愚慫空論

ハイエクの自生的秩序(1)

自生的秩序シリーズ、カルデロン家の話からここまで来てしまいました(笑)。

とはいってもここまでは来ることは、第2弾『続・カルデロン家について~自生的秩序とは』にて予定されていました。
個人的に自生的秩序という言葉はハイエクの言葉としての意味しかイメージがなかったので、このブログの意味で使われるとちょっと気持ち悪かったです笑。でも伝統を大切にしろ!っていう結論が意外にもハイエクとつながったというオチもうまくきまっていて面白かったです。偶然でしょうけどw

いえ、偶然ではありません。まさしくハイエクのいう自生的秩序です。しかし、ハイエクが信奉する財産権を基本とする自生的秩序は、伝統を破壊していく方向へ作用しますね。これはまた後に書きますけれども、これは自生的秩序の拠って立つところが誤りということになるのです。誰にでも分かるもの(
これを私は【手応え】と呼んでいます)を基準に据えて秩序を組み立てると、大きな社会はできるかもしれませんが、不幸になるのです。そうした意味でも、大きな国家の方より小さな地域の自生的秩序が大切なのです。
ということをコメント欄で述べていましたので、ここまで来ないわけにはいかない(笑)


話を、よくやるように私自身のことから始めたいと思います。

私は借家住まいです。貧乏で自前で家を建てるだけの経済力がありませんので。田舎のことですから、ちょっとしたクルマを購入する程度の資金があれ古家ですけれど、かなり大きな土地の付いた屋敷を購入できる。けど、今時の樵稼業では、なかなかそこまでも手が届かない。侘びしい限り(泣)。

で、借家ということは「当然」家主に家賃を支払っています。額は...と、具体的に書くのはやめておきましょうね。安いですよ。一日の日当ぐらいのものです。

ところで今「当然」と当然に「」をつけましたが、その心は、多くの方々にとっては家賃を支払うのは当然だろうけれども、こちらでは必ずしもそうではない、ということなんです。私が暮らしている家の大家は、周囲から欲張りだと言われています。そんなに家賃を取らなくても、その半分でも高い、とか、そもそも家賃を取るのが間違いだ、とか。そんな空気があるんですね。

というのも、こちらではもともと賃貸を前提にした借家がないこともあるのですが、大抵が古い住宅だからです。現在の私の家は、築年数は50年以上。昔の建物で作りはしっかりしていますから建物そのものは心配なのですが、どんなしっかりした家でも人が住まずに締め切った状態で放置しておくとすぐに傷んでくる。古い家はなおさらですが、家賃を取るのが間違いといった感覚があるのは、古い家に人間が住むこと自体が家の価値の保持になっている。そういう感覚があるからなんですね。

このような「感覚」は田舎特有のローカルなものであって、普遍的な感覚ではない――と多くの人は感じるだろうと思います。けれども、決してそうではない。以下のような「物語」があります。

シルビオ・ゲゼル『自然的経済秩序』よりロビンソン・クルーソーの物語

一部、引用してみます。
ロビンソンは運河を建設し、今まで労働し続けてきた3年間の蓄積を持っていることとした。豚を屠殺し、肉を塩漬けにし、地面を掘った穴に小麦を入れて、それに慎重に土をかぶせた。鹿皮をなめし服に加工し、木箱の中に入れてカギをかけ、虫に食われないようにスカンクの匂いをかけた。

つまり、彼はその後3年に向けてきちんと備えたのである。

ちょうど自分の「資本」が計画した事業に十分なものであるかについての最終的な計算をしていたときに、ロビンソンは誰かが近づいてくるのを目にした。

新来者は近づいてきて、ロビンソンに挨拶した。「私の船が沈没してしまったので、私はこの島に上陸しました。私が畑を開墾して、最初の収穫を上げるまで蓄えを貸して私を助けていただけませんか?」

このことばを聞いてすぐにロビンソンは、自分の蓄えから利息が取れるのではないか、また楽に金利生活ができるのではないかと思い、即座に彼はその申し出を受け入れた。

「助かります」と異邦人は答えた。「だがまず、私は金利を払う気がないことを断っておきます。金利を払うぐらいなら私は狩りや魚取りで生活したほうがましです。私は、金利を受け取ることも支払うこともしないことを信条としていますので」

ロビンソン「そりゃあすごい信条だな。だがどうしたわけで、お前が金利を払わないのに私が自分の蓄えのくらかをお前に貸すと考えるんだ?」

異邦人「ロビンソンさん、利己心からですよ。しかるべきあなたの利益を考えれば、そうなりますよ。というのも、あなたはかなり得するからです」

ロビンソン「どこから北のかは知らんが、まずそのことを私に説明してもらわねば。正直、金利なしで私の蓄えを貸したところでどんな得があるのか私にはわからんな」

異邦人「今から説明しましょう。私の説明に納得していただければ、あなたも無利子融資してくれるでしょうし、むしろ私に感謝するでしょう。まず、ご覧の通り私は裸ですので、服が要りますね。服の余りはありますか?」

ロビンソン「タンスに服は詰まっているが」

異邦人「ロビンソンさん。私はあなたをもっと賢いと思っていました。釘で閉じた木箱に鹿皮の服を3年間も入れておいたら、虫に食い荒らされるだけです。それに服にはいつも風を通して油を塗っておかないと、硬くパリパリになってしまいます」

ロビンソン「確かにそうだが、他にどうすればいいんだ。洋服ダンスに入れても変わらないだろう。かえってネズミにやられる」

異邦人「木箱にだってネズミは入ってきますよ。もうやられているんじゃないですか」

ロビンソン「その通りだ。だが、どうしようもないだろう」

異邦人「ネズミを前にして打つ手がないとは、本当によく考えたのですか。私がここでネズミや虫、泥棒や破損、ほこりやカビから守る方法を教えましょう。私に服を貸してもらえれば、あなたが必要なときに新しい服を作るとお約束しましょう。ロビンソンさんは貸したときど同じ新品の服を受け取ります。この服は新しいですから、あとでこの木箱から出す服よりもはるかにいいものですよ。おまけにスカンクの匂いもつけなくていいのです。これでいかがですか?」

ロビンソン「そういうことなら木箱の中にある服をお前に譲ろう。この場合、金利なしに服を貸しても確かに私の得になるわけだ」

この物話と家賃を取るのが欲張りだという話、よく似ているのがおわかりになると思います。そして、また利息を取るという行為もまた、実は不自然でおかしなことである、ということも、この物語の論理は語ります。そこからマイナス金利の「自然通貨」という発想が出てくるのですが...、そちらの話はまた別の機会にすることにして、私の身近なところに話を戻します。

古い家に家賃を取るの不合理ということになりますと、じゃあ、私はとんでもない目に遭っている。私だけではなく、世の賃貸住宅に住んでいる人は不当に搾取されている――といったことになるのですが、でも、それはまだマシな方なんです。たとえ不当であっても、家賃を支払えば家を貸してくれるのですから。私の身近にはそれどころではない、たとえその家の価値に見合う家賃を支払う意志があったとしても、家を貸してくれない――そんな実例がゴロゴロあります。お金があっても、家を貸してくれない譲ってくれないのであれば、住みようがないのですね。どんなにその場所に住むことを望んでも。

私の住む集落は、現在は戸数20戸を切ってしまいました。いわゆる限界集落です。私がこちらへ移り住んだ6年前は25戸ほどありましたから、6年間で20%の現象。人口はもっと減っています。減るばかりかというとそうでもなくて、私の後に1件だけ引っ越してきた家族がいます。その家族を入れて現在は20戸未満。

では、転入を希望してきたの1件だけだったかというと、そうではないのです。実は何人もここに住みたいと希望してきた者たちはいたんです。けれども、その希望は適わなかった。住む場所を誰も提供してくれなかったからです。空き家はたくさんあるにもかかわらず。私の集落は南向き・国道沿いで条件が良く、移転希望者はそこそこいるのですが。

過疎地にある家が空き家になる過程はどこでも同じようなもので、まず、その家の子供たちがみんな都会へ出て行ってしまいます。そして年老いた親だけが残される。その親もやがてはいなくなります。寿命を迎えるというのもあるし、身体がままならなくなって子供の所へ引き取られていくというのもある。そうして空き家ができる。また田舎では、たいていの場合、その家のすぐ近くに代々の墓があったりする場合がほとんどです。で、空き家になっても墓は残る。空き家を貸さない理由は、ほとんどの場合がこの墓なのです。

年に一度か二度、彼岸かお盆あたりに家族がお墓参りにくる。空き家はそのときのための休憩場所として確保しておくのですね。もちろん、その権利は空き家の所有主にあります。が、これは実は周囲の者にとっては甚だ迷惑なことなのです。

都会であっても、周囲が空き家だらけになってしまったら、その地域は大変住みにくいことになるのは同じだから想像がつくでしょう。田舎の場合はそこに付随して、空き地の問題が出てくる。家にはたいてい田畑が付属していますから、そこが不耕作地となって放置される。そうすると雑木等が生い茂って荒れ地になるのですね。田舎の人は、そうした荒れ地を目の敵にします。野生動物が入り込んできますし、景観上もよくない。しかし、その荒れ地を管理するべき人間がいない。勢い、残った人間が手を煩わせなければならなくなる羽目になります。

この問題を解決するのは、とにかく誰かが移り住んでくれればよいのです。誰か人間が住むようになれば、家の管理はする、当然、その周囲の土地の管理もする。人が増えればいろいろな場面で集落は賑わうわけですから、誰か新たに人が転入することをみな望んでいるわけです。それを阻んでいるのは、財産権です。私の土地は私のもの。「当然」(←カッコつき)のことですが、この「当然」が実はクセものなんですね。

以下、続きます。

コメント

子供の質問

子供のとき、家に来た銀行の「お客様係」に聞いてみたことがあります。「銀行は、お金を預かるのに、預かり賃を取らないで、逆に利子をつけるのは、どうしてですか。」「お金を借りたい人が大勢いるからですよ。」「ふうん…。」でも本当には納得しなかった。

相変わらず興味深いお話ですね。当然(コンヴェンション)をどの様に変化させた方が良いとお考えですか?何か具体的な方法をお考えですか?人類の歴史は常にコンヴェンションと新しい価値観との軋轢の様ですが。

Re: 子供の質問

お金とは、虚構そのもの。言い換えれば「大人のもの」ですからね。大人が持つことになる概念のフィルターをまだ持ち合わせていない子どもには、理解できなくて当然でしょうね。

大人になってフィルターを持つことは、他人と平穏に渡り合っていく方便としては欠かせないものですが、方便に取り込まれてしまうと大切なものを見失ってしまうのですね。

Re: タイトルなし

> 当然(コンヴェンション)をどの様に変化させた方が良いとお考えですか?何か具体的な方法をお考えですか?

そのことは近いうちにエントリーにまとめたいと思っています。が、

http://blog.livedoor.jp/appie_happie/archives/51577285.html

のコメント欄にて、ちょっと先の話をしています。よろしければご覧になってください。

空き家の使用権

成文法ではなく慣習法のイギリスでは『日没までの時間帯の青空市場で売られた値段が予め決められた物は盗品であっても売買は合法で有る』なんていう数世紀前の王様の布告が破棄されてることがなかったので最近まで有効だったらしい。
(今でも有効か?)
時代が変わってしまったトンデモナイ大昔の法律でも国家が存続している限りは、誰かが気が付いて破棄しない限り法的に効力が有るらしく、つい最近までイギリスでは空き家の無断使用が合法だった。
(海賊行為の合法は、誰かが間違いなく禁止してくれたんでしょうね。?)

『ロンドンの美しい町』(晶文社、1979年)鶴田静著によると、
『20世紀に入って三度目のイギリスのスクォット(空き家への居住)運動は、1969年にロンドンではじまり、70年代半ばには、10万人の空き家生活者がいた。それは、1977年までは違法ではなかった。』。

今でも住民税は日本のように個人にかかるのではなく住居にかかるので、多数で住めば税金が安上がりで済むらしい。住む家は「共有」の考え方が有るのでしょうか。?
日本でも今とは違い、昔は地域の共同体所有の土地は沢山あったので面白い事に、登記上の個人が特定出来ないので無税扱いの場所も有るんですよ。
全てのものは『個人』が所有するなんて考えは、大昔から有った考え方では無く、つい最近の考え方のようです。

そうですね。proprietor ship(所有権)と言う概念は全ての人間の考え出す概念と同様で時代と場所人間集団によって変化する様です。進化論で理解される様に状況により変化すると言う事だと思います。私がアナキズムを例に挙げるのはプルードンの後の社会に対する思想のミューチュラリズムの様に柔軟に対応しソシャリズム、マルキシズムの様な社会のコンファーミティー(右に倣え主義)を避ける事が可能ではないかと思うのです。
 余談ですが、白人に征服される前のアメリカインデアンの様に土地の所有の概念の無い集団では非常に民主的な生活が営まれていて酋長はアジアやヨーロッパの王や日本の将軍では無く集団の合意のシンボルの様な機能をしていた様です。多くの部族では女性に決定権が委ねられていたと言う事で、白人女性や子供がインデアンに誘拐された場合、元の白人社会に帰りたがらない人が多かったそうです。
 

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