愚慫空論

ニセ科学と自虐史観批判(1)

ニセ科学といえば『水からの伝言』、自虐史観といえば田母神論文でしょうか(笑)。えっと、必要はないと思いますが確認しておきますと、田母神論文が自虐史観に基づいているのではなくて、村山談話等の政府公式見解や日教組の代表される教育関係者等の歴史観を自虐史観だと批判している、ということ。田母神論文は、いうなれば歴史修正主義ということになりますか。となれば、タイトルは「ニセ科学と歴史修正主義」とした方が良さそうですが...、まあいいや。

『水からの伝言』と田母神論文。あるいはニセ科学と自虐史観批判(歴史修正主義)。この2つにはなんとなく共通点があるような気がします。そしてニセ、科学批判と自虐史観批判・批判(歴史修正主義批判)にも同じような趣がある。そこらを巡っての当エントリーな訳ですが。


『水からの伝言』は、水に「ありがとう」といったような善い言葉をかけると、水は美しい結晶を作る、という内容のもの。善い言葉と美しい結晶との間の因果関係を科学的に証明できると主張して、批判の対象になっています。今更な内容ですが、ブログ界のあちこちでいまだにホットな議論になっているらしい。どこか人を惹きつけるものがあるのでしょうね。

これも今更ですが、一応私の『水からの伝言』への立場を改めて表明しておきますと、その主張は誤っていると思ってます。正確に言うと、誤っていると“信じています”。わざわざ“信じている”と表現するのは、水が善い言葉に反応して美しい結晶を作るという現象の確認(しないという確認)を自分自身でしたわけではなく、また、それを証明することも私には技術的に不可能なので、専門家(ニセ科学批判者)の主張を受け入れて自分の意見としている、という意味です。逆に言うなら『水伝』は信じていない。同様に私は、進化論を信じて『創世記』は信じていない。地球が丸くて太陽の周囲を公転していると信じているけれども、地球は平らで太陽が地球の周りを回っているとは信じていない。これらのことは、リンゴが地面に落下するような私自身にも確認できることではないから。

とはいうものの、なんの根拠もなく“信じている”というわけではない。リンゴに限らず重さのあるものが地球に引き寄せられるという現象が、いつでもどこでも起きることには私自身確信がある。そしてリンゴと地球から導き出された万有引力の法則のことは知っていて、自分で確認できない現象も、私の知っている万有引力の法則の延長線上にあるものとして把握している。ですから、それらは信じるにたる十分な確信が私自身のなかにもあるといえます。信じるにたる十分な「確信の体系」に基づくことを“知っている”と表現することが許されるなら、上の“信じています”は“知っています”と置き換えてもよい。ただ、その場合でも私の体系の把握は不十分だから、どうしてもすべてを“知っています”と答えるのには躊躇はある。科学は、私ごときが確信している内容ですべてを組み立てることができるほど甘いものではないこともまた、知っていますから。


――ここで少し「確信の体系」という言葉について。これ、私の造語で、いつものことながら曖昧な言葉で、また明確に定義をしてみようとも全然思わないのですが(笑)、イメージするところを少し述べてみます。

「確信」とは、読んで字のごとく“確かなものだ信じる”ことです。で、この「確信」がどの範囲で有効なのか――個人に留まるのか、あるいは個人の範囲を超えて有効なのか――という点が問題になるのですが、基本的には「確信」は個人の範囲内でしょう。ただ、誰にでも確認できる客観的事実といったものがこの世界にはあるよう見えます。科学、ことに自然科学というものは、誰にでも確認できる客観的事実をもとに組み上げられた体系ということができると思います。誰でも確認できるといっても、高度に発達した科学の実際の現場では、客観的事実を確認できるのは高度な技術を持った専門家に限られるのですが、その専門技術にしても、特殊な才能がなければ修得できないような性質のものではない(と考えられている)。つまり、それなりの努力さえ積めば誰にでも確認できる。だもので、科学の体系は、個人の「確信」の範囲を超えたものだと考えられている。

しかし一方で、個人の「確信」の範囲を超えることができない「確信」もある。代表的な例は神の存在。これだって、信者はみな同じ神を信じているではないかと言われてしまいそうですが、この手の「確信」は反証が不可能なんですね。神が存在という仮説の正否は、個人が「確信」するか否かに全面的に依存する。科学の場合、ある仮説が正しいか否かは、反証を通じて検証される。あらゆる反証を想定して、それ以外の結果が得られないと確定して初めて科学的事実となる。反証不可能は神の存在仮説などは、最初から科学の範囲内に入らない。

けれども、人間個人にとって客観的・科学的事実に基づく「確信」も、個人の範囲内にしか通用しない「確信」でも、同じ「確信」には違いなく、人間はそれぞれに己の「確信」を組み合わせて「確信の体系」をつくる。つまり、「確信の体系」は人それぞれで異なるというわけです。



客観的事実に限定した「確信の体系」からすると、『水伝』は誤りであると結論づけることができます。ただ問題は、その「確信の体系」が必ずしも万人に共通のものではないということ。客観的事実よりも個人的な「確信」に基づく「確信の体系」だって、人によっては存在するわけです。ニセ科学批判はともすると、その「確信の体系」を万人共通であるべきだ、としてしまう。私はそれについては行き過ぎだと感じていて、その行き過ぎの部分についてはニセ科学批判を批判する立場にあります。異なった「確信の体系」を他人に押しつけようとする姿勢――それがいかに強固な体系であろうとも――は、宗教と変わらないのではないか。それが私の立場です。

そんな立場ですので、私は『水伝』を学校教育で使うことに反対ではない。さすがに理科の授業で使いのはまずいと思いますが(ニセ科学の例として紹介するのならともかく)、道徳ではかまわないと考えている。道徳教育が善悪を教えることであるとするなら、その善悪の判断基準となる「確信の体系」を抜きにするわけにはいかない。それ抜きの道徳教育になど意味はないと思うのですね。画竜に点睛を欠く。そして、そんな点睛を欠いた道徳教育は、健全な人格の形成に役立つどころか、ともすれば権力を握る者たちが子供たちを自分たちの都合の良いように誘導するための道具として使われかねない。

確かに『水伝』を正しいものだと教えることには危険な面もあります。ニセ科学商法に引っかかったりとか。好ましいこととは思いません。が、実際に『水伝』を信じている教師がいたとして、その信じているところを「公式見解」をもって伝授することを妨げるのはどうか。道徳というものは、大人対子供という「私的空間」の中で行われるべきもので、教師対生徒という「公的空間」の中で行われてはならないと思うんですね。学校という場は「公的空間」であると同時に「私的空間」でもあるわけで、それだからこそ子供たちは学校で学んで「公的空間」の住人たる社会人に育っていくことができる。そんな公私混交の場での「公的」道徳教育なんて、思想統制だと言ってもよいのではないか。『水伝』を道徳教育で使う教師の知的レベルにはいささか疑問の余地はありますが、そこを試験する採用試験に合格している以上「公式」に疑うわけにはいかないし、だからといって「公式見解」を教師がひとりの人間として生徒に対峙する「私的空間」に踏み込むことをは許してしまうのは別の意味で危険だと思うし、そうした危険はますます高まりつつあるように感じられる。公的な思想統制の危険性を軽減するためにも、あえて『水伝』を認めることもいいのではないか、とそんなふうに思うのですね。

話がちょっと脱線したところで、次に続きます。

コメント

ゆずれない一線

「水伝」は人間=観察者の意志が客観的事実に優先するというもので、非科学的なのではなく、反科学的です。アレを良しとする人間に科学を学ぶことはできません。
ナチスと共産党を同時に支持することはできないように、科学と「水伝」を同じように支持することはできないのです。


朗読させていただきました。

御無沙汰をしております。
愚樵さんの以前の記事、「情と殺生、理念と殺戮」を僭越ながら当方ブログで読ませていただきました。
納得の行く読み方ではありませんが、お聞きくだされば幸いに存じます。
尚、間違いがありましたらご指摘くださいますようお願い致します。

突っ込み遅れて申し訳ない(望んぢゃいないでしょうけど)

愚樵さんごぶさたです。

>水に「ありがとう」といったような善い言葉をかけると、水は美しい結晶を作る

紙に言葉を書いて貼っつけておいてもよいそうです。

>信じるにたる十分な「確信の体系」に基づくことを“知っている”と表現することが許されるなら、上の“信じています”は“知っています”と置き換えてもよい。ただ、その場合でも私の体系の把握は不十分だから、どうしてもすべてを“知っています”と答えるのには躊躇はある。

OK,ではお互いこのレベルの認識で話を進めましょう。
「斉一性を信じる」ことは「信仰」であるっていうあたりの議論はしない、と、いうことで。

>けれども、人間個人にとって客観的・科学的事実に基づく「確信」も、個人の範囲内にしか通用しない「確信」でも、同じ「確信」には違いなく、

これは、二種類の「確信の体系」を恣意的にごっちゃにしているでしょう?
すでに上で同意した通り、リンゴを手を離せば下に落っこちるのは、「個人」が望もうが望むまいがそのようになる共通の事実です。
個人の範囲内にしか通用しない「確信」を他者に押し付けようとしたら愚行ですが(美味しんぼの親方でんな)、「リンゴは地球上では必ず下に落ちる」は世界・万人共通です。
前にも書きましたが「ユークリッド平面では、三角形の内角の和は二直角である」は誰がどんな状況で言おうが「押し付け」になりません。

>客観的事実よりも個人的な「確信」に基づく「確信の体系」だって、人によっては存在するわけです。

ですから、そういう方はそうしていらっしゃればよろしいでしょ? ただ、あんたの「確信の体系」と、あっしの「確信の体系」では一致しないところがあるのだから、一致しない部分はお互いに干渉しなければよい。
布教もしないでいただきたい、例え善意からであろうとうも。

>ニセ科学批判はともすると、その「確信の体系」を万人共通であるべきだ、としてしまう。

そんなこと誰も言って無いと思いますけれど?
違う種類の複数の「体系」がある、とは言ってると思いますけど。

>私はそれについては行き過ぎだと感じていて、その行き過ぎの部分についてはニセ科学批判を批判する立場にあります。異なった「確信の体系」を他人に押しつけようとする姿勢――それがいかに強固な体系であろうとも――は、宗教と変わらないのではないか。

違う「体系」であることを良くわかっているのは基本的には「ニセ科学批判者サイド」であることが多いように私には思える のですが?
ごっちゃにしたがる人がいるということではないでしょうか?
で、ごっちゃにしてると指摘すると、「押し付けるな」、「上から目線でくるな」と返って来るケースをよく見るような。

私の知る限り、「慎重な物言い」であるとか、「言質をとられないよう気をつける」とか、「ニセ科学の定義について常に気に留めて発言する」とか、「ちゃんと勉強しようとする(笑)」とか、物凄く注意深い方が多いと思いますが?

ちょっと酒が入ってるので、学校の件はまた後ほど。
失礼いたしました。

自虐史観批判批判とは!

なかなか面白い論点ですね。
自虐史観とは何か?というところからスタートすると特に。

『かつてお国のために命を賭けた先人の思いを、もうこれ以上、‘貶め’‘侮辱し’‘恥辱にまみれさせる’べきではない』と言うのが自虐史観批判の主張の根幹だとすると、それに対する正当な批判は、『かつてお国のために命を無駄に捨てさせられた先人の‘無念’‘無残’‘恥辱’を決して忘れてはならない』ということになるでしょうか。

いずれにしても、先人の苦難に対する「鎮魂」の想いが根幹にあるなら、自虐史観批判者と批判批判者とが分かり合えないわけでもないと思うのです。

互いに分かり合えないのには、何か別の要因がある。

ちょちょんまげさん、お待ちしておりました(笑)

少しズレた回答かもしれませんが...。

ちょちょんまげさんは、何か信仰をもっておられますか? それとも、無神論者ですか? 

日本的無神論は、欧米人にはなかなか理解できないという話をよく聞きます。アチラの人に「私は何の神も信じていない」というと、人間ではないと言ったような顔をされるとか。そういう人に日本的無神論とは何かを説明するのは相当困難なのは容易に想像がつくと思うのですが、私の考えについてのちょちょんまげさんのとらえ方は、欧米人の日本的無神論理解と似た感触のように感じるんですね。

ま、それはそれとして。

>>ニセ科学批判はともすると、その「確信の体系」を万人共通であるべきだ、としてしまう。

>そんなこと誰も言って無いと思いますけれど?

はい。科学者はだれもそんなことは言わないでしょう。が、言葉にして言わなくても、それを押しつけるんですよ。

たとえば、風が吹くという自然現象を考えてみましょうか。ちょちょんまげさん、ある時ある場所で風が吹いた、その現象は偶然ですか? それとも何者かの意志ですか? 

イスラームあたりでは、自然現象もすべて神の意志だと考える。また、日本を含めた世界各地の多神教でも、それを神か聖霊かご先祖様か知りませんが、何者かの意志だと考える。偶然と考えるのは、キリスト教徒。世界を創造し世界の法則を定めたのは神だが、イスラームが考えるように世界の現象ひとつひとつにまで神の意志が直接介入しているわけではない。風が吹くという自然現象は、神が創造した法則に則った偶然である。そう考えるんですね。

科学は、このキリスト教的世界観がなければ発達しません。現象ひとつひとつに何者かの意志が関わっていると捉えれば、だれもそこに法則があるなんて思いません。意志とは気まぐれということでもありますからね。

風が吹くという自然現象を科学的に理解させようとすることは、結局、何者かの意志によるという考えを否定することになるんです。そうでなければ科学の理解は進みませんね。

もちろん、風が吹くのは何者かの意志であるという考えを保留しつつ、科学的思考を持つことは可能です。私自身もそういう人間のつもりです。けれども、科学の側にいる人にそれを認めるとは言いながら、結局は認めないんですよ。どうしても風が吹くのは偶然の自然現象だ、誰かの意志による超常現象ではないと言うんです。

あ、時間切れ。またあとで。

ファイヤアーベント

昨日の続き。

ちょちょんまげさんは、ファイヤアーベントという人をご存知ですか? 私も最近知ったのですが、この人は「科学に対する最大の敵」とされているそうです。その割には、その名があまり広く知られていないのですけど。

ファイヤアーベントは、上のコメントで書いた、「風が吹くのは自然現象か、誰かの意志による超常現象か」という疑問について、その正誤を判断する一切の合理的基準はないと論証したそうです。『方法への挑戦』という著書で。ところがこの著書が発表されるや、科学者や哲学者から膨大な反論が浴びせられて、その後無視されるようになった。

でも、ファイヤアーベントの論証が論破されたわけではない。にも関わらず、最近見直されてきているそうですが、無視に近い状態。これって、科学的な態度としてはおかしいと思いませんか? 論破できないのであれば、主観を交えずに尊重すべきでしょう? ところがそれができない。どうしても、「風が吹くのは自然現象」という理解の方が「風が吹くのは超常現象」という理解よりも優れているという主観的判断から抜け出せないんですね。

amazonのレヴューに面白いものがあります。ファイヤアーベントの自伝についてです。
http://www.amazon.co.jp/%E5%93%B2%E5%AD%A6%E3%80%81%E5%A5%B3%E3%80%81%E5%94%84%E3%80%81%E3%81%9D%E3%81%97%E3%81%A6%E2%80%A6%E2%80%95%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%88%E8%87%AA%E4%BC%9D-%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB-%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%88/dp/4782801033/ref=sr_1_2?ie=UTF8&s=books&qid=1229370500&sr=8-2
「思春期の学生には毒かな?」としたレヴューです。
「天文学も占星術も、それを信じている人達にとっては等しく真であり、それを信じない者達にとっては等しく偽である、と。この考え方は、ある程度の年齢に達した科学者ならば受容できるであろうし、「そりゃそうだ」とも思うだろうが、十代の早熟な知的探求者には猛毒である。」

論理的論証がなぜに毒? レヴュアーは、「多くの有為な青少年の知的探究心を無力化してしまった」といいますが、そんなの偏見でしょう? この偏見を宗教に基づくものだと見なしても誤りではないと思いますが、どうでしょう?

naokoさん

書きかけのまま長らく放置してしまっていますので、なにを書きたかったのかすっかり忘れてしまいました(;´▽`A``

>互いに分かり合えないのには、何か別の要因がある。

そう。きっとそのことを書きたかった! ...のかな?

こんにちは

「水伝」の問題は
「ありがとう」という美しい言葉を使うことの大切さを、「水の結晶」をネタにしてるのですが、

「ありがとう」ということばひとつを「美しい言葉」だと決めてしまう、価値観の固定そのものが危ないことだと思います。

盗みをした友達から「ありがとう」とお金をもらうのと、「ばかやろう」と叱るのと、どっちが美しい友情だ?
という受け売りのつっこみを。

愚樵さん、ちょと間があきました。

>アチラの人に「私は何の神も信じていない」というと、人間ではないと言ったような顔をされるとか

ん~、ケースバイケースですって。少なくとも私の住んでいるあたりでは「欧米人」の中にだって世界には無神論者や「神を信じていない人」がいることが良くわかっている人はたくさんいます。
もちろん「原理主義者」かなんかは別でしょうけど。


>私の考えについてのちょちょんまげさんのとらえ方は、欧米人の日本的無神論理解と似た感触のように感じるんですね。

まぁ、どのように取っていただいても結構ですけどね。

ファイヤアーベントとは、また愚樵さんの好きそうな(笑)

質問1.ようするに愚樵さんは「何でもあり」を支持するということですか?


だとすると、

>ニセ科学商法に引っかかったりとか。好ましいこととは思いません。

別に構わないんぢゃないですか?一つの見方でしょうから。(ニセと断ずること自体不可でしょう)


ちなみにファイヤアーベントは脳腫瘍で亡くなったそうですが、それまでさんざん現代医療に文句をつけていた彼が、最後は主治医の診断に全幅の信頼を寄せていたそうです。
「脳腫瘍」は「一つの見方である」とか、「一つの認識に過ぎない」とかは、よう言わんかったようですが。

>でも、ファイヤアーベントの論証が論破されたわけではない。にも関わらず、最近見直されてきているそうですが、無視に近い状態。これって、科学的な態度としてはおかしいと思いませんか?

科学的な態度として全然おかしいと思いません。
ファイヤアーベントの主張は論破不可能です。(神の存在証明、非存在証明と同じことでしょ?)
愚樵さんも御自分で書いていらっしゃるように、科学は科学の範囲内でないものについては対象外としているでしょ?(範囲外でないと思われていたことが範囲内に入ってくることはいくらでもあるでしょうが)

質問2.もし同じでないとお考えなら、論拠をお聞かせください

>風が吹くという自然現象は、神が創造した法則に則った偶然である。

それでも構わないでしょ。神様の非存在証明が不可能である以上は。

ただし、科学という営為は、風が吹くという現象がアホダラ教のノーテンパー神がおこしたものであろうと、バイドク教のハナモゲラ神がおこしたものであろうと、麻原しょうこの神がおこしたもんであろうと、どの神さんの仕業であろうと、結果として共通の法則やメカニズムがあるんでないのと考え、そしてそれを明らかにしようとすることですよね?(気象はむずかしいですけどね)
そして、とんでもない精度で記述できることが出来る諸現象はすでにあるわけです。

ですから、「神様の介入の有無」そのものについては言及してないわけです。
(神の御技としてのニュートン力学でもいいし、相対論でも量子論でもかまわんわけでしょ?結果同じなんだから。)

で、それを神の仕業の否定と取るのは、取る方の問題じゃないですか?

>結局は認めないんですよ。どうしても風が吹くのは偶然の自然現象だ、誰かの意志による超常現象ではないと言うんです。

これは、お互い様でしょ。「意思側」は「偶然側」を否定しているんだから。

質問3.愚樵さんは、人の起源について学校で「進化論」だけ教えて「各種創生論」を教えないこと(科学の時間であろうとなかろうと)をアンフェアだとお考えですか?

質問4. 愚樵さんはそもそも「一つの見方に過ぎない」科学を学校で教えることはけしからんとお考えですか?

ちなみに、愚樵さんのイスラム、キリスト両宗教観に同意し難い部分が多いです。(愚樵さんの見方を支持する文献がありましたらご紹介ください)
また、前のエントリにも異議を申し立てたかったのですが、「~国人はこうである」って十把一絡げの見方にも同意できません。

同じ日本人でありながら、愚樵さんと私ではこんなにも違いがあるではありませんか。

科学者は科学を信じているわけではない。

ドグマが、ドグマとして成立したプロセスを追って、それが妥当であると判断し、その上で、そのドグマに基づいて論を立てるのである。
なので、結論だけでは意味がない。結論だけ出してきても、それは結果ではないのだ。

疑似科学はこのプロセスを無視し、結果だけを提示して『この事実が観測されたからこの論は正しい』とするものである。疑似科学を批判する時に結果だけを提示し、『これに反するから無効』とやるのは、実はとても疑似科学的な手法であるといえる。
事実、『美しい』結晶は写真という形で観測されているわけだ。観測されてしまっている事実に対して『ありえない』といっても意味はない。
バラエティ番組でグダグダの口喧嘩を披露して数字を稼ぐ程度の意味しかない。

なので本来、このエントリにも、それに対して何らかのコメントを寄せることにも、その程度の意味しかない。

しき

上のsutehunさんのコメントが解き明かしている「ことがら」が、みんなの目に「なるほど」というふうに伝わる、という「意味」はあるんでないかい。このエントリと、それに対する「批判者」のコメントは。

つまりは、どっちもどっち、ってことで。

「永遠に生きるかのように夢見よ。明日死ぬかのように生きよ」ジェームス・W・ヤング

「私は私自身の陰鬱な影を、月夜の地上に釘づけにしてしまひたい。影が、永久に私のあとを追つて来ないやうに」萩原朔太郎

「あなたの寿命は今後百年以内に尽きます。これは科学ですから間違いありません。念のためおことわりね...。」批判者X

「神様とやら、あんたは残酷だぞ。
 医者は病気を治して命を助ける。
 その結果、世界中に生き物があふれ、
 食糧危機がおき、多くの命が死んでいく。
 そいつがあなたの思し召しか。
 医者はいったい、医者は何のためにあるんだ・・・」手塚治虫

「板垣死すとも自由は、ぷう~」相原コージ

並べれば一目瞭然だよね。そのつまらなさと、面白さ。

< だけど、これを「わからない」お方が、ルルドの水とアサハラの残り湯が等価だ、なんてアレなことを言っちゃうんだろうね。ほかにも、テロリストの所業に喝采を送ったりとか、「弱いから自殺するんだ」とか。本当に水気のないギスギスしたお言葉の数々 >

どうせ結果が同じなら面白い方がいいに決まってるじゃない。これが人間の持つ最大の力「共感」でございますことよ。別に信じてもらえなくてもいいけど。

  柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺  正岡子規

この正岡子規の作品が論理的かどうかは別として、あたしらの中に彼の言葉が生きていることは確かだよね。

  渋滞に かあかあかあと なくカラス  ごん

ちょちょんまげさん、だいぶ間が空きました(苦笑)

ちょっと時間と意欲がなかったもので(笑)。

ちょちょんまげさんのコメント改めて拝見させてもらいました。ん~、言いたいことは結局

>ん~、ケースバイケースですって。

に集約されているような気がします。ちょちょんまげさんの論法は、科学的でなければすべてケースバイケース、といった感じですね。

私が言いたいことは、ある意味ではケースバイケースではあります。ですが、そのケースバイケースを個人のレベルにまで解体したものではありませんよ。ある集団、ある時代で科学以外にも様々なものの見方がある。それもケースバイケースと言えないはないのですが、ちょちょんまげさんの仰るケースバイケースとは別物です。

ファイヤアーベントを持ち出したのは、ある集団の認識の仕方は、科学と比べて特段劣っているものではない、ということを言いたかっただけ。それを個人のレベルにまで解体してしまうと、断然、科学の方が優れているという結果になるでしょう。

もっとも、これは私のエントリーの書き方にも問題があったわけですけどね。科学と個の確信の体系を別個にしたのは私ですから。とはいうものの、それはそれで別の意図があってのことなんですけどね。その意図をちょちょんまげさんは解してくださらない。

人類は科学以前にも様々な「共同認識」を発展させてきた。それは「共同認識」というレベルでは科学と同等である。ただ異なるのは、科学は共同認識の体系から善悪を排除することに成功した唯一の体系である。そういうことで十分ではないですか?

なお、キリスト、イスラム教の解釈については、
『歴史とはなにか』(岡田英弘著)
『イスラーム文化』(井筒俊彦著)
あたりを参考にしてます。

科学を信じない科学者なんているわけがない

sutehunさん、遅レスで申し訳ありません。コメントありがとうございます。

科学者は科学を信じていない。はい。科学者が言いそうなセリフですね。でも、私はそういう言葉は信用しません。

科学者が科学を信じずして、どうして科学という営為に実を奉じることが出来るのでしょう? 非常に疑問に思います。自分の為している行為に意味があると「信じて」いるからこそ、そこに従事していられるのでは? 科学者とは、自分の為している行為が無意味と信じつつ行為を為すニヒリストを指すのでしょうか?

ま、「信じる」の意味の解釈がズレているのは私も認識しています。たとえば、神の存在を信じる人がいて、何らかの理由でその神を信じらなくなって棄教する人がいたとします。実際にそんな人はたくさんいるでしょう。そういう人は、神の存在を信じてはいても、神を信じてはいない。この両者の「信じる」は、同じ「信じる」でも意味するところが違いますね。もちろん私が問題にしているのは後者の「信じる」です。後者の「信じる」の意味においては、科学者は科学を信じていないなんてことは、考えられません。

ん~、よくわかりません

愚樵さん、レスありがとうございます。
私の頭が悪くて申し訳ないのですが、もうちょっと具体的におねぎゃーできませんか?

>ちょちょんまげさんの論法は、科学的でなければすべてケースバイケース、といった感じですね

よくわかりません。私の論法そのものがそうであるという具体的な指摘を請います。
自分では、すべてケースバイケースというよりは「主観は全ての人間で同一でない」と考えていますが?
法隆寺の前で柿食うもよし、一句ひねるもよし、建造物のメカニズムに思いを馳せるもよし、柿が落ちるに万有引力を思ってもよろしいと。

それ以外の愚樵さんのコメントに対しては、私の質問1-3にご回答を頂戴してからにし、エントリをあげたいと考えています。

それから、キリスト教、イスラム教に関する文献のご提示ありがとうございました。
しかし、これら(宗教に関する愚樵さんの認識)は「二次情報」ですから、愚樵さんに言わせれば、「知っている」のでなく、「信じている」ということになるのではないですか?(質問の4です)

ぶ~たれのl報い

ちょちょんまげさん

あなたはルルドの水をアサハラの残り湯と等価と仰った。

自らのその言葉の重さを引き受ける、その覚悟も、その言葉を目にした人に対する、思いやり、もないままに。

それで、終わり、ジ・エンドなんだよ。

うちへ帰って南郷氏のレクチャーを受けなさい。

間違えた

愚樵さん。
ごめんさい、最後のコメントの質問は5つ目でした。

正体「む」

彼らの正体は、ルルドの水を信じている人たちをバカだと見下しつつ、相手が多数派のうちはその顔色をうかがい、拮抗していれば主観の問題だと認めたふりをし、少数であれば徹底的に糾弾する(自らを誇示するためだけに)というものである 。

場所と時代とを問わず、ファシズムはそういう心性につけこんでくる。 この見苦しい心性は、あたしら一般が信じて疑わない科学という思考法がそういうふうに発展したという事実に起因するものなので、こういった小汚い心性を臆面もなく表にさらす無邪気な人々を笑うのはかわうそうではあるのだが。

というのも科学はもともとそういうふうな性質を持つものなので。つまりは「これまで」の否定によって牽引されていく、といった類の。(しかしもちろん、科学自体の持つその性質は、自らの認識を疑えというものであって、知識の足りない人を見下せ、という類のものではない)科学は100人に1人の科学者によって誘導せられるものであることは確かなのだが、科学はまた「生命の起源を解き明かしていない不完全な進化論」を信じている多数派によって支えられていることも、事実なのである。 自らが生まれてきた意味さえもわからぬものが、天に向かってつばを吐いても、自らの子供たちの上にその廃棄物を撒き散らすだけにほかならないことを、まずは、知るべきだろう。(自らの価値を問うことを放棄した人間たちは、ただ、他の信じているものの価値を貶めることによって、自らを誇ろうとする。自らの存在価値を確認するための、そのたったひとつの方法を棄てたからである。それは祖先を貶め、隣人を排除し、子どもたちにその醜悪な心性の種を植えつけることにほかならない)

>これら(宗教に関する愚樵さんの認識)は「二次情報」ですから、愚樵さんに言わせれば、「知っている」のでなく、「信じている」ということになるのではないですか?

このばかげた質問のあとに再びその口を滑らせないことを祈るよ。

理性的でないもの

ん~(笑)、では、お答えしましょうか。

質問1.

私には、なぜこういった質問になるのかが理解できないのですね。科学に懐疑を持つことがなぜ「なんでもあり」になってしまうのですかね? 

科学は人間がもつ理性の働きによって構築されたものです。ここにちょちょんまげさんも異論はないと思います。私が支持したいのは「理性的でないもの」です。ただし、「理性的でないもの」=なんでもあり、ではありません。理性が把握できなくても、人間が長い年月のあいだに獲得してきた「確信の体系」。それは生きている人間にとっては、科学と同等、いや、それ以上の意義があるということを言いたいのですね。

理性が果たす役割には様々なものがありますが、そのなかでも最も大切なのは自らを省みる「自省」ではないかと思います。理性が自らを自省するならば、理性には限界があることを認識しなければなりません。科学が理性の産物であるならば、生きている人間にどのような影響を及ぼしたかを自省する必要があるでしょう。科学は技術を発展させ物質的に豊かな実りをもたらしたことは間違いのないことですが、物質的な面に留まらない精神的な意味も含めて人間を進歩させたかどうかは、甚だ疑問です。

科学でなければ、また理性的でなければ「なんでもあり」という姿勢に、私は正直、あまり理性的なものを感じません。理性の作用で最も重要な「自省」に欠けているように感じられる。そう感じたことが、前コメントでのちょちょんまげさんへの返答の元になっています。

(そのことは、ごんさんも同様の指摘をされています。
>あなたはルルドの水をアサハラの残り湯と等価と仰った。)

質問2、それから質問5の回答は、上の回答の中に含まれていると考えるますので、割愛させていただきますね。

質問3.4について。

ある個人が、自分の「確信の体系」に基づいて話をすることを制限するべきではない、と私は考えています。ですから、科学のみ許されるというのならば、それはアンフェアということになりますね。

それと、モノを扱う技術の体系としての科学の重要性まで私は否定するつもりはありません。人間はモノを扱うこと無しに生きてはいけませんから、技術と一体になった「科学技術」として科学教育を行うことに異議はありません。

(追記。人間は自分一人単独で「確証の体系」を積み上げることができほど強くも賢くもありません。こんなことはわざわざ記すまでもないことですが、どうもちょちょんまげさんとお話しするには、その必要がありそうですね。)

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