愚慫空論

そして日本国憲法9条

前回のエントリーには、いろいろとご意見をいただきました。ありがとうございます。個別にコメント欄で返事を差し上げようかとも思いましたが、新たなエントリーを立てて総括的にお答えさせていただくことにします。というのも、前回のエントリーはある意味未完成のものだったから。私の「母性の復権」の話は、憲法9条にまで行き着かなければ終わりになりません。

『ちりとてちん』というドラマにどんな感想を抱くか。それはひとそれぞれであり、これが正解というようなものがないことは言うまでもありません。主人公のB子が主役の座を自ら降りたことを、私のように肯定的に捉えるものもいればおかしいと感じる人もいるでしょう。どう感じようと、それは自由だから構わないのです。皆、ひとりひとりがそれぞれの価値観に基づいて、ドラマから感じたことを語ればいいのですから。

私は『ちりとてちん』のドラマを私の価値観に基づいて読解するに当たって、「母性」という言葉を用いました。しかしこれは、『ちりとてちん』のストーリーに沿って「母性」を定義付けしたいと意図したのではありません。『ちりとてちん』に託して私自身の価値観を語るについて、その価値観を象徴する言葉として「母性」という言葉を使用しただけのことです。とはいえ、この言葉を使用する前提として私の中に「母性」という言葉についての私なりの定義があったことは間違いありません。


naokoさんが「人間の支配欲が肥大している時代」と題して前回のエントリーにコメントをくださっています。

>自分の意に沿う人、
>自分のコントロールできる事柄、
>自分の支配下にある物や生き物たち
>それらを所有していないと落ち着かない人達が増えました。
>そこにあるのは自我の肥大であり、母性とも父性とも関係がない気がします。

現代が自我肥大の時代であるという認識には私も同意です。同じように感じておられる方も多いでしょう。naokoさんは自我の肥大に母性も父性も関係ないとお考えのようですが、私の認識では「自我肥大」は父性すなわち男性原理と大きく関係していることになっています。以前にも書いた(『変革原理と順応原理 もしくは 切断原理と受容原理』)ことがありますが、環境に対し自己が肥大していくという現象がおきるのは、環境に対して切断原理が強く働くから。切断原理は男性原理の大きな特徴です。

さらに、貨幣は切断原理が作用するための触媒のような役割を果たします。環境を貨幣価値に沿って測定することで、自己の価値体系に取り込む。価値測定もまた、環境の個別化、切断であり、貨幣によってあらゆるモノの価値が測定されることが当然のこととされている現代社会は、切断原理すなわち男性原理が強く作用している社会。

そしてまた、環境の切断によって肥大した自己は、男性原理のもう一方の作用である変革原理をも強く発揮させることになります。変革原理とは、自己を環境に対して及ぼそうとする原理――先のエントリーの言葉で言えば、主役となること。変革原理が強く作用する社会は、皆々が主役になることを望む社会であるというわけです。


再度断っておきますが、私はここで、上に述べたような私自身の価値観の正しさを検証したいと思っているわけではありません。そんな作業は私の手には余ることです。私はただ、こうした価値観を元に『ちりとてちん』を読解し、そして『ちりとてちん』に仮託して私の価値観を示してみたいと思っただけのことです。そうしたことをこの場で語る権利は、誰もが認めてくださるだろうと思います。


先のエントリーで、私は『ちりとてちん』の私なりの読解のあと、志村さんの記事をお借りして政治のことについて語りました。当エントリーをここまで読んでいただいた方には、そのことが単なる付け足しではないということをご理解いただけるでしょう。さらに当エントリー冒頭で、先のエントリーが未完成であるとしたことも。

私は『変革原理と順応原理 もしくは 切断原理と受容原理』において

この条文(9条)は、明治維新以降、変革原理的文明に移行しようとした日本を再び従順原理的文明に引き戻すものであり、また、日本にまだまだ従順原理的文明が色濃く残っていたからこそ受容できた条文でもある。変革原理的文明を基調とする国であれば、戦争放棄を押し付けられるくらいなら、それこそ国家の存亡をかけて争うことになったであろう。

と記述しているとおり、女性原理(受容原理・順応原理)すなわち母性の発露として憲法9条を捉えています。明治維新から始まった日本の一時的な男性原理的な時代は、第二次敗戦で一旦終焉を向かえ、女性原理的な憲法9条を受容します。明治維新から数十年続いた男性原理的な支配も、日本人の女性原理的性向を根本から変えるにはいたらなかった。故にこその憲法9条。今の時代、経済のグローバル化が進んで社会は男性原理的な仕組みに支配されているように思えるが、やはり、日本という国にはまだまだ根強く女性原理的な性向が残っている。表面が男性的になるほど深層で女性原理的なものへの希求が強まる。『ちりとてちん』は、そうした希求の表れではないかと私は見た。そのことを「おかあちゃんみたいになりたい」というドラマ上のせりふに合わせて「母性の復権」と表現した、とそういうわけだったのです。

(母性の復権の兆しはなにも『ちりとてちん』だけの話ではありません。いろいろなところにそうした傾向が見られると私は感じ取っています。このことは別の機会に触れることもあるでしょう)。


上記のような私の価値体系とその価値体系に沿った見立てが正鵠を射ているかどうかは、わかりません。ですが、民主制の政治形態を採用する国家において、国民が主役、政府・公務員は脇役という配役は制度としては間違いないないはずであり、国民が主役ならば国民を使役する戦争は禁止されなければならないというのも自明の理のはず。その自明の理がそうなっていないのは、制度的にはどうであれ、実態は脇役でなければならないはずの者たちがいつまでたっても主役の座から降りようとしないところにある。この分析は、さほど間違いでもないとは思うのですが。

先のエントリーで私は、実質的な役割変更への期待を、脇役たちの母性の目覚めによる自発的な行動に寄せました。この期待については、おそらくは多数の者が虚しい期待と感じるかもしれません。役割変更は相手の自発的な行動を待つのではなく、主役たる国民が声高に主張し、また選挙等の戦いを通じて実現していくほかはない。そう考える人が多いことでしょう。

ですが、それしか方法がないとするならば、9条の精神を現実のものとして全世界に広めることもまた、虚しい期待であるとしなければなりません。9条の精神の実現は、武力を持つ者が自発的に武器を放棄することに期待するしかないないからです。決して主役の座から降りようとしない者には主役の座を巡って対決することしか対処する方法がないならば、武器を棄てない者に対しては武力を持って対処するしか方法はない。これまた自明の理であるわけです。

ただしこの自明は、男性原理に寄って立った時に自明なのであって、女性原理によるならばまた違う答えが出てきます。その答えの一端を、私たちは日本国憲法9条という形で受容しています。男性原理による方法論では男性原理的な答えが出、女性原理的な方法論によるなら女性原理的な答えが出る。そして、私たちが9条による平和を望み、それが女性原理的な答えであるとするなら、私たちが取るべき方法論はいずれか、言うまでもないことです。


日本文明は女性原理的傾向が強い文明だと言われています。しかも、世界の主要文明の中では例外的、にです。ということは、世界の主要文明の大多数は男性原理的であり、このことが戦争がこの世界からなくならない理由でもあるでしょう。では劣勢な日本文明の女性性を広め、9条の精神を世界に敷衍させる有効な方法は果たしてあるのか? 答えは簡単に見つかりそうにありませんが、もしかしたら経済の仕組みのなかに有効な方法があるかもしれない、なんてことを最近考えてはいます。鍵は貨幣の切断性です。

貨幣が強い切断性を発揮するのはその価値測定機能に寄るのですが、さらに切断性を高めているのが貨幣の不変性――価値が劣化しない――という特徴です。不変性というのはまた、人間の自己を形成する意識の特徴でもありますから、不変性の貨幣が広く蔓延する社会の成員は自己肥大に陥りやすく、自己肥大化した人間はまた男性性を強く発揮するという循環にはまってしまいます。けれど現在、自然通貨――減価する貨幣――という考え方が一部で支持されるようになってきています。減価する貨幣は不変性を持ちませんから、こうした貨幣で広く行き渡れば、社会の成員が自己肥大になってしまう傾向に歯止めが掛けることが出来るかもしれません。もし、そうなれば、まだまだ決定打とはいかないまでも、男性性に強く傾いた現代社会を少しでも女性的に変革することが可能かもしれません。


以上、長々と持論を展開してしまいましたが、ここらへんで打ち止めにします。経済のことについては、書くつもりでいながらなかなか果たせずにいて、今回、最後のほんの少しだけ触れてみましたが、この続きは必ず書いてみたいと思っています。

コメント

母性原理と父性原理のねじれは難しいテーマですね

ユング心理学者河合はや雄さんのライフワーク的なテーマでもありますが…。
教育の問題、宗教・政治の問題にも深く関わります。
わたしの個人的な印象では、小泉政権は父性原理、福田政権は母性原理に基づく政権と言う気がします。どちらが良いというわけでもないのですが、今の日本に必要なのは母性原理に基づく政権かな、という気がします。
安倍政権は父性原理を目指しながら、それを支える母性原理の貧困ゆえに自壊した政権といった観がありますし、小沢さんはどちらも貧しいゆえに、ブレが激しい。
そんな風に感じます。
以上、勝手なコメントお粗末さまでした。

ここへコメントいただけるとは思ってませんでした

naokoさん、いつもありがとうございます。

父性・母性については、そうした傾向があるのは間違いないのでしょうが、明確に線引きするのは難しいですよね。たぶん、無理なんでしょうが、でも、気になるテーマではあります。

>小泉政権は父性原理、福田政権は母性原理

政権といったことそのものが父性的なんでしょうが、そのなかでもさらに区分けすると、そういうことになりましょうか。福田政権が頼りないのは、父性的であれねばならぬところが母性的だったりするから...、かもしれませんね。

別の角度から

国防について言えば、おそらく今の政府解釈(=専守防衛)こそが「父性」であり、「母性」を実現するときは『核武装』だと思います。「父性」というよりは「男性」なのかも、でしょうけど。

政治に「母性」を求めるのであれば、国内的にはソフト重視の政策を実現すると思います。医療・福祉・教育に限らず、第一次産業や地域のコミュニティも「母性」でしょう。
警察と消防、貿易を含めた経済活動は「父性」になるのかな。

これは、男性が、普段から戦闘的な部分がある一方で、同時に「妥協点を探しつつ戦う」生き物だと思うのです。

他方、「母親」というのは、普段は優しいですが、いったん子どもに危機が迫ると、父親以上に身体を張って子どもを守り、敵を徹底的に叩きのめす潜在的なパワーを持っています。
例えば、子どもが託児所や幼稚園でいじめられたとき、最初に泣きつくのは「お母さん」であり、恥ずかしいときも「お母さんの隠に隠れて」いるわけで、それは「優しさ」と「激しさ」がもたらした「信頼」なんだろうと、私は思うわけです。

それを見ると、小泉内閣も福田内閣も「父性」になるんだろうと思います。小泉さんは「家庭を顧みない企業戦士」であり、福田さんは「世間体を気にするサラリーマン」になるんでしょう。

「母性」の政府を日本で探すのは難しいですが、外国に目を向ければ、おそらく北欧諸国になるんでしょう。福祉が世界で最も進んでいるといわれているスウェーデンなんかが「母性」に当てはまる。

スウェーデンは福祉分野で、特に社民党の女性議員が例に上げるケースが多いですが、実は、ものすごい軍事技術を開発している国家でもあります。
米軍がベトナム戦争で使用した「カールグスタフ」という、当時世界最高性能の機関銃を開発しています。2007年現在、原子力潜水艦を除いて世界最高レベルの潜水艦保有国は、実は日本なのですが、その潜水艦で最も重要な動力部分はスウェーデン製なのです。(つまり、通常動力の潜水艦で、スウェーデンはアメリカ以上のものを持っている、ということでもあります。)

話がそれましたが、「母性」としての本領を発揮できる国家・政府は、私は北欧じゃないかなって捉えています。

前エントリーと併せて読んでみて、「母性の復権」で何をおっしゃりたいかが、すこしわかってきました。

>不変性の貨幣が広く蔓延する社会の成員は自己肥大に陥りやすく、自己肥大化した人間はまた男性性を強く発揮するという循環にはまってしまいます

ここはまだ飲み込めていないので、(もちろん減価貨幣に私も興味はあるのですが)、今後の議論を楽しみにしています。

私自身、子供を持つ前に「自己実現したい!」という飢餓感で心を病む寸前まで行きましたが、子供を持ったおかげでその縛りから解放されてきたように思います。
それと同時に新自由主義的な競争至上の価値観から、社会民主主義への傾倒が始まったように思います。
自分だけではなく、社会みんなの幸せが自分の幸せでもある、と思える社会の方が、よっぽど健康的ですよね。
師匠のおっしゃるとおり、小泉改革を経て、多くの人がそれに気づき始めたと私も思います。

みーぽんさんへ

これは反論でも何でもないので、構えないでお読みください。

日本社会は元々は「社民」的な社会だったと思います。むしろ、「新自由主義のエッセンスが、あまりにもなさすぎた」ということです。
自民党政権の政策は、基本的に『広義の意味での「福祉」の実現』にあった。狭義での「福祉」は、介護や健康管理(保障の方が近いかな?)するといったいわゆる「福祉」ですから、そういう意味での『福祉国家』ではありませんが、『社会の発展に伴って、国民の生活も豊かになっていく』という意味における「福祉国家」だったのでしょう。
もちろん、「豊かさ」といっても、物質面の充足が果たされたかどうかについては、「豊かさの『基準』」ひとつとっても、いろいろ意見がありますから、人によっては「不十分だ」「庶民は苦しい」という意見もあろうかと思います。

ただ、長年の自民党政治は、厳密な意味での自由競争を抑制していたことは否定できません。その最大の現象が「終身雇用・年功序列」です。税制度も最高8割というとんでもない直接税中心主義が機能していましたから、それも含まれるかと思います。

これは、所得の再分配と無用な競争の防止といった『弱者救済』をもたらしますから、社会は格差が少なく、貧困からの犯罪も極小化し、比較的安定的な社会を構築することができます。
ただし「どれだけ努力しても、年数が経過しないと実力に見合った評価と待遇を得られない」という状態でもありますから、向上心という意味では、そのモチベーションが失われた面はあるでしょう。小泉改革によって、かなり大掛かりな外科的変革ではありましたが、「実力に見合った評価と待遇を得られる」ことになったわけで、この面からするとプラスはあったわけです。ただし、その反面としては、みなさんのご承知のような社会状況になったというマイナス面ももたらしました。

つまり、何が言いたいのか、というと、「社民主義」「新自由主義」は、対立概念ではありますが、一方だけを採用して他方を排除するのではなく、社会状況と照らし合わせながら、バランスとリスク回避を念頭に置いて用いることが大切なんじゃないだろうか、ということです。
「福祉国家」だろうが「自由社会」だろうが、所詮は人間の考えと営みで見出していったものです。欠陥がないわけがない。そういう観点で述べると、もっといいアイデアが思い浮かぶんじゃないかなって思います。

日本は社民主義ではなかった

わくわくさんのコメントに注釈を加えたいと思います。おっしゃっていることに基本的には同感です。
ただし、日本が男性社会を限って言えば「平等主義的」であったことは間違いありませんが、「リベラル」という価値観を包含する「社民主義」であったとは思えません。
わたしのブログのエントリ
Wikiで見つけた少子化の弊害と福祉政策の関連 (http://miepong.blog81.fc2.com/blog-entry-6.html
【書評】「最後の社会主義国」日本の苦闘 (http://miepong.blog81.fc2.com/blog-entry-24.html)をよろしければお読みください。私の理解度をわかっていただけると思います。
日本は女性と企業に頼る「家族主義的」福祉制度を構築しましたが、そこに限界は来ている。では今後ヨーロッパ式に高税高福祉の社民主義を国民に受け入れる度量はあるのか、というのが課題と私は捉えています。
また北欧は福祉は充実していますが、基本的に競争社会でレイオフも頻繁にあり、「努力する人が報われる、しかし落伍者にもケアの厚い」社会と言えると思います。そういう意味で必ずしも社民主義と競争原理、自由主義が対立するとは限らないと私は思います。

「家」は母性と父性の境目

私とわくわくさんとでは、父性母性に対する認識がかなり異なりますね。

>これは、男性が、普段から戦闘的な部分がある一方で、同時に「妥協点を探しつつ戦う」生き物だと思うのです。

>他方、「母親」というのは、普段は優しいですが、いったん子どもに危機が迫ると、父親以上に身体を張って子どもを守り、敵を徹底的に叩きのめす潜在的なパワーを持っています。

男性にも女性原理的な部分は存在しますし、その逆も然りです。人間は父性と母性の複合体なんですよね。

「核兵器」=「徹底的に叩きのめす」というところに共通項を見出されたようですが、これは鬼子母神につながっていきますよね。鬼子母神は、典型的な「家」であると考えることもできるんですよ。内に向けては受容(母性)、外に向けては切断(父性)。「家」は、父性と母性が結合する場であると同時にその境目でもある。また、スウェーデン等の北欧諸国は典型的な「国家」であると考えられる。

その伝で今の日本を考えると、逆なんです。内に向かっては父性、外(それも一部の国)に対しては母性を発揮する。これでは「家」が崩壊するのは当たり前の話です。そして崩壊しようとしているからこそ、国旗国歌のようなものの必要性が叫ばれるようになる。

かつての自民党政権といったことでいえば、内にむけて母性的だったのは旧経世会の系譜でしょう。民主党小沢や国民新党などもその流れですよね。自民党から経世会の勢力が清和会によって駆逐され行くと同時に政治は内向きに父性的になった。

******

みーぽんさん

私の認識とみーぽんさんの認識は、ほぼ同じといって良いように感じます。

>必ずしも社民主義と競争原理、自由主義が対立するとは限らない

これにもまったく同意です。母性原理は受容、抱擁の原理ですから、競争原理、自由主義をも抱擁できるはず。いえ、そもそも「家」ということからすると、子(この場合は国民)の自立を促すのは、父性の内向きの作用でもあるわけです。競争原理、自由主義も母性と結合した父性の発揮とみるなら、それは正常な「家」のありかたであるわけです。

ただ、やはり「国家」は外に向けてはどうしても父性的になります。これは仕方のないことでもある。「外」があって「家」があれば、どうしてもそのようにならざるを得ないのが自然の道理というものでしょう。

そこで参考になるのが、鎖国時代の日本ではないかと思うのです。鎖国とは、外に向けての父性の発揮を封印したと見ることも出来る。それが世界規模で実現するなら、憲法9条の精神が実現することになる。

そのころの日本の庶民、武士を除く庶民の生活は、真に母性的なものではなかったと私は思っています。明治以降、外に向かって父性を発揮する必要が高まり、江戸時代は主に武士が担っていた父性の役割を大いに強調する必要があった。家族主義といった思想も、江戸時代は武士の習慣ではあっても庶民の習慣、とくに江戸などの都市住民の習慣ではなかったようです。農村では農地継承の都合上「家」が重視されましたが、それでも女性は必ずしも「家」に縛られる存在ではなった。女性が自由に、しかも一人で自由に旅などに出ることもできたというのですから。現代でも日本でも、自由の国であるはずのアメリカよりもよほど女性に対する縛りは緩やかな国のはずです(北欧諸国も女性に対する縛りは緩やかだと聴いた覚えがあります)。

なるほど

>男性にも女性原理的な部分は存在しますし、その逆も然りです。人間は父性と母性の複合体なんですよね。

基本的には「同じ人間」ですからね。(笑)
人間は、23対の染色体があって、男女の区別は最後の23本対目の染色体で決まるという話ですから、「複合体」である方がむしろ自然なのかな、と思います。
もっとも、科学的にはどうかわからないですけど。(汗)

>私とわくわくさんとでは、父性母性に対する認識がかなり異なりますね。
>鬼子母神は、典型的な「家」であると考えることもできるんですよ。内に向けては受容(母性)、外に向けては切断(父性)。「家」は、父性と母性が結合する場であると同時にその境目でもある。

愚樵さんは、おそらくアプローチ「方法」を述べているんだと思います。私はアプローチの「スタンス」でしょうか。
私の「母性」は『外と内の峻別を明確につける』ことであり、「父性」は『内と外をできる限り融合していく』ことです。それゆえ、「他の誰よりも子を慈しみ、子のために鬼も悪魔にもなる」という『母親』がいて、「外に適合し、生き残るために、卑怯にも表裏もある」という『父親』がいるのでしょう。
もちろん、「正しい」「間違い」ではなく、双方が一致して協力しあうことで、『家庭』や『子』が維持され、守られていくわけで、それがどのように絡み合うのかは、また別の話になります。

私はみーぽんさんにも愚樵さんにも「反論」や「批判」をしているわけではないんですよ。あくまでも「別の角度からみたとき」のことを述べているだけであって、むしろ肯定的に捉えているとお考えください。

自然の原理

少し漠然としすぎるかなあと思いつつも、私の考えを。
「父性原理」「母性原理」を自然を貫く原理と見ています。つまり「母性原理」によって生産、「父性原理」によって分解、そして再生産へという命の原理といった感じです。
そこで、エントロピーに注目します。「母性原理」をエントロピー増加、「父性原理」をエントロピー減少の効果のあるものだと思っています。母性原理的に発展した社会の行く末はエントロピーをため込み、いわば虚構が増え、がんじがらめになった社会。そして、エントロピーをため込み過ぎたために「父性原理」が様々な虚構を壊すために逆襲的に災厄をともなってあらわれてるという感じです。免疫不全といったイメージがぴったりきます。
歴史は繰り返すと言われているのも、この原理の繰り返しからきてるのだと思います。「父性原理」はしばしば災厄として現れるように思われますが、エントロピーをため込まないうちに適用できれば、災厄を伴うこともないのではという気もします。もし、政治や社会概念などに「エントロピー排出」「再生産」を組み込めれば、歴史の繰り返しから抜け出せるのではとも思っています。

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