愚慫空論

国籍とは何だ!? ~カルデロン一家強制退去へ

強制退去処分を受け、一時滞在の仮放免期限を迎えた日本生まれのフィリピン人カルデロン・のり子さん(13)=埼玉県蕨市立第一中学一年=の両親について、東京入国管理局は十三日、在留特別許可を認めない方針を伝えた。東京入管は同日、出頭した父アランさん(36)と母サラさん(38)夫妻に二十七日までに帰国日を決めるよう通知した。
(東京新聞より) 
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2009021302000211.html

今日がその27日。昼の報道によると、東京入国管理局は、3月9日までに退去日を決定しない場合、国外退去へ向けて一家3人を強制収容すると通知したという。


一家3人を強制収容? 

夫妻2人を強制収容するとことは、私にも理解できます。もとより私は彼らの強制退去に反対するものですけれども、彼らが違法入国した者たちである「事実」は覆しようがないので、その事実に基づいて強制退去させるということは、それはそれで通っていることは認めざるを得ません。
(繰り返しますが、そのスジは、通っていても誤っていると考えます。)

しかし、日本で生まれ違法入国の「事実」のないのり子さんまで強制収容するというのであれば、そのスジはどこにあるのでしょう? 単に日本国籍を有していないというだけの理由なのでしょうか? いえ、きっとそうなのでしょうね。

ということは、です。「日本国籍」とは単なる排除の論理にすぎないということを意味します。ならばそれは、肌が黒いから、とか、被差別部落出身だから、といった論理となんら変わらないことになってしまう。

のり子さんは、日本国籍を有していなかったにもかかわらず、また両親がフィリピン人であったにもかかわらず、日本人として、日本の地域の一員として認められ、学校にも通っていた。この「事実」から分かることは、日本人として暮らすには日本国籍は不要であるということ。

のり子さんにとって「日本国籍」が関わってくるのは、日本国籍を有しないという理由でもって日本国内における身柄の自由を確保されない、強制収容されてしまうという事柄においてのみ。純然たる「排除の論理」としてのみ、です。

のり子さんに日本国籍がないのは「事実」でしょう。そして今の彼女には日本国籍を取得する道もない。日本への帰化が認められるのは、20歳以上と定められているのですから、現在13歳の彼女に日本国籍取得は不可能。ということは、日本国籍とは、彼女にとっては免れることが不可能な「排除の論理」である、ということです。

人種差別や部落差別がなぜ非難を浴びるのか? それは、肌の色は生まれは、当人には覆せない「事実」だからです。当人に覆せない事実をもって排除する論理は、現代の社会では人権侵害と考えられる。この問題に関して、国連が法務省に報告を求めた旨の報道もありましたが、当然でしょう。すくなくとも、のり子さんに対しての日本国籍は、人権を侵害する「排除の論理」としてしか機能していません。

もし日本国政府が、純然たる「排除の論理」を行使すればどうなるでしょう? 前財務省が曝した「恥」に劣らぬ「恥」になることでしょう。「日本は法に基づいて差別を行う国」になってしまい、諸外国から認定されてしまいます。これを「国の恥」と言わずして、なんと呼べばよいのでしょう?


ならば、法務省は、夫妻2人のみを強制収容すべきでしょうか? 彼らにとっての日本国籍は、のり子さんとは違い、純然たる「排除の論理」ではありません。彼らには日本国籍が「排除の論理」として働くことが致し方ない理由は、確かにあります。

カルデロン一家の強制退去に反対する私としては、やるなら夫妻2人だけを堂々と強制退去させればよい、と言いたい。そして、それができるならやってみろ! とも。

法務省とて、夫妻とのり子さんを引き離すことがいかに「非人道的」なことであるかは認識しているのでしょう。だからこそ「一家3人強制収容」と言い出し、一家で出国するか3人で出国するかの選択を強要している。みずから選択できないのです。親と子のつながりというものは、法以上のものだから。民法などに規定もありますが、それは自然な親子の形を法が追認しているだけのものに過ぎません。親子のつながりを絶つことは、法が以前の問題として、事実上「排除」でしかありえない。

もしかしたら「一家3人強制収容」は、法務省にしてみれば、せめてもの人道的措置といったところでしょうか? しかし、「法に基づいて差別を行う国」がいくら「人道的措置」などといっても、誰も耳を傾けてくれないでしょう。

私は日本に生まれて日本に愛着を持つものとして、日本国政府が「恥」に塗れるのを看過できません。私たち日本人を、日本人として認定する国籍が純然たる「排除の論理」として使われることを見過ごすことは出来ません。それを見過ごせば、国籍など単なる既得権益に過ぎないものになってしまう。そして国籍の既得権益化を認めてしまえば、私たちが他の既得権益を批判する基盤を失ってしまうというところに繋がります。

「情けは人のためならず」といいます。私は、カルデロン一家への同情がないとはいいませんが、それためだけに彼らの在留を主張しているのではありません。最大の理由は、他ならない私自身ためです。既得権益に脅かされている私自身を守るために、国籍を既得権益化する動きに反対を表明します。
 

コメント

矛盾した思考になっていますね

もし、愚樵さんがイラク戦争やソマリア沖への護衛艦派遣に反対の立場であるならば、このエントリーはただちに撤回してください。これは問答無用です。なぜなら、完全に矛盾しているからです。

愚樵さんのこのエントリーは、フィリピン共和国の主権に対する挑戦であり、もし愚樵さんが公職に従事している人であるならば、確実に内政干渉・主権侵害に相当する発言であることをお気づきでしょうか?

つまり、『しかし、日本で生まれ違法入国の「事実」のないのり子さんまで強制収容するというのであれば、そのスジはどこにあるのでしょう? 単に日本国籍を有していないというだけの理由なのでしょうか? いえ、きっとそうなのでしょうね。 ということは、です。「日本国籍」とは単なる排除の論理にすぎないということを意味します。ならばそれは、肌が黒いから、とか、被差別部落出身だから、といった論理となんら変わらないことになってしまう。 』というのは、完全に不正解であり、そういう思考や認識、感情に基づいた見解は、正当化される余地がありません。

>のり子さんにとって「日本国籍」が関わってくるのは、日本国籍を有しないという理由でもって日本国内における身柄の自由を確保されない、強制収容されてしまうという事柄においてのみ。純然たる「排除の論理」としてのみ、です。

これも完全に不正解です。
のり子さんの人権を守るのは、フィリピン共和国であって日本国ではありません。日本国内でのり子さんの人権を守るのであれば、それはフィリピン共和国が日本国へ依頼したときのみです。そして、日本国は「正規に入国した場合は、人権を保護する」のです。不法入国それ自体が日本国への主権侵害です。保護して欲しければ、正規手続きを踏むこと。これを外してしまえば、不法入国全員を許すことになり、日本国内の治安は劇的に悪化し、日本国民はもちろん、日本国滞在の正規入国外国人の人権を侵害されかねない危険性が高まることになります。
それを「排除の論理」だとして政府を批判するのは、愚樵さんは日本国及び日本国民に対して無責任な思考を抱いているのと同じです。愚樵さんが認知している意識がどうであれ、理論的にはそう断言せざるを得ません。

>「日本は法に基づいて差別を行う国」になってしまい、諸外国から認定されてしまいます。これを「国の恥」と言わずして、なんと呼べばよいのでしょう?

そんな認定をするバカな国家はありません。不法行為に対して優遇措置をとる国になることの方が、むしろ「国の恥」であり、愚樵さんの思考こそが、むしろ「国の恥」を推進するものです。ましてや「既得権益」という言葉で批判する方が不当かつ不正です。

ただし、愚樵さんのマインドが正当になるケースがあります。
それは、国家を廃絶し、国境をなくすことです。人々の自由往来が推進されます。しかし、国家や国境を設定しているがゆえに保護され保証されているものもあります。つまり、国家や主権の喪失に伴う損害を享受する覚悟があるなら、という条件はつきますし、その損害は甘んじて受ける以外に選択肢はありません。なぜなら、その損害を及ぼす行為を制限することができなくなるからです。

そして、この私のコメントを非難あるいは批判する思考や感情を抱くならば、私が指摘するであろう問題を残らずすべて克服することができるという責任感を持ってください。1つでも説明ができない時点で、私の発言を全面的に受け入れる義務と責任があります。
今回の件は、それだけ厳しいものだという正しい理解を持って、その理解の下に感情を抱けるよう、自己研鑽してくださいね。

わくわくさんに拍手

わくわくさんのコメントに全面的に賛成ですね。
ブログ主さんも感情だけで書いてないで
もうちょっと法治国家なるものを
勉強してから書いたほうがよいのでは?

>「日本は法に基づいて差別を行う国」になってしまい、諸外国から認定されてしまいます。これを「国の恥」と言わずして、なんと呼べばよいのでしょう?

そんな認定をするバカな国家はありません。不法行為に対して優遇措置をとる国になることの方が、むしろ「国の恥」であり、愚樵さんの思考こそが、むしろ「国の恥」を推進するものです。ましてや「既得権益」という言葉で批判する方が不当かつ不正です。

これについては、わくわくさんの言ってる通りなんですよね。
先進国の法治国家ではもっと対応が厳しいです。
マスコミなどで「イギリスでは こういう例も~」
などと報道してましたが、本当にそれは特殊な例で
イギリスは不法滞在に関しては、かなり厳しい対応をとっています。
先進国の諸外国の不法滞在者についての対応を
勉強されてから書いたらどうですかね?
その方が恥をかかずにすみます。

わくわくさんと通りすがりさんに同感

国籍法等、法の詳細についての専門的知識は
ありませんが、この度の記事に関しては先にコメントを寄せられているお二人の意見に同感しました

この件については昨夜ニュースで取り上げられている時に我が家でも意見が分かれました
夫の意見は
・(女の子が)かわいそうだから認めてやったって
いいじゃないか

私の意見は
・かわいそう、と感じるのと「ルール」は別の話。
日本にそういうルールがある以上遵守するのは当然

情に竿さしゃ流される
今後の第二第三の「のり子さん」を作らない為にも
断固とした判断を示すべき

そして25歳の娘は
・(家族の気持ちもわかるけど)法律を犯したんだから仕方ないよね・・・
(家族は)フィリピンに帰って一緒に暮らす、というのではダメなの?
帰れば一緒に暮らせるんでしょ?

というものでした

番組ではのり子さんの同級生と思われる女子生徒の
「別れるのは寂しい」旨のコメントも入れていましたが
のり子さんに限らず日本人であっても親の都合、転勤等でそれまでの友人と別れなければならない子供のケースはざらであり
様々な事情で親と別れ別れに暮らさなければならない
子供たちも沢山いると思います

そういった意味では
のり子さんだけが特別という事にはならない

そもそも責任の発端は不法入国をしてそのまま不法滞在をし続けた
のり子さんの「ご両親」にあるのではないか、と思います
マスコミ報道では「引き裂かれる家族」というように、
カルデロン一家がいかにも「被害者」であるかのような
表現をしていますが
百歩譲って「被害者」という言葉を使うならこの場合
その被害者は
「のり子さん」一人であって
加害者に当たるのは不法入国の上に子供を設け
一家で不法滞在し続けて、結果子供をこんな状況に巻き込む事になってしまった他ならぬその
「のり子さんの親」となるのではないでしょうか

子供にとってはどんな親でもかけがえのない親ですので
上記の表現はもしのり子さんが耳にしたなら
非常に酷な言い方になると思いますが
だからなお更の事、私はのり子さんの親に猛省を求めたいと思います

このご両親の元に生を受け生まれてきたのり子さんご本人には何の落ち度もありません
置かれた状況や今後の展開を思うと人として
「かわいそう」と思う気持ちは私も同じです
ですがその事と強制送還の是非は次元が違うと思うのです
条件付ではあるけれど今回国が示したのり子さんの
「在留特別許可」はむしろ最大限の温情のような気もいたします

まして日本のルールに則った今回の判決が
何故肌の色とか部落云々を持ち出した「差別論」にまで発展していってしまうのか私は理解に苦しみます

ここは曲がりなりにも主権国家「日本」なのです

もしこの一家が特別だという差別論の根拠が
「フィリピン」にあるのだとしたら
そういった発想自体が逆差別に当たるのではないかと
私には思えるのすがどうでしょうか

逆に私は日本ほど「排除」が不得手の国はないのではないか?と思うのですが如何でしょうか

>最大の理由は、他ならない私自身ためです。既得権益に脅かされている私自身を守るために、国籍を既得権益化する動きに反対を表明します。

わたくしは日本国憲法の精神に則り、上の愚樵さんの言葉に同意します。
守るべきは「公共の福祉」であり、「公益および公の秩序」ではないからです。そして「主権」は確かな存在を持った一人一人の「People」にあるからです。

概念とフィクションは、一人一人の人間が生きるための道具と武器であって、それに人間が奉仕するものではありません。



 

王道楽土を目指して

日本人は国に従うべきです。
国家はシステムだから、よりよい頭脳を持つ者がきちんと管理し、大衆はその下で平和に正しく暮らすべきです。
国民に対する責の重さを担う覚悟のない者は、国家の示したルールにきちんと従うことで、身の丈に合った生活を送るべきです。

私もまた、国民をきちんと教育し、よりよい国を作ってやりたいと考えています。それがルールです。

やはりわくわくさんは私の敵ですね

もっとも「対話」のできる敵だと認識していますが。あとのおふたりはどうなのでしょうね?

わくわくさんが見落としていると思われる点から指摘させていただきましょう。それは国家はシステムだが、国はそうではない、と言うことです。

日本という国家。日本という国。確かにふたつとも実体は同一の日本ですが、だからといって〔日本=国家=システム〕だけではないのです。〔日本=国=システムでないもの〕という図式も同時に存在しています。わくわくさんの主張は〔日本=システム〕論に依拠したもので、その範囲内においては正しいと私も認めますし、私の発言が矛盾していることも認めます。ですが私の拠って立つところは〔日本=システムでないもの〕というところ。

以前から私がこの問題を【自生的秩序】という概念を提示して論じていることはご存知でしょう。通常「秩序」といえばシステムの話ですが、そこにわざわざ“自生的”の文字を付け加えるのは、それがシステムでないことを明示したいからでもあります。

私の主張は、カルデロン一家やその他同様の境遇の者たちを受け入れたとしても、〔日本=国〕は、日本で有り続けることが出来るといったものです。現に、すでに彼らは〔日本〕なのです。

また一方で、私は〔日本=国家〕の移民政策には反対します。それが推し進められてしまうと〔日本=国〕が〔日本〕でなくなる危惧があるからです。

私は基本的にはアナーキストのようです。「ようです」というのはまだ確固とした自認がないからですが、その理由はいまだ国家・国境の廃絶を唱えることができるだけのものがないから。現段階では国家の必要性は認めざるを得ません。

ただしその国家は存在意義は、あくまで〔日本=国〕を守るためのもの。〔日本=国家=システム〕を守るためのものではない。それは自衛隊に対する認識でも同じで、〔日本=国〕を守るためのものとしては認めざるを得ないが〔日本=国家=システム〕を守るためだけに機能することは容認できない。そして私とって、自衛隊も国籍も同様です。

これも以前主張したことがありますが、私は自衛隊の海外派遣に賛成です。もっとも伊勢崎さんが主張するような形でですが。イラクやアフガン、ソマリアへの派兵は問答無用でまかりならないという立場は取らない。その派兵がイラクやアフガンといった〔国家=システム〕を守るためならダメだが〔国=システムでないもの=そこに暮らす人々〕を守るためなら、現に日本がそれだけの実力を有している以上、守るべきだと考えるのです。

その立場からはカルデロン一家に対するものと矛盾しません。現に今日本が、彼らを保護できるだけの実力は要しています。システム論からすれば彼らを守るべきはフィリピンなのでしょうが、けれど逆にその論理のみで行くならば、日本はソマリアへ派兵してはならないという結果にもなる。
(ソマリアのことについては詳細を追いかけていないので自信のあることは言えませんが、彼の地での日本の被害だけを食い止める方法は海自派遣以外にもあるはずです。ホルムズ海峡やマラッカ海峡とはわけが違います。)

「通りすがり」にろくな者はいない

例外があることは認めた上での、一般的な経験則ですが。

>ブログ主さんも感情だけで書いてないで
>もうちょっと法治国家なるものを
>勉強してから書いたほうがよいのでは?

他人のことを感情的と批判する前に、その者がどういった論理を展開しているのか確認なさってはいかが? その責務を果たさない者に感情的と言われても、その者こそが感情的と受け止めざるを得ませんね。

私は以前のエントリーにて、「法治国家」の概念と「法の精神」とは別のもので、「法の精神」に則ったときにのみ「法治国家」の正しさは担保されるといった旨の発言をしています。

>先進国の諸外国の不法滞在者についての対応を
>勉強されてから書いたらどうですかね?

国連人権委員会でこの件が問題視されているようですが、あなたはどういう見解をお持ちですか? 国連の認識とあなたのいう先進国の認識は違うとでも?

それに、私は不法滞在を認めろと言っているわけではない。その逆で、不法滞在を放置したから今の結果を招いた。法務省はその責任を認めろと主張している。そのことは、もっと不法滞在を厳しく取り締まれという主張にも繋がります。

法務省の現在の態度は、みずからの無謬性を前提にしています。けれども、カルデロン夫妻を直ちにのり子さんが誕生することはなかったし、そうであれば現在の問題が生じることもなかったでしょう。私は違法入国をどんどん受け入れて日本で子どもを生ませろと言っているのではありませんよ。そんなことをすれば日本は日本でなくなってしまう。

そうではなくて、もうすでに彼らは日本になってしまった。それは法務省の怠慢が原因です。法務省はみずからの怠慢故にフィリピン人が日本人になってしまった、その誤りを認めろと言っている。

人間は、地域に受け入れられれば自然に地域の人間になっていくものです。フィリピン人も時間が経てば日本人になる。あなたはその「現実」を直視せず、単に国籍といった虚構のみを根拠に空論を振り回しているに過ぎません。

せめてわくわくさんのように、「虚構の現実性」を論拠に反論してくださいな。勉強不足です。

「ルールだから仕方がない」は思考停止

paopaoさん

反論はタイトルに示した通りです。

ルールは、適正に運用されてこそ信認を得るものです。ルールだけでルールの正当性が担保されるものではない。paopaoさんだって、そういった現実はご存知のはずですが。

paopaoさんはご家族を営んでおられるようなので、クルマの運転もなさると推測しますが、その推測が当たっているとして、ルールである道交法を100%遵守なさっていますか?

ルールはルールであると仰るのなら、遵守していただかなければなりませんが、いかがです? ルールを根拠に自己正当性を主張する者――いかなる場合も法定速度で走るクルマ――を迷惑だと感じませんか?

ルールは、それが適用される者にとっては、「絶対的な制限」というよりも、「運用の目安」として機能することが多いし、また、そうであるからこそ当事者の信認を得るわけです。もし警察が徹底的にスピード違反の取り締まりを行えば、疑念は法定速度というルールそのものに向かうことになるでしょう。それがルールというものの実体です。

paopaoさんがルールはルールと主張できるのは、ご自分が当事者ではないからでしょう。自動車学校で法規を習っている時点では、まだ運転の当事者ではないので法定速度といったルールを守るべき、スピード違反はよろしくないと言った感想を持ちがちですが、いざ当事者となると、その考えは変るもの。それは、国籍といったルールでも同じです。

「ルールはルール」といった言葉が正当性を持つのは
裁定の場面のみ。この問題に関していえば、裁判所が「ルールはルール」というのは同然ですし、そこから踏み外してはならない。けれども、裁判所は当事者ではないのです。逆に、当事者でないから裁ける。

国籍に関していえば、私たちは当事者です。私はその立場から発言している。だからこそ

最大の理由は、他ならない私自身ため

だと言っています。私が求めているのはルールの適正な運用であって、ルールそのものの否定ではありません。

敵味方は意識していないが

大変申し訳ないですが、「自生的秩序」なるものについても、愚樵さんが以前掲げた定義からすると、「機能している段階で、システムとして存在している」ことには変わりなく、まさに「秩序そのもの」です。
なので、私に対する批判の根拠は、残念ながら、愚樵さんは持ち合わせていないのです。

>ただしその国家は存在意義は、あくまで〔日本=国〕を守るためのもの。〔日本=国家=システム〕を守るためのものではない。

これは論理的におかしいですよ。
国家の存在意義が「日本=国」を守るためのものであるならば、国家というシステムを守らなければ、「日本=国」を守る手段を放棄するのと同じことになります。

>その立場からはカルデロン一家に対するものと矛盾しません。現に今日本が、彼らを保護できるだけの実力は要しています。システム論からすれば彼らを守るべきはフィリピンなのでしょうが、けれど逆にその論理のみで行くならば、日本はソマリアへ派兵してはならないという結果にもなる。

だから言ったでしょ?
ソマリアへの派兵はNGだが、フィリピン共和国への主権侵害はOKだというのは、矛盾していると。

蕨市を紹介します

不法入国を見逃した入管が悪いとの意見
毎日、不法入国してくる輩がドンだけの数になるか解っての意見ですか?

ノリコがすむ蕨市沿線は詳しい
説明しましょう
蕨・西川口、埼玉寄りの東京・赤羽は田舎の兄ちゃんでも聞き覚えありでは?

戦後、三国人が日本人の土地を不法占拠
駅周辺に手早く金になる風俗店を続々開店
スポーツ新聞で宣伝しまくり
70年代には金を稼ぎたいアジア女が来日
両者の思惑が一致
アジア人パブが乱立
女をアテに同国人が食堂や雑貨屋を開店
蕨から電車ですぐの赤羽には教会がありフィリピーナが礼拝に訪れ屋台や露店が出まくり日本人が通れない
昔からコミュニティが出来ノリコがタガログ語を話せない帰国しても馴染めない??ww
埼玉県は北朝鮮による拉致被害者が多い
在日が日本人のフリして埼玉在住の日本人に近づき言葉巧みに北朝鮮に連れ出した
世界の人権団体が日本は貧しい国の女を性奴隷にし搾取してると非難
多くの日本人は風俗の経営者は在日だと知っている
また搾取されてるとは女の一方的な話
ハナから売春するつもりで来日
管理売春での逮捕を恐れ経営者はパブだけで稼ごうとしてるのに女が暴走
逮捕されると経営者に強要されたと泣く
十分仕送り出来たのに、もっと金が欲しくてヤクザに搾取されてると嘘泣き、客からチップを貰う
飲み屋などで風俗関係者と知り合い裏話を聞ける地域
日本人は外国人のウソなど見抜ける

>毎日、不法入国してくる輩がドンだけの数になるか解っての意見ですか?


へぇ~、あなたのその意見、警察に向かっても同じ事をいいますか? 

>戦後、三国人が日本人の土地を不法占拠

その意見を信じないわけではありませんが、そういった人達とカルデロン一家とどういう関係があるのか、そこが明示されていませんね? 一番重要な部分を省いての意見表明は、一部信じるに足る部分があったとしても、全体としては信じるに値しない。むしろ、なぜ、一部分の真実を切り取って見せたのか、その意図が疑われてしまいます。

まあ、一部の真実をもって全体をだまそうとする意見でしょうな。

わくわくさん

>敵味方は意識していないが

「対話」ができれば敵も味方もないでしょう。言葉遊びですよ(笑)

フィリピンへの主権侵害の問題ですが。

主権概念も所詮は虚構ですから、これを現実に対応させようとするとややこしい。それでいろいろと方策が探られるわけです。確かに主権は現在の国際社会のお約束で、またそのお約束があるから国際秩序も辛うじて保持されているわけですけれども、とはいえ、現実と矛盾する場面も出てくる。それで、理念と現実との矛盾を解決するためにいろいろと「知恵」が編み出されるわけです。

そこで海舌さんのエントリーです。
http://blog.kaisetsu.org/?eid=712865
「相互主義」を持ち出してこられていますが、これは主権概念とも矛盾しない「知恵」だと思います。わくわくさんはどのように捉えられるでしょうか?

もし、フィリピンでも今回のようなケースで日本人を排除したという前例があるのであれば、法務省の対応も頷ける。また、あちらにそういった前例がないのなら、今回の日本の対応は、フィリピンにとっての前例になる。

フィリピンに日本人排除の前例があるのなら致し方ないですが、ないのなら、排除の前例を日本の側で作るのは、利口な対応とは思えないのですが...。

愚樵さん

まず、主権ですが、愚樵さんの「主権」そのものについての説明自体に反論はありませんが、今回の件については、その説明を適用するのは妥当ではありません。
今回の措置でカルデロンさんが人権を侵害されたわけではありません。
カルデロンさんがフィリピンにおいて迫害されたり人権侵害の憂き目に遭遇しているならば、亡命という形での例外措置はあるでしょうが、「フィリピン国内での人権事情が、不法入国の違法性阻却を考慮しなければならない状態」であると客観的に断定できるレベルには至っていませんので、この論理も今回の件では妥当性を欠きます。
正規手続きで入国・滞在していれば、このようなことはなかったわけであり、ご指摘の「理念と現実との矛盾」など発生していないからです。
また、愚樵さんが唱えるであろう「理念」とは、残念ながら、愚樵さんが個人的に信じている理念でしかなく、コモンセンスとなってはいませんので、愚樵さんがお示しになるであろう「理念」は、私の論を批判する根拠となりえないので、あらかじめご承知を。

>「相互主義」を持ち出してこられていますが、これは主権概念とも矛盾しない「知恵」だと思います。わくわくさんはどのように捉えられるでしょうか?

次に相互主義の件ですが、残念ながら、完全に不正解です。
相互主義とは、あくまでも互恵関係を平等対等にするということですが、国内法規や秩序と矛盾してまで恩恵をもたらす話ではない以上、フィリピン政府が特に要望しない限りは、むしろフィリピンがどうであれ、日本は日本でやらないと、今度は世界に対する日本の対外姿勢について、誤ったメッセージを送るだけに成り下がります。
しかも、カルデロンさんは不法行為を働いているのです。相互主義に基づく互恵関係は、あくまでも合法的な範囲での話であって、不法行為まで是認するものではありません。この点で海舌さんは誤っています。

>フィリピンに日本人排除の前例があるのなら致し方ないですが、ないのなら、排除の前例を日本の側で作るのは、利口な対応とは思えないのですが...。

そんな前例など必要ありませんし、利口な対応と思えるように自己研鑽してください。カルデロンさん親子、特に中学生のノリコさんへの同情がありすぎです。ここは切って捨てるだけの非情な感情と思考を抱くのが、文明人としての責務です。
ノリコさんやノリコさんの友人には辛い思いをしてもらうしかない。ここに情を挟んではいけません。情を挟むことで起こることは、秩序の崩壊です。もちろん、秩序には、愚樵さんが志向する「自生的秩序」も含まれます。そして秩序の崩壊は、『安心安全』の崩壊ももたらします。

私のこのスタンスを批判したり嫌悪するのであれば、「無人島でひとりで生きてみろ」という言葉を投げるしかなくなります。

はじめまして。初めてコメントさせて頂きます。

最近メディアで報道されているこの件に興味を持ち、ネット検索しましたら、ここに辿り着きました。

私は難しい事は分かりませんが、単なる一般日本人国民の意見として書き込みさせてもらいますね。

私の意見は強制送還に賛成です。なぜなら法律違反をしたからです。本来なら日本に入国できないのに違法な手続きで入国したのが、そもそもの原因だと思います。
外国人の日本入国に関しては、正規の手続き、いわゆる合法な手続きをした人しか入国する事ができません。だけど、実際に(主に)経済大国である日本にお金を稼ぎに来たいという目的であらゆる手を使って不法入国をしたり、不法滞在をする外国人がいます。入国する段階で法律も守れないような人は、日本にはいりませんという事で、それらを取り締まるために入国管理局があるわけです。(←私の知っている限りでは)もし、ここで認めてしまうと、入国管理局の存在自体否定する訳ですよね。
日本国籍保持者とか、人権とか関係ないと思います。日本人だって法律違反をすれば罰せられます!

確かに子供に罪はありません。全てノリコさんが産まれる前に、ご両親が犯した事ですから。しかし、ご両親はその責任を取るべきです。きちんとフィリピンに帰国すると言う形で責任をとり、ノリコさんに法律を犯すと、こんな悲しい出来事を招いてしまうんだよと、教えてあげて下さい。

せっかく政府がノリコさんだけには特別在留資格を許可すると言っているのですから、そんなにたくさんの支援者がいるのであれば、ノリコさんをお願いしたらいかがでしょうか?そこで、誰も名乗り出なければ、ただの偽善者ですよ。

外国人犯罪者が急増している中、定住資格や永住資格があるのをいい事に、何回も犯罪を犯したり、のうのうと偽装して生活保護費で生きている在日外国人より、カルデロン一家みたいに真面目に生活している人の方に日本に住んで欲しいです。
だから、ノリコさんを残して、数年後正規の手続きで日本に来て下さい。

以上が私の意見です。他の国では・・とか、前例を作るとか出てくる事自体、おかしいかな~なんて思ったりします。
ここは日本で、日本人が作った法律なのですから。

最後に支援者への愚痴を言わせて下さい。
何でもかんでも都合のいい様に解釈して、日本政府を責めないで欲しいです。責任の持てない発言・行動をしないで欲しいですね。責任を持つというのであれば、まず法律を守る事を教えたらいかがでしょうか?あとノリコさんを引き取ったらいかがでしょうか?人権侵害がどうたらと言ってますが、侵害しているなら、日本の学校に行かせてないし、ノリコさんの在留特別資格も絶対に許可しないですよ。充分温情をかけてると思いますがね~。それって、将来家族3人でまた日本で暮らせられるかもしれないって事なんですから、我慢しましょうよ~。

ひとことだけ

ななしのごんべさん

法はお上が一方的に決めて、一方的に執行するものではありません。少なくとも民主主義の世の中では。有権者には政府の行いを批判する権利があります。私たちはその権利を行使しているだけ。

あなたの言は、「お上にはおとなしく従いなさい」といっているようにしか聞こえません。

お上が一方的に作ったものであっても、事実上それが今の日本の法律になっています。法律を守るのは当たり前のことではないのでしょうか?

お上のする事が間違っていれば批判する権利はありますよ。だけど、今回の場合、法律に基づいて法務大臣が判断を下したのですから、それのどこが間違っているというのでしょうか?例え、間違っていたとしても、現状では、かなりの温情をかけているではないじゃないですか。ノリコさんに対する特別在留許可や再入国の穏和など・・。

私もかなり人道的に言葉を発したつもりなんですが、通じなかったみたいですね。とくに、ブログ主さんに、コメントを求めている訳ではないので、無視しちゃって構わないですよ。ここをお借りして、私の意見を書きたかっただけなので。^^スイマセンね。

でも逆に私は、ブログ主さんが言った事に対して、『お上が勝手に決めた法律なんで守らなくてもいいですよ』と言ってるようにしか聞こえませんけどね。

法は誰を縛り、誰を守るのか

ななしのごんべさん。

法律を守るのは当たり前のことではないのでしょうか?

その通りです。法を批判する権利と法を遵守する義務はセットになっています。このセットは民主主義の原則ですよね。そして民主主義のなかでもより法を遵守する義務を厳しく課せられている人達がいます。それが「お上」。彼らはみずから国民として法を守るだけではなく、法を執行して国民に法を、時には強制的にでも守らせる。だから普通の国民よりもより高い法令遵守の義務が定められている。

ここまでご理解いただけたなら、
『卑劣な法務省~カルデロン一家への対応』
http://gushou.blog51.fc2.com/blog-entry-227.html
をお読みいただいて、ご意見をください。もちろん、意見するしないはごんべさんの自由ですが。

結局

愚樵さんのおっしゃることは感情論に過ぎませんね。
正論を叩きつけられて返す言葉がないと「思考停止」扱いとはお笑い種ですね。
義務を果たさない人に権利は与えられないだけです。
単純な話ですよ。
あなたみたいに温情の大安売りしたがりの方が国のトップに立ったら、不法入国者や移民に占領されて大変でしょうね。

大体今時は親の都合で外国に転校する子なんて沢山いるわけだし、本当に日本語しか話せないとしても非人道的でもなんでもないですよ。
ましてや母国ですからね。
たわいも無いことを大げさにとりたてるのはあなたのような思想の人に多いですが、机上の空論と空回りした感情論ばかりでウンザリですよ。

うんざりはこちら。

感情論と仰るのなら、あなたも
『卑劣な法務省~カルデロン一家への対応』
http://gushou.blog51.fc2.com/blog-entry-227.html
へ意見をどうぞ。

正直言いますとね、この問題についてのメディアの報道姿勢はキライです。お涙頂戴はキライ。可哀想な人をひとりひとり救って回ってはいられません。

ただし、そういった人が近くにいれば何とか力を貸してあげたいと思うし、また力を貸そうとする人を評価する。ええ、これは感情論ですよ、まぎれもなくね。

お涙頂戴はキライだが、何よりキライなのは、人に力を貸そうとする人間を、自分の優位性を保たんがためだけに非難する人間。

そんな人間にはうんざりですから、もう、来ないでください。

はあ?

犯罪者に力を貸したら非難されるのは当たり前。
それを優位性云々に結びつけているあたり、話が飛躍していてよくわかりませんね。
反論らしい反論も無いあたり、あなたの意見は本当に安っぽい感情論からきてるんだなと思います。

お望みどおりもう来ませんからお好きに偽善を垂れ流してください。

こんにちは

わくわくさんのご意見はまったく理にかなってる、と思います。
逆に 愚樵さんのご意見は、なぜそういう話の展開になるのか理解できない部分が多かったです。

私はただ単純に、のりこさんにとって、日本語しか話せないフィリピン人(しかも両親が不法入国した)でいるよりも、
この機会にフィリピンに帰り、自分の国の現状や言葉を学んで自分の民族的ルーツを確認できるほうがいいんじゃないだろうか、と思うのですが。
だってこのままでは、彼女はいずれ自分のアイデンティティについて悩むことになりますよね。
日本で育っても日本人じゃない、フィリピン人でもフィリピンのことを知らない、という。

日本の友達との友情は大事にすれば遠くはなれても続けられるものだし、フィリピンに帰ってタガロク語を習い、フィリピン人のお友達を作ることは
きっとあなたのプラスになる、と言ってあげる人が誰か彼女の周りにいないものでしょうか。
そのうえで日本を好きでいてくれて、正規の手続きで日本に働きにきたり、留学にでもきてくれたら一番いいと思うのですが。
単純すぎるでしょうか?

“私も通りすがり”さん

>わくわくさんのご意見はまったく理にかなってる、と思います。

私は、わくわくさんの主張が理に適っていないとは思っていませんよ。また、そう思っていなければ、わくわくさんをこの場に放置してはおかないでしょう。わくわくさんのコメンテーターとしての態度はかなり問題のあるものだと言わざるを得ませんが、それでも出入りを許しているのは、ひとえにわくわくさんの意見には理があるからです。

ただ、その理の形は私のそれとは違っている。私は理の形はひとつだと考えていない。理にはいくつも違った形があって、理の形が違うと結論も違う――と当ブログでは常々からそういったことを主張しているわけです。

カルデロン一家の問題に関していえば、わくわくさんの理の形は、“日本人か否かは国家が定める”という「公理」を前提に組み上げられています。対して私の「公理」は“日本人か否かは、日本人が決める”です。生まれがフィリピンであろうがどこであろうが、共に暮らす日本人が仲間だと認めれば日本人である。ただそれだけのことです。

>日本の友達との友情は大事にすれば遠くはなれても続けられるものだし、フィリピンに帰ってタガロク語を習い、フィリピン人のお友達を作ることはきっとあなたのプラスになる、と言ってあげる人が誰か彼女の周りにいないものでしょうか。

そういったことを言ってあげられる、また、言ってあげて受け入れてくれる、そんな関係性を築いた人間は
、彼らのことを仲間だと思っているはずです。その仲間が同じ日本人として認めてやって欲しいと願うことは、赤の他人からみれば同情にしか見えないのでしょうし、だからとこそわくわく流の「公理」を支持されるのでしょう。けれども、そんな他人事ばかりで物事が決まってしまう社会が良いはずがない。自分自身のことに立ち戻って考えると、私には仲間が必要だし、仲間を仲間だと認めてくれる社会が必要。そして、私の仲間かどうかは、社会が決めるのではなくて私が決めるのです。生まれが日本かフィリピンかなど、関係ありません。

法の正当性:法の合理性、結果としての法の妥当性

内部的に仲間と認めれば不問になるとやってしまうと…。

色々運用が難しいから法律と実行力維持の為の問題も含むのでしょうね…。

まぁ、「法律を知ってるだろう」などと言うのは、フィリピンの環境を考えれば、
「じゃあお前は日本国の法律を全部してるんだな?弁護士でもないのに?」と言いますけどね…。
何の為に会計士や何かがいるのかと言うことと、国毎の情勢や社会状況を考えた時に、
「知ってて当たり前」「知るべきだ」と言うのは…。
正直、私から言わせれば「お前は何様だ。それこそキリストやダ・ヴィンチみたいな超級の天才なんだな?(あいつらは全学問専門家級だったらしい)」と言いますけどね。

制度って言うのは、全て「制度的弱者」にとっては理不尽です。
制度的弱者と言う物の意味や境の認識には個人差がありますが、
私が言っているのは「思い付く限り最も広義の意味として」です。
それを「公平で正しい制度だから受け入れろ」と言うのは、
幻(社会的制度)を現実(「真理」または「神の法」)だと言うのと同じ事でしょう。
例え「制度的弱者自身」が現実だと思ったとしても、
「理不尽」である方が「現実」に近い。
これはそもそも所有と言う概念自体が「幻想」と「制度」による物だと分かれば、
意味は理解出来ると思います。
これは「権力」が「専制・独裁ですら他者の容認なくして有り得ない」のと同じレベルの話。

では、「法律がない方がいいのか」と言うと、当然、そんな簡単な話ではなく、
ソクラテスが「悪法も法」と言った「裏付け」やわくわくさんが別の言い方をした、
「正義も正しさも人それぞれで、その各々の正しさに基づく生活を全員に保証する事は無理」と言う現実問題があります。
そして、各々個人の生活を考えた時、あるレベルにおいては、
制度的弱者にとってすら「無法」や「社会の混乱」の状態よりは「マシ」なのです。
だから法や権力はある程度、「制度的弱者」にとっても容認されます。
(勘違いしてはいけないのは、制度を根源的リアルだと錯覚させて、
受け入れさせる手法の物はここには含んでいません。
それを許す事は悪い支配と搾取の言い訳にしか過ぎません。)

チャーチルの独裁政治への民衆の傾向を忠告しての、民主主義の言及と同じ言葉は、
この意味で、どの「制度」「常識」においても言える事です。
そう考えた上で、「法や常識の意味」を守る為の対応を考え、
その中である程度個人が被害を受ける事はあるだろうと思います。
まぁ、謙虚と言う意味では、右寄りの「犯罪者は帰れ」の「熱狂」も、
支配者にとっては操り易いですけど、謙虚ではないですけどね…。
…生き難いのは世の常かもしれませんね。^^;;

そう言う意味では「国連の作った制度のツケを何で日本の制度が払わないかんのだ」と言うのが、
ある意味で一番苛立ちとしてはまともな意見なのかもしれませんね。^^;

それは誤解

愚樵さん

あなたのこういう誤解が、あなたに、真っ当な思考と感情を妨げているのかもですね。

>カルデロン一家の問題に関していえば、わくわくさんの理の形は、“日本人か否かは国家が定める”という「公理」を前提に組み上げられています。
>対して私の「公理」は“日本人か否かは、日本人が決める”です。生まれがフィリピンであろうがどこであろうが、共に暮らす日本人が仲間だと認めれば日本人である。ただそれだけのことです。

採点すると100点満点中20点。
愚樵さんは「日本国が主権在民の法治国家である」という、最も重要なポイントを完全に排除してしまっている。
「国家が定める」というのは、「国家をして、定める」という書き方に改めるがよい。つまり「日本国民は、国家を使って、日本人か否かを決めている」のである。
そして『共に暮らす日本人が仲間だと認めれば日本人である。』ということが、完全に否定されなければならない最大の理由は『共に暮らす日本人が仲間だと認めなければ日本人ではない。』という「公理」を存在させてしまうからである。
さらに言えば、それは「日本人であるかどうかが、恣意的に決められ、基準がない。」つまり「日本人だと認定されることに公平性がない」ことも、起こりうるのである。

愚樵さんは、ノリコさんの涙に動かされて「国際人権規約」を持ち出してきたが、実は、愚樵さんの思考と感情を肯定することは、人権侵害を認めることを阻止することができなくても良いと言っているのと同じであって、人権を重視するのであれば、むしろ、愚樵さんは、その思考と感情を抜本的に変更しなければならなくなるのである。

愚樵さん へ。

風も震えるウリナラマンセー♪ イルポン憎いとチョン♪チョン ♪ チョン ♪
日本のコピー バーカチョン コジキ魂 親譲り
脳がキチガイ火病が燃える 燃やせ あたりを 何もかも♪

     ∧?∧
ピュ.ー < `∀´ > <バーカ♪チョン♪チョン ♪
  =〔~∪現代〕  バーカ♪チョン♪チョン♪
  = ◎??◎   バーカ♪チョンチョンチョーン♪

差別をするな権利をよこせ♪ 義務も果たさずチョン♪チョン ♪ チョン ♪
在日外国人 バーカチョン コジキ魂 親譲り
権利を主張し援助で生きる たかれ 役所で 何もかも♪

     ∧?∧
ピュ.ー < `∀´ > <バーカ♪チョン♪チョン ♪
  =〔~∪現代〕  バーカ♪チョン♪チョン♪
  = ◎??◎   バーカ♪チョンチョンチョーン♪

制度とその運用の難しさ

>わくわくさん
変な言い方ですが、公平性なんて言うのは一種の幻想ではないでしょうか。
貧困国・発展途上国・領土の環境の悪い国に、「でも公平に決めた事なんだから認めろ」
「公平な運用だから曲げない」と言うのは、
「理不尽」ですし、実際には公平性のかけらもないでしょう。
あるのは「同じルール」があるだけで、そのルール事態が理不尽なのに、
「文句を言うな」と言うのは…下手をすれば法の存在意義その物が怪しくなります。
法の運用に統一性(公平性とは多分これの事だとは理解してはいます)がない事と、
「日本人と認められる事に公平性がない」事は=ではないでしょう。
…ぶっちゃけ最初から、そのルール自体が不公平だからです。
(生まれや親が選べない事なんて、誰だって分かりますしね)

そして、法が守るべき物や、法が守ろうとするべき物の事を考えると、
一概に、「感情を基準にする事」を、「間違いだ」と言い切る事はできないと思います。

とりあえず、前提で意見が食い違っていると意味のない話合いになるので、
まず法が守ろうとしていると、守ろうとするべき物は、
「不特定の個人」の感情や生活・生存だと思っています。
「人間」とか「国民」とか「民衆」と言わなかったのは、
「個人」と付けないと、「顔(パーソナリティ)のない」、
「国民」や「民衆」「人間」と言う勘違いを許しかねないからです。
わくわくさんはそのような勘違いはしないと思いますけどね。^^;
まず「個人」ありきではないでしょうか?
ただ、それは「全員を完全に守り」「全員の完全な自由」を保障する物ではありません。
と言うか、わくわくさんもよく分かってらっしゃる通り、現実的にそんな事は無理です。
法なんて大層な物ではなく、人が二人居ればいくつもの妥協が行われます。
お互いに妥協点が見つけれない場合は離反か血みどろの争いでしょう。
ですから、
「現実にそんな放任をすれば(意図するとせざると)無秩序状態になり、社会が混乱し、
 社会と集団の合理性が失われて、今まで集団の秩序が維持されていた為に出来ていた事が出来なくなって、
 結果的に「個人」の「生存」「生活」「感情」が大きく傷付けられる事になる」
これが私が考える「法」の存在意義です。

多分、小さな集団であれば、個人と個人の間の妥協点の集積が、自然と法となるでしょうから、
「法律」は要らないのでしょう。
昔の集落は、おそらく明確な法や罰則ではなく、まさにこう言った、
「法の支配」の法、愚樵さんが持ち出した「自生的秩序」、
明文化されない「社会的(つまりある社会における)」倫理や道徳・秩序で運用されていたと思われます。
小さい集団の頃はこれでよかった…何故なら、合理的でない秩序はすぐに生活に影響を与えたでしょうし、
個人個人の感情の集積もすぐに反映がされたでしょうから、
むしろ、人が少なく、小さな集団だった時代は、かなり「良い」制度だったのではないでしょうか…。

ただ、現代の様に、人間が多くなり、集団が肥大化し、移動が自由化・簡易化し、
逆に社会としては複雑さを増した世界では、「縛り」を明確に設けることをしないと、
容易に、無秩序状態や諍いの種が生まれかねない…。
だから「法律」を作った。そう考えています。

そして、法律の出来た理由を考えると、確かに「統一性」は、
かなりの部分維持されるべき物だろうとも考えます。

では、なぜ「感情」を基準にする事を、一概に、「間違いだ」と言えないと言うかと言うと…。
「守るべき物」が個人の感情だからです。
法律に恣意性が混ざる事は確かに問題がないとは言いません。
しかし、恣意性が混ざる事の問題も、実は、「その恣意性が法の存在意義として、不適当な使われ方をする可能性がある」からです。
常に、法の存在意義に対して、適当な使われ方をされるなら、
私は「恣意性」を法律それ自体に多く導入する事は、「むしろ歓迎するべき事」だと考えます。
まぁ、実際に常に正しい使われ方をするかと言ったら…。
独裁政治と同じです。んな訳はない。むしろ絶対にいつか最悪の使い方をされる。と思いますけどね…。
大体、本当の感情や考えなんて分かりませんしね。

ただ、今回の事で感情を基準に決めたりする事に問題がないと言って居る訳ではないですけどね。
法律的運用的にも「日本国民の信任を得ていれば」と言う定義・条文化・前例化は、
今後の運用を考えたとき、いくつかの大きな課題がありますからね…。

先住的地域住民に仲間と認められれば・・・

現実的に誤りなく運用可能なら、こちらを法律化するのも私はありだと思います。
ただ、具体性をつけるのが難しく(先住的住人自体が元々は非先住的住人である可能性もあります)、
個人の感情や生活に深く立ち入る事になるため、
現実的な「正確」な運用は難しいでしょう。この辺りが難しい所ですね。^^;;

不法入国はあまりにも「制度的」犯罪です。
直接に「社会生活」「経済システム」を危機的状況に打撃を与えるような法律ではありません。
「間接的」と言うにも原因としては遠すぎる法律だと思います。
しかし、現在の「国際制度」的には、確かに「なければ打撃を与える原因になりうる」とも思います。

こう言った場合に判断を下すのは…なんとも難しいですね…。

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「空論」は相変わらずです (^_^)

      

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