷な要求であることは理解します。けれども、だからといって〈システム〉を酷な要求からの盾に使って欲しくないと思うのですね。そちらへ逃げると、医療関係者が本当に欲しているであろうと想像する「尊敬」や「敬意」といった「特段の」感情も得られないだろうと思うのです。

Looper さん

>「弱者から命を奪う事」が目的だと主張されるのですね?

違うんですか?A案は、子供の臓器が国内では調達できないので、意志表示のできない子から臓器提供させることができるようにすることが目的でしょ?
誤解されているようですが、私の死生観は「脳死は人の死」としてもいいのではないか、少なくとも自分にはそれを当てはめてもらっても結構である、ですよ。


>希望すれば提供出来るようにして欲しい、と願う事の何が「強欲」なのか?

願うことが「強欲」だとは誰も言ってませんよ。希望しているかどうかわからないのに臓器提供させることができるA案だから、そしてそれがすんなり通りそうだということが危険だなと感じているのです。希望しているかどうかわからないのですから、「提供できる」ではなく、周りの意志によって「提供させる」でしょう。


>どんなに家族や本人が希望しても、臓器提供が出来ないよう制度的にシャットアウトし、

繰り返すようですが、本人が希望しているかどうかわからないのに臓器提供させることができる法案が通りそうだから問題にしているんじゃないですか。
仮に「臓器移植推進教」というものがあり、親がその信者であれば、子供の意志を確認するまでもなくその子は臓器提供させられますよ。


>助かる可能性がある子供たちの命が日々失われていく情況を放置している現状が問題ないと考えるのか?

誰も問題ないとは考えていませんよね。考えていない人は記事を書いたり、コメント付けたりはしませんよ。現状に問題はあるが、「脳死は死」と言い切れない人が相当数いる。であれば、意志表示できない子供の中に一定数の割合で臓器提供拒否の意志をもつであろう子供が含まれていることは否定できない。よって、意志表示できないものから命を奪うことはできないので、現状では諦めるしかないのかなあと思う。

なにはともあれ、A案が通れば法的に「脳死は人の死」なので法的に「殺人」を犯すことなく臓器提供させることができますから良かったじゃないですか。


ニケ様はじめまして
お尋ねの件ですがおそらく他に団体はないと思います
心情的に推進団体に協力したくないと推察致しますが
愚樵様のコメントにもあるようにそこに拒否の意思を登録することも
ひとつの移植反対の意見表明になると思います

臓器移植は強欲だと言われて反感が無いかと言われれば
反感はあります
しかし個々の考えですから率直にそういう考えもあるんですね
としか言えないなと思います

個人的な考えとして臓器移植が強欲と言うなら一般医療そのものが強欲
ってことじゃないでしょうか
医療の進歩の裏には数え切れないほどの死者がいるのです
死体を解剖して病気のメカニズムが解明されそれが治療に生かされ
命が救われることもありますし、人由来の医療材料、薬品が使われることもあります

臓器移植以外にもすでに他者が自分の中にってことはありえるのです

>なにはともあれ、A案が通れば法的に「脳死は人の死」なので法的に「殺人」を犯すことなく臓器提供させることができますから良かったじゃないですか。

申し訳ないが、このような捨て台詞はおれには到底許容できません。
「提供させる」との決めつけについては別記事でコメントしましたので繰り返しません。
ここでは、「その物言いは今回様々な方々のなされた発言の中で最も醜悪なものだ」とだけ言います。

なぜ醜悪か?それはA案がそうだから、

>なにはともあれ、A案が通れば法的に「脳死は人の死」なので法的に「殺人」を犯すことなく臓器提供させることができますから良かったじゃないですか。

なめぴょんさん、

ここは、良くないなら「良くない」でいいんじゃないの?

あたしに関して言えば、A案は「良くない」と。あたしはそう言ってるだけだし、

それが伝わらないからnobuさんも・・・、

とにかくここは、「良くない」なり「良い」なり返答してから、ご不満をぶつけるべきでしょう。今まで散々「子を助けたい」という願い、臓器移植を望む人の心の痛み、を理解できない人扱いされてんだからさ。あたしも。

そういう物言いにむかついてるのはこっちも一緒だからね(笑)

死は暴力であるとは、ボーヴォワールだったかな。その暴力に打ちのめされているその親に、困っている子のための、臓器移植の話しをするのが、病院の役割に含まれるようになったんだよね。

これからは、この国で子を持ってしまったわたしも、その覚悟をしないといけないね。

お返事をありがとうございました。

さーどさん、お返事ありがとうございます。

>お尋ねの件ですがおそらく他に団体はないと思います

やはりそうでしょうね。と思いつつもお尋ねしてしまいました。すみません。
もうこれは弁護士に相談するより仕方が無いのかも。
(取り扱ってくれるか?または法的に有効性が担保されるかがまだわからないけど)

うっかり聞き忘れたのですが、子供の意思表示は当然?考えられていませんよね。何のことかわからない年端も行かない子供は親の意思ひとつですよね。

「強欲」については私からさーどさんへ問いかけた覚えがなかったのですが
>しかし個々の考えですから率直にそういう考えもあるんですね
としか言えないなと思います

冷静に受け止められるお人だなとの印象です。

で、
>個人的な考えとして臓器移植が強欲と言うなら一般医療そのものが強欲
ってことじゃないでしょうか
>医療の進歩の裏には数え切れないほどの死者がいるのです
>死体を解剖して病気のメカニズムが解明されそれが治療に生かされ
>命が救われることもありますし、人由来の医療材料、薬品が使われることもあります

>臓器移植以外にもすでに他者が自分の中にってことはありえるのです

おっしゃることは間違いではないですが、一旦分子の段階まで分解され抽出されたものですよね。
もちろんそうでないものもありそうです。たとえば輸血?でしょうか。
分子であろうと元は人間であったといわれればそのとおりです。

ところで病気が治り回復するのは本人の生きる力、自己再生能力など自然治癒が大部分だと思っていますが、薬や手術で治るのであって本人の力は関係ないとなど思ってませんよね。
また全体のバランスも大事でたとえば臓器を移植して成功しても他が不全になったり出血が止まらなくなったりして亡くなられる方も居ますよね。特に移植医療が原因での多臓器疾患はどれぐらいあるのでしょうか?

最終的には、「手を尽くしたが亡くなりました」とあきらめるわけですね。
つまり「あきらめる」わけです。

脳死患者に掛かる医療費が「もったいない!」というか「多額である」と主張するものに、こちらが臓器移植医療は高額医療でお金持ちしか受けられないのでは?との疑問をぶつけることが互いに不快になるわけで、相手への思いやりがないのはお互い様ということになる。

ですから拙速にというか合意が出来る状態ではないのに無理に押し切ろうとするから反発が出てくると思うのです。(もちろん私の反発がそれです)

「強欲」の言葉にあからさまに反発し反感を持ち、自分達の主張を認めさせようとするなら、こちらも言いたいことだけは(以下略)

>>押し潰されても構わないとでも思っているのか?
>これはその程度のことだと思う。
>人の生体にメスを入れるんだから。
>激しく痛むでしょう。心が。

なるほど、君は移植が必要な患者に対して、さらに追い討ちをかけるつもりなのか。
ということは、君は、移植が必要な患者=「弱き者」への想像力がないってことだね。よくわかりました。ごんさんは、弱き者への想像力がない人間、ということで決定しました。これを覆すことはできません。なぜなら、それを覆す正当性をごんさんは自ら放棄したからです。

>(これは確認されてると思うけど)その痛みをやわらげるために、この制度があるわけじゃないんだよね。

必要以上に痛みを感じさせるために、この制度があるわけでもないんだが。

>十字架を背負ってる(背負うと決めた)人に、あなたは十字架を背負ってるんだよねと言うことが、なんで、いけないことなものか。

「いけないこと」っていうか、単に「移植される患者への配慮はいらないのか?」という話なんだが、ごんさんは、移植する側・臓器提供をする側への配慮はしても、移植される側・臓器をもらう側への配慮はいらん、というわけだ。すでに十字架を背負っている人に対して、どんどん十字架を背負えというわけだな。
たとえ、移植される側が押し潰されても、ごんさん自身は良心の呵責がないと、というわけだな。
そういうことで了解した。ごんさん、君は、私のこの発言を覆したいという感情と思考を持つ権利も資格もないことを承知してるよね?ごんさんが自らが、その権利と資格を放棄したと宣言しているんだから。

>十字架の重さを皆で分かち合おうというのなら、その重さを皆で認知しないといけないはず。
>国会でこの制度を決めたということは、この十字架を皆で背負うことに決めたということ。

別にA案でなくても、臓器移植を行う時点で、「十字架の重さを認知」しているし、A案なんてなくても、臓器移植を行う時点で、関係者は患者も医師看護師も含めて背負っているわけで、改めて「決めたということ」ではないのは明白なんだが、それが認識できないどころか、認識しようともしていないわけだよね。私にここまで言われても、そういう思考と感情を抱くなら、そうとしか客観的には言えないよ。

>「強欲」と言われた程度で押しつぶされそうに思うのなら、臓器移植なんて最初から考えない方がいいんじゃないか。

なるほど、ごんさんは『「強欲」と言われて押し潰されそうな人は、臓器移植を求めないで、死ぬ欲求を持ってください。疾患を治したいと思考しないで、「私は死にます」という思考と感情を抱いてください。』と言いたいわけなんだね。
違うという権利も資格もないことは、ごんさんがご自分で宣言しているので、覆したいと欲するならば、発言を全部撤回し、猛省してくださいね。それしか方法はありませんから。

わくわくさん、

もう少し真面目にやってくださいよ。

わくわくさん、

あなたは、たった今子どもを奪われつつあるその人に、それを欲しがっている人がいることを、どういうふうに伝えますか。

今、子どもの死に際している、そのあたたかい体にすがっている親に、あなたは、今わたしに言ったことと同じことが言えますか?

>『「強欲」と言われて押し潰されそうな人は、臓器移植を求めないで、死ぬ欲求を持ってください。疾患を治したいと思考しないで、「私は死にます」という思考と感情を抱いてください。』と言いたいわけなんだね。

その子の臓器を待ち望んでいる人がいることを、どう伝えるおつもりですか?

何を語り、何を語ってもらい、何を共有しようと思っていますか?

ただ、その立場を想像しているだけの、そのわたしごときを納得させきれなくて、何が「痛みを感じている」だよ。

もう少し真面目に考えてください。



わくわくさん、

あなたがその思いを伝えるべき相手は、今、最愛の人を失いつつある、その人です。

あなたは、「強欲」と言われる覚悟なしに、それをするおつもりですか。

あなたは、どういうふうに、それをしますか?

ニケ様
私の書き方が誤解をあたえたようで申し訳ありません
個人的な考えはニケ様に対してというつもりではなかったのですが
読み直してみるとそうとられても仕方ないですね
個人的な考えとして書いた部分はもちろんそれを人に強制するものでは
ありませんし特定の人に対して非難しているものでもありません

>うっかり聞き忘れたのですが、子供の意思表示は当然?考えられていませんよね。何のことかわから  ない年端も行かない子供は親の意思ひとつですよね

おっしゃるとおり提供を決めるのは親の意思になります
ですからもしA案がそのまま決まったとしても暫くは子供(特に幼児)の移植は非常に少数で
私の個人的な想像ですが最初の数年でも移植数は2桁行かないのではないかと

提供する側の親の感情を考えれば移植拒否が大多数で当然で提供数は0となっても
不思議はありません
ただそれでも臓器移植に賛成してくださる親御さんが一人でもおられれば意味はあると思います

もちろんここで親御さん達に対して移植の強制や圧力などがあったとすれば臓器移植は一気に
信用をなくしてしまうでしょう

>ところで病気が治り回復するのは本人の生きる力、自己再生能力など自然治癒が大部分だと思っていますが、薬や手術で治るのであって本人の力は関係ないとなど思ってませんよね

当然患者本人が主であり医療はアシストです
医療は万能ではありませんし時にはまったくの無力です

>もう少し真面目にやってくださいよ。

少しもまじめに考えていない君が、何の権利と何の資格を持って、私にそういうことを要求するわけ?

『ただでさえ押し潰されそうな重圧・十字架を背負って生きていかざるをえない人に対して、なんで、さらに重石を乗せるような言動をするわけ?君は、臓器移植を受けた人は、押し潰されても構わないとでも思っているのか?』

>あなたは、たった今子どもを奪われつつあるその人に、それを欲しがっている人がいることを、どういうふうに伝えますか。
>その子の臓器を待ち望んでいる人がいることを、どう伝えるおつもりですか?
>あなたがその思いを伝えるべき相手は、今、最愛の人を失いつつある、その人です。

この3つの文章に対する返答は、すでにコメント済み。
この赤い太文字の文章を読んでも、そのような思考と感情を抱くというのは、君は自分の浅さを反省する気がないということを自白しただけです。

>今、子どもの死に際している、そのあたたかい体にすがっている親に、あなたは、今わたしに言ったことと同じことが言えますか?
>その子の臓器を待ち望んでいる人がいることを、どう伝えるおつもりですか?

これらの質問は、不当かつ不正であることに気がつかない時点で、君は思考と感情が、極めて浅いということを自白しただけであり、一人前の大人に対してこのような返答をするのも情けないが、あえて答えてあげよう。

『その親は、臓器提供を断ることができる。しかも、断る気持ちは十分理解できるし、強制などできない。』

だいたい、君は「子どもの死に際している、そのあたたかい体にすがっている親」じゃないだろうが。

>何を語り、何を語ってもらい、何を共有しようと思っていますか?
>あなたは、「強欲」と言われる覚悟なしに、それをするおつもりですか。

まず、「何を語り」って、「臓器を求めている患者がいる」ということを語るしかない。
次に「何を語ってもらい」って、『返答』以外に答えがない。
そして、「何を共有しよう」という問いについては「何も共有することができない」という以外に言葉はない。
最後に、「強欲といわれる覚悟」に関しては、あなたごときに言われなくても、そんなもん、最初から持っている。というか、そもそも、それがなければ、臓器移植なんて、移植する側が確実に死に至ることなど、できるわけがないだろう!

ただ、発言者として、関係者として、その「目の前の子どもの命を奪った」という十字架を背負う覚悟は必要だ。それなしに何かを言うことはできない。

と、ここまで言えば、君のことだから、「ほら、そうでしょ?」という不正な思考と感情を抱くので、予め言っておくが、私は「君が追い討ちをかけるように、あえて文章にしたり、発言することじゃない!!」ということを言っているのであって、移植を受けた側や関係者が十字架を背負わなくてもよいということを言っているのではない。
しかしながら、『臓器を提供してもらう側や関係者が、「強欲」と言われる覚悟と持つ』ことと、『「子どもの死に際している、そのあたたかい体にすがっている親」でも何でもない「ごん」さんが、臓器を提供してもらう側に「強欲」と言う』こととは、話が別だ。
そのことが認識できないなら、患者や家族、関係者が、とてつもない十字架を背負う案件について何も思考するな!何も感じるな!君のその感情と思考は、医師や臓器を提供される側にとって「余計な追い討ち」であるのみならず、移植する側に対しても「さらに傷口に塩を塗る」ことであることを理解しろ!(大激怒)

>ただ、その立場を想像しているだけの、そのわたしごときを納得させきれなくて、何が「痛みを感じている」だよ。

この文章も、私を激怒させるに十分な文章だという自覚はあるかい?
君が私に完全に見下される理由であり、かつ、そのことに君が嫌悪感を抱いたり拒絶する資格も権利もない理由でるということは認識できてるかい?
文章自体が支離滅裂だが、それ以前に、君が納得できないのは、100%君の責任であって、私に対してそのような言動をするのは、疑いの余地が微塵もない誤りだ。

いい加減、持説を否定し、反対側の意見を肯定的に考えて、改めて持説を作れ!

追加

ったく、なんで与党と民主党が党議拘束を外しての自由投票にしたのか、その理由がまったくわかってないじゃないか。

私の発言に抗う人全員に告ぐ。

私の発言に抗うということは、この件についての理解がまったくできていない証拠であり、あなたが擁護している方々に対して、擁護しているつもりで実は、この上なく傲慢で無礼な思考と感情を抱いている証拠でもある。

いい加減、勉強しなおせ!(激怒)

愚樵さん、コメントありがとうございます。

味を占めて、またコメントします。

>>法改正によって臓器提供を拒否する権利までもが蔑ろにされること

>これはA案提出者の意図でも、またA案に賛成する人の意図でもないと考えます。

一応承知しています。

>ご指摘のように強欲(←括弧なし)な人が制度を悪用することは考えられますが、そうした強欲さは、Looperさんやさーどさんが指摘されていますが、〈システム〉のなかの人間が制御するように働くことになるでしょうし、私はその誠実さに疑いを持っているわけではないのです。

私も多くの善意の人たちが誠実にシステムを運用してくれるであろうことに特段の疑いを持っていませんが、システム自身に穴があれば、その中の人がいくら真面目にやっても上手くいかないと見ています。

(寧ろ、真面目にやればやるほど虚無感を感じさせる、人の心を蝕むシステムになるのではと想像してしまいます。)

>またより強欲な人は、〈システム〉がどうであれ、〈システム〉とは別のところで違法な悪事を繰り広げます。たとえ臓器移植に同意できなくても、その旨申告することで〈システム〉を応援して違法な悪事を少しでも阻止できるなら、それはそれで十分意義のあることだとも思います。

ご指摘の趣旨は分かります。一方、臓器移植に「同意しない」意思表示を「しない」ものが「同意している」と見做されるシステムに問題があると思っています。臓器移植に同意しないものが必ずしもその旨を事前に申告できるとは限らないと考えるからです。

(A案でルール変更された後のシステムでは、同意しないのに申告をしないのは自己責任だと言われそうで、昨今の社会情勢に照らし合わせて、「またか」と思わざるを得ないものがあります。)

現行では、移植に同意の意思表示をした人のみを臓器提供者とする、言わば、「原則禁止」のシステムとなっているのに対し、A案とは即ちそれを「原則自由化」することである、との見方をするものですが、そのような原則自由のルールにおいては不道徳な行為の禁止事項を全て網羅して盛り込むことができない限り、抜け穴が生ずることになり、それでは強欲なものにとってより悪用し易いシステムが出来上がるだけであると考えます。

(そのようなシステムは「強欲」(←括弧付き)である以前に不良品です。)

――――――――――――――――――――

臓器移植に限らず、自由や権利の解釈を法なり何なりのシステムで以って規定する場合は、やはり自由や権利の保障を高らかに謳うことより(大前提としてもちろん必要ですが)、如何に悪用を防ぐかが大事なのではないかと思います。

異なる複数の個人のそれぞれの自由や権利といったものを「無限」に拡大することは共同体にとって許容できないものだと思っています。(例えは違いますが、永久に右肩上がりの経済を地球環境が許容できないことと同列で考えるとおもしろいと思っています。)

愚樵さんが言う、

> 願いが組織的な「目的」に変化してしまったとき、その「目的」は「強欲」となってしまうのでないか

の意はそこにあると解釈していました。誤解でしたでしょうか。

――――――――――――――――――――

>感情の錬金術

とは、言い得て妙です。(表現力の優れた人がいるのにはいつも感嘆します。)
私は、臓器移植の不自然さに、お金のあり方の不自然さをだぶらさずにはいられないものですから、この表現は私にとって実に腑に落ちます。

わくわくさん、

真摯で誠実な回答ありがとう。

言いつけ通りここでのわくわくさんとの対話はやめにするよ。

わくわくさん、ご縁があったらまた別の場でお話ししましょう。

さて、わたしは日本で子を持つ親のひとりであるが、これから、子どもが大けがをしたり、難しい病気にかかったりしたときのための病院をさがしている。それは、臓器移植のシステムの運用を拒絶している病院だ。

そういう病院を誰かご存じではありませんか?

なめぴょんさん

>「その物言いは今回様々な方々のなされた発言の中で最も醜悪なものだ」

これが醜悪だと感じられたのであれば、A案が醜悪だということですよ。「A案が通ってほっとした」を意訳しただけですから。それとも、子供から臓器を提供させることのできるA案が通らなかった方が良いのですか?どんなにきれいごとを並べても、本質は「今の法律では殺人になってしまうので、殺人罪に問われることなく、どうにかして子供から臓器を提供させるようにしよう」でしょう?


>「提供させる」との決めつけ

私はずっと「意志表示できない人」から「提供させる」ことのみ問題にしてきたのです。「意志表示した人」はその意思を尊重すればよい。そのことは問題にしていません。むしろLooper さんの(自分の臓器提供の)意志には共感している。くどいようですが、現状では「脳死は人の死」としても良いと私は考えています。それを「意志表示できない人」に強要することはできないということ
「意思表示できない人」から臓器提供を受けるということは「提供させる」ことです。決め付けではなく事実です。
そしてA案は「意思表示できない人」から「提供させる」ことを可能にする。(それが目的だから)そうしないと幼い命が助かる見込みがなくなるから。理念は崇高だと思う。しかしそれを法的に決め付けてしまうことは問題でしょう、と言っているのです。

さーどさん、何度もお手数かけました。ありがとうございます。

私たち二人の関係は、さーどさんがA案を支持し、私はA案に反対している。というだけのことですよね。支持するのは駄目だとか反対するものがいけないということなんかじゃなく、互いが支持あるいは反対の立場からの考え方で意見を表明している。

それをまた自分なりに、どちらが自分にとって納得できる意見かを考えて、それぞれに支持・反対の考え方となるわけでして、そうしたやり取りの中で「気に食わない言葉」が有ったとしても、それは最終的には最初の発言者のところへ戻っていくわけで、発言の真意やその言葉を使わざるを得なかった発言者の説明がない段階で言葉のみに反感を持っても無駄にリソースを使うだけでしかないと思っています。
不快感の表明を述べることは誰しもすることだと思いますから良いのです。それに執着しない限り議論は続き、本来はそれが目的なのですから。

>個人的な考えとして書いた部分はもちろんそれを人に強制するものでは
>ありませんし特定の人に対して非難しているものでもありません

どのような考えも人に強制できるものはありませんから、おしゃるように、さーどさんとは不愉快な思いをせずに会話が出来ます。

>もしA案がそのまま決まったとしても

そうですね、移植関係の方たちとしても、劇的な環境の変化を望んでいてもおそらくはなかなか期待通りにはいかないだろうと私も思えます。ただ法律で今までできなかったことができるようになったということは障害となっていたことが取り除かれて一歩前進と受け取られているでしょう。
私は法律で決めるのでなくて合意が出来たらよかったとは思っています。法は権力を伴い強制力が強すぎる。強制的に臓器提供を迫るのでなければ多数決は間違いだったように思います。

そうした一歩前進も、私も含めた危機感を持つ人たちも声を上げ始めるわけで、どちらが理解されるか、臓器移植への抵抗はどれだけ少なくなるか、でしょうね。
くれぐれも法の後ろ盾を得て傲慢にならないことを願うばかりです。

>もちろんここで親御さん達に対して移植の強制や圧力などがあったとすれば臓器移植は一気に
>信用をなくしてしまうでしょう

おっしゃるとおりです。高い志を持った人なら別でしょうが、本人ではなく家族で有ったりしますから、説得により承諾に至る人は後々までのケアも今以上に必要になります。
また「脳死が人の死である」という主張も臓器移植に限定的でなければならないと考えています。科学的な観方からはそれが正しくとも人の死をすべて科学的な思考のみで扱えばそれが大きな落とし穴となってしまいます。

繰り返しますが脳死を人の死として扱うのは臓器提供に限定するダブルスタンダードが必要と考えます。くれぐれも提供者でもないのに死亡と認定し保険を打ち切る愚挙に出ないことを。(これは政府と政治家へ向けてです)

人間の尊厳などに対する敬意の態度は今以上に厳しく求められると思います。

A案なんて関係ない

nobuさん、

>>「弱者から命を奪う事」が目的だと主張されるのですね?
> 違うんですか?A案は、子供の臓器が国内では調達できないので、意志表示のできない子から臓器提供させることができるようにすることが目的でしょ?

明確にNOです。誰も賛同しないと思いますので、説明は不要かと思いますが、万一、他にもこんなとんでもない暴言に賛同する方がいらっしゃいましたらどうぞお出まし下さい。
で、世界中のどこでも、「弱者から命を奪う事」を目的として臓器移植を行うところなどありません。そもそもそんな医療行為はありません。「弱者の命を救うこと」が目的です。

>A案は、子供の臓器が国内では調達できないので、意志表示のできない子から臓器提供させることができるようにすることが目的でしょ?

家族がそれを望めばね。で、それのどこが「弱者の命を奪う」のです?
仮にそうなら、臓器提供希望なんて誰もしないでしょう。
そして、あなたがそう思うなら、拒否すればいい。それだけのこと。
あなたと違う価値観だからと、提供したいという家族の希望をシャットアウトしたり、不当な暴言を投げるのは止めてくださいとお願いしています。

>本人が希望しているかどうかわからないのに臓器提供させることができる法案が通りそうだから問題にしているんじゃないですか。

もしかして、A案だから反対なんですか?
別の案なら賛成なんですか?もしそうならだ、そういう表明をすべきでしょう。

>考えていない人は記事を書いたり、コメント付けたりはしませんよ。

それは違うでしょう。
改正反対で現行法を維持すべしと主張する人は、考えてないか、現状でOKだという人でしょう。
あなたが考えているなら、この現状をどう変えるべきと考えるのかを当然述べるべきでしょう。

>なにはともあれ、A案が通れば法的に「脳死は人の死」なので法的に「殺人」を犯すことなく臓器提供させることができますから良かったじゃないですか。

なめぴょんさんとほぼ同じ感想。よくもまー、こんな酷い暴言が吐けるもんだ。「殺人が合法になって良かったね」って言ってんだからね。

なお、どうもあなたを含め、A案にこだわってずれた反論をしている方が多いようだ。私も、わくわくさんも、なめぴょんさんも、A案に賛成だなんて一言も言っていない。わくわくさんやなめぴょんさんに至っては、臓器移植への賛否すら不明である。ちなみに私個人は今回はD案ぐらいで十分だと思っている。

私たちは、A案に限らず、臓器移植法案を改正して、肉親の命を助けるために閉じられている扉を開けて欲しいを願う人達の思い、気持ちを全く理解しない暴言に対して抗議しているだけだ。自分の価値観、死生観の表明は全く構わない。しかし、いい加減その中で他者を冒涜するのは止めろ。

Looperさん、

おはようございます

>自分の価値観、死生観の表明は全く構わない。しかし、いい加減その中で他者を冒涜するのは止めろ。

そのままスルーしとこうかと思ったけど、この部分は、何度読んでもしっくりこない。Looperさんは「その中」ではっきりと「個人の価値観」を問題にしてはいない、と仰ってる。

>自分の価値観、死生観の表明は全く構わない。

で、これは何を問題にして、何をやめろと仰るのかな?

>他者を冒涜するのは止めろ。

わたしにはここでLooperさんの仰ることがわからない。


Looperさんにお聞きしたい。

1.「他者を冒涜する」というのは、御自身ではその行為(=他者を冒涜する)なされてはいらっしゃらないという思いのもとに表明された言葉だと考えるが、それでよろしいか。

続けて、

2.具体的にこちらで、どの言葉が「表明」の自由を剥奪されてもしかるべきものであったか。そのすべてを挙げて解説をいただきたい。「この発言のここが、このような理由で他者への冒涜である」というふうに、ひとつひとつ丁寧に。

3.Looperさんは、生命への冒涜という言葉があることをご存じか?そしてそれが「他の生命の価値を選別する」ファシストたちに投げかけられた言葉であることを。

わたしはこの言葉を滅多に使わないが、Looperさんのそれを見て、使いたくなったことを表明しておくよ。

ごんさんへ、

> 1.「他者を冒涜する」というのは、御自身ではその行為(=他者を冒涜する)なされてはいらっしゃらないという思いのもとに表明された言葉だと考えるが、それでよろしいか。

いいえ。自分が気付かずに「他者を冒涜」する発言をしてしまう恐れは誰にでもあり得ます。その場合には、それを抗議される事については私は甘んじて受けたいと考えます。

>2.具体的にこちらで、どの言葉が「表明」の自由を剥奪されてもしかるべきものであったか。そのすべてを挙げて解説をいただきたい。「この発言のここが、このような理由で他者への冒涜である」というふうに、ひとつひとつ丁寧に。

まず、どの言葉に対して、なぜ抗議をしているのかは、すでに明確に示しています。
また、私は、言論の自由を剥奪すべしなどと言った覚えはありせん。

臓器移植の自由と同じく、言論の自由は最大限尊重しています。暴言も含めてね。ただし、同時に表現内容次第では抗議を受ける覚悟が必要なのも同様です。それが、表現・言論の自由を発露するためのコストとして発言者は享受しないといけない事です。それは、あなたも私も同様です。

>3.Looperさんは、生命への冒涜という言葉があることをご存じか?そしてそれが「他の生命の価値を選別する」ファシストたちに投げかけられた言葉であることを。

何を言いたいのか分りませんが、それだけではないでしょう。宗教によっては、輸血という医療行為も「生命への冒涜」です。コンドームを使って避妊することを「生命への冒涜」だと言ってる人達もいます。で、あなたにとって、「輸血」は「生命への冒涜」ですか?その価値観をあなたが強要されたらどう感じますか?ここでの移植反対派の皆さんの論調からは、そんなイメージを受けています。
早雲さんなんかは、はっきりとそう明言されていますよね。

私はA案じゃなくても構わない。E案でも全くOK。脳死を人の死と認められない人は、これまで同様認めなくて全く構わない。
しかし、希望者の望みがシャットアウトされている状況を改善することには、コミットすべきでしょう、と言っている。
むしろ、自分の価値観と違うからと、その切なる望みを絶ち切ってもOKだというなら、それこそファシストに通ずる考えだと思いますね。

Looperさん、

丁寧な返答ありがとうございます。

>同時に表現内容次第では抗議を受ける覚悟が必要なのも同様です。

むろんです。で、

>止めろ。

というのは、Looperさんの場合は、抗議なわけですね。では、これからはそういうふうに承ります。

>宗教によっては、輸血という医療行為も「生命への冒涜」です。コンドームを使って避妊することを「生命への冒涜」だと言ってる人達もいます。

なるほど、Looperさんはそういう意味で「冒涜」という言葉を使ったのですね。

その程度のことだから、あまり気にするなと。

わたしの上記コメントに関しては「生命の価値を選別する」ことについて使われた言葉だ、と言っただけです。それ以外の他意はありません。

ところで「人の生命の価値を選別する」ことは、Looperさんにとっても「生命に対する冒涜」ですか。もちろん答える必要はございませんが、わたしは、人類最大の悪業だと思っています。それが不特定多数の人間に「ルール」として適用される場合には。

もうひとつだけ、

Looperさんは、ナチスの台頭を許したドイツと今の日本は違うとお考えですか?

ごんさんへ

>>止めろ。
>というのは、Looperさんの場合は、抗議なわけですね。

当然です。強制力も命令権も持たない私が言うのですから、あくまで強い抗議の表明です。

>なるほど、Looperさんはそういう意味で「冒涜」という言葉を使ったのですね。
>その程度のことだから、あまり気にするなと。

それは違うかと。あなたが「生命への冒涜」という定義不明の言葉を使ったので、こういう使い方もありますが、あなたのはどういう意味ですか?と言うことです。

>わたしの上記コメントに関しては「生命の価値を選別する」ことについて使われた言葉だ、と言っただけです。それ以外の他意はありません。

「他者を冒涜する発言」と「生命への冒涜」とは、全く意味も用法も違うので、何を言いたいのか未だにさっぱり分りません。

>ところで「人の生命の価値を選別する」ことは、Looperさんにとっても「生命に対する冒涜」ですか。もちろん答える必要はございませんが、わたしは、人類最大の悪業だと思っています。それが不特定多数の人間に「ルール」として適用される場合には。

もちろん社会的にはしてはいけないことでしょう。
で、それが臓器移植法の改正問題と何の関係があるのか、私にはさっぱり分りません。
仮にあるとすれば、15歳以上と以下で、命の価値を実質選別してしまっているのが現行法だと思います。

Looperさん

繰り返しになるので一回だけ。本人が希望しているかどうかわからないのに臓器提供させることができる法案が通りそうだから問題にしているんじゃないですか。 A案が衆院で通ったことを受けての記事だから当然A案が頭にあるでしょう。「本人の希望」が条件であれば法案を通す必要は無かったのになぜです?せいぜい12歳くらいなら意思表示できるだろうと年齢を下げるなどの案でよかった。しかし他人の意志で「提供させる」ことが可能になった。親が「意志表示のできない子」の代わりに意志表示ができるのであれば、選挙権も零歳児に与え、親が選挙に行くこともOKのはずだ。子は親の物ですか?

Looperさん、

こちらもスルーしてそのまま晒しておこうかと思ったけどやめた。

>15歳以上と以下で、命の価値を実質選別してしまっているのが現行法だと思います。

これは冗談だよね。

で、よろしければ前回スルーしたこちらにも答えていただけないか。

>Looperさんは、ナチスの台頭を許したドイツと今の日本は違うとお考えですか?

もちろん、答える義務はございませんが。でも、もしかして、

今の日本の方が上等だ(だから、法案に穴があったとしても決して間違いのないように善意の人々の手によって運用され続けるし、また、一部の悪意ある人間の思惑も含まれた法案を抱き合わせで通すなんて日本の国会では有り得ない)

なんて考えてやしませんよね。

親の責任

> 本人が希望しているかどうかわからないのに臓器提供させることができる法案が通りそうだから問題にしているんじゃないですか。

そりゃ、本人意志が確認できた方がベターに決まっています。しかし、今回の改正問題の焦点は、意思表明が不可能な小さな子どもの問題をどうするか?です。本人意志を絶対条件にすれば、仮に両親が望んだとしても、小さな子どもの臓器提供は完全に不可能ですし、臓器移植治療を待っている子どもへの国内移植への道がシャットアウトされた現状は何も改善できませんが、それは仕方がないという事でよろしいのですね?

> しかし他人の意志で「提供させる」ことが可能になった。
家族を「他人」とは呼ばないと思いますが?

>親が「意志表示のできない子」の代わりに意志表示ができるのであれば、選挙権も零歳児に与え、親が選挙に行くこともOKのはずだ。子は親の物ですか?

意思表示の出来ない子どもの代わりに親が決めていることなんて山ほどあります。どこで生むか?どこの幼稚園に入れるか?医者と治療方針相談して決めるのも親です。死後の扱いも今でも親が決めていますよね。死後の扱いの中で、臓器提供だけが親ではいけない理由は何ですか?

はじめまして、ほおずきと申します

ぶしつけで申し訳ないですがここにだけ反応させていただきます。
>親ではいけない理由は何ですか?
脳死は人の死ではないからです。

> 脳死は人の死ではないからです。
あなたがそう思うのは自由。
あなたやその家族がその考えに従うのも自由。

でも、脳死を人の死として認め、臓器移植・提供を希望する人たちの自由を奪うのは止めてください。

ごんさん、

> これは冗談だよね。

どうしてです?
現状は、15歳以上なら臓器提供の権利があり、15歳以下にはその権利がない。
命の価値をそこで線引きしているのですから、そういう評価が妥当かと思います。

> で、よろしければ前回スルーしたこちらにも答えていただけないか。

で、これまであなたの意図がよく分らない質問に答えてきましたが、人に答えさせるばかりで、何の展開もそれへのお応えもないようです。どういうつもりなのでしょうか?

>>Looperさんは、ナチスの台頭を許したドイツと今の日本は違うとお考えですか?
>もちろん、答える義務はございませんが。でも、もしかして、

答える義務はないといいながら、答えようのない質問をされている。しかも、エントリーとどう関係するのかも不明。まず質問する前に、自分が同じ質問をされたと想像すべきと感じます。
無理に答えるとすれば、どういう側面で問うているのか?次第です。
ある側面を見れば、似ているところもあります。
ある側面を見れば、全く異なる。
それで?

>今の日本の方が上等だ(だから、法案に穴があったとしても決して間違いのないように善意の人々の手によって運用され続けるし、また、一部の悪意ある人間の思惑も含まれた法案を抱き合わせで通すなんて日本の国会では有り得ない)

私には、A案でさえ穴は見つかりません。
穴があるなら、どうぞ指摘してください。それを埋める事に、私は大賛成するでしょう。「システム」とは、そうして成熟していくのだと思います。

そういや、muchomejorさんにも、同様の質問しましたね。まだお応えを頂いていませんが・・・

思わず一部の発言にだけ反応してしまいまして失礼しました。
普段はみるだけで参加しないのですが、これを機会に自分の意見も表明してみたいと思います。

まず、脳死は人の死かという命題の答えは人の死ではないと思っています。これはどんな医療が変化しようが変わることはない原則と考えています。
それでもあえてその原則を曲げているのが臓器移植であるというのがわたしの立場です。
(戦争に対する考えに似た原則ではあると思います。現実はこうだけど理想はこうだ的なものです。)

そういう立場ですので、わたしとしては自分自身はできることなら臓器提供者にはなりたくありません。
さらには自分の子供の場合は脳死状態になってもその臓器を提供するなどは絶対いやです。
もし提供するとすれば自分の知り合いか家族限定ですね。

ただ、その原則を自らの意思で曲げることは認める自由はあってしかるべきとも思います。
これは今までの法律でOKですね。

で今回のA案ですが、意思表示のないものの臓器を提供することが可能になります。15歳以下であろうがなかろうがそれが最大の問題であろうとわたしは考えています。
家族が歯止めになるという方は家族に恵まれている方がほとんどでしょうが、そうでない方たちはそれなりに存在すると思います。
また、臓器提供拒否カードが紛失したり意図的に捨てられたりする可能性はないのでしょうか?
公的機関がどれだけちゃんと照会できるシステムになっているのでしょうか?
自分が善意だからといってすべての人が善意とは限らないし、善意同志のの衝突やすれ違いもおこります。

>脳死を人の死として認め、臓器移植・提供を希望する人たちの自由を奪うのは止めてください。
ではその意思のない人たちを巻き込む状況になるのを放置しないでください。

Looperさんが尊敬に値する志が高い方というのはわかります。その志があるのならあなたはA案には明快に反対すべきなのですよ。

Looperさん

>臓器提供だけが親ではいけない理由は何ですか?

それは死が伴うから。数ある刑罰のなかで「死刑」がことさら強調されて「廃止」が問題になるのはその刑罰が死を伴うからじゃないんでしょうか?

私は何度も言いますが、臓器移植そのものには反対じゃない。少なくとも自分は「脳死は死」でOkだと思っている。自分の臓器は移植に使って欲しいと思っています。できる範囲内で地道にやっていくしかないんじゃないでしょうか。

日本には「脳死が死」を受け入れられない人が多数いる。当然子供にも一定の割合でいるはず。(いないことが証明できれば別。でも不可能でしょ?)だから親だろうが国だろうが、子供に死を与えることは一線を越えることになると考えます。今の日本では子供の臓器移植はできない医療行為と考えるしかないと自分は諦めています。

少しまとめて見ました

> で今回のA案ですが、意思表示のないものの臓器を提供することが可能になります。15歳以下であろうがなかろうがそれが最大の問題であろうとわたしは考えています。

既に述べているように、本人確認があるのがベターに決まっています。しかし、本人の提供意志を必須要件すれば、現行法で助けることの出来ない子ども達の臓器提供も、臓器移植も、道は完全に閉ざされたまま、放置されることになります。そうした子どもを救うにはどうすればよいか?臓器提供者も移植を待つ人達も、なんとか譲りあえる落としどころはどこか?という苦しい選択の中から出てきたのが「家族の了承」という条件だと考えます。フランスなどでは、「推定同意」という「拒否意志」の明示がなければ同意したとみなすという制度を採っていますが、私は、それは行き過ぎだと考えます。しかし、自らの意志を示せない子どもについては、家族の同意という条件は落としどころとしては妥当だと考えます。

ちなみに、本人の意志が示されている場合には、家族の意向に関わらず、それに従うと言うのがベターだと思っています。現行法は、本人と家族の両方の意志が必要ですので、仮に本人が強く望んでいても、家族が反対すれば臓器提供はできません。これは逆に問題だと考えます。

>家族が歯止めになるという方は家族に恵まれている方がほとんどでしょうが、そうでない方たちはそれなりに存在すると思います。

今でも、医師が医学的脳死と判断した場合には、家族に脳死の宣言をします。これは、移植法に関係なく、インフォームドコンセントの一環として必ず行われます。よく、臓器移植によって「脳死」の概念が生まれたというデマを言う方がいますが、真実は、人工呼吸器の誕生によって、「脳死」という概念・状態が生まれたのです。

そして、人工呼吸器によって心肺を機械的に動かして「延命」措置を続けるか?それとも尊厳死を選ぶか?の選択は、本人意志が確認できない場合には、今でも家族が行っています。私はここに、臓器提供をしますか?の選択肢が増えるだけだと考えています。仮に本人意志がないとどうしてもダメだというなら、家族が脳死判定後に尊厳死を選ぶのも許されざる事の筈です。
しかし、本人意志が不明な場合に、人工呼吸器による「延命」措置を希望するはずだと、どうして推測できるのでしょうか?それこそ、価値観の押しつけではないでしょうか?

脳死状態になると、脳細胞は徐々に壊死し、形も崩れ、溶解して行きます。
そうしてどんどん脳が痛んでいくのを放置する事こそ、人権無視だという考え(それが正しいと言っているのではない)も実際にあります。

このように、人工呼吸器を付けるのか?外すのか?も、本人意志が確認できない場合には、それを推測して家族が決めるしか方法が無いのです。ですから、本人意志が確認できない場合に、家族が脳死後の扱いを決めるという案が、なぜ臓器提供の場合には許容できないのか?正直の所分かりません。今でもそれ以外では許容してるじゃないか?と思うからです。

>また、臓器提供拒否カードが紛失したり意図的に捨てられたりする可能性はないのでしょうか?
>公的機関がどれだけちゃんと照会できるシステムになっているのでしょうか?

そうした危惧を表明することはとても大事です。こうした制度は信頼関係が一番大事ですから。
仮に、そうした信頼を失うことがあったら、誰も臓器提供に応じてくれず、マイナスにしかなりません。
どの案になろうとも、実際の運用上のシステム整備、問題解決はこれからです。脳死判定が成人よりも難しい小児の場合は、特に慎重な脳死判定法が必要ですし、そうした疑念が入り込めないシステム構築が望まれるのは当然のことです。そのためにも、そうした疑念を表明していくことは大事なことだと考えます。

>自分が善意だからといってすべての人が善意とは限らないし、善意同志のの衝突やすれ違いもおこります。

だからといって、救えるはずの命が失われていく現状を放置する事は許されないと考えます。
そのために、お互いが譲り合えるぎりぎりの落としどころを必死に考えるのが、我々の責任だと考えます。

A案が、その落としどころとして最適なのかは私にも分りません。みんなで決めることです。しかし、そうした苦しい譲り合いの議論をすべき所に、何の対策もせず10年以上も放置して見殺しにしておいて、A案という自分が気に入らない具体的案が浮上してきたら、一方的に「強欲だ」「人殺しを覚悟」「悪魔のような法律」だと、臓器移植を進めている人達に罵声を浴びせるのはどうなのでしょうね?だからこそ、最初のコメントで、自分のような考えの人達にも槍を突きつけている事を自覚しているのか?という事を問うたのです。

「こう訂正すれば、なんとか自分も認められる」という譲り合いの議論をこそして欲しいと願います。

>ではその意思のない人たちを巻き込む状況になるのを放置しないでください。

「意思表明していない」を「意志がない」と、どうして推測できるのです?
本当の事は、亡くなった本人以外は分りません。
次善の方法として、本人意志を一番推測できるであろう家族に判断を委ねる。
人工呼吸器を外すかどうか?の判断と同様に、今でも行われている許容範囲内の方法だと私は思います。

nobu さん

> 今の日本では子供の臓器移植はできない医療行為と考えるしかないと自分は諦めています。

nobuさんは、臓器移植を待つ子どもたちや、その親たちには、諦めてくださいということですね。

了解です。
残念ですが、nobuさんとは、ぎりぎりの落下点を見つけられる可能性すら、ゼロのようです。

黙殺

Looperさん、人のコメントはよくお読みください。

わたしは「絶望の淵にいる家族に重い重い選択をせまる悪魔」のような「法案」だから「悪魔のような法案」だと批判しました。罵声は、それをまともな議論もなく、問題だと言っている人がいる中で、国会で通そうとするバカに対してのこと、です。両方とも「臓器移植を進めている」方々のことではありません。

====================

1.多くの家族は、大事な肉親の突然の死に直面しての強い悲嘆反応と本人の臓器提供意思を生かしてやりたいという思いの交差する葛藤と苦悩に陥る。
2.脳死を受け入れられないまま同意する家族と自然死と同じだという家族の両方がある。
3.同意の決断を迫られた時の迷い・苦悩をサポートしてくれる専門家の不在。
4.臓器提供を誇りに思い生きる支えにしている家族がいる一方で、「思い出したくもない」「連絡もしてくれるな」という家族や「あれでよかったのか」と悩み続けている家族もいる。(柳田邦夫)

====================

< ちなみにこれは、本人が明確に臓器提供の意志を示している(なので子どもではない)提供者の家族の場合のこと >

Looperさん、読んでますか?

それとも、黙殺する?

こんなふうに。

==================

今回の国会審議では、検証会議の委員は誰一人として意見を求められなかったし、このような現実をめぐる議論も行われなかった。

==================

で、これは誰に言ってるの?

>何の対策もせず10年以上も放置して見殺しにしておいて、

まるで、誰かが臓器移植希望者を殺した、みたいな口ぶりだけど。

=====================

3.同意の決断を迫られた時の迷い・苦悩をサポートしてくれる専門家の不在。 (柳田邦夫)

=====================

この問題点、見えてる?

=====================

「思い出したくもない」「連絡もしてくれるな」という家族や「あれでよかったのか」と悩み続けている家族もいる。(柳田邦夫)

=====================

そのことを誇りに思える方だけじゃないんだよ。

10年間、サポート不在で悩み続けてる家族の方がいらっしゃる

Looperさんは、それも「しようがない」、と仰る?

===================

いったい検証会議のこの10年間の議論は何だったのか。(柳田邦夫)

====================

もう一度繰り返すね。

実際に臓器提供者の家族が思い悩んでる。そこを議論しないで、これからもっと臓器提供者の家族を増やそうというのは、あまりにも不義理なことじゃないか。

ここに関わってきたすべての人々に申し訳が立たないんじゃないか。

日本はいつまでこういうことを続けるんだ。

これまでを振り返って、

間違ったら、改める

傷つけたなら、謝罪する

してもらったら、感謝する

これが、人として、当たり前のこと

×柳田邦夫
○柳田邦男

ですね

ごめんなさい

あたしは臓器移植には、反対ではなかった

臓器移植を可能にするための(提供する側とされる側、その双方の)信頼関係は、それがきちんと成り立つのなら、うつくしいと思っている。肯定すべき人間性だ

と、今でも思っている。

そのことを表明した上で、

この言葉をもって、この議論をここで終わる。

http://fps01.plala.or.jp/~brainx/doctors_lie1.htm

(承諾書にサインするとき)なんで、「目も皮も腎臓も肝臓も心臓の弁も、お母さんみなもらいますよ」と説明してくれはれへんかったんやろ。そしたら、私は、断われたかも知れません。私は足が悪うて毎日リハビリに行ってます。体が辛くて東京へはとてもよう行きません。国会議員の皆さん、この年寄りの話をくみ取って下さい

国会議員の皆さん、この年寄りの話をくみ取って下さい



私の命のあるうちにただ一言だけでいい、

たくさん臓器を取らせてもらってありがとうございました、

と言うてほしい。


ごんさん、君にこの議論を終わらせる権利も資格もない。

君は移植する側のことしか見ていない。移植を待っている人のことを見ていない。いや、仮に移植される側を見ているつもりであっても、君の言動は、その人たちを傷つけているに過ぎない。その根拠は、君の次の言葉に表れている。

>実際に臓器提供者の家族が思い悩んでる。そこを議論しないで、これからもっと臓器提供者の家族を増やそうというのは、あまりにも不義理なことじゃないか。
>ここに関わってきたすべての人々に申し訳が立たないんじゃないか。
>日本はいつまでこういうことを続けるんだ。

君のこの発言に「誤り」はない。しかし、その正反対の発言も「誤り」ではない。つまり、「矛盾しているにも関わらず、『正しいこと』が2つとも『正しい』ものとして存在する」のである。そのことを忘れたコメントが正当性を持ちえないことは、私にさんざん指摘されてきたはずだ。

それにも関わらず、

>(承諾書にサインするとき)なんで、「目も皮も腎臓も肝臓も心臓の弁も、お母さんみなもらいますよ」と説明してくれはれへんかったんやろ。そしたら、私は、断われたかも知れません。私は足が悪うて毎日リハビリに行ってます。体が辛くて東京へはとてもよう行きません。国会議員の皆さん、この年寄りの話をくみ取って下さい
>国会議員の皆さん、この年寄りの話をくみ取って下さい
>私の命のあるうちにただ一言だけでいい、
>たくさん臓器を取らせてもらってありがとうございました、
>と言うてほしい。

ということを述べている。
いい加減にしろ。思い上がりも甚だしい。
君は、この方のこの叫びを冒涜する気なのか?
君は、この方の悲痛な叫びを無駄にするつもりなのか?

『移植を待つ人たち』にことを考えた形跡がうかがえる文章を記さずに「A案反対」だけを唱え、「強欲」だの「悪魔」だのと余計なことを述べれば、極端にいえば、『移植される側』に、「生きていることは犯罪だ」と思わせるだけだということに気づかないのか?

それが、この不正不当な臓器移植をした千里救命救急センターの医師にエクスキューズを与えることになるってこと、まだわからないのか?

はっきり言おう。君は、君自身にはそのつもりはなくても、結果的には「自己満足のためだけに発言しているに過ぎない。そのために、移植する側に慮るつもりで、実は他の誰よりも、最も移植する側を傷つけているだけである。」と言っているのだ。

私は「積極的に臓器移植を認めるべきだ」とは言っていないはずだ。Looperさんも、もし仮に君が「移植される側のみ」の言動をしていれば、おそらく君が今提示したことを述べたであろう。

君がやるべきは、私やLooperさんに受けた指摘を真摯に受け止め、自らの思考と感情を改め、「移植する側と移植される側」の双方に向き合い、その上で臓器移植と脳死について考え直すことだ。

本当に「移植する側」に思いを馳せ、A案やそれに賛同する国会議員を批判したければ、私やLooperさんが言ったことを素直に受け止め、反省しろ!

>日本はいつまでこういうことを続けるんだ。

君は、いつまで自爆を続けるんだ?日本を語るまえに自分を語れ。

ちょっと考えをまとめるのに時間がかかりすぎてしまったにもかかわらず、伝わるかどうかちょっと自信はなかったりします。
余り文章も丁寧とはいえませんがご容赦ください。

正直言ってこれらの表現はあまりにも問題だとは思いますが、やはり臓器移植を望む一部の状況にはわがままな感は否めません。
>一方的に「強欲だ」「人殺しを覚悟」「悪魔のような法律」だと、臓器移植を進めている人達に罵声を浴びせる

わたしにとって肉体と魂は不可分という感覚が他人のことであってもどうしても気持ちをざわつかせてしまいます。
たとえ人工呼吸器で無理やり生かされている「脳死状態」であっても肉体の一部が生きているため「それは死ではない」という意外に考えられません。
人工的な補助をはずすと確実に死に向かう状態であってもやはり生きている状態ではあるのです。「脳死」はあくまで定義であって真実ではないはずです。
(これは古来からの日本人で共有されてきた感覚だと思います。)

脳死は死ではないということが話の原点でなければならない。とわたしは強く思います。

>「こう訂正すれば、なんとか自分も認められる」という譲り合いの議論をこそして欲しいと願います。
しかし、それでも確実に助けられる命があるのなら譲歩すべきだと思います。それは法律ではなく純粋な善意であるべきと考えます。
適切な表現ではないかもしれませんが法律は善意を促したり補助するためのものであるべきです。

>>ではその意思のない人たちを巻き込む状況になるのを放置しないでください。
>「意思表明していない」を「意志がない」と、どうして推測できるのです
どれだけの人がドナー登録のことを知っていってそのうちどれだけの人がそれを望んで登録しているんでしょうか?
かなり少ない状況なのですよね?そのことからも「意思がない」ひとの割合は多いことは憶測されます。
同時に「意思がある」のに躊躇している人もいることも憶測できますが…。

少なくても「意思表明していない」を「意志がある」とみなすことには絶対同意できません。
そのみなしを認めると命の重さを思うばかりに何かもっと大切なことを見失ってしまいそうです。

自分で判断できる人についての意思表示は最大限尊重したいと思います。
本当はその意思表示を確実にさせるための何らかの方法を考えたほうが得策なのではないのでしょうか?

わたしの今のところの譲歩としてはこのぐらいです。もっともわたしが譲歩したところで現実はそれ以上の動きになってしまっていますが…。

最後に子供の臓器提供については妥協点はないかもしれません。

あくまでわたしの考えは、脳死状態は死に向かう時間を止めているだけであって、家族が選択できる範囲はその速度をなんとかすることだけで、生きているうちに臓器を摘出することではないということです。
その人が生きている限りその人の体はその人のものです。そして家族であっても生前のその人の考えに迷う場合も多く、思い込みも発生しやすくなります。
その迷いの後押しになるのは法律であってはならないと考えます。

その上で助けられる人を助けるということを考えていってほしいと思います。

Looperさん

「少しまとめて見ました」を読んで少し考え方が変わった(もしくは変わりつつある)。「お互いが譲り合えるぎりぎりの落としどころ」、落としどころ、という意味では現状はそうなのかもしれない。

「A案は、子供の臓器が国内では調達できないので、意志表示のできない子から臓器提供させることができるようにすることが目的でしょ? 」については
「明確にNOです」「説明は不要かと思いますが」と根拠や説明が無いので納得できません。「弱者の命を救うこと」が目的」とは、救うためには生きた臓器が必要なわけですから、その生きた臓器を得るための法案であることは明白です。「救う」ことばかりをクローズアップさせる手法は危険だと考えます。

「本人の意志表示」というハードルを取り去った(一線を越えた)ことで、今回の法案が通っても仮に臓器提供が思うように進まないということになれば、更なるハードルの引き下げが要求されることは間違いないのではと考えます。Looperさんの紹介されていたフランス並に変えることで「救う」ことができると考えればそちらに、もしかするともっと軽く「救う」アイデアがあればそちらに修正されていくのではないかという不安。一度九条というタガがはずされれば戦争のできる国へとなし崩し的に進んでいくのではという懸念と同じです。私は人間の欲求は止まらないと考えているのです。記事の「強欲化」になるほどと思った理由です。

しかし「強欲化」についても、その言い方は「傷つける」その物言は「醜い」などの感情的な罵倒のみで、「強欲化」ではない論理的な説明はありませんでした。その物言いがなぜ「醜い」のかの説明へ論点がずらされれいます。仮に醜い物言いで1+1=2を説明したとしても、1+1=2でないことを論理的に説明してもらわないと納得できるはずはありません。

と、色々不安や納得できないことはあるのですが、「落としどころ」と言う主張に、今の日本では現実的なアイデアといえると考えを改めました。
挑発的な物言いに丁寧に付き合っていただいて感謝しています。





取り急ぎ

>「少しまとめて見ました」を読んで少し考え方が変わった(もしくは変わりつつある)。「お互いが譲り合えるぎりぎりの落としどころ」、落としどころ、という意味では現状はそうなのかもしれない。

nobuさん、
私の真意を汲んで頂き、ありがとうございます。
直前コメントでの、あなたへの評価は喜んで撤回させていただきます。

ここ数日、多忙のためきちんとお返事できてませんが、ほおずきさんへのお返事を含め、明日中ぐらいには、きちんとしたお返事を差し上げたいと思いますので、少々お待ち頂けますようお願いいたします。m(_ _)m

Looperさん、お尋ねの件ですが

穴は本人意思が明示されていない場合に、原則的に、提供意思有りと見做されることです。

これが法律として後ろ盾を得ると、制度的強要が起こります。家族の承認が必要であるという条件は単なる飾りであり、早晩形骸化すると思っています。


お待たせしました

約束より遅くなってごめんなさい。

基本的に、ほおずきさんへのお返事ですが、内容的にはnobuさんやmuchomejorさんへのお答えの一部も含んでいると思います。

まず、早雲さんの「事実の捏造」は酷すぎますが、あまりにも皆さん、誤解をベースにした議論が多いように感じています。臓器移植という治療や脳死提供のメリット・デメリットなどをまずは、正確に理解すべきだと思います。
少なくとも、
http://www.asas.or.jp/jst/pdf/fct2008.pdf
http://www.asas.or.jp/jst/pdf/Q_A.pdf
程度のことは、きちんとした議論をするなら読んでおいて欲しいと思います。
例えば、全脳死(日本での脳死)から蘇った人などいないのですよ。

>どれだけの人がドナー登録のことを知っていってそのうちどれだけの人がそれを望んで登録しているんでしょうか?

現在10%程度と言われています。ドナー登録カードは、実は提供拒否意志も表明できるのですが、ここで拒否意志を示されている方のどなたも持っていなさそうな事でも分るように、ドナーに積極的になってもいいという人が登録者のほとんどであるというのが現状です。これまで、臓器提供意思表示カード所持で亡くなった1,599名のうち、拒否にマークを入れていた人が僅か2名であったことが、現状を物語っています。
http://www.jotnw.or.jp/datafile/card.html
拒否2名,心停止後104名、脳死下1090名です。
そのうち、実際に法的脳死判定を行い、脳死で臓器提供をした事例は僅か76件です。

>かなり少ない状況なのですよね?

移植が盛んな諸外国でも、実は大して変りません。
むしろ、これだけ認知度が低い現状で、10%近くの方がドナーになること(ほとんどが脳死での提供意志)を承諾されているのは、私には驚きです。この方達の臓器がきちんと使われるようになれば、提供数も劇的に増えるでしょう。

あと、このカードをお持ちの方なら分りますが、ドナー希望でも、脳死での提供か?心臓死での提供か?また、それぞれどの臓器を提供してもいいか?の意志を明示できるようになっています。ですから、「脳死を人の死」と認めないあなた方も、心臓死後に提供する意志がおありなら、ドナーカードを持つべきなのです。しかし、あなたを含めて持っていないでしょ?

腎臓は、心停止後の臓器提供が可能な臓器ですが、もし心停止ならOKだというドナーカードでも多くの人が持っていれば、現在のように提供が少ないために、まさに健康に生きている人を危険に晒す生体間移植という脳死判断以上に苦しい選択を家族に強いる事を随分減らせると思います。

>そのことからも「意思がない」ひとの割合は多いことは憶測されます。

提供したくない人は拒否カードを持ちなさいという制度の国でも、せいぜい持っているのは2割程度です。で、残りの8割はほとんどが「意志がある」と憶測しますか?私は、それは変だと思いますが、いかがです?

そもそも、カードであらかじめ意志を示すという制度に自ら進んで参加する人など、諸外国の例をみても、せいぜい3割止まりです。運転免許の更新時に何らかの意思表示を求めるなどの事をしないと無理でしょう。

>少なくても「意思表明していない」を「意志がある」とみなすことには絶対同意できません。

私だって同意できません。同時に、「意志がない」と見なすことも正しくないと思います。
そして、どの改正案もそんなことをしようとしていない。
「意志がわからない」人の意思表示は、その人の家族がその人に代って行うということです。
人工呼吸器を付けるか?外すのか?の判断と何が違うのでしょう?

とりあえず、今日はここまでです。
続きは明日以降です。

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