愚慫空論

信頼が信用に解体される(3) -人間が変わったのではないか?

ここのところ、ブログの更新をサボっております(汗)。ブログの更新どころかいただいたコメントへのお返事すら怠っております(大汗)。にも関わらず、他所さんのブログにはコメントしたりしています(滝汗)...。

その理由はと申しますと、単に気が乗らなかっただけのことでございまして、言い訳の余地もないのですが。ま、気が向いたときにだけ向き合うことが出来るのが、リアルとは異なるブログコミュニケーションの特長ということで、ご容赦のほどを(開き直り)。

なお当エントリーは、『信頼が信用に解体される(1)』および『(2)』へいただいたコメントへのお返事も兼ねて、アップ致しました。

******

「信頼」と「信用」についてKUMA0504さんが

“「安全」は「信用」で、「安心」は「信頼」である


とコメントしてくださいました。

その通りだと私も思います。また、KUMAさんは

>信用は科学で、信頼は宗教である、という言い方もできる

と付け加えてくださっていますが、これにも同感です。さらにもう一つ付け加えさせていただくなら、信用はモノの「交換価値」で信頼は「交換価値」であるとも言えるでしょう。

またしても、図です。安全安心というと食品ですが、この図は食品を例にとって、信頼と信用の関係を表してみたものです。前エントリーの図を一部を修正しただけの手抜きのものですが。(言葉で綴るより図で書くほうが簡単かも)

信頼と信用その2
あらいさんは、(2)へのコメントで

ちなみに私は、中島誠之助さんに代表される鑑定人の鑑定を「信頼」していると言えましょう。

と述べられおられます。これはあらいさんに限らずほぼすべての番組視聴者に言えることでしょうし、また、この「鑑定への信頼」こそが『なんでも鑑定団』の肝要の部分であるとも言えましょう。「鑑定人の鑑定への信頼」があってこそ、「
視聴者の鑑定品への信用」も成立するのです。そして、このことは食品の安全についても同じことが言えます。「消費者の食品への信用」は、食品の安全度を鑑定する「政府への信頼」なしには成り立たないのです。

(「政府への信頼」は少し言葉を限定しすぎです。政府が定めた食品に含まれる添加物や農薬等の成分の安全基準への信頼、その基準を遵守させる政府と遵守しているはずの業者や外国への信頼、とでもするのが本当のところでしょう。)

しかし、この図は、あくまでもは貨幣と交換で食品を購入するしかない消費者((2)でいうならば視聴者)としての立場に立ってのものです。自ら食品を生産する者にとっては上の図は成り立ちません。政府や鑑定人は必要ないのです。市場に出して販売することがなければ、市場価格=交換価値を算定する必要性もありません。つまり「信用」そのものが必要ないのです。自ら育てた作物、また自ら育てたわけではなくても、信頼できる人物が育てた作物は十分「信頼」に足るものです。安心して食することが出来ます。


*****

再度、KUMAさんのコメントに戻りましょう。

信用は科学で、信頼は宗教である、という言い方もできる

しかし、自ら育てた作物、人となりをよく知っていて信頼できる者が育てた作物への「信頼」は宗教でしょうか? 私は違うだろうと思います。では、政府への「信頼」は? これは宗教なのでしょうか? 
私は、KUMAさんの謂う“信用は科学で、信頼は宗教である”という文脈での「宗教」という意味では、政府への「信頼」は「宗教」であると考えます。

私は以前にも、こうした文脈においての「宗教」の語を用いたことがあります。そのときには科学もまた「宗教」だとの見解を示しました。科学を知らない一般の者にとっては科学者を〈信じる〉以外に科学に接する方法はないのだ、といった類のことを述べました。そこでは科学を「宗教」とし、科学者をいわば僧侶になぞらえましたが、この図においては、その「宗教」は食品の成分を分析しどの程度の量なら人間の身体には影響を及ぼさないかの基準を算定する科学であり、僧侶の位置に座るのが政府ということになります。


「宗教」としての科学の構図は、「宗教」としての貨幣の構図にそっくり当てはまります。


>とどのつまり、共有できる価値基準が「金」だもんなぁ。なんだかね。
dr.stoneflyさんのコメント)

>dr.stoneflyさんが、「なんだかなあ」とおっしゃるこの価値基準の突出こそが、「信頼」を瓦解させるんですね。
(naokoさんのコメント)

おふたりの違和感は、「宗教」としての貨幣への違和感ではないのでしょうか?

dr.stoneflyさんは、『なんでも鑑定団』をご覧になった様子をこのように綴ります。

>出
家した坊さんが出家以前に知人から100万で買い取った「湯のみ」が、500万と鑑定されて喜んでいるのをみて笑えました。
>司会の島田に「出家した坊さんがそないに喜ばんでも」と突っ込まれ、「人間だものあたりまえ」と答えているのにさらに爆笑。

人間だもの、あたりまえ。これを坊主がいうから笑いを誘うのでしょうが、果たしてそれがずっと以前から当たり前だったのでしょうか?

 おそらく一定年齢以上の者なら、子供の頃に、貨幣=お金は汚いものと教えられた記憶を持っているのではないかと思う。戦後生まれの私でも同じことだった。お金を手にすることはもちろん、それを話題にすることも、子供たちには許されていなかった。お年玉はそのまま母親に預けなければならなかったし、子供たちの前でお金を話題にした大人は、ひどく下品な人という評価を受けた。
 ところが、そのようにして子供の世界からお金を遠ざけようとしていた大人たちはむろんのこと、当の子供たちもまた、現実の経済社会のかなでは貨幣が経済的な価値基準になっていることも、貨幣が一種の権力として振舞っていることも知っていたのである。
 その意味では、貨幣ほど非友好的な必要財はなかった。人々は精神のある部分では貨幣に対して非友好的な態度をとりつづけ、現実の経済生活の中では貨幣を承認していた。

これは内山節著『貨幣の思想史』のプロローグ冒頭からの引用です。内山氏が謂う“貨幣に対する非友好的な態度”は、私にはよくわかります。おそらくdr.stoneflyさんやnaokoさんも、この感覚は共有しておられると思います。そういう人間にとっては、“人間だもの、あたりまえ”なんかでは決してないのです。

あらいさんは

>「なぜ鑑定になど出すのだろう」

と、訝しく思われていますが、答えはここにあると思います。貨幣に対して友好的か、非友好的か。友好的な人間にとっては、もはやそれは“あたりまえ”なのです。鑑定に出すのは、人間の精神が貨幣に対し友好的になってしまったからです。その精神のあり様の変化を指して「宗教」と呼ぶことに、私はなんら違和感を覚えません。

*****

ところでnaokoさん。どちらへのコメントなのかは失念しましたが、“スピリッチュアルなものが氾濫するのは、あまりにも客観的なものの見方が広がりすぎている現在の状況に対する反発から来るのではないのか?” といった趣旨の書き込みをなさっていましたよね? その見方には賛同いたしますが、一方で以下のような見方はどうでしょうか? つまり「信頼」のあり方の変化、つまり非宗教的信頼から宗教的信頼への変化がスピリッチュアルブームの背景にあるという見方です。

非宗教的信頼が信頼者の身体的感覚(=肌感覚)を通じての「信頼」であるのに対し、宗教的信頼は信頼者の頭脳偏重による信頼だといっていいでしょう。科学への信頼も貨幣への信頼も、宗教的信頼です。そして上の図の「政府」の位置に、例えば江原某を入れてみてください。『なんでも鑑定団』がもてはやされる構図、貨幣による価値基準が突出してしまう構図、スピリッチュアルが氾濫する構図。通底するものがあるように思うのですが。

コメント

同じく書けません

おいどんも、なんとなく気持ちが乗らなくて書けません。スタの続きを書かなければと思うし、これをかかないとどうしても次の話へと進めない部分もあるし。

なんか、宿題のようなネガティブな受け止めをするとますます筆が進みません。スランプです。(泣)

スピリチュアルの氾濫…。

それは客観重視に対する反発…。いかにも自分がいいそうですが、はっきりと記憶にあるのは、最近のLightさんのエントリーのラストの言葉の方です(同様の感想をおっしゃられていました)。

ええ、確かに、「肌感覚の信頼」を知らずに育つ子どもたちが、頭脳偏重の風潮の中で、それこそ「地位・名誉・お金」のみを頼るようになったり、あるいは「頭脳偏重カルト」にはまったりしてますね。
そうなんですよね。昨今の‘人間性’の最大の変化は、『肌感覚の信頼の欠如』なんですね。
ある意味、ものすごい孤独やどうしょうもない寄る辺なさを子どもたちは感じている…。
愚樵さん、ぴたっと来ましたよ。
でも、なぜ失われてしまったのか…。それは?

>あらいさんは
>>「なぜ鑑定になど出すのだろう」
>と、訝しく思われていますが、答えはここにあると思います。

分かりにくい文でしたが、私が訝っているのはその前の、
『quine10さんや愚樵さんの言う所の「信頼」をその品物に寄せているならば』
の部分です。

quine10さんの所にもコメントしましたが、私の知る現実に『信用を切り離した信頼』は存在し得ないと、私は思っております。

それと余談ですが私は鑑定品に出す前に鑑定品に寄せられているのは『信頼』ではなく『思い入れ』だろうと考えます。

鑑定に出す人が金銭的に高額が付けられて喜ぶのは、
『自分の思い入れの有る品物に、社会的に認められる美術的な価値や歴史的な価値が有ると確認できたから』
という側面もあります。

高額だから価値が有るのではなく、多くの人が価値が有ると認める(=社会的価値が有る)からこそ高額が付けられるのです。
自らの思い入れの有る品物が多くの人に認められるからこそ喜ぶのです。
(勿論、金額自体を喜ぶ人もいますけどね)

出品者が金額自体に喜んでいるのか、「金額が付く理由」の方に喜んでいるのかは注意して見る必要があるでしょう。


余談と言いつつ長くなりましたが、最後に以下の部分について。

>非宗教的信頼が信頼者の身体的感覚(=肌感覚)を通じての「信頼」であるのに対し、宗教的信頼は信頼者の頭脳偏重による信頼だといっていいでしょう。科学への信頼も貨幣への信頼も、宗教的信頼です。

この部分、貨幣はともかく科学に関しては完全に誤っています。
科学への信頼は、『客観性に対する信頼』です。

科学は『人が頭で考えて生み出す物』ではありません。『自然界を記述する物』です。

『自然界があるままの姿に合致するように人が理解できる形で記述する事』が、科学というツールの主要な機能です。(便利の為に近似することもありますけどね)
言うなれば『自然界の翻訳機』でしょうか。

いずれにしても、人が望む故に存在する宗教とは異なります。

再転載

愚樵さん
今回の私のブログで、愚樵さんからのコメントを勝手に掲載させて頂きました。
批判のほどをお願いいたします。この暑さの最中で、疲れない程度に。

言葉遊びはいけません

愚樵さん。
信用は科学で、信頼は宗教であるとか、「安全」は「信用」で、「安心」は「信頼」であるなどの言葉遊びは、暇つぶし程度にはなるでしょうが、慎むべきでしょう。
現実から遊離して、言葉では如何様にも解釈できそうです。
言葉には一つの意味ではなく、個人個人によって、微妙に意味が違っていますし、使い方では、もっと違ってきます。
『信用は科学で、信頼は宗教である』は特にいけません。
科学は信用があろうが無かろうが、信頼していようが無かろうが、結果は万人に平等に現れますが,宗教では信頼や信用が結果を左右する。
科学は客観的事実で、信頼や信用のような感情(主観的な)の問題と何の関連性も有りません。そして宗教ではその逆に成っている。

私のブログで、同じ条件で冷蔵庫に入れたら、100度の熱湯の方が10度の冷水より早く凍ることは絶対にないと記事に書いたら、物凄い量の嫌がらせコメントが送られて来る。
この人たちは、逆の現象を、『天下のNHKの番組内で実際に見た』らしいんですよ。
私も同じ時間に同じ番組を見ていましたが、そんな事実は何処にもない。(見なかった)
信用しているNHKの信頼している番組内では、絶対に有り得無い事でも、信者には見えてくるらしいのです。
この事から判る事は、信用、信頼さえあれば、どんな科学法則でも、理論でも、常識でも、信者達には変更可能だという事です。
科学も、この人々の信用や信頼の前には赤子のように無力です。
面白い話だと思いませんか。?

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