愚慫空論

右傾化する者たちへの共感? 同情?

私はなぜだか、右傾化していく者たちに共感と同情の入り混じったような気持ちを抱いている。

彼らの主張、たとえば、日本国民としての自覚と誇りを持つべきだ、などといったところに、別段、違和感を感じたりはしない。それはその通り、と思うだけのことだ。自分が帰属する共同体への敬意とか尊敬といった感情を持つこと、つまり特別視することは自然なことなんだと思う。人間は誰だって自分自身が特別な存在なのだし、そうでいながら一人では生きていけないし、だから自分の存在を担保してくれる共同体と自分とを重ね合わせて特別視するに至るのは、これはヒトという種の生存様式に適っていると思うわけだ。
だが、人間は自然な存在であると同時に不自然な存在でもある。
人間が文明文化を発達させたのは、生存のためだ。生き残っていくためにいろいろなものを創造した。技術とか、科学とか、通貨とか、国家とか。これらはもともと自然にはない不自然なものだけれど、これらを駆使して人類は他の種との生存競争を勝ち抜いてきた。
私たちが暮らす現代社会は、そういった不自然によって組み立てられたところだ。
人間は生き残るために不自然(=人工)を創造したが、同時に自ら生み出した不自然に苦しめられるという、矛盾した存在でもある。

自分の帰属する共同体を特別視することが自然なことであったとしても、その自然がいつでも自然に発露できるとは限らない。往々にして、人間自身が生み出した不自然によってその発露が阻害されてしまう。

これはおそらく、どうしようもないことなのだろう。人間の中の自然と、生き残るために生み出した不自然との対立は、おそらくはどうにも解決しようのない問題なのだと思う。人間の“性(さが)”だか“原罪”だか知らないが、人間が人間である限り、ずっと背負っていかなければならない十字架のようなものなのだろう。

右傾化していく者たちが「日本国民としての自覚と誇りを持つのは自然なこと」と主張するとき、そこには彼らのなかの自然が作用しているのと考える。だから私はその自然な部分には素直に共感できるのだと思っている。
が、彼らの主張は「自然だ」というところに留まらない。「そうあるのが当然だ」というところまで踏み込んでいってしまう。
この「当然」という主張には、自然の発露が不自然によって阻害されてしまっているというところが見落とされている。自然には理由がないが、不自然には理由がある。「当然」はその理由を無視したものだから、不自然な理由を抱える者の理解を得られるわけがない。

「自然」と「当然」は、似たような言葉だけれど全く違う。「自然」は人間の意識の働きとは無関係だけれど、「当然」では意識が大いに働いている。「当然」は「自然」を超過してしまっている。この超過分に共感はできない。


不自然には理由がある。
阻害されて自然が不足するのにも理由があるなら、超過して不自然になってしまうのも同様に理由がある。

右傾化していく者たちが不自然に超過してまで共同体への帰属を主張するのは、それが不足していることの裏返しでしかない。彼らは「自然」な共同体への帰属を渇望している。その渇望が意識に上ってしまうと、「当然」になってしまう。それが彼らの超過の理由ではないのだろうか。
そして、そう考えるならば、私は彼らにも同情の余地はあると思う。右であろうが左であろうが、人間は一人では寂しい。周囲からの認知を求める存在だ。その求め方が右と左とでは違うだけなのではないだろうか。

右も左も、自然な部分は変わらないはずだ。同じ人間なんだから。違いが出てくるのは不自然な部分でしかない。不自然で違う部分にばかり気を取られていると、自然で同じ部分を忘れてしまう。身分とか差別とか格差とかいったものは、みなきっとそこから始まるのだと思う。
      

コメント

「右であろうが左であろうが、人間は一人では寂しい。周囲からの認知を求める存在だ。その求め方が右と左とでは違うだけなのではないだろうか。」

そう思います。

でも、どうすれば互いの声に耳を傾けようとする気持ちが生まれるのでしょう・・・。同じ方向を見みていなくても、同じ価値観を持っていなくてもいいと思う。でも違う者たちの存在を排除していくような動きにまでいってしまうのはなぜでしょうか。最近の世の中の動きに憤りとむなしさを感じてしまい、なかなか希望や思考の糸口を見出せないでいます。

そもそも

>右も左も、自然な部分は変わらないはずだ。

そもそも右と左って、そんなに簡単に分類できるものなのでしょうか。自爆テロを行うパレスチナの若者は右なのでしょうか、それとも左なのでしょうか。韓国の386世代は、北朝鮮に同一民族としての強烈なシンパシーを持っていますが、彼らは右なのでしょうか、左なのでしょうか。全世界を民主化すると息巻くネオコンのコアな信奉者は右なのでしょうか、左なのでしょうか。
 日本の若者は右傾化・保守化していると言われています。しかし、「自民党をぶっ壊す」という小泉首相のキャッチフレーズとその荒っぽい政治手法に酔った若者達は本当に保守化しているのでしょうか。むしろ明確な将来ビジョンを描けず単なる抵抗勢力と化している左翼政党の「保守性」と、その覇気のなさに対して、若者達は幻滅しているだけではないのでしょうか。
 色々言ってしまってすみません。実は僕自身、自分が右なのか左なのかさえよく分かりません。愚樵さんの記事を読み、多くの点で共感しつつも、疑問に思った点をぶつけさせてもらいました。

なんだか違和感

こんにちは、なんだかとても違和感を感じます。愚樵さんも、ワタシ(dr.stonefly)が「違和感を感じる」とコメントしてくる、と予想してニヤニヤしながらエントリーを書いていたのではないですか?(笑)……自意識過剰ですね。
困ったことにどこに違和感を感じるか分かりません。もうすこし考えてみます。

みなさん、ありがとうございます

※るるどさん
>どうすれば互いの声に耳を傾けようとする気持ちが生まれるのでしょう

難問ですね。でも、ヒントはあると思うんです。そのひとつが橋本裕さんの「メタ思考のすすめ」(http://www.enpitu.ne.jp/usr/bin/day?id=7246&pg=20061007
「What makes you think so?」
「どうして、そう考えるの?」

いいと思いませんか?


※さがみさん
>そもそも右と左って、そんなに簡単に分類できるものなのでしょうか。
分類はいくらでも出来ると思いますよ、しようと思いさえすれば。
でも、そんなことはさほど大切なことではありませんよね。私もそう考えていますし、さがみさんも沿うお考えだと思います。

日本の若者たちが“本当に”保守化しているのではないと、私も考えてます。けれど、右寄りに惹かれているのは事実です。なぜ惹かれるのか?
私の答えは「寂しいから」です。どうしてだが、右側が若者たちの寂しさを紛らすトレンドになっている。そんな風に思っているのですけど...、どうでしょうか?


※dr.stoneflyさん
ここのところの私のエントリーには、ブログでお付き合いのある方の多くは違和感を感じておられるのではないでしょうか。そう思いながらも確信犯的に記事を書いています。でも、正直なところ、ちょっと寂しい..。
けど、だからといって自分に正直にやらないと、もっと寂しいことになってしまいますからね。ガンバルしかない?

dr.stoneflyさんが感じる違和感を、少しでも言葉にしてくれたら嬉しいです。dr.stoneflyさんもそうだと思いますが、私も自分の感じることが絶対だなんて思ってません。確認したいんです、どう響くかを。

難しい問題です

> 自然には理由がないが、不自然には理由がある。

なるほどなあ、と思いました。愚樵さんが提起される問題は、いつも難しい。一筋縄ではいかないものばかりです。

「自分の生まれ育った国が好きだ」というのはおそらく「自然」なことなのでしょう。それが「当然」になってしまうのは、「自然な感情」ですら競争になっているから――のような気が(ふと)しました。「誰が一番愛しているか」という競争。ひとりの女性を巡って、大勢で「オレは彼女のためにこれだけのことができる」と言いつのっているような。

右寄りに惹かれるのは「寂しいから」、と上のコメント欄で書いておられましたが、まさしくその通りですね。寂しくて、見捨てらるのが不安な子供が親に――それがどんなにろくでもない親であってもしがみつくように、「愛国心」や「美しい伝統」にしがみつく。来るべき社会はなかなか具体像を結びませんが、これまで存在していたものは捉えやすい。だからそちらに寄っていくのではないかという気もしていますが、まだよくわかりません。私も考えてみたいと思います。

ごめんなさい

前のコメントでは何も述べることが出来なく申し訳ありませんでした。とりあえず「考えてみます」ということを伝えたかったので書いてしまいました。で、考えることができたのか、というとまだまだです。しかし、まあ、誤読かもしれませんが、ワタシの違和感は、
>自分が帰属する共同体への敬意とか尊敬といった感情を持つこと、が自然
の部分かもしれません。
やはり「国家」を否定したい自分があり、百歩譲って「必要悪」として仕方ないかな、ぐらいの存在です。愚樵さんの記事では
>国家とか。これらはもともと自然にはない不自然なもの
と、表現されてますね。不自然なものに、敬意とか尊敬といった感情をもつことに違和感をもちます。というワタシの感情の流れから当然、
>「日本国民としての自覚と誇りを持つのは自然なこと」
など、ワタシとしてはとんでもない、となります。
ただ、他のそう感じる人を否定するわけでなく、自覚と誇りを持っていただいても構いません。自覚と誇りを持つのが「当然」とする、分析はなるほどなぁ、と感じました。
 「国家」を否定するのは右に限らず左からも「?」とされそうですね。
 と、こんな、まとまらないコメントしかできません。すみません。

難しいのは伝え方が稚拙なんでしょう

華氏さん、ありがとうございます。

>「自然な感情」ですら競争になっているから

なるほど、華氏さんの「「自分探し」と「自己実現」を嫌悪する」と同じ構造のように思いました。
競争にも自然な競争があるのでしょうけど、今の世の中は何かにつけ、煽られる。それが「超過」となり「不自然」だ、と。寂しいからよりどころを求めるのは自然であるにしても、それが煽られ競うようになると、これはもう「自然」とはいえませんね。
こういう「超過」「不自然」は、右傾化する者に同情的であるとはいえ、私にとっても不愉快です。

国家は必要以上

dr.stoneflyさん、再度のコメントありがとうございます。

人間が生存するために共同体は「必要」ですが、国家は「必要以上」です。つまり超過で不自然なわけです。
右翼は国家を人間が生存するのに必須のものだと主張しますが、そんなバカなはずはありませんよね。人類の発生と共に国家が生まれたというのであれば必須といえるかもしれませんが、近代国家の歴史はせいぜい300年でしょう。
必要以上の超過部分は、これは不自然なわけです。国家も共同体の一形態ではありますが、超過部分を含む不自然な共同体です。ですから、国家への帰属心や誇りは「不自然」、とこうなります。

ただ、右傾化する人が不自然になってしまうのは理由があるんですよね。それはたぶん、自然な共同体に帰属できていない、という理由なんだろうと思うのです。それを探して不自然なものにひっかかっている。だからかわいそうと同情しているのです。

愚樵さん、どうも。うちの「自分探しと自己実現」エントリにコメント戴き、ありがとうございました。ここでお礼言うのは変なんですが。

>今の世の中は何かにつけ、煽られる。それが「超過」となり「不自然」だ、と。

そう、そうなんです(自分でやっと理解できた気分です。笑)。

どんなことでも過剰な競争になると、どんどん過激になっていく。声は大きく居丈高になり、目は血走り、スタンドプレイに走るようになる。立ち止まって、落ち着いてものを考えられなくなってしまうのですね。

群衆心理

はじめまして。群衆は(特に若者)ありきたりな真実よりも、トンデモ本的な根拠は無いが珍しい話題を好む傾向があります。

今は、右翼団体の主張する内容が出回っていないレアな情報に感じられるのでしょう。スタンダードな情報よりもナウくて知的に思えるのかも知れません。


もう一つの要因は、戦争を経験している世代、特に従軍慰安婦を強制連行したり、南京大虐殺をした世代が殆ど死去してしまったことでしょう。
私達は次の世代に確実に戦争の真実と悲惨さ原爆の恐ろしさを伝えていかなければなりませんね。

また、最近の日本人は当たり前なことが出来なくなっています。例えば日本はアジアの国々に対して人権を踏みにじる行為を行ってきました
身内が悪い事をしたら詫びる。これは当たり前です。そこから更に一歩進めて中国、朝鮮、アメリカイスラエルとともに世界人への道を歩み始める事が、今私達に出来る事ではないでしょうか?
国枠主義者の時代は終わりを告げたのです。これからは人種差別も、国籍も、貧富の差も、優劣の差も存在しない約束された神の楽園の時代なのです。「そこでは最早、涙は過去の物となり全ての人民から涙が拭いさられるのです」

全能なる神は全ての市民が平等の社会を望んでおります。

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