愚慫空論

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『サピエンス全史』その26~文明は人類に何をもたらしたか

『その25』はこちら (^o^)っ リンク

 


突然のようですが、『サピエンス全史』シリーズは、この『その26』で終了です。
とりあえず

『その25』の時点で、読み進んでいるのは第16章まで。
下巻の162ページ。

その後は「第17章 産業の推進力」
     「第18章 国家と市場経済がもたらした世界平和」
     「第19章 文明は人間を幸福にしたのか」
     「第20章 超ホモ・サピエンスの時代へ」
と続きます。ページすると、100ページ余り。

このなかで、第19章だけを取り上げます。
他は、ぼくの勝手な見解をねじ込む余地がない...(^_^;)
今のところは(←負け惜しみ)

化学から見た幸福

社会科学者たちは主観的厚生について尋ねる質問表を配布し、その結果を富や政治的自由といった社会経済的要因と関連づける。生物学者も同じ質問表を活用するが、得られた回答を生化学的要因や遺伝的要因と結びつける。そこから判明した事実は衝撃的だ。

生物学者の主張によると、私たちの精神的・感情的世界は、何百万年もの進化の過程で形成された生化学的な仕組みによって支配されているという。他のあらゆる精神状態と同じく、主観的厚生も給与や社会的関係、あるいは政治的権利のような外部要因によって決まるのではない。そうではなく、神経やニューロン、シナプス、さらにはセントロニンやドーパミン、オキシトシンのようなさまざまな生化学物質から成る複雑なシステムによって決定される。

宝くじに当選したり、家を買ったり、昇進したり、真実の愛を見つけたりしたとしても、幸せになれる人は誰一人いない。人間を幸せにするのは、ある一つの要因、しかもたった一つの要因だけであり、それは体内に生じる快感だ。たった今、宝くじが当たって、あるいは新しい愛を見つけ出して、嬉しくて跳び上がった人は、じつのところ、お金や恋人に反応しているわけではない。その人は、血流に乗って全身を駆け巡っているさまざまなホルモンや、脳内のあちこちで激しくやりあっている電気信号に反応しているのだ。



ニヒリズムを誘発しそうな記述ですが、生化学という視点から見れば事実。
ただ、サピエンスは自身を生化学マシンだと認定することを嫌います。
そう認定してしまうと、ニヒリズムに陥ってしまう。

生化学的なポジションから自身を眺め、生化学システムの決定に身を委ねて愉しむことは不可能ではありません。
そのような境地には「悟り」という言葉が与えられていますが、悟りに至る〔人間〕はごく稀だというのもよく知られた事実。誰もが悟りに至れるのなら、この〔世界〕に何らの困難はありません。

生化学システムとは、この本の言い方で言うならば、生命システムです。



〔ヒト〕は、母親の心理システムを乳幼児期にコピーすることから初めて、学童期・思春期を経て、成人期において〔人間〕になる。
成人期の先の宇宙期は〔人間〕から〔ヒト〕へと再帰した状態でしょう。
〈生きる〉悦びを心理システムを経由せず、生命システムから直接受け取る。
そのような状態になると、呼吸をしていても〈しあわせ〉を感じることができる。



当文章はタイトルを「文明は人類に何をもたらしたか」にしました。
これは『サピエンス全史』第19章の「文明は人間を幸福にしたのか」を少し変えたものです。
ハラリさんのいう“人間”とは、Humankind、ここの言葉で言うならサピエンス。


地上に楽園を実現したいと望む人全員にとっては気の毒だが、人間の体内の生化学システムは、幸福の水準を比較的安定した状態に保つようにプログラミングされているらしい。幸福そのものが選ばれるような自然選択はけっしてない。満ち足りた隠遁者の遺伝子配列がやがて消滅するかたわら、ともに心配性の両親の遺伝子は次世代に受け継がれる。幸福と不幸は進化の過程において、生存と繁殖を促すか、妨げるという程度の役割しか担っていない。それならば、進化によって私たちが極端に不幸にも、幸福にもならないよう形作られていても、不思議はないかもしれない。



ぼくはハラリさんのこの見解を支持します。
ぼくは楽園には絶望しているけれど、サピエンスの体内の生化学システムは善だと思い為しています。

〔ヒト〕は、自然状態では〈しあわせ〉です。
生化学システム(生命システム)はそもそもからして〈しあわせ〉にできている。
【不幸せ】とは、〈生命システム〉が提供しているはずの〈しあわせ〉が阻害された状態です。
それは〈ヒト〉が心理システムを〔社会〕に適応させて発達させる過程で生じる。
だから【社会】に適応して【人間】になってしまうと【不幸せ】になってしまう。


「文明は人間を幸福にしたのか」という問いは、そもそもの前提が間違っています。
文明はサピエンスを〈しあわせ〉にすることなどできません。
できるのは【不幸せ】にすることか、あるいはしないことか。


宇宙期や「悟り」といった状態は、いうなれば文明の副産物です。
『子は親を救うために「心の病」になる』の著者である高橋和巳さんは宇宙期をオプションだとしたが、それは正しい。
副産物だからオプションは正しい。
ぼくはその「正しさ」に憤慨していますが、それは、副産物こそが正解(〈しあわせ〉)だという現実を認めてしまうことに対してです。

〔人間〕は誰しもが〈しあわせ〉を求めて止まない生き物なのに、
〈しあわせ〉を求めて〔社会〕のなかで生きるのに、求めるものが副産物であるとは、
ぼくには承服しがたい【逆接】です。

〈しあわせ〉は〔社会〕の主産物であって然るべき。
いえ、〈しあわせ〉はすでに生命システムが生んでいるのだから、〔社会〕は何もしなくていい。
何もしない〔社会〕こそが〈社会〉です。
老荘が言うところの「無為自然」です。


とはいえ、現実にぼくたちが生きているのは、何かをしなければならない【社会】です。
欲を強いられている【強欲な社会】。
それは他者の欲望に過ぎないはずの【貨幣】によって駆動されている社会です。

 (^o^)っ 【強欲】とは「強いられた欲望」のことである その2
 (^o^)っ 【強欲】とは「強いられた欲望」のことである その3
 (^o^)っ 【強欲】とは「強いられた欲望」のことである その4

コロンブスの「発見」によって、貧しい文明圏に過ぎなかったヨーロッパが大量の貨幣を得るという成功体験があった。
成功体験は「無知の革命」を引き起こした。
「無知の革命」はヨーロッパ型の帝国主義を生んだ。
「無知の革命」は時間の感覚を歪めて信用創造を生んだ。
「無知の革命」は物理の世界に進出して科学革命を起こした。
信用創造と科学革命は資本主義を生んだ。

ぼくたちにはもう一段の「無知の革命」が必要なんだろうと思います。
それは、ぼくたち自身は生まれながらにして〈しあわせ〉を知っている、ということ。
文明の発展が〈しあわせ〉についての【無知】をシステマチックに生んだこと。

ここを理解することができれば、【無知】を生まない〈システム〉のデザインは可能。
デザインを実現することができる技術もすでに出揃っています。


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