愚慫空論

オバマの演説には失望した

もちろん、失望したのはバラク・オバマ新大統領の就任演説のことです。この演説は、非常に立派なものだとして大変に評判がよろしい。立派なものだ、名演説の見本として教科書に載せるべきだ――そういった意見に反対だと言うわけではありません。アメリカの大統領の演説として欠点があって、それを論おうというものではありません。歴史的といってよいのでしょう。

が、アメリカ合衆国大統領として立派であればあるほど、そしてそれがアメリカ国民に支持されると言うことは、それは実は従来のアメリカという国を支えている精神の枠内に留まっているということになるのではありますまいか? たかだか200年あまりの歴史しかないアメリカの精神とやらも、それより遙か長い歴史を有する日本という国に立脚する者から見ると物足りないものでしかありません。オバマの唱えた“CHANGE!”は、建国以来の苦境に立つアメリカがその足元を見つめ直すものなのかと、期待していていました。しかし、その期待が満たされることはなかった。裏切られたとまでは言いませんが、演説が立派であればあるほど、満たされなかったものの存在が大きく浮き上がってくる――そんな心境です。

トクヴィルのみたアメリカ
『アメリカの民主政治』のなかで、トクヴィルは次のようなことを述べています。それはアメリカには農民はいない、いるのは農業を舞台にした経営者だけだ、ということでした。
 もちろん、彼が旅行をした頃のアメリカは開拓時代ですから、アメリカ国民の大半は農民だったといっても良いのです。ところがその農民の大半は、森を切り拓き、農地を作り出しても、それが効果に売れる条件が生まれると、さっさと売ってしまって、別の仕事につくか、また新しい農地を切り拓いて売ることを考えるというのです。今日的にいえば農地の開発業者のようなものですが、こういう精神が農民を支配していることをトクヴィルは発見しました。つまりアメリカの農民は、農地を舞台にした経営者として自分を位置づける「精神の習慣」をもっている、ということですが、それは作物を育てる農民であろうとする、フランスの農民の「精神の習慣」とは、違うものだというのです。
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以上の引用は、またしても内山節氏の著作から。そしてトクヴィルとは、19世紀前半のフランスの政治思想家。日本と同じく、アメリカよりも遙かに長いフランスという国の歴史を背負った知識人です。その知識人が重視したのは「精神の習慣」。そんなトクヴィルから見えたのは、“経営者として自分を位置づける精神”です。これはアメリカ的自由であり、アメリカ建国の精神といってもいいでしょう。
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(1)恐れでなく希望を選んだ

国民の皆さん

私は今日、厳粛な思いで任務を前にし、皆さんの信頼に感謝し、我々の祖先が払った犠牲を心にとめて、この場に立っている。ブッシュ大統領が我が国に果たした貢献と、政権移行期間に示してくれた寛容さと協力に感謝する。

これまで、44人の米国人が大統領としての宣誓を行った。その言葉は、繁栄の波と平和の安定の時期に語られることもあったが、暗雲がたれ込め、嵐が吹きすさぶただ中で行われた宣誓もあった。こうした試練の時に米国が前進を続けられたのは、政府高官の技量と展望だけでなく、「我ら(合衆国の)人民」が、先達の理想と、建国の文書に忠実でありつづけたためでもある。

それが我々の伝統だった。我々の世代にとっても、そうありつづける。

だれもが知る通り、我々は重大な危機にある。わが国は(イラクやアフガニスタンで)戦争状況にあり、敵は憎悪と暴力のネットワークを持っている。経済状況も悪く、その原因は一部の人々の貪欲(どんよく)さと無責任さにあるものの、我々は困難な選択を避け、次世代への準備にも失敗している。

多くの人々が家を職を失い、企業も倒産した。健康保険制度もカネがかかりすぎ、多くの学校(制度)も失敗した。毎日のように、我々のエネルギーの使い方が敵を強め、地球を危険に陥れている証拠も挙がっている。

これがデータや統計が示した危機だ。全米で自信が失われ、アメリカの没落は必然で、次の世代は多くを望めない、という恐れがまん延している。

今日、私は我々が直面している試練は現実のものだ、と言いたい。試練は数多く、そして深刻なものだ。短期間では解決できない。だが知るべきなのはアメリカはいつか克服するということだ。

この日に我々が集ったのは、恐れではなく、希望を選んだためで、争いの代わりに団結を選んだからだ。

この日、我々は実行されない約束やささいな不満を終わらせ、これまで使い果たされ、そして政治を長いこと混乱させてきた独断などをやめる。それを宣言するためにやって来た。

我々はいまだ若い国家だ。だが、聖書の言葉を借りれば「幼子らしいこと」をやめる時が来た。我々が、不朽の精神を再確認する時がきた。より良い歴史を選ぶことを再確認し、世代から世代へと受け継がれた高貴な理想と貴重な贈り物を引き継ぐ時が来た。それはすべての人々は平等、自由で最大限の幸福を追求する価値があるという、神の約束である。

(以上はオバマの就任演説から。訳文は大津留さんのところからお借りしました)



オバマは、アメリカがいまだ和解国家であることは認めています。しかしながら、すぐに続けて「不朽の精神」と続ける。その「不朽の精神」とは、アメリカ建国の精神の他なりません。演説の内容からしてそれしかありえません。

(2)立ち上がり、再建しよう

我が国の偉大さを再確認する時、我々は偉大さが決して与えられたものでないことを理解する。自分で手に入れなければならないのだ。我々のこれまでの旅は、近道では決してなかったし、安易に流れるものでもなかった。それは心の弱い、仕事より遊びを好み、富と名声からの喜びのみを求める人々の道でもなかった。むしろ、リスクを選ぶ人、実行の人、創造の人の道だ。恵まれた人の場合もあるが、多くはその仕事については知られず、長く困難な道のりを歩み、我々を繁栄と自由へと運んでくれた人々だ。

我々のために、彼らは、ないに等しい荷物をまとめ、海を渡って新しい生活を探した人々だ。

我々のために、彼らは額に汗して働き、西部に住み着き、鞭(むち)打ちに耐え、硬い土地を耕してきた人々だ。

・・・




ここで再び、内山節氏の著作を通じてトクヴィルの主張を見てみます。
インディアンの存続を許容できない社会
アメリカ先住民のことを、ここではトクヴィルが表記したように俗語のインディアンとしておきますが、インディアンとは何かを考える場合に注意しなければならないことは、「民族」としてのインディアンではなく、インディアン的な精神の習慣をもっている民族としてのインディアンだということです。アメリカインディアンは、労働をすることは人間に対する冒涜だという先進の習慣をもっていました。つまり、“神から与えられたもの”をいただく、そのことに対する敬虔な生活が、アメリカインディアンの文化をつくっていたのです。“神から与えられたもの”とは、“自然から与えられたもの”と言い直しても良いのですが、自然の恵みを最小限度いただきながら、自分たちの生活を質素に営み、精神的には大変高い文化を気づいている、それがインディアンの暮らしでした。
 その精神の習慣を維持するには、広大な自然が必要なのですが、アメリカに渡った白人がどんどん押し寄せてきますから、自然が奪われ、それに抵抗しようとすると、武力でぼろぼろにされてしまう。その様子を見てトクヴィルは、このままではアメリカインディアンは抹殺されてしまうだろうと考えた。それから逃れる唯一の方法は、インディアンたちがこれまでの習慣をやめて、労働=生産をして富を蓄積していく生活を受け入れること、つまり白人と同じ精神の習慣の中に入っていくことだろうと彼は述べている。しかし、もしそうなったら、インディアンをインディアンたらしめている精神の習慣が消えてしまうわけですから、それもまたインディアンを滅ぼす道だとも述べているのです。
 こうしてトクヴィルは、アメリカインディアンは大変気の毒なことに、滅ぼされてしまうだろうと書いた。インディアンらしい精神の習慣を守ろうとすれば武力で滅ぼされ、その習慣を捨てれば、インディアンは存在しなくなる。
 当時世界でもっとも民主的といわれたアメリカは、実はインディアンの存続さえ許容する能力を欠いた社会だったということです。そうなってしまうのは、アメリカがたったひとつの精神の習慣に支配されているからだった。つまり精神の習慣の共通性が、そのまま社会構造を形成してしまっていて、きわめて許容力のない社会が作られていた。その精神の習慣が、勤勉に働くことによって富と名声をえていくのが人間の使命と考える精神だったのです。
 そして誰もが同じ精神の習慣を持っているが故に、もうアメリカに革命は起こらないだろうともトクヴィルは述べている。なぜなら誰もが、他のかたちの社会を望んでいないからです。ただしトクヴィルは、もしも将来アメリカに革命が起こるとしたら、その革命は黒人によって担われるだろうとも述べている。それには条件があって、アメリカ黒人は奴隷として暮らしているうちに、黒人としてどう生きていくのかという精神の習慣を失ってしまった、ただ奴隷的に生きることが、黒人の生き方になってしまった。それでは革命は起こらないのであって、つまりアメリカ黒人が黒人らしい精神の習慣を取り戻していったときに、白人社会の精神の習慣とぶつかり、そこから革命がはじまるかもしれないと彼は考えていたのです。

長々と引用してしまいました。が、それはアメリカ初の黒人大統領であるオバマを語るのに重要なことが述べられているからです。

オバマは“CHANGE!”を唱え、それがアメリカ民衆の支持を受け、当選を果たした。が、それはトクヴィルが可能性を見いだした革命だったのでしょうか? 黒人と白人の精神の習慣とがぶつかり合っての“CHANGE!”だったのでしょうか? この演説を見る限りでは革命とは言えないといわざるを得ないし、またこの視点から見るとキング牧師らの公民権運動も、インディアンが――いえ、アメリカン・ネイティブと言い直しましょう、彼らの精神の習慣を捨ててアメリカン・ネイティブでない者になるように、黒人も奴隷から脱することを望むと同時に白人の精神の習慣を持つことを望んだものだったに過ぎないのではないのか? その延長線上にオバマがいるとするならば、オバマの唱えた“CHANGE!”とはなんだったのか? アメリカ建国の精神の再確認の枠を超えない演説内容を見ると、そのように疑問を抱かざるを得ません。

20世紀の後半になってアメリカが展開したグローバリズムは、アメリカン・ネイティブの許容を許さない社会とその精神の習慣がアメリカ国外にあふれ出したものに過ぎません。そのしっぺ返しが9.11であり、しっぺ返しに強大な軍事力で反抗に出たのがブッシュの対テロ戦争。オバマはイラク戦争は否定しているけれども、アフガニスタンにおいては好戦的であるとも伝えられています。これは何を意味するのでしょう? 

オバマ大統領誕生に合せてタイミング良く放映されたNHK・BS1の「BS世界のドキュメンタリー」

『アメリカン・フューチャー ~過去から未来へ~ 第1回 なぜ戦うのか』

では、その理由がアメリカ建国以来の歴史的な流れに沿って――それは奇しくもオバマが演説で触れたアーリントン墓地の由来を皮切りに話が進むのですが――、よく理解出来るように構成されていました。詳しくはまた別の機会で触れようと思いますが、この中で示されるのは、オバマの“CHANGE!”も実は、アメリカ200年の枠内の出来事でしかない、ということ。だとすれば、“CHANGE!”が支持されたもの、歴史の行き詰まりでの苦渋からの苦し紛れの選択でしかなかったことになる。けれど、本当にそれだけでしかないのでしょうか?

オバマは、演説で環境問題のことにも触れます。これはオバマの政策の柱。しかし、黒人であるオバマが、白人の“自分を経営者と位置づける”精神の習慣に従って環境政策を推し進めようとしているなら、その結果として待ち受けているのは危険な農業ビジネスの発展でしょう。森を切り拓いて売り払うような、そんなビジネスが世界を席巻することになる。日本でももうすでに朝のNHKのニュースあたりでは“環境ビジネスに乗り遅れるな!”といったメッセージが垂れ流されています。

しかし、それは非常に危険なことだと言わざるを得ません。アメリカが、そして私たちが今参考にすべきはアメリカインディアンの精神の習慣であるような気が私にはしてならないのです。しかし、オバマは、アメリカン・ネイティブと同じく白人に迫害された人たちの血を引きながら、彼らについて言及することはなかった。オバマの演説が立派であればあるほど、私にはその欠落が気になって仕方がない。黒人も白人の側に回ってしまった。“CHANGE!”とは、そういう意味だったのか...と捉えるのは皮肉な見方でしょうが、アメリカン・ネイティブたちにはとっては決してそうではないでしょう。



失望ついでにもう一つ、挙げさせてもらいます。昨日引用した『内田樹の研究室』。新しいエントリーでオバマ大統領就任演説について触れています。そのなかで日本のことにも言及しているのですけれども、

『大統領就任演説を読んで』
日本人というのは「それに引き換え」というかたちでしか自己を定義できない国民である。 水平的なのである。
「アメリカではこうだが、日本はこうである」「フィンランドはこうだが、日本はこうである」というようなワーディングでしか現状分析も戦略も語ることができないという「空間的表象形式の呪い」にかかっている。
こんなのは大間違いです。いいえ、“呪いにかかっている”という表現は正しいのかもしれません。ということは、呪いさえ解ければ「それに引き替え」というかたち以外で自己を定義できるということでもあるのですから。しかし、
日本はまず比較原器となる「他国」を決める。それから、「それに引き換えわが国は・・・」というかたちで自己規定を果たす。
このところずっと日本にとっての比較原器はアメリカである(それより前、卑弥呼の時代から幕末までは中国であった)。
それをいうなら、アメリカだってヨーロッパという比較原器をもっていたはず。「呪い」とは、比較する他国があるないの問題ではない。その国に歴史があるかどうか。日本はアメリカなどと比べものにならないくらい長い歴史を有する国であることは、繰り返すまでもないこと。
私たちはこのワーディング以外では日本について語ることができないのである。
少なくとも日本人読者を「頷かせる」ためには、この語法を採用する以外に手だてがないのである。
ということをしみじみ感じたオバマ大統領の演説であった。
いいえ。大学という知的閉鎖空間にいる人間には分からないかもしれませんが、田舎という西洋的な知の体系からはこぼれ落ちていてもいまだ「日本の空気」残っている空間にいる人間には、そんな文言はアタマデッカチな人間の言葉にしか聞こえません。

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で日本語が亡びるとき
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内田氏もまた、この本の著者と同じような陥穽に陥っているように思えてしまいます。そして、このような人たちこそが日本人を「呪い」にかけているのです。

コメント

貴方のブログ、凄いブログですね!Alexis-Charles-Henri Clérel de Tocqueville の名前を日本のブログで見たのは貴方のブログが最初です。
 処で、私の思うのにオバマはアメリカの政治家として現在、現実的に効果的であれる政治家を望んでいるのだと思います。確かに理想的に考えるとオバマの政治家としての経歴は非常にアヤフヤで、私も長い間判断をしかねていました。然し歴史は一歩一歩変化するのです。オバマはヴォシェビキ革命の様な失敗を知っていると思うのです。日本も国家として少数民族(アイヌ等)を征服し、又、海外膨張を計画し実行した国ですからどの国も問題があると思うのです。
 兎に角、期待しましょう!終局的に皆不完全ですから。

ソウル、R&Rの視点から

http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20090119
サム・クックの「Change is gonna come」を引用したオバマの「Change」が愚樵さんの言うそれでないことを望みます。
なぜならひとつに、サムの曲も深くかかわりのあるキング牧師の運動は、決して「白人の精神の習慣を持つ」ものではなかったからです。詳しくは上坂昇「キング牧師とマルコムX」に記述されていますが、
「アメリカの夢を語っていたキングではあったが、マルコムと同じように、アメリカの悪夢を語らざるを得なくなった」「アメリカが一方で平和を唱えながら、他方でアジアの有色人種を平気で殺しているということから、アメリカ黒人の問題を、アジアやアフリカやラテンアメリカの解放と同じように考えるようになったのである。これこそ、マルコムが晩年に到達したのと同じ認識だった」(同書より引用)

「アメリカの建国の精神」については、最初にリンクを記した町山智浩氏と越智道雄氏の対談本「オバマ・ショック」で同様の指摘がありました。要は、生まれた土地を離れてアメリカに渡ってきた時点で、地道に農業を「仕事」としてやっていくというよりは、そもそもギャンブル体質、投機体質じゃないかと(笑)。
しかし少なくとも選挙戦から(いや、4年前の選挙から反ブッシュを打ち出していた)オバマを支持し、祝賀コンサートでも一番手で出てきたブルース・スプリングスティーンが考える「アメリカの精神」はそれとは逆のものです。
彼が最近のライブでフィナーレに歌い、祝賀コンサートでも80歳を越えたピート・シーガーといっしょに歌った「This land is your land」の、ウディ・ガスリーが書いた歌詞にはこんなフレーズがあります。

ここは私有地だと断る看板があった/でも、その裏側には何も書いてなかった/こっちの側が君と僕のためのもの

アメリカン・ネイティヴについての愚樵さんの指摘は、キング師が晩年にたどり着いた認識からも、全くその通りなのですが、私も、スプリングスティーン50代の傑作、ゴスペルとカントリーが渾然一体となった「Land of hope and dreams」を鳴らしながら期待します。
オバマにはこういう音楽の精神が宿っていると思うからです。

だからこそ「原罪」に触れて欲しかった

ejnewsさん、おはようございます。

それは過分な褒め言葉です。トクヴィルの『アメリカン・デモクラシー』は手元にあるのですが、実はマトモの読んでいません。池田信夫ブログで指摘されているように(http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/4572fe4312b775b6c862b21ec05f84a4)読みにくいんです。私は自分が好きな内山節氏の著作から引っ張ってきただけです。

*****

なめぴょんさん

私がオバマに単なる政治家として期待したのは、ロッカーたちの琴線に触れる部分があると思ったからです。私はロックのことは未だによく識りませんが、せめて知るくらいのことはしようと思って、今、少し勉強していますけれども、それが黒人たちの精神から発祥したものだということを再確認しています。そして、その黒人たちの精神の発祥は、白人がアメリカンネイティヴを追い込んだのと同じ精神で黒人たちを連れてきたことに由来があります。

私は、だからこそ、オバマが
我々のために、彼らは額に汗して働き、西部に住み着き、鞭(むち)打ちに耐え、硬い土地を耕してきた人々だ。
で終わらせてしまったことに失望を感じたのです。“鞭打ちに耐え”だけでは黒人たちだけです。

アメリカの原罪は、上で指摘したようにネイティヴたちの土地を奪って建国したことです。その原罪に目を向けずしてロックの精神というならば、ロックの精神の方が嘘くさくなってしまいます。

アメリカ大統領への就任演説です。建国の精神を大きく取り上げなければならないのは理解します。けれども、一言でいい、ネイティヴの人たちのことにも触れて欲しかったと思います。最近オーストラリアではそのことへの謝罪があって、世界から賞賛されたばかりではないですか。

私はロックの精神からオバマを信頼するというなめぴょんさんには大いに同調したいところですけれども、欠けた部分の重大性を思えば、それも躊躇されてしまいます。むしろオバマを支持したロックスターたちは、なぜネイティヴに触れなかったと非難の声を上げるべきだと思う。それが出来ないのなら、ロックとやらも自省の精神に欠けた自分たちの自己満足でしかありません。

一番大事な事柄は語られなかった

土地と労働と『カネ』を売買することで、封建制から決別して資本主義が成立したが、労働を売買する問題点はマルクスが科学的に証明し、『カネ』を売買する問題点は今回のアメリカの金融崩壊で証明される。
近代資本主義の最大の問題点は土地を私有して自由に売買した事らしいが、昔の日本では誰の土地でもない共有地が沢山有った。
その痕跡は今でも有り、大阪府堺市では埋め立てられたため池が市内各所に点在するが共有地だったために固定資産税を全く納めていない。(不動産税は特定の個人にかかる)
共有地の為に所有者(個人)の特定が出来ないんですよ。だから無税となっているが実に楽しい話ですね。


オバマの演説は、正にアメリカの限界を示していて感慨深い。
チェンジを期待されるオバマは史上最高の期待度(支持率)
反対に負け戦のイラク戦争を始めたブッシュは史上最低の支持率の大統領だったが、2番目と3番目に低い大統領はトルーマンとニクソン。
3人の共通点は何れも勝てない戦争の責任を問われているんですよ。(トルーマンは朝鮮戦争、ニクソンはベトナム戦争)
『経験の有る私の方が最高司令官に相応しい』と指名選挙でヒラリーが語っていたが、日本ではアメリカの大統領選挙だと思っているものは、アメリカ軍最高司令官の選挙でも有るんですね。
この歴史は初代の大統領ワシントンにまで遡れるらしいが、オバマの発言は文民のトップである大統領の発言というよりも世界最大最強の軍事力を持っているアメリカ軍最高司令官の発言と考えると納得もいくし、腹立たしくも有る。
彼は数週間もテレビも新聞も見なかったのか。?
9・11以上の惨劇が起こっていたのに一言の言及も無かった。アフガンもイラクも根っ子のところではパレスチナ紛争が有り避けて通れないが見て見ぬ振りで押し通した。

あたしは、

ファシズムとコミュニズムを並列させる文脈に違和感をおぼえました。

こういう形で先代の元帥やメディアにおもねるってのはどうなんだろ。

結局のところ、クリエイター(創造者)やアーティスト(改革者)ではなくてエンターテイナー(預言者)なのかなアメリカの大統領ってのは、などと、

ちょっとだけね。それが民主主義の本質って言えばそうなのかもしれないのだけど。(少なくともコイズミやブッシュみたいなテロリストの口ぶりとは違うようだし)

もうひとつは、こちらでの話題にも関わってくると思うんだけど、ずらりと並べられた苦難の歴史の中に、パールハーバーやヒロシマについての言及がなかったことかな。

あれはアメリカの歴史の中では瑣末ごとなのか。それとも、思い出したくもない。あるいは、日本に今のまま属国として付いてきて欲しいからヤブヘビなことは言いたくないとか。

先代は911をパールハーバーとなぞらえていたみたいだけど。あたしらは「滅ぼさなければならない敵」が現れたときだけ言及されるのかしら。民主化のモデルとして。原爆「も」しようがない、みたいに。大量破壊兵器がなくて「も」一般市民、子どもたちの犠牲「も」しようがない、みたいに。(そんな非人道的なこと言わないでよね)

でも、いろいろあるけど、あたしは結構好きだな。オバマさん。

>破壊するものではなく、築き上げるもので人々の審判が下るのだ。

この言葉に一分なりとも母国アメリカへの自省がこもっているのだとしたら。

「築き上げる」場合には、くれぐれも、失点を取り戻そうとするんじゃなくて、やり方を「変える」んだよ。そうじゃないともうこれ以上付き合ってらんない。博打をやってるんじゃないんだからね。あたしらは。

無論私も、彼がネイティブ・アメリカンに言及しない点に引っかかりを覚えた一人です。しかし、それは「オバマの演説が残念」だったのであり、「オバマが残念」だとは感じなかった。何故か。

本来、言葉は人を騙す手段です。
必要とあらば、私は悪意をもって聖書を朗ずるし、善意をもって呪いの言葉を吐く。
自分の口から出る言葉と、自分の内心は、完全に切り離して考えます。言葉は、聞く相手がいてこそのものですから、どんなに発信者が善意のつもりでも、受信者に害悪を及ぼすならば、その善なる言葉は「悪」です。
言葉は、聞き手に快をもたらし善を生むための道具とみます。

そう考えると、メディアを通じて世界に流れ、この先百年二百年は保存され続けるであろう就任演説は、やはり計算によって組み立てられるものと思われます。私がオバマの立場なら、百年後に自分の言葉を聞く人間の顔を想定しながら発言します。自分の命を狙う敵対者が怒りを和らげることを計算に入れて発言します。
世界を、「結果的に」善なる方向へ操縦するために。

ということは、現段階においてアメリカ国民は、黒人大統領を歓迎するまでには至っても、ネイティブアメリカンについてまで言及するラディカルな大統領は歓迎しない、と「計算」した上でそういう演説をした可能性があると思います。

その計算が、長期的な施策面においてネイティブアメリカンに対してもプラスに働くことに繋がるのであれば良し。そうでないならば、悪し。結果が全てであり、現段階においては「アメリカ国民はオバマを選ぶほどに民度は上がったが、まだ不十分」「その不十分さがこの演説を言わしめた」と捉えておくに私は留めます。

ネタばらしはやめてください(笑)

面影さん、ごんさん、いつもありがとうございます。そんでもって人生アウトさん。タイトルは人生アウトさんに向けてのものです。

>オバマの演説が残念」だったのであり、「オバマが残念」だとは感じなかった。

それ、次のエントリーのネタにしようと思っていたものでした。“オバマに失望した”の間に“演説”を入れたのは、次への伏線のつもりだったのです。予定していたタイトルは『それでもオバマ現象に期待する』。やられてしまいました。もうエントリーは取りやめです。たぶん。

私はオバマの役割は、いろいろな方面・意味で膨らみすぎた「アメリカ」を縮小の方向に舵を切り、急激な崩壊を避けてソフトランディングに誘導する、大変難しいものだと思っています。そうした点からみれば、大変高い支持を得ている「オバマ現象」は決して悪くない。ですので、オバマへの期待そのものが亡くなってしまったわけではないのです。

ただ、そうした舵の転換は就任演説を見る限りでははっきりしたものはありませんでした。アメリカの「原罪」であるネイティヴに触れるのは、その方向転換を象徴するものになるのですが、それをしなかったのは、大統領としての実績がないうちは無理だと判断したのかもしれませんし、2期目あたりで斬り込もうとしているのかもしれません。しかし、いずれにしてもそれはオバマが考えることであって私たちが考えるべきことではない。私たちは、足りないものは足りないというだけのこと。期待をかけているのなら尚のこと。

私はオバマ大統領の演説に失望していません。なぜなら、そもそも期待していなかったからです。
アメリカ大統領の就任演説で「期待」を抱かせる発言なぞ、ブッシュにしろクリントンにしろ、残念ながら、私は一度も耳にしたことがありません。
オバマ大統領に限らず、私なんぞは、大統領の「演説」なり「発言」について、一般教書演説や、議会における演説、国連総会における演説しか意味がないと思っていますからね。

ここまでひどいとは

期待はしていなかったけれどもここまでひどいとは・・・。
「メア氏、国務省日本部長へ/在沖米総領事 後任 グリーン氏」(http://www.okinawatimes.co.jp/news/2009-01-29-E_1-001-2_003.html)

ケビン・メア氏という人は今までも沖縄に苦しみを与え続けた人なのですが、その人をそのポジションに使うということは日本の抱える米軍基地問題を理解しようとも思ってないということ。

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