愚慫空論

自民・民主が目指す二大政党制には明確に反対です

当エントリーは村野瀬さんのエントリーを受けて書いています。

『議員定数はやはり減らしてはいけない(海舌さんと愚樵さんの記事を読んで、議員定数の話とそれ以外の話は分けて論じたいと言う願いも込めて)』(村野瀬玲奈の秘書課広報室)

エントリーの中身の主な部分は村野瀬さんへの反論です。といってケンカをしたいわけではないので、まずは村野瀬さんの意を汲んで――いや、汲んだことになるのかどうかはわかりませんが――タイトルは『自民・民主が目指す二大政党制には明確に反対です』としました。このことはいままで明確に主張してこなかったことが村野瀬さんのいうミスリードになるのだろうと思いますので、ここで明確にしておきます。


改めて書きますが、私は小選挙区制による二大政党制には反対ですし、比例代表制にも反対です。いずれの制度も「政党が前提」だからです。このことは『政治家を増やせ』のエントリーで主張しました。政治を志す無力な一市民にとっては、政党もまた既得権益だと考えるからです。政党が存在することを必ずしも否定するわけではありませんが、政治の基本はあくまで個人にあるというのが基本的な考えです。民意を受け選出された議員がそれぞれ独自に議会活動を展開して結果、議会の意見が集約されていく。国民はその意見に従う。これが民主主義の正しいあり方だろうと考えるわけです。

議会における意見集約の過程のなかで政党が機能することはよいでしょう。しかし、政党がその過程を支配してはいけません。比例代表制という制度は、もとより政党がその過程を支配とはいわないまでも、主導することが前提の制度です。個の議員に主導権があるという考えからすれば、まだ小選挙区制の方がよい制度です。比例代表の方が民意を死票が少なく民意を反映するといいますが、その民意の選択肢は非常に限らたものになってしまう。選択肢が限られることに留意しないで民意を反映させるも何もないのです。

選択肢の少なさは、我々有権者の投票行動に影響しています。つまり、外交政策は自民党がよいが社会福祉政策は共産党がよいとなった場合など。こうしたケースは常に存在するはずですが、私たちが選択できるのは自民党か共産党かだけです。もし自民党を選択したとするなら、社会福祉政策には表に現れる投票行動としては表れてはいないものの、潜在的には死票を投じたのと同じことになる。潜在的な死票に着目せず、表の死票だけを論じても意味がない。「政党が前提」の選挙制度は、潜在的死票を多く生む制度です。

政党批判と選挙制度の問題は、かように切り離して議論することが出来ないことです。それは議員定数問題でも同様です。議員の役割は民意を反映させると同時に民意の削減を行うことでもある。民意の削減とはつまり政策の決定です。選挙もまた民意の反映であると同時に民意の削減です。議員定数は民意の反映と削減のバランスで決定されるべきですが 、そのとき鍵になるのが議員の質の問題になる。私は政党制が議員の質を貶めていると繰り返し指摘しています。そして議員の質が高まれば議員の量を削減できるのは自明です。議員の質が高まるということは議員個人の民意反映能力が高いということであり、また議員の数が少ないということは政策決定=民意の削減が効率的に行えるということでもある。政党批判、選挙制度、議員定数問題、これらは一体として論じなければ意味がないのです。

(ついでに申し上げておきますが、『政治家の数を増やせ』のエントリーおよびその補足としての『議員定数は削減すべき』は、議員定数を増やすことではない民意反映方法の探求でもあります。落選した議員を政治家だと認めることは、落選した議員に投じられた民意を切り捨てずに、次回以降の選挙でのさらなる反映の可能性を助成するものです。そしてもうひとつ、私は議員定数削減に賛成ですが、議員を支えるスタッフは大幅に増やすべきだと考えています。このことは、議員の議会活動の質を高めるのに大いに寄与すると思われるからです。)

村野瀬さんは、マスコミの恣意的なリードに対しての影響を懸念されています。その指摘に頷くべきところはあるは思います。しかしながら過度の配慮は逆効果でしょう。私は他の人をリードしたいと思ってエントリーを挙げているわけではありませんが、もしリードすると願うならば、自分で考え自分の言葉で意見を表明することをリードしたいのであって、反マスコミをリードしたいのではない。そして自分で考え自分の言葉で意見を表明するならば、一体で論ずべき問題を切り離して論ずることの方がミスリードに繋がる。ですので、残念ながら村野瀬さんの要望は受け入れられないとお答えするほかありません。

とはいえ、私も自分の意見表明のあり方が万全で批判の余地のないものだとは決して思っていませんから、批判・要望は大いに歓迎です。建設的な議論は望むところであります。私としても、みずからの考えを表明することのみに囚われていた嫌いはあると思います。もっとも対してアクセスもない零細ブログでは、他の人をリードするなどといったことは考えられもしないことですが(笑)。

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