愚慫空論

そこに驕りはないか?

昨日のニュース。

産科医の無罪確定へ=帝王切開死、検察が控訴断念-「今後は慎重に捜査」・福島

福島県立大野病院で2004年、帝王切開手術を受けた女性=当時(29)=が大量出血して死亡した事故で、業務上過失致死と医師法違反の罪に問われた執刀医加藤克彦被告(40)を無罪とした福島地裁判決について、福島地検は29日、控訴の断念を決めた。控訴期限の9月3日が過ぎれば、無罪が確定する。

公判では、癒着した胎盤を子宮から剥離(はくり)した際に大量出血を予見できたのかと、剥離を中止し子宮摘出に移る義務があったのかが主な争点だった

この判決、「医療現場の常識」に沿ったものだとして、評判がよいようだ。検察の控訴断念も好感を持って迎えられるのではないか。それはそれでよい。


産婦人科医は、他の医療分野に比べて訴訟リスクが高いといわれる。昨今の産婦人科、それも産科の医師不足はそのリスクを嫌ったものだといわれていて、特にこの大野病院での「事件(事故ではない)」以来、その現象に拍車が掛かった。そのことを考えると、この判決と検察の控訴断念は妥当だといえる。


「現場の常識」が判断基準として取り上げられる。これは実に好ましいことだ。好ましいことだが、私たちの経験から得られる「社会の常識」からすれば、「現場の常識」が判断基準に取り上げられることは少ない。むしろ「現場の常識」は、それ以外のさまざまな基準によって曲げられてしまうことのほうが多いというのが一般人の実感ではなかろうか?

例えば。一般人たる私たちが業務上の過失罪に問われる可能性がもっとも高いのは自動車の運転に関することだろう。そして、ある程度自動車の運転をしているものなら誰でも経験があることだが、運転者の「現場の常識」に沿った行動をとっていても、不可避に事故に巻き込まれてしまう恐れは十分にある。事故になるかならないかは、単に運が良かったか悪かったかに左右されるといった場合がある。運悪く事故に巻き込まれた場合、それが「現場の常識」で果たして通るかどうか? 自動車運転免許を所持するものの心得としてはむしろ、そうした不運なケースの場合でも、免許を所持している限り、その責任を甘んじて受けろとは言わないが、責任を全で免責できないものとして考えるのが普通ではあるまいか? それが免許を所持する者の心構えといったものではあるまいか? 

実際のところ、安全運転をしていたにもかかわらず不運にも事故に巻き込まれた運転者が、その常識を認められ責任を免責されるのは、不幸中の幸いといったところだろう。そうしたことからすると、「現場の常識」が通った医師たちは、自動車運転者に比べれば強者だ、ということになる。

誤解しないでもらいたいが、私は医師が強者であってはいけないとは考えていない。仮にも人命を救うことを職業としている者たちが、弱者であってよいはずはない。なので、今回の裁判の結果が医師たちの勝利に終わったことに異議を挟むことはしない。しかし、その強者たる医師たちに、強者の驕りはなかったか?


もう一度、自動車運転者との比較で考えてみる。自動車運転者の中でも不運にめぐり合う確率が高い者たち、すなわち職業ドライバーたち、なかでもタクシー業界を考えてみる。

医療業界とタクシー業界を単純に同じ基準で比較することはできないが、それでも敢えて「業務上の過失に問われるリスク」という基準で見て大差はないとしてみよう。そこで見えてくるのは、就業者の動静の違いだ。産婦人科の医師はその高リスクゆえに就業者数が減少傾向。一方でタクシー業界は、過当競争が問題視されるくらいに就業者数が増加。また経済的条件でも、特に産科医は、医師数減少で破格の条件が提示されるようになったがそれが就業者数減少の歯止めにならず、一方で、タクシー業界はワーキングプア状態に陥る者が多いにもかかわらず、そのことが就業者数増加の歯止めにはならなかった。

こうした現象の違いは、医師とタクシードライバーとでは要求される技能の基準が違うということもある。誰がどう見ても、医師になる方がタクシードライバーになるより難しい。このことは、ごくごく通俗的な判断として、医師よりもタクシードライバーの方が知性的だという判断に繋がるわけだが、しかし、「業務上の過失に問われるリスク」への対処の仕方のおいては、医療業界よりもタクシー業界の方が知性的であったのではなかろうか? 知性的といっても、新しく開発された車載カメラを搭載しただけだが。

現在、ほとんどのタクシー車両には、事故時の状況を記録する車載カメラが搭載されていると聞いている。つまり事故を可視化するようにしたわけだ。「現場の常識」という非常に弱い根拠に代わって、事故の状況を可視化して客観的に判断の材料を提供した。このタクシー業界の選択は、自身が事故を操作する権限を持つ警察等に対して“弱者である”という意識をもっていたからこその選択と言えるだろう。そして、その弱者の選択は、タクシードライバーたちのリスクを軽減するだけでなく、可視化によってドライバーたちの安全運転への意識を向上させることで、タクシードライバーが引き起こす事故も減少させたという好ましい副作用も伴った。

一方で、医療業界の方のリスクへの対処はどうだったか? 私は知る限りでは、個々人の医師がリスクから逃避する、周囲の者はその逃避を正当化する、そしてリスクを科す者たちに対する非難の言論を弄する――といった対処だけで、具体的に何か手立てを講じたという話は聞かない。私の知らないところで何らかの実効性ある手立てが講じられていたというなら話は別だが、そうでないなら、タクシー業界と比較して医療業界の無策を強者の驕慢からくるものと批判するのは、さほど的外れではあるまい。

このように考えてくると、今回の訴訟での医療側の勝訴・検察の控訴断念という事態は、そのことそのものは妥当であったにせよ、医者に対して弱者である患者側からすれば手放しで喜べない事態である。医師たちは、強者でなければ押し通すことが出来ない「現場の常識」(この場合には医療業界の常識とほぼ同義と考えて間違いあるまいし、そうでないと判断する材料を一般人は持ち合わせない)を押し通した。この結果が、タクシー業界においてもたらされた好ましい副作用――医療ミスの減少――を伴うとは考えにくい。弱者である患者からすれば、さまざまな疑問が「常識」の一言で避けられてしまう可能性が高くなってしまったということだ。

そもそも医師に対する訴訟が多くなったのは、患者側の知識不足による誤解という要素もあるにせよ、強者の驕慢に対する弱者の反撃という要素も大きい。一部には医療関係の争いを法廷の場に持ち込むべきではないという声があるが、これは弱者の反撃への機会を奪うことに繋がりかねず、賛成できない。誰もが公平に裁判を受けることが出来る権利は、いかなる理由であれ阻害されるべきではない。

要は医療業界も、弱者の対処をすればよいだけのことだ。医療現場での情報を独占している医師が、訴訟リスクのある弱者として現場を可視化させればよい。可視化したものを直ちに公開する必要はない。当事者である医師と患者との間でのみ共有されていればいい。そして、もし不幸にも事故があったなら。可視化された情報を第三者に公開して客観的な判断を仰げばよい。その場は要望の声があがりつつある第三者機関でもよいし、裁判の場であってもいいだろう。

(私には、医師と患者で現場の情報が共有されてさえいれば、あえて第三者機関は必要ないように思える。こうした第三者機関は、むしろ「業界の常識」を固守する役割を果たすほうが多いように思われ、弱者の患者から見ればメリットは少ないと判断する。)

コメント

医師が逃避する医師を批判しないのは、これ以上のリスク軽減が無理だからだと思いますよ。特に産科に関しては、先進国で最も少ないマンパワーで世界一安全なお産(周産期死亡率が最も低い)を行っていますからね。その上刑事罰とは(これは世界中で日本だけ)。
タクシー運転手と違って、産科や救急などのリスクの高い職場が医師として唯一の職場ではないのです。いくらでも逃避する場所がありますから、どんどん安全地帯に医師は逃げて行くでしょうね。この流れはもはやとめられないと思いますよ。
医療が崩壊しても医師がそれほど困るわけではないことにだれも気付いてない。

トラックバックありがとうございました。
理性的に運営されるのが前提ですが、プロによる「第三者機関」が本来はふさわしいでしょうね。
海難審判や鉄道・航空事故調査委員会でも同じ思想で、運営され一定の成果を積み重ねていますし。
が、それらの先例と異なるのは、当事者の一方がプロでない点。おっしゃっているような意味での、非対称性が大きなネックになってきます。

一時期、工学部の教養課程あたりで「テクノクラート社会への警告」がしきりになされたことがありました。
今から20年近く前、私はちょうど学生だったころです(笑)
その時には、シロウトの参加(意見陳述・監査)が重要 等々、いろんな議論があったのですが、その後どうなったのだったか……。
医療の世界では、同じような議論がなかったでしょうか。
生命倫理の議論では、この観点で哲学者などが参加されていましたが、
それを医療全体に広げるような動きも欲しいところと思っています。

>医師が逃避する医師を批判しないのは、これ以上のリスク軽減が無理だからだと思いますよ。

安全地帯の医師さま。

仰っておられるリスクとは、安全に関するリスク、技術的な問題に関わるリスクだと受け取りました。

そうだとすると、私も同意です。いえ、同意も何も、専門的なことは部外者でしかも素人の私には理解できませんので、医師たちの主張と裁判所の判断に異議を挟むつもりはないのです。

私が問題にしているのは、訴訟に対するリスク、社会的なリスクの方です。こちらの方は、「これ以上のリスク軽減は無理」とは思えないのです。

*****

デルタさん。

>それらの先例と異なるのは、当事者の一方がプロでない点。おっしゃっているような意味での、非対称性が大きなネックになってきます。

でしょうね。ですので、せめて、人間の判断が入る以前の情報、つまり生の現場の情報ですね、それを共有できないものか、と。
生の情報があったところで、結局専門的な判断はプロに委ねるしかないのですが...。

愚樵さん、こんばんは。
私は、あの判決があったとき、これ以上産婦人科のなり手がなくなってしまったら、どうなるのだろうか?という気持ちがあったので、「あ~良かった~」と感じたのは間違いありません。

しかし、かれらの一部に「驕り」があることだけは確かだと思います。なぜならば、その気持ちそのものをこの耳で直接きいた覚えが何度もあるからです。その昔、「訴えられたら大変よねぇ?」のような会話で、「大丈夫だよ!裁判になっても絶対に負けることはないんだよね~。心配ないない!」などという、自分たちは治外法権的な世界にいるのだと言わんばかりの、その勝ち誇ったようなセリフをきいたからです。耳を疑いました。いえ、人格も。

ただし、現在の医師がどのように進化(?)しているのかは、わかりません。少しは精進してくれていればいいのですが・・。(苦笑) でも、事実、上記の逆の医師だっています。どちらの勢力が多いのかは、おしてしるべしですが。^^;


やはりリスク軽減は無理

>私が問題にしているのは、訴訟に対するリスク、社会的なリスクの方です。

医療界ではここ10年あまり、訴訟対策等のため電子カルテ導入(今や、病院での導入率世界一)や重要手術の録画や検討会、各種情報の病院間での共有などを行い、その対策はタクシー業界など比ではありません。これらは全て病院負担な上に、救急や産科などの報酬は世界最低レベルで、毎年削られています。産科や救急は赤字なのです。マスコミもこれらの努力はあまり伝えようとしません(だから精進してるの?とか、タクシー業界と比べる人がでてくるのでしょう)。対策は限界にきています。その作業に疲れて果てて脱落していく医師が多く(私もその1人)、医師不足の一因となっています。全てのリスク対策が世界一になってもマスコミは真実を隠し、叩き続けるのでしょう。そしてその頃には産科や救急では誰もいなくなっていると思いますよと警鐘を促したかっただけです。

大野事件の無罪判決で産科医の減少が止まることはありません。現場医師の急激な逃散による崩壊はすくわれましたが、むしろ若い医師たちがそのリスクを目の当たりしてしまいました。最近の若い優秀な医師たちは海外に職場を求めはじめています。私は、何らかの政策が行われなければ、これらリスクの高い現場は10年以内に消滅すると思います。そのときも結局、その責任は医療界にありとされるのでしょうけど。






ココロさん

>私は、あの判決があったとき、これ以上産婦人科のなり手がなくなってしまったら、どうなるのだろうか?という気持ちがあったので、「あ~良かった~」と感じたのは間違いありません。

私もそれは同じです。私から見ても、といっても専門的なことはわからないのですが、あの判決は妥当だと思います。また、産科医が減少しているという事態からみて、社会的にも妥当だと思う。ま、でも、私はヒネクレ者ですから(笑)。こんな記事を書いてしまうんです。

でも、書きながら葛藤も(少しは)あるんですよ。医師だって、一人の人間としてはやはり弱者ですから。医師の過労も増えていると聞きますしね。過労で倒れるくらいなら、逃げてもよいと私も思う。医師だって誰だって、まず大切なの自分ですから。医師が倒れたら、患者を診ることもできないですからね。

******

安全地帯の医師さん

お答えするのに時間が掛かってしまいました。どのようにお答えすればよいか、少し悩んだもので。思ったことをそのまま出してよいのかどうかを。

が、やっぱり思ったことをそのまま出すことにします。やはり私には医師さんのお答えが、おそらくは無意識にでしょうが、強者の立場に立ったものだ感じられるのです。

>医療界ではここ10年あまり、~

なるほど、そうなのでしょう。その点は、私も積極的に情報を集めたわけでなく、私の知る範囲での疑問、批判でしたので、不勉強なところはあったと思います。が、しかし、その医療界の対策が患者の立場に立ったものなのかというと、やはり疑問に思わずにはいられません。

たとえば「重要手術の録画や検討会」とあります。“重要”とは、誰が決めるのでしょう? 患者にとって見れば、自分や自分の身内が受ける手術は重要です。もし仮に、私なり私の身内なりが手術を受け、それが不幸にも芳しくない結果をもたらしたとします。事前には上手くいくだろうとの見通しがあったにも関わらず。で、

「あなたの手術は重要なものではありませんので、録画していません」

もし、このようなことを言われたとしたら、私は黙っていません。それはご理解いただけると思います。

結局、疑ってしまうのは、それは医者のための訴訟対策でしかなく、タクシー業界が行ったような、自らの不手際をも明らかにしてしまう対策ではないのではないか、ということです。タクシー業界の場合、ドライバーの事故そのものも減ったという副作用があったことは本文に書きましたが、医療界の対策でそのような副作用はあったのでしょうか? というより以前に、いまだ医師の不手際についてはなかなか明らかにならないというのが実情ではないのでしょうか?

>これらは全て病院負担な上に、

それは何も医療界に限っての話ではないと思いますが。

>救急や産科などの報酬は世界最低レベルで、毎年削られています。産科や救急は赤字なのです。

ここについては、医師たちの努力はもっと広く知られてよいと思います。なくてはならない職業なのですから。

>むしろ若い医師たちがそのリスクを目の当たりしてしまいました。最近の若い優秀な医師たちは海外に職場を求めはじめています。

これも弱者たる個人としてはいた仕方ないとは思わぬでもありませんが、これを是認する風潮が医師たちのなかにあるなら問題です。安易に海外へ出ようという医師が失念していると感じるのは、決して自分ひとりの力で医師になったわけではないということ。彼らが医師になれたのは、彼らの努力があったことも当然ですが、社会のサポートがなければ医師にはなれなかったはずです。医学部の試験に合格すれば直ちに医師になれるのではないのですから。医学生が一人前の医師になるために、社会は大きなコストを掛けています。そのコストは、医師を育成することで、自分たちに見返りがあると考えるからこそ。

すみません。どうしても医師批判になってしまいますね。私もこれがあまり建設的でないことは承知しているのですが。

被害者意識

こんにちは。

今回の件に言及しているブログやサイト及びそれらへのコメント等を読んで感じるのは医療者側の強烈な被害者意識です。
警察・検察非難、マスコミ非難はもとより、中には遺族に対する非難も散見されます(でも今回の事例は遺族側が告発したわけではないのですが)。

まるで警察、検察、マスコミ、患者(遺族)が「医療崩壊」の元凶だと言わんばかりの姿勢には正直驚きます。なんか恫喝に近いものさえ感じます。「多少は謙虚な気持ちがあってもバチ当たらないのでは?」って言いたくなりますね(苦笑)。

「刑事罰を科すべきではない」と主張しながら、一方で医療事故調査委員会のような組織の設立にも根強い反対があるようです。一種の特権意識があるんじゃないでしょうか(別の方が「刑事罰があるのは日本だけ」と仰っていますが、本当なのでしょうか。疑わしいと思いますが)。

>そもそも医師に対する訴訟が多くなったのは、患者側の知識不足による誤解という要素もあるにせよ、強者の驕慢に対する弱者の反撃という要素も大きい。一部には医療関係の争いを法廷の場に持ち込むべきではないという声があるが、これは弱者の反撃への機会を奪うことに繋がりかねず、賛成できない。誰もが公平に裁判を受けることが出来る権利は、いかなる理由であれ阻害されるべきではない。

全く同感です。訴訟を起こすことは患者側にとっても大きな負担であり、できればやりたくないというのが大方の患者の本音だと思います。勝訴の見込みも決して大きくはないですし。と言うより多くは敗訴します。それでも提訴するのはよくよくのことであるわけで、医療者側も被害者意識にばかり閉じこもるのではなく、考え方をもう少し建設的な方向へシフトすべきではないかと思います。

今回ネットやマスコミ報道で「(大野病院)K先生、無罪判決おめでとうございます!」「警察・検察による不当捜査糾弾!」的な声の多さに少々辟易していたので、愚樵さんのエントリーを拝読してホッとしました。「ヒネクレ者」大いに結構じゃないですか(笑)。

DHさん

お久しぶりです。DHさんといえば、死刑廃止を巡って意見を交換したことを思い出しますが...、この問題、死刑の問題に負けず劣らず複雑な要因を孕んでいるように思えるんです。なのに、論調はあまりに一方的だと感じてしまって。

>今回ネットやマスコミ報道で「(大野病院)K先生、無罪判決おめでとうございます!」「警察・検察による不当捜査糾弾!」的な声の多さに少々辟易していた

まさしく、その通りです。

そりゃ無罪判決は当事者にとってはめでたいだろうけど、人がひとり医者の手の内で亡くなっていることに代わりはないんです。医師にとって患者はモノ扱いなのか? そんなふうにも感じてしまうんですよね。

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