愚慫空論

オープンソース


オープンソースとは、ソフトウェアの設計図にあたるソースコードを、インターネットなどを通じて無償で公開し、誰でもそのソフトウェアの改良、再配布が行なえるようにすること。また、そのようなソフトウェア。

 ソースコードがあれば、そのソフトウェアの類似品を作成したり、そのソフトウェアで利用されている技術を転用することが容易に可能なため、企業などでは自社の開発したソフトウェアのソースコードは極秘とし、他社に供与するときにはライセンス料を取ることが多い。
『オープンソースとは 【open source】 - 意味/解説/説明/定義 : IT用語辞典』より

有名なところでは、Linuxがオープンソースですね。私もLinuxを使いたいとは思っているのですが、まだまだ敷居が高い感じがして、手を出せずにいるのですが...。


ソースコードとは、要するに情報です。オープンソースとは、その情報を誰もが得ることができるということを意味しています。で、この情報は単なる情報ではない。単なる情報ではないというのはどういった意味かと言いますと、その情報を元に機械が動作するといった意味で単なる情報ではない、ということです。

本に記載されている文字や図柄なども情報です。ヒトという生物種はその情報を元に様々な動作を起こしますが、誰もが知っているとおり、ヒトという存在は合理的なものではありません。同じ情報を入力すれば同じ行動を起こすとは限らない。当たり前の話です。しかし、ソースコードという情報は違います。ソースコードをコンピュータという機械に入力してやると、同じ情報であるなら必ず同じ動作をする。これも当たり前の話で、ソースコードもコンピュータも人間が創造したものであり、人間がそのように作ったのだから、同じ情報入力に対しては同じように動作をする。そうでなければ機械の故障です。

こんな当たり前の話をして何を言いたいのかといいますと、人間社会を動かす情報、それも社会を〈システム〉と〈生活世界〉に区分けしたときに、〈システム〉を動かす情報を伝達するSystemは、オープンソースであるべきだろう、と言いたいのです。オープンソースであれば、それなりの技術は必要ですが、技術を習得すれば誰もがSystemの動作を検証することができる。改良できる、といった利点は二の次だと私は思う。もちろんドンドン改良を進めるのは良いことだけれども、〈システム〉を駆動させるsystemの場合、安定性が第一でしょうから、改良の可能性よりも可視性が大切でしょう。オープンソースは可視性をもたらし、誰もが検証できるということは信頼に繋がります。

ここまでの話もごく当たり前の話だと思います。けれど、不思議なことに当たり前の話が実践されるかというとそうではない。可視化というと思い起こされるのは警察・検察の取り調べの可視化で、ネットの世界では良心的な個人が可視化に賛同し可視化に反対する政府を批判していますが、可視化できるにも関わらず多くの人が反対を表明していることもあります。電子投票などがその典型例でしょう。

良心的個人が電子投票に反対する理由は、電子投票の不可視性にあります。権力者などが自分たちに有利なように有権者の投票を書き換えることができるという。確かにその可能性はあります。が、そうした恣意的操作が可能なのも、電子投票を制御するsystemのソースコードが恣意的操作が可能なように書かれているからでしょう。systemがみずからの判断で恣意的操作を受け入れるなどといったことはあり得ません。ならばオープンソースでソースコードを可視化しさえすれば、恣意的操作可能はソースコードは発見され、排除されることになるはずです。

可視化された電子投票systemは、原理的に可能なはずです。原理的に可能であるならば、導入は検討に値すると思います。それとも、私のオープンソースとコンピュータシステムへの理解が根本的に誤っているのでしょうか? 



私がオープンソースsystemを採用すべきと考えるのは、他にもあります。こちらは電子投票よりももっと大規模でかつ日常的な〈システム〉、すならち貨幣経済という〈システム〉。これにオープンソースsystemを採用すべきです。

先週の報道で、日経平均株価が一万円を超えたというものがありました。また世界経済が安定化に向かっているといったアナウンスもされています。しかし一方で、物価は急激に下落しデフレが懸念されているといった報道もある。実体経済はデフレで弱体化しているのに金融経済の指数が上昇している。これは結局のところバブルなのでしょう。金融危機で破裂したバブルの穴を各国政府が経済対策と称してカネをバラ撒くことで埋めあわせし、またカネ余りが起きている。行き所のなくなったカネが再び株式市場や原油などへ流入して価格を上昇させている。そして囁かれているのが貨幣価値の崩壊です。

貨幣価値が崩壊するというのは、貨幣の「垂直性」が失われてしまうということです。貨幣とは人々がなんとなく信用できると考えているから貨幣として機能するという、実態がよく分からないものですが、オープンソースsystemで貨幣の実態が常に可視化されることになれば、貨幣が必要とされる特性は信用から信頼へと変質します。検証はできなくても信じるのが信用であるならば、誰もが検証できるが故に信じられるのが信頼。オープンソースsystemは貨幣を信頼できるものにすることが可能なはずです。オープンソースsystemにおける貨幣は、その「垂直性」が「水平性」によって担保された貨幣ということができるでしょう。そして「水平性」を担保するのは人間の理性です。

「垂直性」が人間理性の「水平性」によって担保されるという構造は、これは自然科学と同型の構造です。人間が発明したsystemは、人間が営む社会の〈システム〉を自然科学と同型の構造へと進化させることを可能にした。私はそんなふうに考えていますし、その考えに誤りがないのであるのなら、科学と同型の〈システム〉を実現する方向へ向かうべきだと主張します。

コメント

鍵コメさん、ようこそ。

私は可視性は誰もが直接確認できるものである必要はないと考えます。

たとえばDNA鑑定です。先日、DNA鑑定が重大な結果をもたらした「事件」がありましたが、もし可視性が誰もが直接確認できるものでなければならないとしたら、DNA鑑定なるものも採用できないということになる。もしくは裁判官はDNA鑑定の技術を習得しなければならなくなる。しかし、誰もそんなことは考えないわけです。選挙の開票だけ誰もが可視化できなければならないという理由はないと思います。

ただし、今すぐの電子投票導入には反対です。原理的に可能なら、導入の方向で様々な可能性を見当してみるべきだと考えているだけです。

電子投票

>良心的個人が電子投票に反対する理由は、電子投票の不可視性にあります。
そうでしょうか?
まず、権力者側に関して考えると、リスクが大きて、不正のメリットと見合わないでしょう。特に電子投票システムみたいに巨大な開発では、開発や実装に携わる人が多すぎて、不正が漏れやすくなり、リスクの大きさが計り知れないことは誰の目にも明らかでしょう。

また個人がこのようなシステムに反対する理由は、どちらかというと国民の背番号化につながるからだと私は思っていましたが…。

ただ国民背番号化は、効率面のメリットが非常に高いので、いずれ実現するだろうなとは思います。その時点で電子投票も実現のめどがたつように思います。

オープンソース

あとオープンソースについてですが、公共設備にオープンソースを入れることは、コストメリットや業者選定の公平性の観点で有益ですから、別に反対しませんが、普通はインプリメントする業者がソースの書き換えもやりますから(オープンソースは書き換えて使うことがほとんど前提となってる。だからリスクはユーザーもしくは業者もち)、結局ここで言われるような可視化は無理だし、そもそも導入後もソース丸見えだったらかえって怖いです。

貨幣価値のオープン化ってのは、それは資本主義なんでしょうか?
>貨幣とは人々がなんとなく信用できると考えているから貨幣として機能するという、実態がよく分からないもの
信用がそもそもそういうものです。

オープンソースのROM化

aliceさん、ようこそ。

普通はインプリメントする業者がソースの書き換えもやりますから(オープンソースは書き換えて使うことがほとんど前提となってる。だからリスクはユーザーもしくは業者もち)、結局ここで言われるような可視化は無理だし、そもそも導入後もソース丸見えだったらかえって怖いです。

常に書き換え可能なら、そういったことになりますね。また公共のsystemにリスクはユーザー持ちというのもマズイ。

改良できる、といった利点は二の次だと私は思う。もちろんドンドン改良を進めるのは良いことだけれども、〈システム〉を駆動させるsystemの場合、安定性が第一でしょうから、改良の可能性よりも可視性が大切でしょう。

以上のように本文中には書きましたが、そういった意味です。

また、オープンソースという言葉には、2つの意味が混じっていますよね? ひとつは可視化。誰でもソースコードを見ることができる。ここで取り上げているのはこちらの意味ですね。そしてもうひとつはaliceさんが指摘された可変性。つまり、だれでも書き換えることができる。しかしこの可変性は公共のsystemとしては具合が良くないわけです。

ならば、可視性だけに特化したオープンソースは考えられないか? と思うわけです。ソースをROM化して、誰でも閲覧できるが簡単に書き換えは出来ない。そういったことは可能だと思うのですがどうでしょう? 可変性はある程度制限した上で可視性を高め、可視性から発見された不具合は民主主義的な手続きを経て改良される。公共のsystemにはそうした手順が必要だと思います。

信用がそもそもそういうものです。

ええ、ですからそれが具合が悪いと考えているわけで。

ここでいうユーザーとは、官庁のことです。それは瑣末なことなのでおいといて…。

私も可視化のことしか問題にしていません。それには大きなリスクがあること、そのリスクを上回るメリットがまったく考えられないということを書いた次第です。

ちなみに、どんなシステムであれ、プログラムを書き換え可能なまま公開するわけはないでしょう。そんな話は私はまったくしていません。問題は、ただ見せるだけでもリスクが相当大きいということです。

aliceさん

申し訳ありませんが、上のコメントでのaliceさんの論旨がよく分かりません。

書き可視化そのもののリスクはあるあることは理解できます。しかし、可視化にメリットがないという主張がよくわかりません。換え不能で可視化した場合、そのメリットは不正を検証できることだと思いますし、それは民主主義の社会では必要なことだと考えますが...。

また、もし電子投票と国民総背番号性とが不可分と考えた上でのことでしたら、それは違うと思います。在宅電子投票でしたら有権者全員にIDが必要となるでしょうが、投票所へ出向いての投票でしたら、特にIDは必要ないかと。

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