愚慫空論

貨幣の「垂直性」

今回は貨幣、つまりおカネの話です。貨幣の「垂直性」について考えたいと思います。

貨幣の「垂直性」とは? 出所はこちらです。

『貨幣のガウス平面による理解⇒紙幣価値崩壊と硬貨価値高騰の説明』
    (Theories for the Platonic Synergy Concept.)

一、貨幣構造の垂直性と水平性

 貨幣は、交換手段としての「水平性」「非同一性」と、権威・権力・物質価値による独占性・特異性・超越性を基礎にする権力関係としての「垂直性」を持っている。



貨幣は、人々に信用され流通することで貨幣として機能します。『言葉と他者』のエントリーで少し触れましたが、貨幣は言葉と同じく共有を前提とする道具です。人々が“これがおカネだ”と信用されさえすればよい。ただ貨幣の場合には、貨幣を信用できるものとして思い込むための根拠、つまり権威性が必要だと考えられていて、貨幣の「垂直性」とはその権威性のことです。

今日では、貨幣の「垂直性」は国家の権威性と同義と言ってよいでしょう。多くの国では紙幣を発行しているのは中央銀行、日本の場合は日本銀行ですが、日本銀行券はそのまま日本国の信用であるというのが一般の捉え方でしょう。偽札を作れば罰せられますが、日銀が偽札犯を民事で訴えるなんてことはなくて、刑法犯として処罰される。日銀券の信用は国家が直接担保しているわけです。

国家が貨幣の信用を直接担保する今日の制度は管理通貨制度と呼ばれます。それ以前は金本位制や銀本位制が採用されていました。これは貨幣価値の担保を金や銀の貴金属に求めたもので、紙幣とは金や銀との交感が保証されている証書=兌換紙幣でした。さらにそれより遡ると、貴金属を鋳造して金貨や銀貨などの形に変えて流通させせるのが一般的でした。

これらの貨幣は、要するに現金です。しかし、貨幣には現金以外のかたちもあります。私も一応銀行に預金口座なるものを持っていますけれども、銀行に口座を作ると預金通帳なるものを発行してくれて、この通帳には預金残高が記されている。この残高=情報も貨幣です。生活に必要な電気・水道・ガスなどの公共料金の支払いをはじめとして、月々の様々な支払いを銀行振り込みで済ませていますが、銀行振り込みではいちいち貨幣情報を物質的な現金と交換して決済をする、といったような手続きは踏みません。電気料金なら、私の口座にある残高の情報と電力会社の口座の情報との間で情報交換が行われるだけ。つまり貨幣の本質は情報であるわけなのですが、こんなことは何も改まって強調する必要のない現代の常識でありましょう。

貨幣の本質が情報だとすると、ここで働くのは情報の原理=共有です。海舌さんの表現を借りれば「水平性」になります。情報が共有される場では「垂直性」は元来必要ない。しかし、貨幣はその本質が情報であるにもかかわらず「垂直性」が必要とされる。この理由は、〔貨幣情報の伝達範囲<貨幣による経済流通範囲〕だったからです。情報伝達範囲と経済流通範囲のギャップが「垂直性」の必要を生んだわけです。

(ここでいう「貨幣情報」の表現が曖昧ですので、注記しておきます。ここでいう貨幣情報とは、個々人の貨幣所持残高、取引決済記録のことを指しています。通常の感覚では、紙幣や硬貨などの現金を貨幣情報の物質的表象、あるいは預金通帳にの残高記載を貨幣情報と捉えられるでしょうが、ここではその意味ではありません。そちらの意味での「貨幣情報」ですと、つねに〔貨幣情報の伝達範囲=貨幣による経済流通範囲〕となります。)



簡単なモデルで考えてみます。PとQの2人だけが住む経済世界で、PとQは最初にそれぞれ100円ずつの貨幣を所持しているとします。つまりこの世界の貨幣量は200円です。そして、2人はこの世界で貨幣による財・サービスの交換を行います。

まず、PがQからある財を5円で購入するとしましょう。通常の決済ですと、PはQから5円の価格の財を受け取るのと交換に5円分の貨幣を渡すことになる。しかしこの世界では、紙幣や硬貨など貨幣としての情報を体現する現金は必要ありません。通帳さえあればよいのです。

最初、PとQの通帳にはそれぞれ100円という情報の記述があります。Pが5円でQから財を購入し、その決済が行われるとP、Q100円ずつという情報は抹消、Pの通帳には95円、Qの通帳には105円という情報がそれぞれ記載される。この情報処理で決済は終了です。現金交換の必要はありません。

PとQの二人だけの経済世界では〔貨幣情報の伝達範囲=貨幣による経済流通範囲〕です。Pは自分の通帳を見ることでQの通帳に記載されているはずの情報を知ることが出来る。こうした世界では、相手に知られることなしに情報を偽造することは出来ません。例えばPが95円しかないはずの通帳残高を100円と書き換えたとしましょう。5円ゴマカシたわけです。しかしこのゴマカシはなんの意味もありません。もし、Pが95円を遣いきってQの残高が200円になったとしましょう。そこでPが私の通帳にはまだ5円の残高が残っていると主張しても、Qは受け入れるはずがない。2人だけの経済世界では、その健全性は自ずから保たれることになります。

次にプレーヤーを1人増やしてP,Q,Rの3人の経済世界を考えてみます。初期残高は同じく100円ずつで貨幣量は300円。たった1人増やしただけで〔情報伝達範囲<経済流通範囲〕となってしまう。このことを具体的に見てみます。

PがQから5円で財を購入、各々の通帳で情報処理が行われて決済が終了します。そして、Pが95円しかないはずの残高を100円だと書き換える。この5円のゴマカシはプレーヤーが3人となっただけで意味を持つことになってしまう。

Pが95円の残高を遣いきります。本来だとPの通帳の残高は0のはずですが、ゴマカシが行われたPの通帳にはまだ5円の残高が記載されてある。この時点でQの通帳残高は175円、Rは125円だとしましょう。Qにわかるのは、P+Rが125円、RにわかるのはP+Qが175円ということだけですから、Pがまだ5円所持していると主張したとしても、そのゴマカシを見破ることは不可能です。Pがいまだ5円所持している可能性はQとRには否定できないのです。

こうしたゴマカシの可能性を排除するには原理的には2つの方法があります。

1つは〔情報伝達範囲=経済流通範囲〕としてしまうこと。3人の通帳と取引記録を常に開示しておく、すなわち情報を共有する。こうすれば2人だけの世界と同様になって、P、Q、Rいずれもゴマカシはできないことになり、経済世界は正常な状態に保たれます。

もうひとつは伝達範囲と流通範囲のギャップを「垂直性」で埋めるという選択肢です。ここで必要となってくるのが権威性をもった貨幣。3人の経済世界では300円の「垂直性貨幣」を流通させることで問題は解決します。もし仮に貨幣の偽造、つまり「垂直性」を侵犯するものがいたとしたら、国家など権威性を持つ組織によって処罰されることになる。 こちらの選択肢では、経済世界の健全性は「垂直性」に寄りかからなければ不可能なのです。



ここで現実の経済世界に視点を移してみます。現実の経済世界では、有史以降現在に至るまで〔貨幣情報の伝達範囲=貨幣による経済流通範囲〕となったことはありません。なので貨幣には「垂直性」が必要とされてきました。金や銀の希少性に頼った貨幣、国家の権威性に依拠する貨幣が経済の健全性を保つためには不可欠でした。

しかし、現代はIT革命により情報の伝達力が飛躍的に向上している時代です。しかも流通している貨幣の大部分は、貨幣の「垂直性」が物質的に表象された現金ではなく、貨幣の本質である情報そのもののかたちで流通している。特に今日では貨幣情報はデジタル化されて、大量の貨幣が一瞬のうちに全世界を駆け巡ることが出来る金融システムが出来上がっています。経済のグローバル化も、「金融システム」があればこそ可能だったといってよいでしょう。

この「金融システム」は、一面では投機的な資金の流れを加速させて世界経済の不均衡を助長する役割を果たしてきた。これは、「金融システム」は主に資産家のための道具として使われてきたというになるわけですが、この「システム」は資産家だけしか使えないといった性質のものではありません。条件さえ整えば誰でもが使うことができる「システム」です。ということは、「金融システム」は貨幣情報の伝達範囲を大きく押し広げることができる可能性を秘めている、ということです。つまり〔情報伝達範囲=経済流通範囲〕に到達できる可能性がある。貨幣の「垂直性」に依存なしに、健全な経済を組み立てることができるということになるのです。

貨幣の「垂直性」なしに貨幣の「水平性」のみで経済を組み立てるとどういったことになるのか? 確たることは何も言えません。こうした経済がもし人類史上にあったとすれば、それはおそらく有史以前の、貨幣の歴史の出発点でのことだったでしょう。石や貝殻のような原始貨幣(自然貨幣)が共同体のなかで使用されていた状況です。原始貨幣に「垂直性」があったとは考えにくいですし、また原始的な共同体では共同体内の情報は共同体全員が共有していたでしょうから、貨幣は「水平性」だけで十分に機能を果たすことができたはず。貨幣の「垂直性」は、おそらく歴史と共に始まっているのでしょう。社会に権威性が生れるからこそ歴史も生まれ、また貨幣も権威性を帯びた存在になっていく。つまり、記録としては「水平性」のみの経済の記録は残っていないでしょうし、また残ってあったとしてもあまり参考になるとは考えにくい。原始的な共同体内の経済と現代の地球規模のグローバルな経済とでは、規模の大きさが違いすぎます。

確たることは言えないとはいいつつも、それでは話が続きませんからいろいろと「水平性」で大規模な経済について考えてみたいと思っているのですが、主要な所は次回以降のエントリーに譲るとして、ここでは間違いなく言えることにだけ触れておきます。それは、貨幣に「垂直性」がなくなると、個々人の貨幣に関する情報のプライバシーはなくなってしまう、ということです。貨幣情報をオープンにすることなしに、「水平性」のみで健全な経済運営をできる可能性はありません。プライバシーの撤廃は必須条件です。このことは、現代的な感覚からすれば大きな欠点と捉えられるでしょう。この欠点を補って余りあるだけの長所がなければ、たとえ技術の進歩でそれが可能となったとしても、「垂直性」を敢えて撤廃する必要はないということになります。

続きのエントリーでは、「水平性」のみの貨幣経済の可能性とその長所について考えてみたいと思います。

コメント

感謝

御紹介とトラックバック、コメント、ありがとうございます。
次で、若干の考察を進めましたが、
http://blog.kaisetsu.org/?eid=739166

愚樵氏の今後の論の展開を楽しみにして、また、自分なりにも考察を継続したいと思います。
大変、敬意を以って拝見しました。
草々

海舌さん

コメントありがとうございます。

海舌さんの新たな考察、拝見いたしました。また応用編も
http://blog.kaisetsu.org/?eid=739434
拝見させていただきました。

正直申し上げまして、ガウス平面上での考察は私の理解力では手に余ってしまいますが、直観的にはわかるような気がします。

その「直観」からしますと、「水平性」のみの貨幣はありえないだろうということになりそうですが、とにかくまず現在の方向性で思索を進めてみて、しかるのちに「直観」を頼りに思索の転回をはかりたいと思います。

水平性のみの貨幣、ありえます。

当初、海舌も、水平性のみの貨幣に少し疑問を持っていましたが、愚樵氏の論考を参考に沈思黙考、在りうるという方向に向かっています。
このことは、また、海舌ブログで、少し前に進めてみます。

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事へのトラックバックURL
http://gushou.blog51.fc2.com/tb.php/239-281d6215

貨幣の垂直性と水平性についての考察

この項は、 愚樵氏の次の極めて明瞭な考察によって、着想を得たものである。 なお、現時点で、愚樵氏の考察も続行中であり、本来、その考察の終了を待って、考察を開始するものであるが、頗る、PS理論の進展が期待できると思われ、取り合えず、論を進めて行きたい。 こ...

強力な支配者(恐竜)を一撃で撃ち落とす道具→共役複素数

この項は、愚樵氏のブログの次のコメントからの推論です。 貨幣の「垂直性」 2009-05-17 コメント 感謝 御紹介とトラックバック、コメント、ありがとうございます。 次で、若干の考察を進めましたが、 http://blog.kaisetsu.org/?eid=739166 愚樵氏の今

有馬記念予想情報が流出

会員制競馬情報サイトの有馬記念予想が流出

実物大!エヴァ初号機 富士北麓に出現

エヴァゲリオン実物大初号機建造計画発覚!

 | HOME | 

 
プロフィール

愚慫

Author:愚慫
“愚樵”改め“愚慫”と名乗ることにしました。

「空論」は相変わらずです (^_^)

      

最近の記事+コメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

QRコード
QRコード