愚慫空論

「絆」の光と影

ヒトとヒトとが支えあってできているという『人』という字の成り立ち。また、ヒトを単に『人』といわず「間」という文字を付け加えて『人間』という。これらのことはヒトという生き物の在り様をよく表している。つまり、ヒトはひとりでは人ではない、ということだ。そして「間」という文字は、言い換えれば「絆」であろう。人と人との絆を指して、これを人そのもののように呼ぶ。
『人』
『人間』という字は、人にとって「絆」は欠くべからざるものであることを示している。

ちょうど一週間前になるが、dr.stoneflyさんの11月16日の記事「絆」…今、実感できるワタシたちは幸せだ!!」を拝見して、少し考えこんでしまった。
そう、「絆」を実感できるとき、人は幸せを感じる。「ひとりではない」と感じれば人は強くなれる。だがそれゆえに、争いの火に油を注ぐことにもなる。


「絆」は人にとっては必要不可欠なものだが、その「絆」にも光と影がある。
今、「絆」が、暴漢によって土足で踏みにじられ、まさに断たれんとしている。そんな「絆」だからこそ多くの同志が立ち上がり繋がろうとしているのではないか。

これはdr.stoneflyさんのメッセージだ。私はこのメッセージには「無条件に」共感できる。
わざわざ「無条件に」と括弧つきで書いたのは、このメッセージを発したdr.stoneflyさん当人は「条件付き」でメッセージを発したのではないか考えるからだ。

憲法も教育基本法も戦後生きてきたワタシ達の「絆」だったのではないか。

平和憲法と教育基本法を「絆」とする人たち向けという「条件付き」なのだ。

「絆」はヒトとヒトとの間にあって人々を結びつけ、ヒトを『人』や『人間』やとするものだ。
平和憲法と教育基本法を守ろうとする志で結びついた「絆」は、「絆」を必要とする人間性の発露であろう。その人間性を私は素晴らしいものだと感じるし、その「絆」のなかに私自身も身をおきたいと願う。

だが、その「絆」のなかに繋ぎ止められてしまうのは、イヤだ。

「暴漢」とは、誰を指すのであろうか? dr.stoneflyさんにとっては、平和憲法と教育基本法の破却を企てる政府与党やそれに組するを指すのであろう。
それに間違いない。彼らは庶民の「絆」を分断しよう企む者たちだ。

他人に文章を勝手に読み替えるのは失礼なことだが、その失礼を承知で敢えて読み返させてもらうと、「暴漢」を例えば金正日や日教組とするとどうだろう? そうなると「絆」を「愛国心」だとする者が右側に多数でてくるのではないか。

「愛国心」は右にとっては「絆」なのである。
今、「絆」が、暴漢によって土足で踏みにじられ、まさに断たれんとしている。そんな「絆」だからこそ多くの同志が立ち上がり繋がろうとしているのではないか。
という記述はそのまま、右側の人たちの行動にも当てはまると考える。そしてそう考えることが、このメッセージに「無条件」で共感するとした理由だ。


日本の社会は今、一昔前までいろいろな形で存在していた「絆」が淘汰されてしまった社会になりつつある。「カネ」という繋がりが他の繋がり方を淘汰してしまっている。
このような社会では、少数の勝者と多数の敗者に分かれてしまう。つまり「格差社会」だ。そして「新自由主義」の名の下に行われている「改革」とは、つまるところ少数の勝者が多数の敗者を向こうに回していつまでも勝ち続けるための「改革」なのである。

少数が多数を圧倒する為にはどうすればよいか? 話は簡単で、要は各個撃破すればよい。多数が団結しないように仕向ければよいのだ。多数同士が内部抗争をして、互いの足の引っ張り合いをしてくれれば、なお結構。そうすれば少数が漁夫の利を占めることができる。

「愛国心」を軸にしての右と左の対立は、少数の「勝ち組」に漁夫の利をもたらすことなってはいまいか? 
互いが互いの「絆」を盾に、いがみ合う。その間にもさまざまな「絆」が淘汰されていく。その最後の仕上げが「教育」なのだろう。

私は平和憲法も現在の教育基本法も大切なものだと考える。だがこれらの法律および法律が示す観念が大切なのは、あくまで
様々な「絆」を守るための道具としてだ。同様に「愛国心」も「絆」を守るための「道具」とすることが出来ると考えている。

人間にとって「絆」は大切なものだ。そしてその「絆」は大きければ大きいほど、よい。小さくまとまって「絆」に輪郭が出来てしまうと、影も出来てしまい、その影といがみ合うことになる。
どれほどいがみ合おうと、影を切り離すことはできない。影もわからないほど「絆」を大きくするほかない。

私たちがなすべきは、「絆」の影といがみ合うことでも、また「絆」を断ち切ろうとする「勝ち組」と戦うことでもない。ただひたすら、「絆」を大きくしていくことだ。自らの影もわからぬほど大きくなった「絆」の中には、勝者も敗者もなかろう。

コメント

その通りだと思います。

愚樵さんの仰る通りです。リベラルもそうだけれど、右派にもこのことには気づいてもらいたい。ただ、勝ち組のめざす世界は、一時的には彼らに利をもたらすかもしれないけれど、そのうち自らをも、追いつめ、結局誰も幸せにしないものなのです。新自由主義は人を幸せにはしません。では,どうすればいいのか,それを今考えています。ある程度答えは出ていると思います。

TB 感謝です。

愚樵さん、おはようございます。本当のTB感謝です(笑)。
うーむ、まずいです。正直言ってワタシも引っかかっていたし、他にも緩やかな指摘をされたりもしてました。
まずは多少の言い訳を。11/16は例の強行採決のイラツキ、悲しみ、非常に感情的であった翌日で、なんとか自分自身を、そして自分と同じ様に落胆している人を前を見てもらえたら、という気持ちでたてたエントリーです。だから理論破綻をしていても「今日からまた立ち上がって前をみて繋がっていこう!!」という呼びかけなんですね。そんなとき「絆」という言葉がふと浮かんでしまったので止まりませんでした(華氏さんに叱られそうだな)。だからこうやって冷静に突っ込まれても……。
やはり、言い訳ですね。愚樵さんのおっしゃる通りです。実を言うとワタシもそのテーマでエントリーを「いつか」たてるつもりでした。
どうも、ワタシの場合「自由や平和」を勝ち取ってから、そうじゃない人々をどう「許す」「許容」、または「納得」させるか、といつ発想が身にしみているようです。考えてみたらヤバイですよね。権力者の心理と変わらない。どうも、いつも劣勢、いつも負け、という人生が精神を歪めてしまったのかもしれません。
おっしゃるとおり、庶民である「ネトウヨ」的人々との分断は権力の望むところでしょう。
ある意味、彼らはワタシたちよりも「犠牲者」だと思うのですが(また「権力」の人々も)、どうしたもんですかね。本当は共闘できたらいいのですが……。困りましたね。
たとえば、ワタシには「あの種のコメント」をしてくる人々と「絆」を広める自信がないのです。どころか理性とは裏腹に叩きのめしたくなってしまう。最近では、すぐに削除することで「叩きのめす」ことはやめようと思ってます。繋がるチャンスを自ら断ち切っているのかもしれない。
どうも、人間ができてませんね。冷静にさせてくれる愚樵さんにはいつも感謝してます。

追記

どこまでが「絆」かを考えていました。
「絆」が排他的な意味を含むとき、無条件で影のない「絆」というのは世界を覆うことになり、既に「絆」という言葉は意味をなさない。ということですね。

新自由主義こそが本当の敵

メロディさん、早速のコメントありがとうございます。

そうです。資本の論理を振りかざす新自由主義こそが本当の敵です。

>では,どうすればいいのか,それを今考えています。ある程度答えは出ていると思います。

メロディさんは、メロディさんなりのお答えをお持ちのようですね。私にも私なりの答えを持っているつもりです。それをボツボツ表現に乗せて行きたいと思っています。
その折には、是非ともご批判を賜りたいと思います。

愛国心が共闘のブレークスルーになるかも

dr.stoneflyさん、いつもどうもです。

確かに「あの種のコメント」をしてくる人たちは、不愉快極まりない。それは私も同感です。幸い、私のところにその種のコメントが来たことは数えるほどしかありませんが、汚物をなすりつけられたようなあの感触は、なかなか耐えられるものではありませんよね...(苦笑)。
あれを笑って受け止められる人は、冷静ではなく不感症でしょう。

まあ、しかし、お互いに頭に血が上ってしまっては、本当の敵を利するだけです。なんとか道を探さなくてはならない。たとえ小さなものでも可能性が見つかれば、“耐え難きを耐え”ることができるのではないでしょうか。

絆かあ……難しいですね

少し前に(と言っても既に昨日になります)記事を書いたのですが、寝る前にお知り合いの人達にTBしようとして、ふと「この記事はアタマの何処かで愚樵さんの記事に触発されてたんだな~」と思いました。

それはそれとして、愛国心を絆にしている人は確かに少なくない。むろん愛国心を利用している人々は別格ですけれども、それしかすがるものがなく、懸命に肩肘いからせている図は見ていて私の心のどこかがひどく痛みます。

>庶民である「ネトウヨ」的人々との分断は権力の望むところでしょう。ある意味、彼らはワタシたちよりも「犠牲者」だと思うのですが

と、dr.stoneflyさんが言っておられた。私も「分断して統治」されることを最もおそれている人間なので、どうしたものかとしばしば考え込みます。「あの種の書き込み」(笑)は私も確かに不愉快です(少ないから我慢できるのであって、ドドッときたらキレるかもです……)が、「あのバカ共」的な見方はしきれないのです。ただ、実生活上でしたら何とか手探りで話のきっかけを掴めることもありますが、ネット上では……。私の場合は、原則として削除しないことで何とか「真面目に話をしたいのであれば、応じる用意はある」ことを示しているつもりです(トンデモ発言の場合は、見た人にこれはいくら何でもおかしいのではありませんか、と示すためにという理由もあります)。何人かの方から削除すべきだとアドバイスいただいたのですが、今のところはそういう感じで……。

いつも難しい話ですみません...

>あの種の書き込み」(笑)は私も確かに不愉快ですが、「あのバカ共」的な見方はしきれないのです。

いっそ、「あのバカ共」と分断できれば楽なんでしょうけど、ね(苦笑)。
なぜ分断できないんだ、と考え出すとこれまた難しい領域に話が突入していきますが...、
こうした話は人間の心の中の「無意識」の領域なんでしょう。ここを主に「意識」の領域である言葉で語るのは大変難しい。ですから、

>実生活上でしたら何とか手探りで話のきっかけを掴めることもありますが、ネット上では

ということになるのでしょう。

けれど、けれどもです。ブログがここを突破できなければ、ブログは趣味を同じくする者同士のマスタベーション開陳の場にしかなりません(下品な比喩ですみません)。「言葉の力」、これを信じて更新を重ねるほかありません。

難しいけれども

>ここを主に「意識」の領域である言葉で語るのは大変難しい。

はい。しかし何とか語る努力をしなければとは思います。

>ブログがここを突破できなければ、ブログは趣味を同じくする者同士のマスタベーション開陳の場にしかなりません(下品な比喩ですみません)。

そうそう、そうなんです。下品な比喩じゃないです、私もよく自分で「マスターベーションかもなぁ」と思ってますから(笑)。志を同じくする人間同士は、言葉が通じる。少なくとも、お互いの言葉を理解しようとする姿勢で相対する。でも互いを嫌悪や疑いの眼で見ている者同士は、そうではない。

しかし――ほんと、言われる通りなのです。言葉の力。それは論理的にみごとに筋道が通っているとか、文章が高尚で格調高いとか、そういうことじゃない。どれだけ血が通っているかということでしょう。人の心を振り向かせることのできるような訴えができるようになりたい。

申し訳ありませんでした

愚樵 さん、著作権が問題になっているみたいで,今さらですが、記事で引用させて頂きました。事後承諾でごめんなさい。以後気をつけます。最初のころはかなり気をつけていたのですが,慣れって怖いですね。
わたしも、右派の人に語りかけたくて記事を書いているのですが,炎上されるのも怖いので,あちら側にトラバ出来ません。でも、来て読んでもらわなければ仕方ないしなあ、と悩むところです。

堅苦しいことは抜きで

著作権なんて、気にしないでください。私はそんなことは全く気に掛けていません。
ホントは気にしなければならないのかも知れませんね。私もかなり無頓着に他人様の文章を拝借してしまいます。もし訴えられたら、どうしましょう?

ごめんなさいは、こちらの方です。せっかく紹介していただいたのに、挨拶もなしで。実は、メロディさんのところのコメント欄に書き込もうとしたのですけど、何も書き込めなかったんです。自分の思うところとまったく一致していたので、かえって何も書き込めませんでした。ゴメンナサイ。

右派へのTBは、私は時々送ってみます。けど、今のところあまり芳しい反応はありませんね。まだまだです。

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