愚慫空論

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ゲーテ『ファウスト』第2部 第1幕

ぼくごときが『ファウスト』を語るのは、まだまだ力不足だというのは百も承知。



でも、ここは敢えて語っておきたいと思います。

この文章は、先の2つの文章の続編(のつもり)です。

 (^o^)っ 『サピエンス全史』その25~進撃の信用
 (^o^)っ 『経済はディープラーニングである』


皇帝の居城
   王座の間

(前略)

皇帝(しばらく考えたあと、メフィストフェレスに) どうだ、道化、言ってみろ、おまえにも何か苦情はあるか?

メフィスト わたくしには、何もございません。こうして陛下やみなさまのご威光を拝ししていられれば!――陛下が絶対の力でご命令をおくだしになり、敵対する者を用意万端のかまえで打ち砕かれるのに、それに、知力できたえられた立派なご意志や、多方面の働きがお手もとにそなわっているのに、なんの不安がありましょう? 綺羅星のように輝くご一同が控えておられるのに、何か、禍や不幸の種になるようなことが起こるのでしょうか?

メフィスト この世の中に、不足のないようなところがありましょうか?
ここでははこれが、あそこではあれば、そして、お国では、お金が足りないのですな。
もちろん、お金は床に散らばっているようなものではありません。
でも、知恵があれば、かくれた深い奥からも、掘り出してこられます。
深山の鉱脈の中に、石壁の土台の下に、
鋳造された金や、粗金のままのものが見つけられます。
そして、誰がそれを取り出すのかと、わたくしにお訊きになるのなら、
天分のある男の本性と精神の力だ、と申し上げましょう。




「本性と精神の力」とは何か?

それは『サピエンス全史』のハラリさんがいうところの「無知の革命」だろうと思います。

『サピエンス全史』その25~進撃の信用で書いたように、ゲーテはミシシッピ・バブルの事件に衝撃を受けて『ファウスト』の第二部を書き始めたと伝えられています。

ミシシッピ・バブルの「主犯」は、ジョン・ローなる人物です。
ジョン・ローは、さながらメフィスト扮する道化の役割を演じた。
彼は、ミシシッピー川の流域が、

 「深山の鉱脈の中に、石壁の土台の下」

だと言葉巧みに宣伝した。
そして、その言葉を信じた多くの者が投資をした。
投資が投資を呼んでミシシッピ会社の株価は膨れ上がり、その「トリクルダウン」によってフランスは好景気に沸いた。
が、やがてバブルが弾けた――。


1980年代後半のバブル景気と1990年になってからのバブル崩壊を経験している現代人には、このような事件はとくに衝撃的なものではないでしょう。
ゲーテが受けたという衝撃は、むしろ大げさなものに感じられるかもしれません。
現代社会では、バブルは当たり前です。
バブルといかに上手く付き合うかが、政府と中央銀行の役割になっている。



すべての経済はバブルに通じている、というのは間違いです。
かつての経済はバブルには通じていなかった。
バブルを起こす仕組みがなかったからです。

バブルを起こす仕組みとは「信用創造」の仕組みそのものです。
そしてそれは、「無知の革命」から始まっている。

リスクテイク、つまりは「冒険」です。

何度も繰り返します。
コロンブスの「発見」以前は、冒険はほぼリスクでしかなかった。
リスクを冒すことで栄誉は得られた。
でも、利益は得られなかった。
利益が得られるようになったのは、「発見」以後のこと。
その成功体験を21世紀になってもまだ引きずっている。
現代社会の困難の原因は、煎じ詰めればたったそれだけのことです。

バブルは崩壊すると大変ですが、成長の最中には厖大な利益を生み出します。
だから近代人は、信用創造の仕組みをシステマチックに整備して、バブルを飼い慣らそうとした。その試みに300年にもわたって挑み続けてきました。
その試みは、ほんの一部分では成功した。
バブルの上澄みをかすめ取ることができた、ごく一握りの人たちにとっては。
残りの者は【しわよせ】を喰らっただけ。

 「たったの62人」大富豪が全世界の半分の富を持つ、あまりにも異常な世界の現実

もっとも【人間】たちは、【しわよせ】を別の者に押し付けることに夢中で、システマチックに【しわよせ】を喰らっているとは考えていませんが。



話をもう一度、メフィストの言葉に戻しましょう。

本性と精神。ドイツ語で Natur と Geist。英語にすると、nature と spirit です。

本性と精神の「力」。
悪魔の言葉ですから、意味するところは【力】でしょう。
つまり、Natur と Geist とを育む〈ちから〉ではなく阻害し奪う【チカラ】。

Natur や Geist は、そもそも生命に備わったものです。
備わっていることを指していう言葉が《魂》。
備わっていることが具体的なかたちとなって現れることに着目すると「裡なる欲求」。

サピエンスは極めて社会的な存在なので、その《魂》は〈霊〉を生みます。
〈霊〉とは、サイエンスの感覚から入力された情報が、サピエンスの生体的ディープラーニングによって出力される「特徴値」。すなわち、シニフィエです。
シニフィエができあがってからシニフィアンと結合すると、それは〈ちから〉をもつ。
〈ちから〉の行使は〈生きる〉ことそのもの。
愉悦。

ところが社会的なサピエンスは、その逆も可能です。
すなわち、シニフィエが出来上がる前にシニフィアンを与える。
サピエンスは社会的な要請に応えて、自身のシニフィエが出力される前にシニフィアンを受け入れてしまう。

自身のシニフィエが出来上がる前に受け入れてしまったシニフィアンは、「他人の欲望」に他なりません。
そして、他人のものであれ、自身のものであれ、欲望のコミュニケーションが〔経済〕であり、貨幣とは、〔経済〕というコミュニケーションを為すための〔言葉〕。

貨幣という〔言葉〕を、シニフィエが出力されるよりも先に与えてしまう仕組み。
それが信用創造です。

信用創造によって生み出される〔貨幣〕は【貨幣】です。
【貨幣】という【コトバ】で回る〔経済〕は【経済】。
【経済】に適応することは【教育】。
そうして〔ヒト〕は【人間】へと【成長】していくことになります。


現在の経済社会には貨幣は溢れています。
溢れているのに、必要なところにはない。
金融経済にはカネ余りでマイナス金利にしなければ維持できなくなっているにもかかわらず、実体経済はデフレ。
Natur と Geist が枯渇しつつあるから、そのような状態になってしまいます。



さてさて、いつもの余談です。
せっかくですから、力及ばずながら『ファウスト』を極めて大雑把にですが、概観してみたいと思います。

ファウストはメフィストのNatur と Geist を奪う力を利用して時空を遍歴します。
ギリシャ時代の歴史的美女であるヘレナと結婚して子をもうけたり。
人工知能の走りであるところのホムンクルスを生み出したり。
好き勝手し放題です。
資本主義の振る舞いのように。

やがて、メフィストの力は、ファウスト自身のNatur と Geistにも及ばんとします。
ところがどういうわけか、ファウストのNatur と Geist をメフィストが手に入れようとする瞬間に、天使たちが舞い降りてくる。
Natur と Geist を求め続けようとする魂は、悪魔にさえ奪うことができない――。
なんともこの上なく都合主義な結末となって、『ファウスト』は物語を閉じます。

これをどう解釈すればいいのかは、皆目わかりません。
あのゲーテですら、かようなご都合主義でなければ「物語」を少なかったのか。
それとも、ご都合主義ではなく、本当に奪えないものがあると信じていたのか。
ぼくとしては後者を信じたいところですが、もちろん根拠はありません。

  神秘の合唱

  すべて移りゆくものは 永遠なるものの比喩に過ぎない。
  到達されなかったもの、それが、ここでいま事実となる。
  名状しがたいもの、それが、ここでなし遂げられた。
  永遠に女性的なるものが、われらを引き上げていく。




余談の余談。

西洋文学史屈指の「名場面」が音楽になっていないわけがなく。



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