愚慫空論

教育の中に潜む格差

田舎で生活していてつくづく感じるのが、時間の流れの遅さ、である。
テレビ・ラジオ等のマス・メディアさらにはインターネットのおかげで「情報」というごく限定された情報については、田舎暮らしであっても都会並みに時間の流れの速さを感じることができる。が、そのことが逆にまた、技術を介せずにわが身の感覚から直接入ってくる情報との違いを際立たせ、余計に田舎での時間の流れの遅さを感じさせるのである。

今回は何をテーマに取り上げたいかというと、タイトルにも挙げたように、「格差」である。なかでも教育格差。

子供の教育格差がいま、問題にされている。自由競争を是とする社会になり、親の経済格差が子の教育格差となってしまいつつある。この格差が未来を担う子供たちから与えられるべき機会を奪い、ひいては国・社会の未来を危うくする。教育格差問題はこうした構図で語られているように思う。
だが、時間の流れの違う田舎にいると見え方がかなり違ってくる。というのも、田舎ではいまだ、教育格差が解消された(と思われた)時代の、そのもう一つ前の格差が厳として横たわっていた時代の構造を引きずっているからだ。都会では時間の流れ時代の流れによってとうに押し流されてしまった構造が、田舎では未だに生き残っている(それも最早、消滅しつつあるが)。
私が現在働いている木材伐出の現場は、たいてい6~8人程度のチームで作業にあたる。チームの年齢構成はバラバラで、年金支給年齢に達した人から二十歳前後の若者までバラエティに富んでいるわけだが、ショウヤと呼ばれるチームの責任者はすべてベテラン作業員である。
このことには年功序列的な側面が多少はある。だが、他の地方は知らないが、少なくとも私が暮らす地方においては林業業界はむしろ古くから能力主義で、実際現場作業員の賃金体系はずっと以前から能力給である。各個人の能力の応じて日当が支払われるというのが慣例となっている。

個人には能力差がある。これはどうにもならない現実らしい。もちろん能力といっても様々な方向性があるから、今の世の中のように金の稼ぎに繋がる能力のみを評価してその差異を強調するような社会は異常であると思うが、それはそれ、能力差があるという現実とは別の次元の話だ。能力差があるという現実は、田舎でも都会でも、同じである。ただ、田舎にまだかろうじて生き残っている地域共同体、ないしは地域共同体を育む精神を汲む組織には、そうした能力差をうまく解消(解決ではない!)する柔軟性がある。
私が働くチームもそうした柔軟性をもっているのだが、ここではそのことには触れない。個人の能力差に着目して話を進めてみたい。

個人の能力差について、田舎にはある傾向が存在するように思う。ある時期を境にして、世代間に断絶があるのだ。それが前段で触れた教育格差が存在していた世代と解消された(と思われる)世代との差である。
個人には能力差がある。つまり、経験豊かなベテラン作業員がイコール優秀な作業員であるとは限らないのだ。実際、これは現実である。優秀とはいえないベテランも、いる。しかし、妙なのである。ある世代を境に優秀な人とそうでない人との割合が違う。私の身の回りのチームのことで言うと、現在ショウヤを担っている人の次の世代には、ショウヤとなれる人が少ない。経験は十分なのだが、チームをまとめ、作業を円滑に進めることができる人材がない。

林業の仕事は、一般的には大変な仕事のようなイメージがあるだろう。確かに体力的には大変だが、仕事の原理そのものは難しくない。高度な数学を駆使できなければ務まらないようなしごとではない。だが、だからといって仕事の難易度が低いとはいえない。原理は簡単でも応用を要求される場面、また勘が要求される場面が少なくないからだ。
応用が利く、勘が利く、これを私たちはメッコが利くという。このメッコを難しく言うと暗黙知ということになるのだろうか。実際、林業のように自然を相手にする場合、言語化された行動様式(マニュアル=形式知)は役に立たないことが多い。

暗黙知は経験によって、形式知は学習によって習得する。学習の習得度の差に個人差があるのと同じく、経験による習熟度の差にも個人差がある。そしてたいていの場合、習得度が高い個人は習熟度も高い。学習・経験の機会が与えられるのであれば。
教育格差の解消によってどのようなことが起こったのかといえば、学習の習得度、経験の習熟度ともに高いポテンシャルを持った個人が、学習の機会を平等に与えられることによって多くを学習の方面へ
吸い取られて行ってしまった。その結果、ある世代を境に、高い習熟度を要求される方面に優秀な人材が供給されなくなった.
これは現在私が住む地方だけの現象ではないはずだ。以前暮らした他の場所でも、そうした現象はあった。日本の過疎地域が抱える共通の現象であると思う。いや、過疎地域だけでもない。おそらく、日本という国のあらゆる「現場」が抱える構造問題なのだと思う。

私が所属するチームのショウヤはもちろん優秀な人だ。理はさほど立たないが勘が利く。そのショウヤも、若い頃に進学を希望したが家庭の経済的事情でとても無理だった、という話だ。否も応もなく、山の現場へ放り込まれた。家族を養うためである。
中にはこんな話をしたくれた人もいる。中学を卒業して都会の会社に就職が決まった。全国に名の知れた大企業だ。ところが家に金がなかった。親から一年だけ山で働いて現金を入れてくれと頼まれ、仕方なく山仕事についた。その一年が何十年にもなった...。そんな話は、いまだ私の周りではゴロゴロ転がっているし、そうした話をしてくれる人が未だ現役である。

教育格差は、ないならないに越した方ことはない。だが一面、教育格差の解消が地方や現場への人材格差につながってしまったことにも思いを致さなければならないのではあるまいか。教育格差があったがゆえに、地方にも現場にも格差なく優秀な人材が行き渡った。思うに、そのことが日本という国が明治維新以降の急成長、灰燼と帰した国土からの高度経済成長を成し得た要因ではなかったのか。国全体が平等に豊かになっていくことができた要因ではなかったのか。

現在問題になりつつある教育の格差が、もし、国全体が平等に豊かになっていたことから生じたことであるのなら、救いようがない。格差が平等を生み、平等が格差を生む。あるとき針が右に触れたのなら次は左。世の中は結局、行ったり来たりの繰り返しでしかない。

だが、そうではないと私は思う。現在の格差の原因は平等な豊かさにあるのではなく、私たちが平等に施された教育の中にすでに潜んでいたのではないか。つまり、形式知中心の学習にあったのではないか。
学校のお勉強に対して根本的な疑問を抱く子供は多い。「なぜ、勉強しなければならないのか。」 私の時代もそうだったし、その前もそうだったと聞く。きっと今でもそうだろう。大人たちはそうした疑問に対し真正面から回答を与えてこなかった。根本的な疑問に答えず画一的な努力を押し付けた。画一的な尺度で測られる成果をあげた子供にのみ、高い評価を与えた。画一的な尺度では計測できない暗黙知は無視された。
格差を内包した教育が平等に行き渡ってしまった結果が、現在の格差の原因になっている、のではないだろうか。

コメント

TBありがとうございます。

当地でも、およそ50、60代以上の方には「メッコ」のきく方が多いです。
高度成長以降、地方の人々は都会に拉致されつづけてきましたからね。
おっしゃるように「知恵」の価値が「知識」に負け続けてきたことは、教育に負うところが多いと思います。
うがって言えば、「知恵」生きる(生きた)力を奪うことが教育の本分だったのかなとも思います。

幸せって何だろう

明治時代、財産も、仕事もなかった元武士たちは、軍人になり、教師になった者が多かったそうです。野山を捨て、町に暮らすようになり、学校という場では知恵ではなく知識を伝授する場になってしまったのでしょう。
財産も土地もない東京のサラリーマン家庭の子供が、いったい何を目指して生きていくことができるのでしょうか。学校で学ぶことといえば上級学校へ進学するための膨大な量の「知識」。
知恵ばかりでなく、真の知識もなくなってしまったと思います。
書を捨てよ、野山に戻ろう。日本の農林水産業の復興復興に向けた政治が必要であると思います。

やっぱり教育

こんにちは。
今子どもを取り巻く教育環境に身をおき、すべてが「知識」それも、進学、就職、を目指すための表面的な知識を中心にまわっていることを、ひしひしと感じてます。
「なぜ勉強をしなければいけないのか」という子どもの疑問に本質的に答えられる教師がいるのかなぁ。教師自身が是非考えてほしいのだけど……
あ、そうしたことを教える教師は免許が更新されないんだったっけ?(爆)

ものすごく難しい課題ですね。もしかすると人間の根底に潜むことかもね。私は57歳の主婦ですが、(大概の脳みそは同レベル」と豪語して顰蹙を買ったことがある落ちこぼれです。確かにわれわれの年代で高校教育なるものをうけずとも、実社会において,多大な才能を発揮される方がirassyaimasu
sumoimimasenn

みなさん、ありがとうございます。

早雲さん ありがとうございます。
そうなんです。「知恵」の価値が「知識」に負け続けてきたてきたんです。
では、なぜ負けてしまったのか? その理由が興味深いところです。たぶん、鍵は環境問題なんだと、もやもや考えています。ここらあたり、まとまったらまたエントリーします。

あくつさん、でよろしいのでしょうか? いらっしゃいませ。
「幸せと何か」という問いと「いったい何を目指して生きていくのか」という関係が、「知恵」と「知識」の関係に似ているように思います。すなわち、「知識」を追い求めると「知恵」を見失い、生きる目標を求めると幸せを見失う。
こんなことを思います。私の世代くらいまでは小さな女の子の夢といえば「お嫁さん」「お母さん」といった答えが多かった。これ、「目標」なんかでなく「幸せ」そのものだったんだと思います。「お嫁さん」とか「お母さん」とかは単に形に過ぎません。幸せの形。
男の子は「目標」を語りました。でも、成人し所帯を持つと女の尻に敷かれる(笑)。そういった形で「幸せ」のスタンダードな形がかつての日本にはあった。
それが今、崩壊している。みなが「目標」を持つようになってしまったから。
もう、おそらくかつての形は取り戻せないでしょう。一部で伝統なるものの重要性を声高に叫ぶ人間もいますが、いくら叫んでも元の形には戻らない。新たに形は作り直すしかない。再びスタンダードを作るか、今度はスタンダードなしでやるのかも含めて、やり直すしかない。それが、今の私たちが置かれている状況なんだと思います。「知恵」はそうした過程のなかで再発見されるのだと思います。
書を捨てよということですが、ここに関しては私たちの時代が幸いしているように思います。ネットのおかげで書と野山とを共に持つことができます。現に私がそうだと自惚れてます。これからの時代の「知恵」の再発見には、双方とも必要だと思います。

dr.stoneflyさん
「なぜ勉強をしなければいけないのか」という子供の問いには「応え」なければなりません。「答え」では「応え」になりません。私の本分の「回答を与える」という表現はよくなかったですね。dr.stoneflyさんのコメントのおかげで気がつきました(いや、本質的な「答え」は「応え」なんですけども)。
「なぜ勉強をしなければいけないのか」という問いを子供が発するとき、その応えには「では、手に職をつけなさい」というのもありのはず。子供は手に職をつけていく過程で「知恵」を身につけることができるはずなのです。生きていくための「知恵」をです。
でもそうは応えられなかった。大人が、「知識」が「知恵」に勝るとよく考えもせず思い込んでいたからです。教育されるべきは大人です。

農婦さん、おひさしぶりです。
そうですね、現代ではものすごく難しい課題になってしまいましたね。けれど、昔はさほど難しい問題ではなかったのかもしれません。難しくなったのはたぶん皮肉なことに、一時的にせよ経済的な格差が解消してしまったことにあると思います。平等になってしまったから考えなければならなくなった。
けれど、考えなければならなくなった状況は、困難だけれど、望ましいことでもないでしょうか?

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