愚慫空論

自生的秩序~大切なのは現在

またまた自生的秩序の話です。 ここ数回、自生的秩序についていろいろと書いてきました。話題になっているカルデロン家の国外退去問題を取っかかりに、法との関係。伝統や文化を育む土壌としての自生的秩序。それから自然との関わり。今回は、自生的秩序と各々の個人のアイデンティティとの関係について書いてみたいと思います。

この観点については、すでに先のエントリーのコメント欄で何度か触れています。カルデロン家の退去を求める人たちの多くは、国家という虚構と自分のアイデンティティとを重ねているのでしょう、といった内容です。不法入国しているカルデロン夫妻を許せない。彼らに特別在留許可が出たとしても、自分に何ら不利益なことなどないはずなのに、許せない。

少し冷静になって考えてみれば分かることですが、彼らは違法なかたちで入国したとはいえ長年日本で働き、日本の社会の一員として日本に貢献しているのですね。また、そうでなければとうに周囲から反発があって追い出されているはずなのです。犯罪マフィアといったような特殊な組織に関わっているなら話は違ってくるでしょうが、一般の日本人と同じような生活をしていたわけですから、彼らが日本に貢献していないというのなら、私たち庶民も同じはず。けれども、そうした点にはなぜか目が向かないのですね。このようなことになってしまうのは、本人がそちらに目を向けたくないのだろうと私などは思ってしまいます。

こうしたコメントには「上から目線だ」といった批判もあるようですが、その批判は正しい。他人のアイデンティティを云々するのに上から目線でないなんてことはありえません。が、ばかと、それは別問題でしょう。それも本人の受け止め方の問題で、耳を傾けていただけるか、反発を感じるか、そんなことは不特定多数に向けて発信しているブログでは考慮できるはずもありませんし、一部の反発を招くからと言って自分の意見を書くことを取りやめるのもおかしな話です。

さて、私は自生的秩序について、「大切なのは現在」とタイトルに書きました。このことを具体的に、“日本人であること”を例にとって話をしてみたいと思います。

KYさんという方(HNからしてお玉さんのところの常連さんかな?)が、
普通に日本語ができて日本大好き!という子供を日本人にして何が問題なのでしょう?今ひとつ理解できません。
(コメント番号1935)

と仰っていますが、これがまさに「大切なのは現在」です。そんな子供は国籍がどうであれ、もうすでに日本人。私ならそう言いますけれどね。そして、その両親もすでに日本人です(そこまでKYさんが賛同してくれるかはわかりませんが)。日本に貢献し日本に馴染んだ人を日本人として、なぜいけないのでしょう?

日本人たる要件を法的な国籍としてしまうと、確かに彼らは日本人ではありません。けれども、国籍は日本にあったしても、日本語も話せず日本の文化にも馴染まず日本の社会に貢献しないような人を、どれだけの人が日本人だと認めるでしょう? そのような事例ならば、法とそれとは別問題となるのではないでしょうか? その別問題こそが、自生的秩序と私が言っているところのものなのです。


また私は、別のコメントで“水に流す”という言葉も用いました。最近は耳にする機会が減ったような気がしますが、“水に流す”は日本人がよく用いる言葉です。これも、「大切なのは現在」だからこそ。過去の経緯は水に流して、新しい自生的秩序に踏み出そうとするのですね。

しかし、日本人なら誰でもどんな場合でも水に流せるかというと、それはもちろんそうではない。では、どういった場合が水に流せないのか、と考えてみましょう。

まず思い浮かぶのは、かけがえのない人の生命を奪われてしまったとき。これには具体的な事例がいろいろとあります。つい最近にも大きく話題になった事件がありましたし、今もそのような事件が報道を賑わせています。不幸にもこのような事件に遭遇してしまった遺族は、そう簡単に犯人の罪を水に流すことなどできない。このことは心情的によく理解出来ると思います。

このような心情を自生的秩序の観点から見てみると、次のように考えることできるでしょう。

自生的秩序とは、別の表現をしますと、「私」と他者との関係が、強制されることなく一瞬一瞬【おのずから】【みずから】紡ぎ出されるということ。「私」にとってかけがえのない者とは、自生的秩序を組み上げる重要なパートナーである。そして「私」はこの自生的秩序に大変満足し、幸福を感じている。ところが、このパートナーが突然奪い去られてしまう...。そうなってしまいますと「私」はもはや幸福ではなくなり、自生的秩序は崩れ去ってしまう。「私」にとって大切なのは現在ではなく過去になってしまう。時間が止まってしまう。

こうなってしまいますと「私」はもはや水に流すことが出来ません。それはそうです。大切なのは現在ではなく過去なのですから。過去が大切な人は水に流すことが出来ません。もちろん自生的秩序の構築もできなくなる。「私」のアイデンティティは、過去にあることになってしまうのですね。

アイデンティティが過去にある。これを“日本人であること”に当てはめてみると、「私」のアイデンティティは、「今、日本人として暮らしていること」にあるのではなく、「昔、日本人であったこと」に置かれることになる。つまりは「日本人として生まれたこと」です。多くの日本人は、日本人として生まれ日本人として暮らしているのですから、普段は過去と現在とを分けて考えることもないはずなのですけれども、それがなぜか、アイデンティティの比重が過去に置かれる。その理由は容易に想像がつくでしょう。過去が大切になる理由、それは現在が「私」にとって思わしくないものだから。幸福な自生的秩序のなかにいないから。

高見に立ったようなことを言うと思われるかもしれませんが、私はカルデロン夫妻の犯罪――といっても、今となっては役人のメンツ以外に実害のない犯罪を、許せない、水に流せないのは、その人のアイデンティティが過去にあるからなのだと思っています。「今、日本人であること」にあるのではなく「日本人として生まれた」ことにあるのですね。これは今「私」が幸福でないことを意味します。「私」が幸福でないから水に流せない。許せない。他人を承認できない。なんのことはない、「私」の不幸を理由に他人にも不幸を連鎖させようとしているだけのことなのです。

私は法は自生的秩序を守るためにあるのではないのか、と問いましたが、この問いは、これまでの話を踏まえて言い換えますと、法は人間の幸福を守るためにあるのではないのか、とすることができるでしょう。法を他人を不幸にするために利用することは、例えそれが法理論において正しくても、法の目的からは外れています。あのハイエクが「法の支配」と「法治主義」は似て非なるものであるといった、その理由はここにあると思います。

しかし、私は過去にアイデンティティを置いてしまっている人を非難しようと思っているわけではない。上から目線であってもバカにしているわけではないのです。ここで非難してしまうと自己責任論に墜ちてしまいますが、自生的秩序を重んじる者としてはそれはできない。「私」が過去にアイデンティティを置いてしまうことになるのは、「私」を取り巻く秩序がそうさせるのです。アイデンティティとは、独りよがりで組み上げられるものではない。「私」の欲求と周囲からの承認とが絡み合ってできあがるもの。そして、これは私が信じていること――人間性善説――ですが、人間は出来るならば現在にアイデンティティを置きたいもの。今、「私」が生きていて、生きているが故に行為を為す一瞬一瞬が「おのずから私であること」を望むものなのです。それこそが幸福なのであり、幸福な人間はみずから秩序の中に溶け込んでゆく。自生的秩序のもっとも本質的なところは幸福の連鎖のあり、だからこそ法は自生的秩序を守るためのものでなければならない。法は、自生的秩序を乱そうとするものを断ち切るためのものでなければならないのです。

コメント

いつぞやも仰ってましたが

「自生的秩序」にあたるのかどうか、分かりませんが・・・。
それがいい出来事だろうが悲惨な出来事だろうが、共通の経験をしている、それを否定することは不可能だという時間を共有している、ってことが大事なことのように思います。
それを「共有しようか」と思えるからこそ、過去の過ちも水に流せるし、その今の関係性から未来への責任も発生する。
それが、そのコミュニティで成り立ってればいいじゃないか、って思うんですよね。
水に流せる美しく潔い伝統を持っているはずの日本がそれをすることが出来ず、ほかのところではとっとと法制化までしている国もあるってのが、けっこう情けない話だなと思う。

「住民」と「国民」ってのは違うんだなと、改めて感じた次第です。
また、「法と秩序」と言ってるのに、法と秩序とが自分の中でゴッチャになってて気がつかない人たちも多いんだなとも、改めて感じた次第。

性善説

愚樵様、こんばんは。先日は拙ブログにてコメントをいただき誠にありがとうございました。

法は何を根拠に決められるか/決めるべきかという命題は、なかなか深いものがあると思います。愚樵様が仰るように「法は自生的秩序(=幸福)を守るためにあるのではないのか」という問いは、この法は何を根拠に決められるべきなのかという命題と軌を一にするように思います。

以前私は、拙ブログにて「正義とは何か」http://kotobukibune.blog105.fc2.com/blog-entry-51.html
という記事をエントリーしたことがあります。この記事にて、(国家の)正義と民族のあるべき姿が一致したときに、理想国家が建設され得るのではないか、としましたが、これも民族のあるべき姿は、そのままその民族内の個人の幸福とも極めて近いものである、という前提を必要とします。(以後はこの前提の上での言であることをご容赦ください)

ただし、日本のように、日本民族≒日本国家が成り立つ国であれば、非常にシンプルにこの構造を成り立たせることができるようにと思いますが、他の多くの国がそうであるように、多民族国家の場合は、個人的価値観(≒民族の理想、あるべき姿)と国を束ね、統べるところの法が必ずしも一致しない、また同時にそうであっても包含せねばならないという国家(=社会)秩序維持が必要とされるが故に、ノモス的な、ただ現実社会を守るためだけのものにならざるを得ないのではないかとも思います。

もちろん、個人の幸福というものをどのように規定するかで話は変わるかと思いますが、日本人にとっての幸福は、「水に流す」などの日本人的な価値観を内包するところの「日本人であること」を含まなければならない、とするのであれば、日本人の自生的秩序を守るための法は、やはり日本人としてのあるべき姿、理想を体現したものでなくてはならないと思います。

ここで、日本人のあるべき姿という概念自体、日本人の【おのずから】という自然な原理と相反するのではないか、という疑念が湧いてきます。

しかしながら私には、日本人の【おのずから】という原理は、そのまま日本人のあるべき姿のように思われてなりません。

それは、日本人の文化・伝統の中に、神と人とが密接に繋がり、人も神(大自然も含む)の一部であるという性善説が深く流れていると思うからです。

ともすれば「これこれであるべきだ」という法は、どこかにある唯一神が垂れた教えがその淵源にあったりしますが、日本人の場合はそうではない。

日本神道に教義がないことを持って、日本には神の教えがないという見方はできましょう(=おそらくこれが一般的な見方でしょうが)。しかし私には神の明確な教えはないかもしれないが、(本来は)神の性質を持つ人は、神を敬う心を根本に、自らの良心・神性(=性善)に基づいて、あたかも神が地上に生きんが如く生きてゆけ、と神様が人間を信頼している(任せている)部分があるように思えます。(その意味では、八百万の神々はとても性善説な神様でもあります。)

故にわざわざ神の教えを日本人に示す必要はなく、その場その場で、その時その時で最善と思う考えや教えを用いることが是とされ(その合意形成には「和」が重視されます)、そのような文化・伝統が培われていったのではないかと考えています。(拙ブログ「日本的価値観の構造」http://kotobukibune.at.webry.info/200803/article_37.htmlより)
(とはいえ、現実には、実際の神の教えにあたる部分は、仏教がその大半を肩代わりしているであろうと思います。)

日本人が、お墓参りをして、クリスマスを祝い、初詣をしても何の違和感も持たない。また、日本人の(節操ないくらいの)あたらし物好き、物真似好きはこのあたりに要因があるのではないかと推測しています。

【おのずから】と【みずから】はその根底に、人はその本性において神である/神にもなれるという性善説によって、ひとつになってゆくように思います。

【おのずから】が、民主主義の脅威を乗り越えてゆくためには、人間は本来神に通じる神性を持った存在であると識り、それを顕現させるように社会としても個人としても育ててゆくことにありましょうか。そう愚考します。



尚、拙ブログから、貴ブログにリンクを張らさせていただきました。事後になってしまい、申し訳ありません。ご連絡申し上げます。

今後ともよろしくお願いいたします。

コメント、失礼します。
大きいお話になっていますが、「在留特別許可」というのは、年間1万人くらいに降りているので、1件くらい増えた所で余り変わりませんよ。

入管内部でちょっと変わるか変わらないか程度の影響力だそうです。
http://www7.atwiki.jp/epolitics/pages/188.html#id_ef351b25
http://www7.atwiki.jp/epolitics/pages/188.html#id_a5b1e73f

Re: いつぞやも仰ってましたが

> それがいい出来事だろうが悲惨な出来事だろうが、共通の経験をしている、それを否定することは不可能だという時間を共有している、ってことが大事なことのように思います。

それが「自生的秩序」の基盤だと思います。現在はつねに移りゆくものです。現在が大切といっても、見ず知らずの相手といきなり仲良くできるものではない。理念を掲げて同志だから仲良くするという方法もありますが、これも所詮過去を基盤とする方法。現在を基盤に相手と関係を構築しようと思えば、移りゆく現在の積み重ね、つまり時間を共有するしかない。また自生的秩序は時間の共有が基盤であるからこそ、「作り上げるもの」なのではなくて「育っていく」ものなのですね。

> それを「共有しようか」と思えるからこそ、過去の過ちも水に流せるし、その今の関係性から未来への責任も発生する。
> それが、そのコミュニティで成り立ってればいいじゃないか、って思うんですよね。
> 水に流せる美しく潔い伝統を持っているはずの日本がそれをすることが出来ず、ほかのところではとっとと法制化までしている国もあるってのが、けっこう情けない話だなと思う

あくまで私の見立てですが、これは日本的な信仰の崩壊が原因だと思います。「百姓道」ですね。【仕事】を通じて自分の現在を見詰める術をなくしてしまっているので、過去にアイデンティティを置かざるを得ず、水に流せないのでしょうね。イスラエルとパレスチナの例を見てわかるとおり、過去にこだわれば水に流す=和解など絶対に不可能です。

> 「法と秩序」と言ってるのに、法と秩序とが自分の中でゴッチャになってて気がつかない人たちも多いんだなとも、改めて感じた次第。

そういう人たちがいわゆる「ウヨク」でしょう。本来保守とは、言葉に出来ないものを守るはずのものなのですが、彼らも言語化された概念でなければ共感できなくなってしまっているのでしょう。そして本来言葉に出来ないことを無理矢理言語化しているので、ウヨクはカルト化する傾向が高いのでしょうね。

Re: 性善説

日比野さんようこそ。

大変に内容の濃いコメントをありがとうございます。ご指摘には頷くばかりなのですが、一点だけ。

> ここで、日本人のあるべき姿という概念自体、日本人の【おのずから】という自然な原理と相反するのではないか、という疑念が湧いてきます。
> しかしながら私には、日本人の【おのずから】という原理は、そのまま日本人のあるべき姿のように思われてなりません。

そうなのです。この矛盾を解く鍵は、意識と言葉そのものにあるのではないかと私は思っています。というのも、【おのずから】という原理が働いている場面での日本人は、決してそのような原理を言語化し意識することはない。「おのずから」は単にその時々の状態を示す言葉でしかなくて、原理を表す言葉でない。それは、アキラさんへの返答でも示したとおり、本来言語化できないものを無理矢理言語化しているものであって、それは「近代」という世界観に由来する。

そう考えると、神道に言語化された教義が存在しないことにも合点がいきます。日本人にとって神とは、一神教のそれのように言語化された契約によって捉えられるものではなくて、言語化できない世界の存在。神は世界を超越するものではなくて、己の内側に内在するものとして現れるのでしょう。

> 尚、拙ブログから、貴ブログにリンクを張らさせていただきました。事後になってしまい、申し訳ありません。ご連絡申し上げます。


ご丁寧にありがとうございます。こちらこそよろしくお願いします。

無理がありすぎるのでは?

今まで黙って読んでいたのですが・・・やっぱり単なる一個人の不法滞在状態を社会学的な「自生的秩序」と考えるのは無理があるのでは?独自の解釈という事なので、自由といえば自由なのですが。

それにしても、前回か前々回のコメント欄の方が指摘されたように、日本人の職を奪った事や現にそれが多いと労働経済に与える影響もあるのですが、その点については少し無視しておられるように見えます。そして実際、そういう「運動」をされている方がおられる事からも・・・

さらに日本国の「権利を侵害する行為」でもありますよね?これを単なる役人のメンツという感覚もどうかと思います。他国でそういう感覚は無いと思います。ハイエクの解釈にかかわらず。

最初の時効の考え方もおかしいと思います。在留資格や国籍は法的な地位や資格の問題ですから、財産権ではなく、例えば国家資格のようなものと比較するのが適切なのでは?

例えば愚樵さんのお考えだと、替え玉受験で資格を得た医師や弁護士は一定年数バレずに働けば、正式に医師会や弁護士会に登録を請求できることになってしまいます。大分県の教員コネ採用などもそうなりかねませんね。本人すら知らない場合があるのだし。これらはすべてカルデロン一家と同等以上の「自生的秩序」を主張できてしまいます。まぁ、弁護士や医師は世襲化が進んでいますから、一部の人は喜びますが庶民的価値基準からはかけ離れていますね。

私に言わせてもらえば、「自生的秩序」とはむしろ不法滞在者を取り締まり、相互に引き渡す現行の国家間の秩序の方が余程当てはまって見えます。

最後に「通りすがり」さん。在留特別許可を出した場合の影響については、娘一人と両親共の三人の場合で意味が異なります。不法入国だと三人なら意味は大きいと思います。要するに「人間がどこに行こうと勝手だ。不法行為がどうした!」という人達の人権運動が実態ですので、事例の積み上げと、漠然とした基準の拡大に意味を置かれるのでしょう。まぁ、入国管理局はその「裁量」を前例踏襲の「基準」ではないと言い張るでしょうが、訴訟された場合を想定すれば、影響が無いとはいえませんのでね。

ただ、私も日本の法に基づいて司法に判断を委ねた以上は、少なくとも当人たちや支援者たちに言い分が無いというのは同意ですね。負けた裁判の後まで憲法や条約をどうこう言うのは確かにみっともないです。

ところで、愚樵さんは、どうして役所のメンツ以外「誰にも迷惑をかけてない」という風に言い切れるのでしょうか?直接本人たちをご存知なのですか?ずっと探していますが、そう確証できるほどの情報が出てきません。判決全文すらわからないのですよ?彼らの素性についてもある程度留保するのが知的誠実と思います。長文失礼しました。

Re: 無理がありすぎるのでは?

ようこそ、リーマンさん

> やっぱり単なる一個人の不法滞在状態を社会学的な「自生的秩序」と考えるのは無理があるのでは?

単なる一個人の問題と捉えてしまうと、私の問題提起は理解できないでしょう。自生的秩序というのは、大きな社会と個人とを直接対峙させる――現状の社会――のではなくて、社会と個人の間に共同体的なものを復活させようとする考え方です。

> 日本人の職を奪った事や現にそれが多いと労働経済に与える影響もあるのですが、その点については少し無視しておられるように見えます。

日本は長期的には労働力不足になると推測されているのですよ? なので、1000万人規模での移民が政府によって計画されいます。ご存じないのですか? 私はその移民計画に反対なのは以前申し上げたことですが、日本人の職を奪うというのは、あったとしても労働のミスマッチの問題でしょう。

> さらに日本国の「権利を侵害する行為」でもありますよね?これを単なる役人のメンツという感覚もどうかと思います。他国でそういう感覚は無いと思います。ハイエクの解釈にかかわらず。

では、具体的に彼らは日本国の何を侵害したのでしょうか? 権威など抽象的な概念以外で彼らは一体何を侵害したのか? 在留反対派が具体的な例を示したことは私の知る限りではありません。もしあるなら例示願います。

> 在留資格や国籍は法的な地位や資格の問題ですから、財産権ではなく、例えば国家資格のようなものと比較するのが適切なのでは?

それは正しいと思います。また国籍がどういったものなのかを考えるのにもよい問題提起です。

> 替え玉受験で資格を得た医師や弁護士は一定年数バレずに働けば、正式に医師会や弁護士会に登録を請求できることになってしまいます。大分県の教員コネ採用などもそうなりかねませんね。本人すら知らない場合があるのだし。これらはすべてカルデロン一家と同等以上の「自生的秩序」を主張できてしまいます。

そういう考え方もありだと私は思っていますが、そこを議論すると話は別の方へいってしまいますのでおきまして、リーマンさんが見落としておられるのは、そうした資格を取得するには、対価を支払わなければならないということです。私たち日本人は、日本人であることに何らかの対価を支払いましたか? 資格と国籍とを同列に論じるなら、この論点を欠いてしまっては意味がないでしょう。

また国籍といったものが、資格などと同様に「国家に管理されるもの」となることに危惧は感じませんか? 私たちが日本人であることは国家によって定められたものではなくて(守られるべきものではあっても)私たち自身が定めるものでなければならず、法は単にそのことを反映しているだけと見なすのが「法の正義」の観点から見ても正しいと思われます。ならば、周囲が日本人と認めたなら日本人であるとすることには、法の手続き上の問題は様々あるにせよ、「法の正義」の観点からは何もおかしなことはありません。

> どうして役所のメンツ以外「誰にも迷惑をかけてない」という風に言い切れるのでしょうか?直接本人たちをご存知なのですか?ずっと探していますが、そう確証できるほどの情報が出てきません。


なるほど、それは私の思い入れが過ぎたのかもしれません。が、しかし、上でも述べましたとおり、在留反対派の方々はいつもカルデロン一家が在留することの具体的な不利益については一切述べませんね。述べても根拠のない憶測だけです。そこから逆に「彼らは迷惑をかけていない、反対派のアイデンティティと役人のメンツを潰す以外は」という結論が導かれてしまうのですね。

もし、彼らを直接知っている人間で、彼らの在留に反対している人たちがいるのなら教えてください。それは扇情的なマスコミが単に報道しないだけなのでしょうか?

レスどうも。

早速のお返事ありがとうございます。
要点だけ。

>社会と個人の間に共同体的なものを復活させようとする考え方です。

お考えはともかく、個別具体的にカルデロン一家にそんな特別なものはあったと思えないんですね。つまり「自生的」な秩序なるものがあるのかと。また不法就労の労働市場全体となると話が変わりますが、不法就労の労使関係は共同体的ではありえませんしね。

>日本は長期的には労働力不足になると推測されているのですよ? なので、1000万人規模での移民が政府によって計画されいます。ご存じないのですか?

それはそうでしょう。バブル期から景気の波を考えずに推測してきたのですから。ミスマッチに関しても、その労働市場に人がいなければ条件は改善せざるを得ません。私は外国人を単に安い賃金としてしか見ていない政府や企業の考えは外国人の為にも良くないと思います。

>では、具体的に彼らは日本国の何を侵害したのでしょうか?

無論「『国家主権』に基づいた法秩序」でしょう。

>私たち日本人は、日本人であることに何らかの対価を支払いましたか? 資格と国籍とを同列に論じるなら、この論点を欠いてしまっては意味がないでしょう。

同列というかズバリ法的地位であり、資格だという事ですが、日本人が日本人である事に対価を支払う必要がないのは国籍の性質から当たり前では?カルデロン一家のフィリピン国籍も血統主義に拠るので当然対価は不要ですよ。ただ、現に地球全域に「国家」が存在して各々自律して法秩序を形成していますので、仕方が無いだけですよ。それに正規に入国すれば帰化もできますし、現行法も冷たくは無いでしょう。

>在留反対派の方々はいつもカルデロン一家が在留することの具体的な不利益については一切述べませんね。

それは当然ですよ。現に彼らと接触しませんし、単に彼らへの恨みつらみで言うのではないので。ただ、自らの不法行為を棚上げして国と争訟した事には義憤を覚えますし、情の問題では無く、ここで許可が出れば前例を形成し、類似事例が重なって大きな問題になるという社会的な意味を考えているというだけの事です。現に相当数いるのでしょうね。あれからすぐ、もう一人女の子も出てきましたし。

・・・おっと、時間がなくなりました。いずれまた。

ぐたいてきに

>無論「『国家主権』に基づいた法秩序」でしょう。

『国家主権』ってのは、はじめて聞いたな。新しい日本語かな。もしかして新興の国家主義者の方?そうでなけりゃ「国」や「家」に「主権」って言葉をひっつけるてのは、語感として非常に、なんというか、ノスタルジックなセンスだな。

ためしに「国家の国家による国家のための・・・法秩序」なんて言ってみる、

そうすれば、こんなのはとうの昔に淘汰された言葉だということがすぐにわかるよね。(なんでこんなに無粋なんだろ。日本の守旧派ってのは。・・・涙出てくる)

ちなみに「秩序」と「法」ってのは全然別の言葉。なんだけど、このふたつが「法秩序」みたいに同列に並べられて、なおかつお互い抵触しないような意味をあてるとしたら、単なる「きまり」ということになる。

それでいいよね。

これが厳格になれば「おきて」だ。で、それは、もちろんここで言う「自生的『秩序』」や「日本国憲『法』」とは、まったく違うもの。もちろん、ここにいらっしゃるみなさんは、そこをしっかりと押さえてらっしゃるよね。

んで、その何だかわからない『国家主権』に「基づいた法秩序」ってのは、誰が「まもる」どんな「きまり」なのかな。

それはたとえば、犯罪者として母国から国際指名手配を受けたフジモリ大統領や原子力空母やら原潜やら劣化ウラン弾やらを勝手に持ち込むアメリカ軍だとかは、守らなくてもいい「おきて」なのかな。

ね、聞いてる?

あたしは、詰まるところ「具体的に」何をまもるのか、に尽きると思うのだけど。

そもそも、あたしはこの話を聞いて「日本にもこんな素敵な地域が残っていたのか」と素直に嬉しい気持ちになったものでね。素朴に懐古主義的に、自省を込めて。

黄 髪 垂 髫、 並 怡 然 自 楽。

だから、あたしが守りたいと思ったのは、その環境自体、なんですよ。一月を持ってきて「むつき」と名付ける和の精神、そのみなもと。で「これをわかってくださる保守派がなかなかいらっしゃらないのが嘆かわしい」ってのがあたしの思い。

ササガワ会長も仰ってたじゃない。「人類は皆兄弟」って。それともあれは大嘘なの。だとしたら嘘つきはササガワ会長かい。

それとも日本人かい。

ぐたいてきですか?

ごん さん、はじめまして。

>『国家主権』ってのは、はじめて聞いたな。新しい日本語かな。もしかして新興の国家主義者の方?

ああ、なるほど。その種の言葉にアレルギーをお持ちの方がいそうな雰囲気はしていました。では単に「主権」と言い換えてもよろしいですよ。それも嫌なら「政策」にまでとどめますか?低次元なお話になりそうですが。この場合、「具体的な内容」に変わりはほとんど無いですね。

>それはたとえば、犯罪者として母国から国際指名手配を受けたフジモリ大統領や原子力空母やら原潜やら劣化ウラン弾やらを勝手に持ち込むアメリカ軍だとかは、守らなくてもいい「おきて」なのかな。

失礼ですが、一体、何の事を書かれているのかわかりません。敢えて端的にお答えすれば勿論「守らなければならない」と私は躊躇せず言えますが、それが何か?

そして、その上でもう一度書きましょう。カルデロンのり子の両親は、米軍もフジモリ氏も守らねばならない法を破ったのだと。そして、それに対して法に基づいて訴訟し、のり子の強制退去を含めて「敗訴」した。さてこれを「帰るべきだ」というのに、何の不都合がありますか?

>あたしは、詰まるところ「具体的に」何をまもるのか、に尽きると思うのだけど。

まもるのか・・・といえば繰り返しになりますが、

【彼ら親子の退去強制処分を適法とした判決】

本当は、これこそ一番「具体的」なのですがね。それも議論の余地も無い程に。しかもこの場合「原告」が彼ら親子ですから「通りすがり」さんが書かれたように、彼ら自身が主体的にここで議論されているような事を主張する立場が既に無いですね。

そもそも愚樵さんのお考えは確かに面白いですが、「自生的秩序」自体に具体性が見出せるハズもありませんしね。具体的な法や判決にすら異を唱える割には、少々都合の良い論法だな、と思っています。

そして法や判決が守ろうとするものは、当然本質的に「具体的」な事物になる訳がないですよね。規範なのですから抽象的になります。


本当は簡単な事なのではないですか?

「飛行機内で携帯電話を使用してはならない」

というのを守らずに携帯でずっとピコピコやりながら乗り込んできた乗客に退去を求めたら、(←実際するかは知りませんが例えで)

「誰にも迷惑かけてないだろ!具体的に誰かに損害が出たのか言ってみろ!」

これは自由論ではありません。ただ横暴なだけです。むしろ一斉に白い目で見るであろう周りの人達の反応にこそ、日本人の歴史的に培われた秩序が作用しているように思います。この時、彼を白い目で見る人達に国籍は関係ありません。人類皆兄弟ですね。

あ、例えはちょっとカルデロン一家と違いますよ。空で判明したことになると流石に放り出せませんので。文意を汲んでいただければ。

兄弟

挨拶が遅れましたね。リーマンさん、よろしくお願いします。

>彼ら親子の退去強制処分を適法とした判決

なるほど、「具体的に」と申し上げれば、こういうふうにはっきりと書いてくださるだろうとは予測できましたよ。つまり、リーマンさんが「まもろう」というのは、

>『国家主権』に基づいた法秩序

などといういかにも抽象的で大袈裟なものではなくて、「ひとつの判例」だということですね。承知しました。それで、あなたは「強制退去すべきだ」とお考えになる。わたしは「それはヒドイ」と思う。それでいいじゃありませんか。

>法や判決が守ろうとするものは、当然本質的に「具体的」な事物になる訳がないですよね。

法が護るのは人でしょう。その具体的な相手が誰であるかは、言わないでおきますよ。わたしは、その具体的な相手が身近にいた、あるいはその本人が自分だったら、我が子だったら、というふうに仮定してものを考えるのが好きですから。いささか子どもっぽくはありますが。

あなたは「法がまもるのは規範だ」とお考えになる。わたしは「法がまもるのは人だ」と思う。これも、重々承知いたしました。

ちなみに森鴎外というお人が書いているお話しには、兄弟殺しで打ち首獄門になるはずの罪人が出てくるのがあるのですが、あれの筋、おぼえておいでですか。あれは進歩的な方々にはわりと不評ですが、あたしは、好きです。規範と人情との狭間に立たされた人間の苦悩と、そこから紡ぎ出された、ひかり、が見えますゆえ。一縷の。

わたしもそれをまもりたいと思う。

人類は皆兄弟、ですね。

とっとと出て行け、カルデロン

 強制退去処分を不服として、訴えを提起したのは、カルデロン。自分に不利な判決だから従わない、というのは虫がよすぎる。
 13日で消えてほしい。さんざん日本に迷惑をかけたのだから、13日は一言謝罪してほしいな。

人類みな兄弟ではない

 「人類みな兄弟」スローガンとしては素晴らしいのですが、法律的には間違いです。
 カルデロンは、自ら司法による解決を望み、敗訴したわけですから、強制退去させられて当然。
 「法が守るのは人」これもスローガンとしては素晴らしいけれど、そんな事は日本の法律のどこにも書かれていません。
 やはり、カルデロンは司法による決着を望み、敗北したわけですから、強制退去処分を受け入れざるを得ません。
 敗訴するとは、そういうことです。

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『新自由主義』批判

 「新自由主義」による拝金主義は下層の汗まで吸い上げようとする金融虚業(返済能力のない下層にまで無理矢理カネを貸す)であった。そして、この虚業を基盤とした大企業による収益増大行動は壮絶な社会的差別を繰り返し、年末年始の「派遣村」として表面化した。  こ

家計から見る経済学

『人々の暮らしに思いを馳せる心』 この十年余りの歳月。政府が長期経済計画『生活大国五ヵ年計画』(1992年)から『構造改革の為の経済社会計画』(1995年)へと変更されたあたりから,日本の経済政策,経済分析。経済論議は現実の一般庶民からかけ離れたところ

自由を差し出して

たとえばシルクロードで遊牧生活を送っている人たちは 自らの所属する国なり行政区分なりに税金を払っているのだろうか いやそれ以前に 住民票、戸籍、国籍とかいったものはどうなっているんだろう 納税以外の その国が国民に課す義務については 教育とか勤労とか、兵役と...

過去の親の不法行為と、現在の子どもの幸福と、現在の地元からの支援とを考えて (カルデロンのり子さん一家への在留特別許可を私は求めます)

『「移民」についてあれこれ』でも触れた、カルデロンのり子さん一家について、また、この件をめぐる視点を広げるいくつかのことを書いて...

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愚慫

Author:愚慫
“愚樵”改め“愚慫”と名乗ることにしました。

「空論」は相変わらずです (^_^)

      

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