愚慫空論

環境消費権 ~ 生存権か財産権か

今回は前エントリーで提出した「環境消費権」について考えてみます。

環境消費権とは、読んで字のごとく環境を消費することができる権利です。“環境を消費する”という言い回しは一般的なものではありませんが、難解なものでもないでしょう。簡単にイメージできると思います。

人間は、誰もが環境を消費することで生きている。いえ、環境を消費するのは人間だけでなく動植物すべて同じですが、特に人間は“文化的な生活”を営むために他の動植物と比べてより多くの環境を消費している。このあたりも常識と言ってよいでしょう。

前エントリーで私はこの環境消費権を、日本国憲法では25条に規定されている生存権と結びつけて考えましたが、この考えも特別なものではないと思います。人間が環境を消費せずには生存できない存在である以上、環境消費権=生存権としても間違いではないはずです。 ところでこの環境消費権という言葉ですが、これはどうも私の造語になるようです。“環境消費権”で検索してみても、この言葉そのままで引っかかるのは私のエントリーだけ“環境を消費”で検索するといくつも出てくるので、環境消費権という言葉もすでにあって良さそうなものですが...。不思議です。

では、環境消費権と似たような語義の言葉がないかというと、そんなことはない。よく知られた言葉があります。それは「排出権」という言葉です。

“排出権”で検索すると、トップに出てくるのが「排出量取引」です。排出するのはご存知の通り二酸化炭素(温室効果ガス)。地球が温暖化していてその主犯が人類が大量に排出する二酸化炭素だという説は、現在広く流布していて、その真偽はともかくも、とにかく二酸化炭素が環境を悪化させる、つまり二酸化炭素を発生させることは環境を消費するという認識があるから、排出権という概念が成立している。温室効果ガス排出権は、間違いなく環境消費権の一形態です。

ところがしかし、一般の捉え方では排出権は個々人の生存権のカテゴリーに属しません。最近では個人も排出権取引に参加できる仕組みが出来ているようではありますが、基本的に取引の主体は企業です。企業が取引するということは、これはビジネスということ。つまり排出権は、財産権のカテゴリーに属する概念になってしまっているということです。

経済格差の問題が先鋭化している現在、生存権と財産権は、互いに相克する概念になってしまっています。財産権を基盤とした自由な経済活動が、経済弱者の生存権を侵害する事態となってしまっている。先進国とされ豊かなはずの日本社会のなかでの貧困は、社会の生産性が乏しいから生まれるのではなくて、富の分配の方法が偏ってしまっていることによって生じている。その鍵になるのが財産権という概念です。

これが環境の分野では、生存権が財産権によって侵害されているどころの事態ではありません。本来は生存権のカテゴリーであるはずの環境消費権が、財産権のカテゴリーにすり替わってしまっている。これは大変恐ろしい事態を招きかねない状況です。自然環境すら一部の人間が専有可能な財産として捉えられると、どうなるか? 容易に想像がつくと思います。

上で私は、環境消費権という言葉がいままでないことを不思議だと言いました。しかし、これはもしかしたら不思議でもなんでもないのかもしれません。“歴史上における様々な思想はその時々の支配階級の思想である”といったのはマルクスですが、このマルクスの言葉が正しいとするなら、環境消費権が財産権と位置づけるのは、まさに支配者の思想でしょう。

コメント

嗚呼!あこがれのお金持ち

おこんばんわ。コメント、TBいただきっぱなしですみません。あとで、じっくり考えることにして、かるーく思いのほどを。

このエントリはとても具体的で、よくわかりました。生存権と財産権というのは、ブルジョア社会のコアで相克するものであります。

資本主義は触れるものすべてを”金”にかえる社会です。地縁、血縁、その他ありとあらゆる人と人をつなぐ絆を切断し、”金”の鎖でつなぎかえます。

憲法のコアは、基本的人権の尊重でも、主権在民でもなく、財産権の保護であり、前者は対立的に表現されうるものであります。

最後に、尊氏の生のお言葉は「支配階級の思想が、どの時代においても、支配的な思想である。すなわち社会の支配的な物質的威力である階級が、同時に、その社会の支配的な精神的威力である。物質的な生産のための手段を手中に収める階級は、そのことによって、同時に精神的な生産の手段をも意のままにする。それゆえ、そのことによって同時にまた、精神的な生産の手段をもたない人々の思想は、概して、この階級に従属させられている。支配的な思想とは、支配的な物質的諸関係の観念的な表現、支配的な物質的諸関係が思想として捉えられたものに他ならない」(ドイツイデオロギーより)

ルールはお金持ちが作る、社長の考えは社員の思想となる。そして、貧乏人は金持ちにあこがれ、社員は社長をめざす。これが「正義」、それが「素晴らしき世界」、ブルジョア社会の「健全」なありかた。現代は括弧付き「病」んでますね。

書きっぱなしにて、失礼m(_ _)m。 来週再開予定です。

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