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愚慫空論

ブロックチェーンで見る〔力〕と〔正〕

今回も記事の出発点は『NewsPicks』からのPick.。

(^o^)っ 『ビットコインの生みの親がブロックチェーンに残した言葉とは』

ビットコインは、サトシ・ナカモトを名乗る人物によって投稿された論文に基づいて2009年から運用が始まった仮想通貨。
サトシ・ナカモトなる人物の正体は未だに不明らしいですが、その人物が最初に生みだしたビットコイン(GenesisBlock)が探り当てられていて、紹介の記事はGenesisBlockに記載されている、おそらくはサトシ・ナカモト自身の言葉を紹介するものです。

  Chancellor on brink of second bailout for banks

この言葉はイギリスの新聞Times紙の2009年1月3日の記事から取ったものだと推測されていて、グーグルさんに翻訳をしてもらうと 「首相、銀行に対する第2の救済措置を取る」

この言葉の背景には、2008年に起きたリーマンショックがあります。
金融システムが大変不安定になって多くの者が被害を被ったにもかかわらず、責任者は誰一人として処罰されるなかったどころか、救済すら受けた。


これは完全にぼくの主観です。
ぼくは、サトシ・ナカモトなる人物が記したであろう言葉に【怨】を感じる。
では、どこへの【怨】か。

「私に一国の通貨の発行権と管理権を与えよ。そうすれば、誰が法律を作ろうと、そんなことはどうでもよい。」

この言葉は、いわゆる「ロスチャイルド一族」の始祖、マイヤー・アムシェル・ロスチャイルドが発した言葉だとされています。
陰謀論界隈(w)では有名な言葉。

陰謀論の真偽はともかく、2009年に現れた現象は、マイヤー・ロスチャイルドの言葉の真実性を示しているように思えます。
通貨の発行権と管理権を握っている者には、国家ですら手出しをすることができない。
それもそのはずで、国家ですら“彼ら”が発行する通貨に依存しているわけだから。

国家(帝国)と銀行システム(貨幣)は共依存関係で、しかも貨幣が上位。
マイヤーの言葉と2009年に起きた現象は、そのことを示している。


サトシ・ナカモトなる人物が発明したブロックチェーン技術とそこから生み出される仮想通貨は、マイヤーが言い放った「どうでもいいこと」をどうでもいいことにしてしまうものです。

こういう言い方がいいかもしれません。

 貨幣という【呪い】を生みだしたマジックをディスペルする技術が生まれた


しかし、【貨幣の呪い】は誰かが恣意的に生みだした魔術ではありません。
それは技術の発展と共に変化してきた僕たち自身の〔心〕のなかに必然的に生じたもの。
ぼくのいつもの言い方をすれば、
 〔ヒト〕が〔社会〕に適応して〔人間〕になる過程で生じたもの。
それはサピエンスという種が持つ環境適応能力の仕業。
環境適応能力の高さゆえに生み出す新しい感覚の効用。
サピエンスが営んできた歴史の、現時点での回答です。

その回答は、しかし、人類自身にとって不都合なものになってしまっている。
まるで春になると現れる花粉症のように

その不都合を自分自身の責任として捉えないのも花粉症と同じ。
なので、いろいろと薬を発明しては症状を抑え込もうとする。
金融緩和やアベノミクスとかいうのは、そうした「薬」です。
ある部分には効くけれど、副作用も強い。


ブロックチェーン技術は、そうした「薬」の類いではありません。
〔社会〕を秩序づける〔力〕と〔正〕の在り方を変えてしまう新しい技術。



ブロックチェーン技術の概要を初めて知ったときのぼくの感想は、「ゾロアスター教みたい」というものでした。

世界には善と悪とがあって、互いに〔力〕を競っている。
世界は善と悪の戦場であるという世界観。

ブロックチェーンの世界では、〔正〕と〔誤〕が競い合う。
〔正〕と〔誤〕とは相対的で、〔力〕の強い方が〔正〕となる。
ブロックチェーンおよびビットコインの信頼性が高いのは、〔正〕であること大多数の人にとって都合がいいから。


ブロックチェーンとは、一言でいうと、動的な分散型の相互監視システムです。
ブロックチェーンを支える動力は、コンピュータの計算能力。
コンピュータの計算能力が〔力〕。

〔力〕の総和が大きい方が〔正〕とするものが〔正〕となる。
それは同時に、多数にとって都合がいい〔善〕でもある。
ブロックチェーンの世界では、〔正〕と〔善〕とが一致させることができる。

これはあくまでも「できる」という話です。
「させない」ということもできる。
とある条件が成立すると、「させない」ということになる。


「動的で分散」ということは、別の言い方をすると「共有的」だということでもある。



(画像クリックで画像拝借先へ。拝借記事は参考にはしていません)


ブロックチェーンでは“台帳”は公開されます。
公開されてはいるけれど、個別でもある。
公開された台帳にアクセス出来るのは「鍵」をもった個人だけ。

台帳へのアクセスは、同時に取引をした別の「台帳」へのアクセスでもある。
このアクセス行為を可視化するものが仮想通貨。

そう。
ブロックチェーンの世界は、ぼくたちが棲み込んでいる貨幣経済の世界とは逆です。
貨幣経済世界では、通貨が先で台帳は後。
しかも、通貨と台帳は分離している。
通貨の動きを台帳に記入する。
記入は正確であることを義務づけられているけれど、
義務づけられているということは逆にいえば、不正確な記入も可能だということ。
正確か不正確かは、記入を為す個人の意志による。

ブロックチェーンは、記入にまつわる「個人の意志」が基本的には排除されます。
ブロックチェーンでは台帳が先で通貨は後。
しかも台帳と通貨は連動している。
台帳の書き換えは仮想通貨となって現れ、他者の台帳も同時に書き換えてしまう。

現行の貨幣世界での「個人の意志」に相当するものが、ブロックチェーンの世界では「コンピュータの計算能力」です。
ブロックチェーンの世界では、台帳はすべてつながっています。
つながりのかたちは、認証のやりとり。別の言い方をすれば監視。
認証力は計算能力に比例する。


図の例では4つの台帳が存在します。
そして、台帳には計算能力、つまり〔力〕がある。

仮にAが、自分にだけ都合がいい台帳の書き換えをしようとしたとしましょう。
各台帳の〔力〕が同等だとすると、Aの身勝手な行為は他の台帳からの認証を得ることが出来ず、たとえ台帳Aへの「鍵」を持っている個人がその意志を発揮しようとしても、その意志は拒否されてしまいます。

Aに都合はよくても、他の台帳には都合が悪い。
大勢に都合が良いことが〔善〕だとすると、各自の〔力〕が同等ならば、〔善〕は〔力〕によって実現する。
そして〔善〕は同時に〔正〕でもある。

ところが、もし、Aの〔力〕が他のBCDの〔力〕の総和を上回っていればどうなるか。
Aの意志が〔正〕だということになってしまいます。
Aの意志は、他人には都合が悪くても〔力〕のバランスでAの意志が通ってしまう。

少数の意志が多数の意志を抑え込んでしまう。
この状態は、誰にとっても直観的に【悪】でしょう。

ブロックチェーンの世界でも〔悪〕は生じる可能性はある。
けれど、現実的には起きづらい。
少数の〔力〕が多数の〔力〕を圧倒するということは現実的ではないからです。
その現実性は、ブロックチェーンの世界が大きくなるほど大きくなる。

そのような〔システム〕が組まれると、その〔システム〕のなかでの個人の最適な振る舞いは〔正〕であることです。自分に取ってだけ都合がいい〔不正〕な書き換えを試みても、〔システム〕の〔力〕によって拒絶されてしまうのだから。

こういった〔システム〕をぼくは〈システム〉と表記したい。
〈システム〉に適応することがそのまま〔正〕になる。
〔ヒト〕は社会的な生物だから、〔社会(=システム)〕適応への意志は身体的。
意識せずとも意志は発動される。
無意識のうちに〔正〕への意志が発動されることは、愚慫的表記では〈善〉です。
〈システム〉への身体的適応が〈善〉を生む。



ブロックチェーンは、本質的に〈システム〉です。
けれど、ブロックチェーンだけでは、〔社会〕は〈社会〉にはなりません。
そこにはハードルがある。

ブロックチェーンの〈システム〉に正しくアクセスすると、それは現行の貨幣経済システムを正しく反映したものになる。
現行の貨幣経済システムは【システム】ですから、ブロックチェーンが〈システム〉であってもその効力を発揮できない。

〔システム〕を乗り換える必要があります。


春に花粉症が出ない身体になるには、生活を改めないといけない。

たとえば、こまめに水を飲む。
少しでも渇きを感じたらすぐに水を口に含む。
けれど、それが許される環境に皆がいるわけではない。

許される環境にいる人は幸運です。
が、幸運にアイデンティティを置いてしまっては、許されない環境は変わりません。

許されない環境にいる人は、その意志を【システム】によって拒絶されるからです。
しかし、大半の人は拒絶を自覚しないでしょう。
【システム】に適応しているから。
自身の身体にとっては都合が悪いにもかかわらず。

〔システム〕の適応は、サピエンスにとっては〔善〕です。
それがたとえ【システム】であっても、〔善〕は【善】。
その【善】が自身の身体にとって不都合であっても、大半の〔人間〕はそちらを優先する。


この「大半」をさして、ぼくは“ニューロティピカル”という言葉を当てています。
その当てはめは、もともとのニューロティピカルの意味とはズレてはいるでしょう。


【システム】に依存している【人間】は、【システム】から離脱できません。
国家(帝国)と同様に。
それが自身の身体を病ましめると自覚していても、それを維持せずにはいられない。
ゆえに都合が悪い症状を抑え込むために「薬」を用いる。
薬を用いることを【善】だとしてしまいます。



【善】を〈善〉に改めるには、方法論はふたつ。

ひとつは解脱すること。
「解脱」は、仏教が説く意味ではあるが、仏教的方法だけではありません。

ふたつめは〔システム〕を乗り換えることです。

仏教その他の世界宗教が誕生したのは、サピエンスの成長と共に発展してきた〔システム〕が【システム】になっていってしまったからだとぼくは考えています。

ゴーダマ・ブッダは【システム】から「解脱」することを考えた。
ブッダの考えを発展させた者たちは、【システム】を乗り換えることを考えた。
とはいうものの、オルタナティブな〔システム〕は現実にはない。
だから空想した。
ユダヤ、キリスト、イスラームも、空想の形が違うだけで、本質的には大乗仏教と同じ。

孔子は空想をしませんでした。
現実的にオルタナティブな〔システム〕を作る方法を考えた。
けれど、孔子の思想は〔力〕に負けて儒教になった。


現代は、オルタナティブな〔システム〕が出現し始めています。
技術の進展によって。
あとは、乗り換えればいい。

技術の進展は止まりません。
国家が破壊的な振る舞いでもしない限り。
その可能性は、決して低くはありませんが。

技術の進展が止まらないのであれば、「乗り換え」も止まらないでしょう。
サピエンスには乗り換えることができるだけの適応能力があるし、
その適応能力を発揮することを好む〈健全な人間〉は必ずいるからです。

「乗り換え」は、ビットコインに投資することではありません。
仮想通貨を使うこと。
仮想通貨を使って経済を創ることです。

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