愚慫空論

〈卵システム〉

今、村上春樹の『1Q84』が大人気なのだそうですね。品切れが続出なのだとか。

いえ、『1Q84』について書きたいわけではありません。読んでいませんので。他に読むべき本はたくさんあるし、余り関心もないし。ではなぜ村上春樹なのかというと、「卵」「システム」で村上春樹を連想したので。ほら、エルサレムでの講演で「卵と壁」というのがあったじゃないですか。あの講演のなかで「壁」は「システム」でした。そこから〈卵システム〉と言葉を出したときに、村上春樹が連想された。ただそれだけの話で、〈卵システム〉に村上春樹は関係ありません。



しのびよる破局―生体の悲鳴が聞こえるかしのびよる破局
―生体の悲鳴が聞こえるか

辺見 庸
ですが〈卵システム〉の言葉は、何の脈絡もなしに出てきたわけではない。脈絡はあるのです。その脈絡が辺見庸です。辺見庸の『しのびよる破局』を読んでいて、ちょっと違うぞ? という部分を考えていたら〈卵システム〉という言葉が出てきた、ということなんです。

『しのびよる破局』はよい本です。是非とも読んでもらいたいと思います。「生体」の悲鳴が良く聞こえてくる内容です。「生体」とは、村上春樹流の表現だと「卵」であり、私たちひとり一人のことで、「生体」に悲鳴をあげさせているのは〈システム〉。この本は、辺見庸の「卵と壁」でもあるんです。

では、この本の内容のどこがちょっと違うのか? それは二項対立の部分です。つまり「卵」vs「壁」という対立構造です。『しのびよる破局』のなかでこの対立構造は、「ペスト」という伝染病によって象徴されています。フランスの作家カミュの作品に『ペスト』というのがあって、それが『しのびよる破局』の縦糸を為している。辺見庸は明らかに言明はしていませんけれども、〈システム〉をペストによってもたらされる絶対悪のイメージで見ているのですね。でも、私はそれはちょっと違うぞ、と思う。

〈システム〉は絶対悪ではありません。私たちは〈システム〉に縛れていますけれども、一方で様々なものを享受もしている。便利で豊かな日々の暮らしは〈システム〉なしでは考えられない。私は民主主義が人類進歩の成果だといったものの見方には立ちませんけれども、人権といった概念が出来上がり、曲がりなりにも守られようとする機運が生まれるのも〈システム〉があればこそ。また一方で人権を踏みにじるのも〈システム〉ではある。〈システム〉は卵をたたき壊す壁であると同時に卵を庇護する者でもある。そうした〈システム〉の特性はペストでは見えてこないと思ったのです。

〈卵システム〉は、ペストでは見えてこない〈システム〉の特性を表現しようとするものです。実はこれ、コメント欄で一度書いたのですが、整理してもう一度書いてみます。

卵という食品があります。卵は
1.完全食品と呼ばれるほど良質な食品です。人間に必要なさまざま栄養素がバランス良く含まれているので、健全な食生活をおくるために有効な素材となる。けれども
2.一部卵にアレルギーを持つ人いて、
3.また余り食べ過ぎるとコレステロールが高くなり過ぎるという特性がある(これは必ずしも正しくないというのが最近の見解らしいですが、ここでは卵=高コレステロールという仮説を採用します)。

〈卵システム〉とは、以上のような卵の性質に基づいて、卵という食品を中心に組み立てた人間の食生活だと考えます。つまり毎日毎食卵を食べると思ってください。するとどうなるか、ということなのです。

卵は栄養豊かでしかも美味しく、料理への応用も広くきく。しかも安価です。〈卵システム〉は多くの人に栄養豊かな美味な食生活を提供した。卵は人々によって欠くべからざる食品になった。しかし食生活が卵中心になるにつれ、卵アレルギーを発症する人の数も増えてきた。この卵アレルギーが、現代社会でいうところのカルトです。また〈卵システム〉は、カルトよりももっと大きな悪影響をもたらし始めた。すなわち高コレステロールな食生活によって成人病が蔓延することになった。そして生体が悲鳴をあげはじめた――。

〈システム〉が壁と化していったのは、高コレステロールによる動脈硬化のような現象のようなものでしょう。また先の金融危機を、動脈硬化から発祥した狭心症の発作だ、と言えるかもしれません。狭心症の発作を抑えるのはニトログリセリンを服用するのですが、これが緊急経済対策でしょう。そして世の中にニトログリセリンが大量に出回るが、ニトログリセリンはご存知の通り、大変な破壊力を秘めた爆発物――ちょっと想像が行き過ぎですか?(笑)。

行き過ぎを承知で続けますと、ニトログリセリンは狭心症発作を抑えるのには効果はありますが、対症療法でしかありません。対症療法で症状を抑えるだけではいずれ狭心症は心筋梗塞へ進行する。心筋梗塞になってしまえば、死は目前です。

その進行を食い止めるには、〈卵システム〉は止めなければならないのです。しかし、もはや卵なしの食生活は考えられない。卵を食べないのなら何を食べるのか? 昔のようにコメやムギを食べろと言うのか!――と、そのようなことを仰るのがたとえば経済学者とか。やっぱり行き過ぎですね(笑)

さて、どうまとめて良いか分からなくなってきたので、このバナーを貼っておきます。
hinky
私は反貧困の運動を支持する者ではありますけれども、同時に反貧困の運動のあり方にちょっと違うぞ? と感じる人間でもあります。それは辺見庸に感じる者と同等のものでもあります。

反貧困は、つまるところ私たちにも卵を寄こせ! と言っているだけ。卵の他の食べ物を探求してみようという気概は余り感じられないのです。それではたとえ貧困から解消されたとしても、動脈硬化から心筋梗塞へ進行していく病からは逃れることはできません。卵を食べることが出来ずに死ぬか、卵を食べて病で死ぬか、どちらかなのです。

宮台真司は「普遍主義の不可能性と不可避性」だとかいいますけれども、これも結局は卵を食べずに死ぬか、食べて死ぬかを難しく言ってみただけのような気がします。

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