愚慫空論

『怯えの時代』

怯えの時代 (新潮選書)怯えの時代 (新潮選書)
内山 節

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つい今し方、内山節氏の最新の著作『怯えの時代』が届きました。。

まだ、プロローグの10ページほど目を通しただけ。

「怯えの時代」のタイトルが意味するところは、「不安どころではない未曾有の時代」、という意味だそうです。

この本は、ギョッとするような出だしで始まります。内山氏の奥さんが亡くなったと言う。そして、受け入れるしかない現実を受け止めたときの心境を「自由になった」と表現しています。それは現代人と共通の「自由」である、と。

次に内山氏は、話の矛先を昨年世間を騒がせた秋葉原の事件を振ります。事件を起こした青年も自由だった。派遣社員であったし収入は少なかっただろうけども、その現実を受け入れれば自由はあったはず。「うんざりするような自由」が。けれども、彼は「うんざりした自由」のなかで生きながら、「自在に」生きた経験がないようだ――と記しています。

「自由」と「自在」。似たような言葉ですが、ニュアンスは違います。その違いをどう表現すればよいかうまく言葉が出てきませんが、「自由」と「自在」は似て非なるものであることは言うまでもないでしょう。完全な「自由」は「自在」ではない。完全な「自由」とは「孤独」に他ならず切り離されたイメージがありますが、「自在」はどこか繋がっている。繋がっていることを容認しています。

私たちは近代化した社会のなかで「自由」は手にしてきました。けれども、「自在」ということで考えるとどうか? 特に労働の場面において。近代的な合理化とは、反面ひとりひとりの労働者の「自在」の要素を削っていくことであったとも言えるでしょう。その現実を受け入れることと引き替えに、私たちは多くの「自由」を手にしました。

しかしこれから先の時代、果たして今以上の「自由」を手に入れることが出来るでしょうか? 実は私たちは、身に余る以上の「自由」をすでに手にしてしまっていて、それがゆえに社会の方が持たなくなった。そういう時代に突入してしまったのではないでしょうか? 手にしたはずの「自由」が削られていく一方で、「自在」の方はすでに大部分が失われてしまっています。

だとすれば、不安どころでない、「怯えの時代」という表現は実に的確なのかもしれません。

これから続きを読み進めていきます。

コメント

ノブレス・オブリージュ

仮に、「自分以外の地球人類が全て滅んだとして」。
単独者としての私は、平穏な明日を淡々と繰り返すことができるでしょう。

私達は既にそうした自由(他人が全て滅んだと同水準な)を手にしているのです。
自由であることに躊躇いはない。自由であるために躊躇いはない。

即ち、他人を滅ぼすことの躊躇いはない。
単独者として淡々と、生活のために他人を蹂躙するのが私の自由。


しかし、それでは退屈です。
システムは作られ、ブラックボックスと化したそれは、行使する私達に巨大な自由をもたらす。
知らなくても自由に生きていける。

けれど、それでは退屈なのです。
この世で最も悪いことは、私が退屈することです。
他人がいない世界、勝つとわかっているゲーム、そんなものに何の値打ちも無い。
ハンデが必要です。

他人は、システムは、私に内在化されなければならない。
暴君竜のように貪欲に、私は他者を抱え込む。
ファティマのような計算で、私はシステムと身を一にする。

どちらも自由であるためには不必要なものですが、世界を自在にするために、私はそれらを抱え込む。
私の行使する自由が、他者にとっての自由ともなるように。

故郷

この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば 道長

並列する時間帯、ほぼ同じ座標軸で、
「高炉峰の雪」を題材にした
中宮御前と清少納言とのやりとり

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「少納言よ、香炉峯の雪、いかならむ」と、仰せらるれば、

御格子上げさせて、御簾を高く揚げたれば、笑はせたまふ。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

芸術的価値
なつかしさ、人間味
そして、世界観

どちらを軸にとっても、その差は、歴然としているね

もちろん
此方があるから、彼方が引き立てられる
そういうこともあるのかもしれないけど

心 泰 身 寧 是 歸 處
故  何 獨 在 長 安

『香炉峰下新卜山居草堂初成偶題東壁』白居易より


こころやすらかに、からだたおやかに、ここが帰るところ
何もふるさとは、あの長安にこそあるのだ、ということもなく
(ここが、・・・こここそは、安息の地)

↑ごんの(なんちゃって)訳(^^;)

でも、欠けることのない月なんてのがもしあったら、太陽の二番煎じくらいの価値しか持たなかっただろうな。月はミステリアスで魅力的だけど、太陽にはそんな形容は似合わない。まあ、かがやく雪のうつくしさは太陽の光のたまものなんだけど。そういえば、月の満ち欠けは地球(=この世)のおかげさまなんだよね。


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