愚慫空論

「いじめは個性」発言の問題点

昨夜拝見した華氏451度さんの記事『ねえ君、それは「個性」とはいわないと思うが―』には、小学生のショッキングな発言が紹介されていた。

「いじめが悪いとは思いません。人が(いじめを)やるのもその人の個性だ」


「いじめが個性」とは驚かされてしまうけれども、少し冷静になって考えてみれば、この発言を額面どおりに捉える必要はないと思う。これはいじめを正当化するためのもので、「個性」のことばは免罪符として使われたに過ぎないだろうからだ。

「いじめ」とは多数で一人もしくは少数の人間を攻撃(いやがらせや無視を含む)する行為をいう。攻撃する人間が一人もしくは少数であった場合、これを「いじめ」と呼ぶことはない。つまり、多数の中に埋没して「没個性」となるからこそ「いじめ」なのであって、ゆえに「いじめが個性」であることなどありえない。
だから問題は「いじめ=個性」などといったところにはない。こんなところにとらわれていたのでは、むしろ本当の問題点を見逃してしまいかねない。

問題点は2点。1つは、いじめの免罪符になぜ「個性」という言葉が選ばれたのか。もう1つは、なぜいじめを悪いと感じないのか、正当化したいのか。

1つめの理由は、小学生が使った「個性」という言葉が華氏さんが言う奪われた言葉であったからだろう。
これは私の推測だが、この小学生は、「個性」という言葉を自分が覚えたとおりの用法で使用しただけだと思う。教師あるいは親などの大人によって「個性」という言葉を使われた場面、例えば「ゆとり教育」という名の教育放棄の免罪符として、こういう場面において使われた「個性」という言葉を、その場でその言葉を発した発言者(大人)が醸し出したニュアンスと共に記憶した。その記憶が「いじめは個性」に結びついたのではないか。
少なくともこの小学生は「個性」という言葉が大義名分として使用できるということはマスターしていて、実際に使用した。この言葉の使用法をこの小学生が自身で発見したのではないことは、まず間違いなかろう。

私はここに、教育というものの恐ろしさを垣間見せられたような気がする。特に感受性の豊かな幼年期の教育。「個性」が大義名分にだなんて、言葉の真の意味とは全く正反対になってしまっている。大義名分を飾ることができないところに「個性」があるはずなのに。「個性」が奪われた言葉として子供たちの間で広がってしまっていることを「いじめは個性」発言は証明しているのではあるまいか。
この小学生が成長して「個性」の言葉の真の意味を理解する時がやってくるのなら、それはそれでよかろう。誤りを訂正するのは教育の重要な働きなのだから。だが、奪われた言葉の奪われた意味を理解する機会がないまま成長したなら、それが数少ない例外でないとしたら、現在、与党が国会に提出している改正教育基本法の狙いがここにあるとしたら...。
不愉快な想像ばかりすると、また脳ミソがストライキを起こしかねないのでこの辺りで止めにするけれども...。


2つめは、さらに深刻な問題を孕んでいる。「
いじめが悪いとは思いません」は誤りだと常識ある者なら断言するのに躊躇はなかろう。けれど、ではなぜ? と問われると、「なぜ人を殺してはいけないのか?」と同様、明確に答えを示すことが困難な問いになってしまう。

なぜ、いじめはいけないのか?

大人はいじめはいけないというが、では大人の世界にいじめはないかというと、そんなことはない。大人だって周囲からのいじめを苦に自殺に至る人もいる。高齢者やハンディキャップを背負った社会的弱者などは、今や彼らを庇護すべき美しいはずの国からもいじめられているような状態だ。
感受性豊かな子供たちはそれらのことを鋭く受け止めて、嘘偽りなく直言しただけなのかもしれないのだ。

なぜ、いじめはいけないのか?

「いじめは許さない」のメッセージを発することは、いい。それは必要なことだ。そして同時に「
なぜ、いじめはいけないのか?」の問いに真摯に向き合ってみる必要もありそうだ。

コメント

同感であります。

奪われた言葉として小学生の口からでた「個性」という言葉は、ワタシのなかでは他の奪われた表現とちがい、妙なひっかかりをもって咀嚼されてしまう。これは個人的なもので、多分、華氏さんのとこでTBした「個性を煽られる子どもたち」という冊子がずっと気になているからだと思う。まあこの小学生が「個性」という言葉をなんとなく使ってるというのは愚樵さんの言われるとうりかな。本当にその小学生の「いじめ」そのものへの感覚の方が重要なのかもしれない。
それよりも、と言ってはいけないが、愚樵さんが指摘された、「改悪教育基本法」が没個性を植え付けるものであるという方がひっかかる。ほんと、まさにその通りだと思う。だから不愉快なのだ。いかんワタシの脳みそも……、ストライキをおこさないうちに言いたいことを言ってしまおう。
なぜ、いじめがいけないのか?
「そう問うこと自体が既に答えなんです」というのは、誰かの受け売りだったけ。倫理だな(道徳ではない)ってのは、どうだろう。けど倫理で「これはいけない」と感じない子どもがでてきている以上、「規則に触れるのでいけない」というしかないのだろうか?(これも誰かの受け売り)。
ただ、無思考な大人が「いじめはいけない」と言うのは、ただの保身です。これこそ「軽薄な言葉」だとおもう。

こんにちは。

考えさせられる記事です。どうもありがとうございます。

「オレは傷つけられたのだから、傷つける権利がある」、「オレは傷つけたことがある。どれだけ辛いかわかるからこそ、他の人は傷つけない」、「自分に対してしてほしくないこと(殺人・暴力等)は、他の人に対してもしない」等など…。

人を傷つけることが、良いことか、悪いことかを考えるだけでも、いろんな考え方ができますよね。いろんな考え方、いろんな感じ方、いろんな価値観、いろんな視点、いろんな立場、その他多くの可能性を検討したり、議論したりすることってとても大切なことだと思います。唯一の正しい答えの詰め込み教育では、そんなプロセスを大切にする教育は無理なんでしょうね。改めて、教育の重大な役割を痛感させられます。人間は教育される存在なのでしょうから…。

大人たちが無意味な言葉を発し続け、無責任な行動をとり続けている限り、子供たちは“まとも”な「教育」を受けることはできないと思うこのごろです。

始めまして。アルバイシンの丘さんの所からきました。

競争社会がいじめを作っているのだと思います。子供たちはそれに順応する形で、いじめる態度を習ってしまったのでしょう。
ですから個性とその子がいったのは、競争社会に積極的に参戦する子はいじめるし、それを好まない子は、いじめません。
どちらを選ぶかは、個性だと言いたかったのだと思います。
しかしそんな社会を作っている私達は、本当に幸せを追求できているのか、わたしは疑問を持っています。競争社会は、誰かが負ける役まわりをしなければならなくなりますから。格差社会もそれと同質でしょう。
もっと違う幸せな社会作りを目指していきたいと思います。

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