愚慫空論

身体性と精神性の調和

今日のテーマは、なんと愛です。愛。

しかし、【愛】って言葉は、気恥ずかしい。いつもいつも大真面目だか冗談だかわからないようなことを書き散らしていて、何をいまさら気恥ずかしいだなんて、自分でもおかしいと思うけれども、気恥ずかしいものは気恥ずかしい。

でも、なぜ、愛は気恥ずかしいのかな? たぶん、【愛】が恥ずかしいんじゃなくて、【愛】について語るおのれが恥ずかしいのでしょう。【愛】を語る自分の中に何かやましいものがあるのでしょうね、きっと。

そういえば、過去にも【愛】については書き散らしたこともあったような。たとえばココとか。そのときもやっぱり、【愛】は気恥ずかしいという感じていたことを憶えています。

(本エントリーには「自我」「自己」「自我愛」「自己愛」などという言葉が出てきます。これらは過去エントリーでも使用した言葉ですが、意味が違います。混乱を招きそうで申し訳ないのですが、ご容赦を。)


今回は、図を用いてみることにしました。
愛その1
説明が必要だろうと思います。まず、点線で描かれた大きな円。この円の内部が「私」の心の中の世界だと考えてください。「私」とは、【愛】をなす主体であるところの「私」。「私」以外の他者を愛する「私」です。

赤い小さな円は、「私」が愛する他者です。他者の円は「私」の円と一部交わっています。「私」は視覚・聴覚・嗅覚・触覚等の感覚を他者を知覚しますが、「私」は知覚した他者のイメージを「私」の心の世界の中に作り上げます。「私」にとっての他者とは、「私」の心の中に存在するイメージと「私」の外部に存在する他者との、2重の存在です。「私」の円の中の他者は、「私」の他者についてのイメージ。円の外は外部に存在する他者だと考えてください。

「私」の円の中心には《自我》があります。「自我」という言葉にはさまざま定義がありますが、ここでいう《自我》の定義は“「私」が感じたり思ったりする心の中心”という意味と“生きようとする意志”の源泉の2重の意味があると考えていただきます。もしくは、「私」の心と、心を持った「私」が現世に存在することを支えている身体との接点と考えていただいてもよい。「私」の身体は心からさまざまな影響を受けますが、基本的に生きることを志向するものです。心が悲嘆に沈ずみ死を望もうとも、、心臓はそうは簡単に動悸を打つことを止めようとはしません。“生きようとする意志”は身体的と考えてもらってもよいかもしれません。

次に《自己》です。「自己」という言葉もさまざまに定義が可能ですが、ここでの定義は“他者(「私」の心の中のイメージ)と《自我》との関係”を《自己》とします。図では他者を1つしか描きませんでしたが、実際の「私」の心には多数の他者が存在します(他者は人間である必要はない)から、心の中には多数の《自己》が存在することになります。「私」の心の中は《自己》で満たされているわけです(そうした多数の《自己》の総体を「自己」と呼ぶことも多い)。

ここでもう一度、《自我》について見てみます。上で《自己》を“他者と《自我》との関係”としましたが、“~との関係”という言い方で《自我》をもう一度定義しなおしますと、《自我》とは“身体と心との関係”と言い直すことができるだろうと思います。そして【愛】は、この関係のなかの一形態だと捉えることができます。

「私」は“生きようとする意志”(=身体性)をもった存在です。と同時に、感覚器官を通じて認識する他者を、《自我》と関係付けようと作用する心をもった存在でもあります(=精神性)。他者と《自我》との関係にはさまざまなものがありますが、なかでも“生きようとする意志”を促進する関係、身体性と精神性とが矛盾なく調和する関係、これを【愛】と呼ぶことができるだろうと考えます。


図には、大、中、小の緑の円が3つ描かれています。この3つのそれぞれが【愛】です。

一番小さな円は《自我愛》。《自我》とは“身体と心との関係”で、【愛】とは関係のなかでも矛盾なく調和するものですから、《自我愛》とは“「私」(の心)と「私」(の身体)の良好な関係”。“良好な関係”をもう一度【愛】と置き換えますと、《自我愛》とは“「私」への「私」の【愛】”ということになります。

一般的に「自我愛」というと、とても自分勝手なイメージがまとわりついています。確かに“自分だけしか愛さない”のは自分勝手と言ってしまって間違いなく、「自我愛」といったときには“自分だけ”と思われがちなのですが、しかし《自我愛》には重要な側面があって、それは身体性と精神性との接点は《自我愛》にしかない、ということなのです。単に良好な【関係】というだけでは【愛】とは呼べません。【愛】には“生きようとする意志”が欠かないのです。後述する《自己愛》にしても《他者愛》にしても、“生きようとする意志”が伴わなければ【愛】ではない。「私」の“生きようとする意志”は、「私」の身体から《自我》を通じて「私」の心にもたらされます。ですので《自我》の状態が良好でなければ、すなわち《自我愛》がなければ、いかに《自己》や《他者》との関係が良好であろうとも、それが【愛】にまで昇格することはありません。《自我愛》は【愛】の肝心要なのです。

2番目の、中の円が《自己愛》です。自分勝手なのは、《自我愛》よりもむしろこちらでしょう。《自己》とは“他者と《自我》との関係”との定義ですが、あくまで《自己》は「私」の心の中のものでしかありませんから、《自己愛》も“「私」への「私」の【愛】”でしかないと言えます。《自我愛》と異なる点は、他者との関係。《自己》とは「私」の自分勝手な他者の解釈と見ることもできますから、そうした自分勝手な他者のイメージと“生きようとする意志”が結びついてしまう《自己愛》は、ともすれば他者に「私」の勝手なイメージを押し付けることにもなりかねませんし、実際にそうしたケースは多いだろうと思われます。

最後の大きな円が、《他者愛》です。なんの条件付けもなく【愛】というときは、この《他者愛》のことを指すのが一般的でしょう。

図での《他者愛》は、「私」の心の範囲から逸脱してしまっています。この逸脱は、「私」の心の中のイメージの他者だけでなく、「私」が捉えられない部分の他者の存在も含めて【愛】の範囲内に収めてしまう。【愛】の主体である「私」が愛する対象である「あなた」に“愛します”と言葉を発したとするならば、このときの「あなた」は「あなた」の全存在であることは当然の前提とされます。“愛します”というときに“「私」に見える部分のみを愛します”などと言い放つ者は、まずいないでしょう。そうすると、《他者愛》が「私」を逸脱してしまうと捉えるのは間違いではなさそうです。

しかし、そうなると、最初の【愛】の定義に少々都合の悪い部分が出てくるようにも思えます。【愛】は関係の一形態だと定義しましたが、「私」が知覚できないもの、「私」の心のなかにイメージとして存在しないものと、はたして関係を結ぶことができるのか、という疑問が出てくるのです。この疑問はさらに、“関係を結ぶことができないものをも愛するのが《他者愛》ならば、【愛】を関係の一形態とした定義は誤っているのではないか”と疑問に発展します。

この疑問への解答の足がかりは、“生きようとする意志”の中にあります。“生きる”とはどういうことか、時間との関わりに注目すると解答が見えてくる。

“生きる”“生きている”ということには2重の意味合いがあります。ひとつは、空間を占有する存在として“生きている”。もうひとつは、時間の経過のなかでの“生きている”です。時間の経過の中で“生きている”ということは、“生きている”限りにおいて、「私」は次々と未来と遭遇している、ということなります。しかし、「私」は未来を知覚することはできません。「私」が知覚できるのは、現在のみです。未来が現在となって始めて知覚できる。“生きようとする意志”は時間との関わりで言い換えるならば、“知覚できない未来を受け入れようとする意志”とすることができます。さらには“知覚できないものとも関係しようとする意志”とすることもできるでしょう。

ここでもう一度【愛】の定義を見直してみます。【愛】は関係の一形態ではありますが、関係だけでは【愛】とは言えず、そこには“生きようとする意志”が不可欠だと述べました。“生きようとする意志”は“知覚できないものとも関係しようとする意志”ですから、【愛】という関係は、現在の時点で知覚できる関係をだけを指すのではない、知覚できないものも含む未来志向の関係であるということができます。

もうひとつ、【愛】は身体性と精神性の矛盾なき調和とも述べました。身体性の“生きようとする意志”はそもそもからして未来志向のものですが(未来志向をなくした身体性は「死」に他なりません)、精神性は未来志向とは限りません。精神性は、むしろ知覚できる関係に限定しようとする現在志向の性向をもっているといえます。「論理」などといったものがその典型です。そうした精神性が未来志向の身体性と調和しようとするならば、精神性も未来志向でなければならない。【愛】においては、精神性を現在志向から未来志向へ転換する「決意」が要求されることになります。

コメント

ロックンロールなめぴょんです。(それしか言うことがない)
>【愛】は身体性と精神性の矛盾なき調和
それこそが「脳もまた肉体の一部である」、何より踊れる音楽であるR&Rの思想そのものなのです。
ひとの心臓の鼓動にもたとえられるビート。(大槻ケンヂの「イマジン特攻隊」という短編小説参照)
それが刻むものは、逃げられない苦しみの上に、それでも、だからこそ希求する生の肯定。
・・・その意味でも、「論理と感情」の二元論は「ロックしていない」。渾然一体となって転がっていくもんなんですよ。

the sensitive commentator

なめぴょんさん、どうもです。あ、the sensitive commentator とはなめぴょんさんのことです。mostもつけようかと迷ったのですが、やめました。sesitive を比較するなんて nonsense だと思うので。でも、定冠詞 the をつけるに十分値すると思います、なめぴょんさんは。

面白いことに、なぜか言葉は限定すればするほど sensitive になります。代表的なのは俳句でしょうか。五,七,五の十七文字に表現が限定されているのですから、俳句の読み手も受けても sensitive でなけば意味は通じません。いつもいつもロック限定のなめぴょんさんは、ロック限定であるがゆえに sensitive です。

>・・・その意味でも、「論理と感情」の二元論は「ロックしていない」。

御意。

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