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愚慫空論

『サピエンス全史』その22~「成長」を強いるもの

『その21』はこちら (^o^)っ リンク

 


帝国を建設するにも科学を推進するにも絶対必要なものが、お金だ。とはいえ、そもそもお金とはこうした取り組みの最終的な目的なのか、それとも危険でありながら欠かせないものにすぎないのか?

経済が近代史において果たした真の役割を把握するのは容易ではない。お金によってかずかすの国家が建設され、滅ぼされた。新たな地平が開け、無数の人々が奴隷と化した。産業が推進され、何百もの種が絶滅に追いやられた。その経緯については、すでに多数の書物が書かれている。だが経済の近代史を知るためには、本当はたった一語を理解すれば済む。その一語とはすなわち、「成長」だ。良きにつけ悪しきにつけ、病めるときも健やかなるときも、近代経済はホルモンの分泌が真っ盛りの時期を迎えているティーンエイジャーのごとく「成長」を遂げてきた。目についたものを手当たり次第食い尽くし、みるみるうちに肥え太ってきたのだ。



第16章は、「拡大するパイという資本主義のマジック」とタイトルされています。
そう、資本主義は“マジック”です。
もう少し言葉を強くして言うならば、“詐欺”です。


信用がそれほど優れたものなら、どうして昔は誰も思いつかなかったのだろうか? もちろん、昔の人々も思いつきはした。人類の既知の文化はどれでも、何らかの形で信用契約が存在しており、その歴史は少なくとも古代シュメールまでさかのぼることができる。近代以前の問題は、誰も信用を考えつかなかったとか、その使い方がわからなかったということではない。あまり信用供与を行おうとしなかった点にある。なぜなら彼らには、将来が現在よりも良くなるとはとうてい信じられなかったからだ。



近代以降の【人間】は、将来は現在が良くなると信じているというのではありません。
将来は現在よりも良くならなければならないと信じていています。
将来も現在よりも良くなること、すなわち「成長」は、現代社会においては欠くべからざる要素だと信じれている。

...本当はそうでもないんですけれど。
そのことは、たとえばこういった本に現れていたりします。



この本が主張しているのは、次のようなことです。

・「成長」はもはや打ち止め。
・紙幣は、打ち止めになった「成長」が貨幣経済に波及することを紙幣が阻む。

...それはさておき。


そこに科学革命が起こり、進歩という考え方が登場した。進歩という思い込みは、もし私たちが己の無知を認めて研究に投資すれば、物事が改善しうるという見解の上に立っている。この考え方は、まもなく経済にも取り入れられた



ここはハラリさんとは見解が真逆です。
進歩という考え方は経済から始まった。


ハラリさんはもう一段、妙なことを言っています。

資本主義は、経済がどう機能するかについての理論として始まった。この理論は説明的な面と規範的な面の両方を備えていた。つまりお金の働きを説明すると同時に、利益を生産に再投資することが経済の急速な成長につながるという考えを普及させたのだ。だが資本主義は、しだいにたんなる経済学説をはるかに越える存在になっていった。



この記述に先立って、アダム・スミスの『国富論』についての記述があります。
“説明的な面”は『国富論』で、“規範的な面”は『感情道徳論』ということでしょうか?

それにしても、実体に先行して理論があるというのは、奇妙な話です。
純粋な科学の世界の、ほんの一部にはそうした現象は見られます。
最先端の物理学では、実験よりも理論が先行している。
でも、それくらいです。理論が先行する現象なんて。

それに、この記述はハラリさん自身の後の記述とも矛盾します。

資本主義は近代科学の台頭においてだけではなく、ヨーロッパ帝国主義の出現においても重要な役割を果たした。そもそも、ヨーロッパ帝国主義こそが資本主義の信用制度を創出したのだ。もちろん、信用そのものは近代ヨーロッパの産物ではない。ほぼすべての農耕社会に存在していた。(略)

とはいえ、中国、インド。イスラム教世界の社会政治的な制度においては、信用は二次的な役割しか果たさなかった。イスタンブール、イスファハン、デリー、北京などの市場の商人や銀行家は資本主義者と同じような考え方をしたかもしれないが、宮殿や要塞にいる王や将軍は、商人や商業的な考え方を見下す傾向にあった。(略)

一方、ヨーロッパでは、国王や将軍がしだいに商業的な考えをし始めた結果、商人や銀行家がエリート支配層になった。ヨーrッパ仁の世界征服のための資金調達はしだいに税金よりも信用を通じて為されるようになり、それにつれて資本家が主導権を握るようになった。



矛盾するのは、下線を引いたところ。
ここは“かもしれない”ではなく、“したにちがいない”が正解です。

一定の環境下にある〔人間〕は、一定の結論を出す。
だからこそ信用は農耕社会には普遍的に見られる。
商人や銀行家は資本主義的な考え方をする。
王侯や商人がそのように考えなかったのは、そうした環境下になかったから。
単にそれだけ。

では、なぜ、ヨーロッパの王侯や将軍たちだけが商人のように考えるようになったのか。
環境の変化です。
「新大陸」が彼らの環境に変化をもたらした。

世界征服のための資金が税金から信用に移ったのは、「新大陸」で銀が大量に発見されたから。
巨大な成功体験が信用に格上げされるのは、〔人間〕には普遍的に見られる現象です。
ヨーロッパ人だけの特徴ではありません。

上の考えが正しいかどうか確証はありません。
その点は、ぼくもハラリさんも同じ。
ただ「信用」はぼくなどよりハラリさんの方がはるかに上です。

でも、このように問うてみればどうでしょう?
もし、「新大陸」に銀がなくても、ヨーロッパの帝国主義者たちは、世界征服の資金の供給先を税から資本家に移しただろうか?
と。
答えは明白だと思いますが...。


東アジアは、ヨーロッパと逆のケースです。
現在、日本語では“中国”と呼ばれる地域に隆盛した政治体は帝国でした。
それもヨーロッパよりもずっと豊かな帝国。

ヨーロッパは周囲よりも貧しい地域でした。
中国は周囲よりも豊かな地域でした。
中国では、周囲よりも豊かな地域であったがゆえに、交易において利益を求める必要がなかった。
中国の王朝もある程度までは拡大主義だったが、その拡大は帝国によって生み出される富と比例していた。
中国の冊封体制は、コストの問題です。
直接征服するよりも、王として認め、王にとって利益になる交易を施すことで帝国の権威を保つ方が合理的・経済的だったということ。

が、そんな中国においても、拡大がそのまま利益になるという巨大な成功体験があったらどうなったか?
もし、太平洋がこれほど広大ではなく、大西洋が太平洋ほどの広さだったらどうか?
コロンブスよりも200年以上前に大航海を企てた鄭和が、アメリカ大陸を“発見”し、インカを滅ぼしたピサロの役割を演じていたら?

それでもまだ、科学革命が起こったのはヨーロッパに違いないという人がいたら、ぼくはその人にはレイシストの疑いを持つことになるでしょう。


『その23』へと続きます。

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