愚慫空論

仕事の報酬(1)

本日も仕事は休みだ~ ヾ(T▽T)ノ

繰り返し書きますが、私は日雇い労働者です。ですので、雇用主に1日労働力を提供して、報酬を受け取ります。その報酬とはもちろん賃金。労働力を貨幣に換算して受け取るのですね。

この構造は日雇いでなくても、月給をもらってボーナスももらえる普通のサラリーマンでも基本的には同じなんですが、違うのは、労働が一日という単位で細切れにされているということ。では、私の仕事は、一日単位でぶつ切りにして回るものなのか? となると、Yesと言えなくもないが、甚だ非効率でしょう。私と同等かそれ以上の技能を持った人間が日替わりで作業にあたるというようなことをしても、作業は進まなくはない。けれども、毎日毎日、新たに状況を把握し直して...、なんてことから始めていたら、作業能率など上がるわけがない。作業状況の把握を、雇用主ではなく労働者がしているからこそ、仕事も上手くはかどる。日毎の賃金は、作業状態の把握も含めてのものだろう、と言われるかもしれませんが、それならそもそも日雇いがおかしいだろう、ということになります。
(といって、私自身は日雇いでいいと思ってるのですが。労働は一日単位、というのは別の意味で良いところがあると思ってます。ま、これは本筋とは関係ないので触れませんが。)


もし仮に、雇用主が作業状況を把握していたとしても、それは〔知る〕でしかないが、労働者の把握は〔識る〕なんです。つまり、作業を効率的にするのは〔識る〕であって〔知る〕ではない――と言いたいのですが、それがそうでもないのが現代社会の悲しいところ。私の仕事は、幸いなことにも、まだそのように言うことができるのですが、機械化が進むことで能率があがった現代の製造工場などでは、〔知る〕ことによって能率が向上しているところが非常に大きい。そういった場所では〔知る〕ことだけではなくて〔識る〕ことも一部の人間に独占されてしまう。することが出来てしまう。なので工場経営者は、〔知る〕〔識る〕――企業の真髄――を独占する者のみを正社員としてコストをかけ、それ以外の者にはなるべくコストを下げようとする。これは〔知る〕によって効率化が進んだことから必然的に起こる現象だともいえます。そして、独占する側に入ることができるかどうかが「勝ち組」「負け組」の分かれ目になる。〔知識〕の寡占による発展――科学の功罪です。

ところが、人間というものは、〔知識〕の寡占には耐えられないように出来ています。いえ、〔知る〕ことは放棄しても構わない。“なぜ勉強しないといけないの?” と子供はよく言いますが、それですね。そして、そのまま大人になってしまった人も多い。否定できない事実だと思います。けれども〔識る〕ことまで求めない人間は、少ない。「負け組」に対して“やる気があるのか?”といった疑問がよく投げかけられますが、〔識る〕を求めない人間はやる気がないといってもいいと私は思います。そのような人間は、何に対しても投げやりです。

では、人間はなぜ〔識る〕ことを求めるのか? それは報酬だからなんだと思います。【仕事】の報酬です。私は『知識』のエントリーで、私自身の経験に基づいて、〔識る〕と【仕事】と【対話】とを関連づけましたが、【仕事】と〔識る〕は切って切り離せないもの。仕事は〔識る〕ことによって【仕事】になると同時に、〔識る〕は【仕事】の報酬でもある。そうした相互関連があるからこそ、昔から【仕事】に修行でもあると捉えられてきました。現代ではその考え方は顧みられることが少なくなってしまっていますが、それでもまだ一部の人間の間では根強く残ってはいます。それも堕落した形で。で、その一部とは――「勝ち組」です。それも「勝ち組」のなかの一部。



「勝ち組」=「新自由主義者」と断じてしまうのは少し乱暴かもしれませんが、一応そういうことにしておいて話を進めますと、私は新自由主義者にも2種類あると思っています。真・新自由主義者と偽・新自由主義者の2種類。そもそも自由主義とは、
ホッブスの社会契約論をもとに個人の生命(Life)自由(Liberty)財産(Property)の三権利を自然権として主張し以前の神学から遊離した形で社会のあり方をといた
ものです(wikipediaより)。その考え方は当然、新自由主義にも継承されていて、経済の自由――市場原理――に基づいて財産についての格差は認めますが、個人の生命は頑として守らなければならないと考える。ですから、真・自由主義者は、市場原理を公正に運営するためにも個人の生命を守るセーフティーネットは欠かせないとします。ですから、ベーシックインカムとか負の所得税といった考え方が出てくる。私に言わせれば〔知る〕側に偏向した片肺理論ですが、〔知る〕範囲内では整合性のある理論だとは思います。

が、偽・新自由主義者はそうではない。個人の生命と財産権とを同じ線上におく。貨幣経済のなかでは――新自由主義は貨幣経済が前提です――は、財産がない(収入がない)ことは生存権がないことにも等しいのですが、それも自己責任としてしまう。偽・新自由主義者は、なぜか日本に多く棲息するような気がしますが(根拠はない)、その背景にはハイエクがいう「部族感情」(←池田信夫ブログから仕入れました)があるように思います。つまり、共同体を重んじる日本的感情がある。

かつての共同体においては、【仕事】は〔識る〕ことで支えられいました。そして【仕事】は共同体の経をも支えていたわけですから、〔識る〕ことが共同体を支えていたと言っていい。また、物質的な経済の面だけではなくて、共同体意識といった精神的な面も含めて〔識る〕の範疇に入る。つまり共同体では、〔識る〕ことは物心両面に渡って重要なことだったのです。といことは、もし、共同体構成員の中に〔識る〕ことを追求しない人間がいたとすると、そんな人間は物心両面で困った存在になった。そこで“村八分”といったような措置がとられたりしたわけですが、偽・新自由主義者の自己責任論は、この“村八分”の感情と同じようなものに私には見えます。

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新自由主義者では〔識る〕の要素が顧みられることはありません(高祖ハイエクはそうでもなかったようですが、始祖フリードマンになると〔識る〕は完全に切り捨てられているようです。ただ、そのように断言できるほど、私は両者について知りません)。だから真・新自由主義者はかえって合理的に個人の生存権を冷静に承認できる。ところがいまだ〔識る〕の心性を引きずっている偽・新自由主義者はそれができない。「負け組」を“村八分”にして切り捨てようとする感情は、あたかも自らのなかの〔識る〕への未練を切り捨てようとするかのようです。



日本で偽・新自由主義が蔓延るような原因は、ハイエクが言ったところの「部族感情」にあると言いました。新自由主義は〔識る〕ことを要素にいれませんが、では、人間は〔知る〕だけでよいのか、という疑問が当然生じてきます。私の考えでは、もちろん、ダメです。

人間には自己肯定感・自尊感情が必要だとは、よく言われることです。人間は自分の周囲のさまざなま現象を自己と結びつけて、自己肯定感を確保しようとする。それはいいのですが、知能の高すぎる人間には問題があって、それは結びつける範囲が広すぎるということなのです。つまり、〔知る〕方法でも〔識る〕方法でも、自己と周囲を結びつけることができる。で、〔識る〕ことを捨てて〔知る〕だけに偏ると、どうしても自己肯定のあり方が歪んでしまう。そんな人間が多くなると社会が歪んでいくんですね。日本の現状は、そういう状況だと思っています。

〔識る〕ことは、ハイエクのいうとおり「部族感情」に基づいています。この主張は私がよく取り上げる内山節氏とほぼ同じですし、他にもいろいろは識者が同様のことを述べていますから、正しいと考えて良いでしょう。〔識る〕を排除し〔知る〕方向性だけで自己確認を行おうとすると、認識できるものは客観的に計量できるもの――金持ちだとか、社会的地位が高いとか、高貴な血筋だとか、あるいは学歴が高いとか――に限定されていってしまう。そういった基準でしか物事を測れなくなり、自分も他人もその基準で測ることになる。ですから知性や理性は高くても、人間性に欠ける部分が出てくることになる。

ちなみに、私はハイエクの「部族感情」という認識は、方向性は誤っていないにせよ認識不足だと思っています。自由主義にもそれが成立するもとになった「部族感情」が西欧の部族感情があります。ハイエクもその程度は認識していて、それから脱するべきと考えたのでしょうが、その方向性がニーチェを生んだ。西欧といえども社会が機能するのは背景に「部族感情」がしっかりと機能しているからです。それは個として神と【対話】するという一神教の思想です。この「部族感情」がなければ西欧社会も機能しないでしょう。ハイエクは西欧の「部族感情」から生まれた自由主義に普遍性があると“信じた”のでしょうが、それはハイエクが生まれた頃の西欧の雰囲気――例えばシュペングラーの『西欧の没落』に現わされるような――への反発から出たものだと思います。自由主義とて、西欧の「部族感情」から自由にはなれない。「部族感情」へのつながりが切れてしまうと虚無主義に陥るだけです。

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ついでに言っておきますと、私はここで“人間性に欠ける”といった表現を使うことには違和感があります。言葉としての正確性に欠けると思うのです。知性・理性は人間性の一部分です。知性・理性があっても人間性に欠けるということは、欠けた部分があるということ。ということは、その欠けた部分についての名称がないといけない。私はこの部分に相応しいのは「霊性」という言葉だと思います。

この言葉を今使うのは、大変誤解を招きやすいと私も認識しています。しかし、その状況――霊性という言葉を抹殺しようとする圧力――こそが、〔知る〕に偏った社会のあり方を如実に示していると思います。〔識る〕ことはそれぞれの人間が所属する風土との関わり、「部族感情」と切り離して考えることは出来ません。その関わり方の体系・〔識る〕ことの体系とは、宗教に他なりません。ならば、その部分を「霊性」と呼んでも、論理的にもまったくおかしなことはないはずです。

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また、脱線しましたね(笑)。長くなりすぎるものいけませんし、ここでいったん切って仕切り直すことにします。

コメント

思ったことを少し書いてみます

愚樵さん、こんにちは。
2度目か3度目の訪問でしょうか?数えてないので分かりませんが・・・
そんなことはともかく・・・

あ、といっても挨拶だけはせねば。
今年もよろしくお願いいたします。<(_ _)>

さて愚樵さんの最近の一連のエントリを読んでいて、なんとなくですが「ベーシックインカム」のことが意識下に出てきてしまいます。
私はまだ「ベーシックインカム」についてのさまざまな意見を十分に読んでないので結論的なことがいえませんが、次の新たな社会を作るには欠かせない考え方のように思っています。少なくとも思考実験であるだけでも

「ベーシックインカム」は今まで自然に、あるいは当たり前として考えていた「労働」についての見方を変えるものとして期待しています。特に「労働は神聖なもの」だとか「価値は労働からしか生まれない」だとか「供給があってこそ需要がある」だとかのさまざま普通に受け取っていた考えを変えるものとして注目しています。
「ベーシックインカム」は消費が主として大事なものであるとして認識を根本的に変えないと理解が出来ない気がします。「消費があるから供給がある」という考え方に変わることは、たとえば子供や年老いた人たち、あるいは病人を社会の負担と思う考え方から大転換させるものとなるでしょう。
消費をする人たちがたとえ病人であろうと働けない人であろうとそれが価値ある存在だということの裏付け的な思考になることは「社会に不必要な人など一人としていない」と考える基本的な思考となる。

ここでおそらく「価値は労働からしか生まれない」ということに対して異論を述べる人に出会うかと思いますが、「消費に価値がある」考え方に立てば消費の偉大さがわかるようになると思っています。つまり消費が無いところでどれほど生産(供給)がなされても何にもならないのですからね。^^
先ずは消費に価値がある。そして次に価値のあるものは労働。となるように思うのですが・・・

ま、年明け早々に戯言を書き付けました。あまり分かっていないのにこれ以上は書けませんからこれにてまた引きこもります。(爆)では~~~^^

ニケさん

お返事が少し遅れました。こちらこそよろしくお願いします (^人^)

ニケさんへのお返事が遅れたのは、ちょっと返答しあぐねていたからなんです。きっちりベーシックインカム、消費重視、きっちりお答えしようとすると、新たに長~いエントリーが2つ3つ必要になってきますから...。

過程は端折って結論だけ申しますと、ベーシックインカム、消費重視にも私は否定的です。ベーシックインカムについては、セーフティーネットがいらないと思っているわけではなく、それを貨幣収入保証とするのは反対。消費重視については、現下の経済体制がすでに消費重視で、その矛盾が社会制度の面でも環境問題でも噴出しているのが現下の状況だと思っていますから、賛成はできないのです。

けれども、ニケさんがベーシックインカム・消費重視をお考えになる「志」は、察することができます。そこはたぶん私も同じです。共感派ですしね (o^-')b

よろしければ、この先のエントリーにもおつきあいくださいm(_ _)m

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