愚慫空論

もう、さよくはやめる

さて、2008年最後のエントリーとなるわけですが。いろいろとネタはあるものの、区切りをつけるということで、訣別のエントリーにすることにしました。

「左翼をやめる」といったって、当ブログをご覧になっていただいているごく少数の方はご存知でしょうけれども、私は左翼ではありません。もちろん、右でもありませんけどね。だもんで、「左翼をやめる」はおかしいのですが、一応、自分で自分に貼り付けるレッテルとしては左翼のつもりでいたもので、やめるというのは、自分自身に貼り付けたレッテルを剥がす――看板を掛け替える――といったような意味で、「左翼はやめる」としたのです。初対面の相手に「オマエの政治的スタンスはどこだ」といったようなことを尋ねられたときに「一応、左翼です」と答える心づもり、そういったものをやめる、ということです。


「左翼」は、人間の理性の万能を信じている。人間の理性能力によって、この社会を合理的に、人々が自由になるように作り直していくことが出来る、しかも、歴史はその方向に進歩していると考える。

この文章は最近読んだ、佐伯啓思著『自由と民主主義をもうやめる』に出ていた左翼についての記述です。

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右翼左翼といってもそれなりの歴史があって、実態は上の記述のように簡単にまとめることはとてもできないでしょうが、左翼が人間理性をその思想の中心に据えていることは間違いないでしょう。そうすると、私のスタンスはどうしても左翼ではありえません。

一方「保守」とは、人間の理性能力には限界があると考える。人間は過度に合理的であろうとすると、むしろ予期できない誤りを犯すものである。したがって、過去の経験や非合理的なものの中にある知恵を大切にし、急激な社会変化を避けよう、と考える。

私はむしろ、こちらのほうです。
(急激な社会変化は避けられないと考えていますが。)

といって、私自身の左翼的な思想に対するシンパシーや、左側にいる人たちへの親近感はこれまでと大きく変わることはありません。むろん、9条堅持の護憲派であることにも変わりありません。特に9条支持は変わりようがない。私が保守的な考え方へ傾倒していった理由は、ほかでもない、9条にあるからです。つまり、これから私が掲げる看板は「護憲保守」ということになります。まあ、左翼の看板が偽りであったように、こちらの看板も偽りアリですが(笑)。ですので、これまで通り高々と掲げたり、旗を大きく振ったりすることはありません。


狂ってしまった2008年に名残惜しいわけではありませんが、もう少し話を続けましょう。

護憲保守。護憲の「護」も保守の「保」も「守」も、ともに“守る”という意味ですから、本来の語義からすれば、護憲こそが保守だということになります。ところが現状はそうではない。左翼=革新が護憲で、右翼=保守が改憲、つまり保守と革新とがねじれ現象を起こしている。自民党が全盛期の頃には護憲保守は自民党内の一大勢力としてあったわけですが、それも今は勢いがなくなってしまった。改憲を主張する保守――親米、反米とも――と護憲の左翼という形に二分化されてしまいました。では、私が掲げた護憲保守は、かつての自民党のもの――その勢力は護憲保守を標榜したわけではなかった――と同じものなのか? いえ、違います。そうではありません。似通っているところは少なからずありますが。


とりあえず、護憲という要素は外して、保守、革新という観点から見てみます。保守、革新という具合に政治思想が二分化したのは、遡れば起源はよく知られたとおり市民革命――フランス革命、アメリカ独立戦争、それからイギリス革命――にあります。左翼の語源が、フランス革命当時の議会で改革派が議場の左側を占めたことに由来するのも、ご存知でしょう。

フランス革命は、専制政治の理不尽な抑圧に対する大衆の蜂起でした。しかし、それはただの蜂起でなかった。「自由、平等、博愛」の理念を掲げた蜂起だった。その理念があったからこそ、蜂起が革命に至った。人間は神の前に平等だとした理念は、すぐれて理性的なものです。

そうしたフランスに対し、すでに穏やかに――といっても、血生臭い事件はいろいろあった――市民革命を終えていたイギリスで生まれたのが保守でした。既存の価値観をすべて打ち壊してしまったフランス革命に危機感をもったイギリスで、改革を否定はしないけれども、伝統的価値観――それが非合理であろうとも――も大切にしなければならない、という考えをもとにした思想です。

そして、もうひとつ、アメリカ。アメリカでは、市民革命がそのまま建国となった。理性的な理念が、非合理な伝統的価値観と妥協することも、また打ち壊すこともなく、理性的な理念を元に世界で最初の、そして現在でも唯一の人工国家として誕生したのがアメリカ(本当は、アメリカ人たちは理性を発揮する前に、きわめて野蛮な非合理性を発揮していたのですが。そして、その野蛮性はずっと尾を引いて、現在まで受け継がれています)。そうしたアメリカでは、フランスでは革新の形になったものが、建国の精神――すなわち、保守となった。

フランス・イギリス・アメリカの保守・革新の形は、現在の日本において、左翼・反米保守・親米保守という形で、それぞれ影響を受けています。ここで、改憲・護憲という観点も加えて話をしますと、左翼は、戦争を否定した9条を理性のもっとも高度な形として捉え、守ろうとする。親米保守(正体は革新)は理性の顕れを自由な経済活動に見て、アメリカをその盟主として捉える。そして、アメリカに付き従う為に改憲を唱える。反米保守は――これが本来の意味での保守ですが――イギリス型です。イギリスの伝統を守るイギリス型保守は、日本においては日本の伝統を守る保守となる。それが、アメリカのグローバリズムに反対して反米保守であり、アメリカの従属から脱するために改憲という形になっています。

私が考える護憲保守は、これら3つの型の中で言うならば、イギリス型の反米保守になります。日本人が長い年月にわたって培ってきた伝統的な価値観を保ち守ることで、アメリカ主導のグローバリズムに対抗しようという考え方で、その点は大方の反米保守と同じです。異なるのは、その保ち守ろうとする価値観。

大方の反米保守が掲げる保ち守るべき価値観の代表は、武士道です。政権放り投げ3兄弟(失礼! まだ2兄弟でしたね(笑)。来年のことをいうと、鬼が笑います)の長男が取り上げたのもそうでした。その前にどこかの数学者も発言していました。上で取り上げた佐伯啓思が取り上げているのも武士道です。

私が守り保ちたちと考えるのは、「農の営み」――農業とは似て非なるもの――を担った農民たちの精神です。武士道も、確かに日本の伝統的価値観の一部であったことには間違いないのですが、それは江戸時代においてもせいぜい人口の1割ほどを占めたに過ぎない支配者階級のものであり、明治維新以降、変に拡大されて日本をどうしようもない戦争に導いたもの。対して農民たちは、かつて日本の人口の大部分を占め、明治維新以降の富国強兵を下支えしたばかりでなく、第二次大戦敗戦後も経済復興の原動力となり、庶民の9条支持の基盤となったもの。それは「里の思想」といったものです。
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付け加えて言うならば、武士道は支配者の精神。ヨーロッパで言うならば、貴族的なものでしょう。ヨーロッパでは貴族支配の後ブルジョワによる支配となり、現在の日本も含めたグローバリズムは、ブルジョワ主導でしょう。対して、「里の思想」は、
分類するなら明らかにプロレタリアートです。「里の思想」を保ち守り、政治思想の中心に据えるべしと考える護憲保守は、プロレタリアート主導といった視点から見れば革新でもあるのです。

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...やっぱり、保守の看板には偽りアリ、ですね(笑)

コメント

こんばんは!

>佐伯啓思著『自由と民主主義をもうやめる』
偶然今日、書店で手にとってやめたのですが、そうですか、読んでみようかな。

>左翼=革新が護憲で、右翼=保守が改憲、つまり保守と革新とがねじれ現象を起こしている。
実は私もずっと不思議に思っておりました。

そういえばしばらくは、経済力と為替もある意味ねじれだったような。経済やイデオロギーも進化していってるんでしょうかね^_^; 難しすぎる・・・
また解説よろしくお願いします。 

いいお年をお迎えください!

あけましておめでとう

あけましておめでとうございます。
今年もよろしく。

ということで本題。
「さよく」とか「うよく」とか、特に何かの組織にでも入っていなければ、あまり気にすることはないんじゃないかと思いますよ。
私も別に、自分が左だとか右だとかで考えているわけではないですね。あなたからは「右」だと思われるでしょうが、私を「左」だと思っている人もいますし、「あぁ、そうですか」ってしか感想はないですけどね。

はっぴぃにゅういやぁああ!

旧年中はもみくりかえしたりなんぞもして、ブログ主さまにはお世話になったり迷惑かけたり。

TBいだたきありがとうございました。”もう、さよくはやめる”とはまたまた挑発的な。
新しき年は反米愛国路線でいくのかな~”ニポーン民族カイホォー”なんておもっちまいました。

ちょっと新年冒頭の抱負をすこし。右と左をわけるのは”他民族とどう向き合うか”これが絶対的な基準であると確信するものとして、このあたりのところを自ブログはテーマに論じていこうかななんておもとります。ファノンの学習と平行して。

それと、とりあげていただいた”ドリンドリン”ですが、それをきっかけにして鐵(哲)学いってみようかと、”へいげる”さん、”はいでがあ”さん、”にいちぇ”さんあたりの肝いところをさらってみようかとおもっとります。

まあ、たいしたことは書けませんが、呆れず・懲りず・怒らずで旧年にひきつづきまして、お付き合い願えたらとてもはっぴぃでございます。本年もよろしくお願いいたします。m(_ _)m

謹賀新年

みなさん、明けましておめでとうございます。

ママちゃん

読んでみてください。途中でに~ちぇとか出てきますけど、そんなに難しくないですし。

****

わくわくさん

>「さよく」とか「うよく」とか、特に何かの組織にでも入っていなければ、あまり気にすることはないんじゃないかと思いますよ。

はい。私は本当は全然気にしてません。挑発的に書くために、偽りアリの看板を弄んでみただけ、です(笑)

ま、でも、半分本気の部分はあるのですが...

*****

薩摩長州さん

なにを隠そう、こたびの「転向」のきっかけは、例の“とんぼ返り”なのです。“ドリン・ドリン!”がなければ、このエントリーはありませんでした。

今年は「保守」の看板を掲げつつ、マルクスとレーニンに潜ってみようとも思ったりしてます(ほんと、いい加減な看板だ...)

*****

そんわけで、って、どういうわけかわかりませんが、皆様、今年もよろしくお願いします。

そもそも,土井たか子氏が

天皇制護持者という所で,ねじれ現象を起こしているのですよ(笑) どうして社民党の若手たちはその矛盾に反乱を起こして民主党左派へ合流しないのかと,いつも不思議に思っていたりします.

九条攻防選挙

あけましておめでとうございます。

いきなりなんだけど、おたかさんが天皇制護持者ってのははじめて聞いたな。

天皇制「護持」っていうことは、今、現在が天皇制だということなると思うんだけど。まさか、第一条のことではないよね。それとも以前(戦前)のおたかさんは「護持者だった」、ってこと?(だとしたらおたかさんっていくつなんだ)

あたしは第一条も含めての護憲派だからその改定を悲願としている人が、現段階で護憲の社民党を出て改憲の民主党に行くのなら賛成だな。(改憲派と護憲派がごっちゃになってる民主党ってのは信用できねえなぁ・・、と常々思っているので)

正直なところ、あたしとしては改憲か護憲かという軸にもって行きたいんだよね、今度の選挙。となるとあたしらは、現今の政治家は「日本国憲法第25条を遵守する気があるか」企業をはじめとする資本家にそれを守らせる気があるのか、というところから論陣を展開するのが一番なんだと思うけど。

なかなかうまくいかないんだなあ。

平気で(自衛隊のみなさんを死地に送り込めないのは憲法が間違っているからだ、などと)体制変革を口にするホシュと(自分たちよりバカは政治を語る資格がない、とか言って)人権を平然と踏みにじるサヨクの存在がねえ。ま、実のところ憲法を守る気がないのに代議士として国会にのさばっている連中が一番の問題なんだけど。

とりあえず、今年こそは護憲派元年になることを祈ってるよ。

戦前のドイツ、そして、今の日本になくて、アメリカをはじめとした多くの国の人々が望んでやまないもの。

それこそが日本国憲法の理念を護持していこうという気概、だと思うから。

社会党と天皇制

天皇制「護持」までかどうかはわからないが、そもそも社会党は、結党以来、別に天皇廃止論じゃないからね。(一部にはいたんだろうけど)

ちなみに、社民党は「絶滅危惧種」の政党だから。その最大の事例は田嶋陽子氏。女性運動や反戦運動に関しては社民党と同じ立場だし、生活不安や生存権、行きすぎた格差社会に対する反発はあっても、基本は格差社会も容認で新自由主義だからね。思想的に正反対の小池百合子氏の地位向上も「良い」としているぐらいだから。

そういう人に集票マシーンになってもらわないと戦えなかった2001年の参院選の情けない姿を見たら、社民党にどれだけ期待できるか・・・?

護憲保守中道路線に惹かれますね(笑)。

今日テレビで、102歳の幼稚園のおばあちゃん先生が、「偉い人になんかなってくれなくてもいいの。それよりも人の心のわかる人になって頂戴。それだけがわたしのお願いよ」とおっしゃっていた言葉か、心に響きました。
むかしの明治生まれのおばあちゃんは、みなあんな感じでしたねえ。
わたしの考える保守中道の核心部分がそこにあります。

今の保守には通用しないのでしょうか…。

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